三尾の妖狐と僕の帰る場所   作:杉花

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ネタ切れ寸前で焦り始めてるので初投稿です!


第十五話 恋珀と闇の向こう側

森を包み込むように、黒い霧が広がっていた。

 

木々の葉が揺れる音が止み、鳥の声も聞こえなくなる。

 

まるで、この場所だけが世界から切り離されたかのようだった。

 

恋珀は湊の前に立ち、三本の尾を大きく広げていた。

 

「マスター、決してワシから離れるでないぞ」

 

「分かってる。でも、恋珀も無理はしないで」

 

「心配せずともよい。今度は力を使いすぎぬようにするのじゃ」

 

そう言いながらも、恋珀の視線は社の奥から離れない。

 

黒い霧の中に浮かぶ二つの赤い光。

 

それは、こちらの様子を窺うように静かに揺れていた。

 

『……人間と妖狐』

 

低い声が響く。

 

『奇妙な組み合わせだ』

 

「お主こそ、何者じゃ。なぜこの社に封じられておる?」

 

『封じられている?』

 

声が笑った。

 

『違う。私は待っているのだ』

 

「何をじゃ?」

 

『契約が再び結ばれる、その時を』

 

湊は恋珀の横から社を見つめた。

 

「契約……?」

 

『そうだ。命を繋ぎ、互いの存在を分かち合う契約。お前たちが結んだものと同じだ』

 

恋珀の耳がぴくりと動いた。

 

「なぜ、そのことを知っておる」

 

『知らぬはずがない』

 

黒い霧が大きくうねった。

 

『その契約の始まりを、私は知っている』

 

その言葉に、恋珀は一瞬だけ目を細めた。

 

「……契約の始まりじゃと?」

 

『そうだ。妖と人間が命を分かち合う仕組み。その力がどこから生まれたのか、お前は知らないだろう』

 

恋珀は答えなかった。

 

彼女自身、契約の仕組みについては知っていた。

 

互いの信頼と愛情が必要であること。

契約者の命が繋がること。

人間が力を使えば、その代償として寿命を失うこと。

 

しかし、その力がどこから生まれたのかまでは知らなかった。

 

「お主は、それを知っておるというのか」

 

『知っているとも』

 

「ならば話せ。なぜ、少女をここに閉じ込めておる?」

 

恋珀の言葉に、少女がびくりと肩を震わせた。

 

『閉じ込めたのではない』

 

「では何じゃ」

 

『守っているのだ』

 

その瞬間、少女が声を上げた。

 

「違う!」

 

小さな身体を震わせながら、少女は社の前へ歩み出た。

 

「守ってなんかいない! 私はずっと、ここに閉じ込められていた!」

 

『お前は何も知らない』

 

「知ってるよ!」

 

少女の声が森に響く。

 

「私はずっと一人だった! 誰も来なかった! あなたが私をここに置いていったんだ!」

 

黒い霧が少女へと伸びる。

 

恋珀はすぐに手をかざした。

 

赤い炎が地面を走り、少女と霧の間に壁を作る。

 

「その者に触れるでない!」

 

『……妖狐が』

 

霧の動きが止まった。

 

『余計なことをするな』

 

「余計かどうかは、ワシが決めるのじゃ」

 

恋珀は鋭い目で睨みつけた。

 

「この少女が何者であろうと、今は怯えておる。話を聞く前から傷つけるつもりはない」

 

『ならば、見せてやろう』

 

霧が一気に膨れ上がった。

 

次の瞬間、地面から無数の黒い腕が伸びてくる。

 

「マスター!」

 

恋珀が湊を引き寄せ、尾で包み込む。

 

黒い腕が二人のいた場所を掴もうとしたが、間一髪で届かなかった。

 

恋珀は湊を背後へ下がらせ、両手を前に構える。

 

「炎よ!」

 

赤い火が弧を描いて広がった。

 

