三尾の妖狐と僕の帰る場所   作:杉花

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ネタが無くなってきたので初投稿です!


第十八話 恋珀と約束の音

翌朝。

 

廃屋の中には、古い紙をめくる音だけが響いていた。

 

昨夜から恋珀は、木箱の中にあった書物を読み続けている。

机の上には何冊もの本が広げられ、紙に書かれた古い文字を照らし合わせていた。

 

僕は少し離れた場所で、その様子を眺めていた。

 

「恋珀、まだ調べていたの?」

 

「うむ。気になることが多すぎてな」

 

恋珀は本から目を離さずに答えた。

 

「この記述じゃが、ワシらの契約に関するものと、あの少女の鈴に刻まれた印には共通点がある」

 

「やっぱり関係しているんだね」

 

「おそらくな。じゃが、同じ契約という言葉が使われておっても、仕組みは違うようじゃ」

 

恋珀は一枚の紙を僕の方へ向けた。

 

そこには、二つの円が重なるような図が描かれていた。

その中心には、少女の鈴に刻まれていたものと同じ印がある。

 

「これは何?」

 

「命を繋ぐ契約の図じゃ。二つの円は、それぞれ契約を交わす者を示しておる。そして中央の印は……」

 

「契約を見届ける者?」

 

「そう考えるのが自然じゃろう」

 

恋珀は中央の印を指でなぞった。

 

「つまり、契約とは二人だけで完結するものではない場合がある、ということじゃ」

 

僕は自分の胸元に手を当てた。

 

僕と恋珀の命を繋いだ契約。

あのときは、互いを信じ、共に生きたいと願った。

 

その契約に、第三者が関わる余地があるのだろうか。

 

「僕たちの契約にも、何か足りないものがあるのかな」

 

「それはわからぬ。じゃが、神社の奥におった声は、契約について何か知っておるようじゃった」

 

恋珀の表情が険しくなる。

 

「そして、あの声はこう言っておったな。『その契約、長くは続かぬ』と」

 

「うん」

 

「ワシらの契約が不完全なのか、それとも別の理由があるのか……。いずれにせよ、確かめる必要がある」

 

そのとき、部屋の隅から少女の声がした。

 

「その印……」

 

僕たちが振り向くと、少女が紙を見つめていた。

 

「何か知っているの?」

 

少女はゆっくりと近づいてくる。

 

「わからない。でも、その形を見ると、胸の奥が苦しくなるの」

 

「無理に思い出さなくてよいぞ」

 

恋珀がそう告げると、少女は小さく首を振った。

 

「ううん。少しだけ、思い出したい」

 

少女は鈴を取り出した。

 

「この鈴を渡してくれた人が、同じ印を持っていた気がするの」

 

「その人が?」

 

「うん。手の甲に、同じ模様があったような……」

 

僕は恋珀と顔を見合わせた。

 

「それは重要な手がかりかもしれないね」

 

「じゃが、まだ断片的じゃ。焦らずに確かめていこう」

 

恋珀は書物を閉じた。

 

「今日は、神社へ戻ってみるのもよいかもしれぬ」

 

「また、あの場所へ?」

 

「うむ。昨日の鈴の反応が、あの神社と関係しておる可能性がある。封印の柱に刻まれた文字も、もう一度調べたい」

 

少女は少しだけ不安そうな顔をした。

 

「私も行くの?」

 

「無理にとは言わぬ。じゃが、お主自身に関わることじゃ。見ておきたいなら、一緒に来るとよい」

 

少女は鈴を握りしめた。

 

「……行く。今度は、逃げない」

 

「よし。では準備をするのじゃ」

 

恋珀は立ち上がり、尻尾を大きく揺らした。

 

森へ向かう道は、昨日と変わらない。

 

木々の間から差し込む光。

足元に広がる落ち葉。

遠くから聞こえる鳥の声。

 

けれど、僕たちの気持ちは昨日とは違っていた。

 

僕と恋珀の間には、契約による繋がりがある。

そして少女の持つ鈴は、その繋がりに反応している。

 

それが何を意味するのか。

 

僕たちはまだ知らない。

 

「湊」

 

恋珀が隣から声をかけた。

 

「どうしたの?」

 

「先ほどから、何か感じておらぬか?」

 

「何かって?」

 

「ワシの力じゃ。お主の中で、少し揺れておる」

 

僕は意識を集中させた。

 

確かに、胸の奥に小さな熱がある。

恋珀の存在を感じるような、いつもの感覚とは少し違う。

 

「昨日、鈴が鳴ったときと似ている気がする」

 

「やはりか」

 

恋珀は前方を見つめた。

 