黒い腕は炎に触れると、苦しむように揺らめき、地面へと沈んでいく。

 

だが、消えたわけではない。

 

霧の中から次々と新しい腕が現れた。

 

「きりがないのう……!」

 

「恋珀、僕にも何かできないかな?」

 

「無理をするでない。まだお主が契約の力を扱えるかも分からぬのじゃ」

 

「でも、二人で契約したんだ。僕にもできることがあるかもしれない」

 

恋珀は一瞬だけ湊を見た。

 

その瞳には迷いがあった。

 

「……ならば、ワシの手を離すでないぞ」

 

「うん」

 

湊は恋珀の手を握った。

 

その瞬間、胸の奥が温かくなった。

 

契約を結んだときと同じ感覚。

 

けれど、今回はそれだけではなかった。

 

恋珀の中にある力が、自分の中にも流れてくるような感覚があった。

 

「これは……」

 

『ほう』

 

黒い霧の奥から声が響く。

 

『もう、力を感じ取れるのか』

 

「何を言っておる!」

 

恋珀が叫ぶ。

 

『その人間は、お前の力を受け入れ始めている。契約とはそういうものだ』

 

湊は自分の手を見つめた。

 

指先に、淡い光が灯っている。

 

「恋珀、これ……」

 

「マスター、焦るでない。ゆっくりと力を感じるのじゃ」

 

湊は目を閉じた。

 

胸の奥にある温もりを探る。

 

そこには恋珀の存在があった。

 

彼女の力。

 

彼女の命。

 

そして、自分を信じてくれているという確かな感覚。

 

湊はゆっくりと手を前へ伸ばした。

 

すると、指先から淡い光が広がった。

 

黒い腕の動きが止まる。

 

「……止まった?」

 

恋珀も驚いたように湊を見た。

 

湊が作り出した光は、黒い霧を押し返すほど強いものではなかった。

 

けれど、霧が湊に触れることを拒んでいるようだった。

 

『なるほど』

 

声が低く響く。

 

『その契約は、まだ不完全なのかもしれないな』

 

「不完全じゃと?」

 

『互いに命を分け合っただけでは、契約のすべてを知ったことにはならない』

 

黒い霧が少しずつ社へ戻っていく。

 

『いずれ分かる。お前たちが何を結んだのか』

 

「待て!」

 

恋珀が叫んだ。

 

しかし、霧は社の奥へと吸い込まれていった。

 

二つの赤い光も、ゆっくりと暗闇に消えていく。

 

最後に、低い声だけが残った。

 

『その少女を連れていくな』

 

そして、静寂が戻った。

 

恋珀はしばらく社を見つめていたが、やがて湊の方へ振り返った。

 

「マスター、怪我はないか?」

 

「うん。大丈夫だよ」

 

「そうか……よかったのじゃ」

 

恋珀は安堵したように息を吐いた。

 

それから、少女へと視線を向ける。

 

少女は社の前に立ち尽くしていた。

 

「……あれは、何なの?」

 

湊が尋ねる。

 

少女は首を横に振った。

 

「分からない。でも、あの声はずっと聞いていた」

 

「ずっと?」

 

「うん。眠っている間も、目を覚ましている間も。いつも私のそばにいた」

 

少女は自分の手を見つめた。

 

「でも、あれが誰なのかは知らない」

 

恋珀は少女の前にしゃがみ込んだ。

 

「お主、名前はあるか?」

 

少女は少し考えた。

 

「……ない」

 

「そうか」

 

「でも、昔、誰かに呼ばれていた気がする」

 

「どのように?」

 

「分からない。声は覚えているのに、名前だけ思い出せない」

 

少女は悲しそうに俯いた。

 

湊は恋珀の隣にしゃがんだ。

 

「無理に思い出さなくてもいいよ。少しずつ思い出せばいい」

 

少女は湊を見上げた。

 

「あなたは、優しいね」

 

「そうかな」

 

「うん。あの人も、あなたみたいに優しかった気がする」

 

その言葉に、湊は少しだけ胸が痛んだ。

 

少女は長い間、ここで一人だった。

 

それがどれほど寂しかったのか、想像することしかできない。

 

「ここから出たいんだよね?」

 

少女は頷いた。

 

「うん」

 

「なら、僕たちと一緒に来る?」

 

恋珀が湊を見た。

 

「マスター……」

 

「もちろん、何も分からないまま連れて帰るのは危ないと思う。でも、ここに一人で残すのも違う気がするんだ」

 

恋珀は少し考えた。

 

それから少女へ視線を戻す。

 

「お主が何者なのか、まだ分からぬ。じゃが、ここに留まることが安全とも限らぬ」

 

少女は二人を見つめた。

 

「一緒に行ってもいいの?」

 

「ただし、いくつか約束してもらうぞ」

 

恋珀は指を一本立てた。

 

「ワシらに隠し事をせぬこと。分からぬことは分からぬと言うこと。そして、勝手にどこかへ行かぬことじゃ」

 

少女は小さく頷いた。

 

「分かった」

 

「よいな。では、ひとまず一緒に来るがよい」

 

少女の顔に、ほんの少し笑みが戻った。

 

「ありがとう」

 

そのとき、社の奥で小さな音がした。

 

三人が振り返る。

 

扉の隙間に、何かが落ちている。

 

湊が近づいて拾い上げると、それは古びた小さな鈴だった。

 

赤い紐がついており、表面には見慣れない文字が刻まれている。

 

「これは……?」

 

恋珀が鈴を覗き込んだ。

 

「古いものじゃな。だが、ただの鈴ではない」

 

「分かるの?」

 

「うむ。微かに妖気が残っておる」

 

少女は鈴を見つめた。

 

その瞬間、彼女の表情が変わった。

 

「……それ」

 

「知っているの?」

 

少女は手を伸ばしかけて、途中で止めた。

 

「分からない。でも、懐かしい」

 

湊は鈴を少女へ差し出した。

 

少女は両手でそれを受け取る。

 

すると、鈴が小さく鳴った。

 

ちりん。

 

その音を聞いた瞬間、少女の瞳から涙がこぼれた。

 

「……どうして」

 

「大丈夫か?」

 

「分からない……でも、なんだか悲しい」

 

少女は鈴を胸元に抱きしめた。

 

恋珀はその様子を静かに見つめていた。

 

やがて、湊の方へ顔を向ける。

 

「マスター。今日はもう戻ろう」

 

「うん」

 

「この場所については、改めて調べる必要がある。あの声の正体も、封印のこともな」

 

「そうだね」

 

恋珀は少女へ手を差し伸べた。

 

「さあ、行くぞ」

 

少女はその手を見つめ、少し迷った後、そっと握った。

 

三人は社を後にした。

 

森の出口へ向かう道中、少女は何度も振り返っていた。

 

長い間閉じ込められていた場所。

 

そこに何があったのか、彼女自身にも分からない。

 

けれど、もう一人ではなかった。

 

湊は少女の歩幅に合わせ、ゆっくりと歩いた。

 

恋珀もまた、彼の隣を歩いている。

 

その手は、いつもより少しだけ強く握られていた。

 

森を抜ける直前、少女がぽつりと呟いた。

 

「ねえ」

 

「どうしたの?」

 

湊が振り返る。

 

少女は鈴を握ったまま、二人を見上げた。

 

「私、あなたたちのことを知っている気がする」

 

「僕たちを?」

 

「うん。初めて会ったはずなのに、ずっと前から知っていたみたい」

 

恋珀は少女を見つめた。

 

「……いずれ分かるじゃろう」

 

そう言って、彼女は再び歩き始めた。

 

夕暮れの森に、三人の足音が重なっていく。

 

新しい出会い。

 

そして、まだ明かされていない契約の秘密。

 

二人の暮らしは、少しずつ変わり始めていた。




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