「神社が近づくにつれ、契約の力が反応しておるのかもしれぬ」

 

そのとき、少し後ろを歩いていた少女が足を止めた。

 

「……あ」

 

「どうした?」

 

少女は森の奥を見つめていた。

 

「誰かがいる」

 

恋珀の耳が立つ。

 

「どこじゃ?」

 

「向こう。木の間……」

 

僕も目を凝らした。

 

だが、そこには木々が並んでいるだけで、人影は見当たらない。

 

「気配は感じぬが……」

 

恋珀が周囲を探る。

 

その直後、少女の手の中で鈴が鳴った。

 

チリン。

 

音は森の中へ吸い込まれていく。

 

そして、遠くから返事をするように、もう一度音が響いた。

 

チリン。

 

今度は、僕たちの背後からだった。

 

「後ろじゃ!」

 

恋珀が振り返る。

 

しかし、そこにも誰もいない。

 

風が木々を揺らしているだけだった。

 

「今の音、聞こえたよね?」

 

「ああ。確かに聞こえた」

 

少女は鈴を胸に抱いた。

 

「近くにいる……」

 

「誰が?」

 

「わからない。でも、私を知っている人」

 

少女の声が震えていた。

 

恋珀は少女の前へ立ち、周囲を警戒する。

 

「何者であろうと、姿を見せぬまま近づくのなら歓迎はせぬぞ」

 

その言葉に応えるものはなかった。

 

ただ、森の奥で一瞬だけ、白い光が揺れた。

 

神社へ到着したのは、それからしばらくしてのことだった。

 

石畳の道を進み、古い鳥居をくぐる。

 

境内には、昨日と同じ静けさが広がっていた。

 

けれど、社の扉は閉じたままなのに、奥から何かがこちらを見ているような気配がある。

 

「……まだおるな」

 

恋珀が低く呟いた。

 

「昨日の声?」

 

「おそらくな」

 

少女は僕の後ろに隠れるように立った。

 

「怖い?」

 

僕が尋ねると、少女は少し迷ってから頷いた。

 

「うん。でも、確かめたいことがあるの」

 

「なら、僕たちも一緒にいるよ」

 

「ありがとう」

 

恋珀は社の前へ進み、柱に刻まれた文字を調べ始めた。

 

「この文字……昨日よりも読み取れる部分が増えておる」

 

「どうして?」

 

「鈴が反応したからかもしれぬ。封印の術式が、何かを示そうとしておる」

 

恋珀は指先を柱に触れさせた。

 

その瞬間、柱の文字が淡く光った。

 

同時に、少女の鈴が大きく震え始める。

 

「わっ……!」

 

少女が鈴を取り落としそうになる。

 

僕は慌てて手を伸ばした。

 

その手が鈴に触れた瞬間、胸の奥に強い熱が走った。

 

「湊!」

 

恋珀が叫ぶ。

 

視界が白く染まる。

 

今度は、昨日よりもはっきりと景色が見えた。

 

そこは、昨日見た古い社だった。

 

しかし、今度は夜ではない。

 

空は薄暗く、社の周囲には何人もの人影が立っていた。

 

その中心に、鈴を持った少女がいる。

 

そして、少女の前には一人の人物が膝をついていた。

 

顔はやはり見えない。

 

けれど、その人物の手の甲には、鈴と同じ印が刻まれていた。

 

『もうすぐ、ここを離れなければならない』

 

人物が少女に告げる。

 

『どうして?』

 

『ここにいては、お前まで巻き込まれてしまう』

 

『一緒に行っちゃだめなの?』

 

人物は答えなかった。

 

代わりに、少女の手を優しく握る。

 

『お前には、ここで待っていてほしい』

 

『また、戻ってくる?』

 

『必ず』

 

『約束だよ』

 

『ああ。約束だ』

 

そのとき、遠くから地鳴りのような音が響いた。

 

人影たちが一斉に振り返る。

 

社の奥から、黒い霧が溢れ出していた。

 

『始まったか……』

 

人物は立ち上がり、少女を背後へかばう。

 

『これより先は、決して外へ出てはならない』

 

『でも……!』

 

『お前を守るためだ』

 

人物の手が光る。

 

少女の周囲に、見覚えのある封印の文字が浮かび上がった。

 

『待って! まだ話したいことがあるの!』

 

『すまない』

 

人物は少女の額に触れた。

 

『いつか、必ず迎えに来る』

 

光が強くなる。

 

少女の姿が少しずつ薄れていく。

 

最後に聞こえたのは、少女の小さな声だった。

 

『……待ってるからね』

 

「マスター!」

 

恋珀の声が響き、僕は再び現実へ戻った。

 

膝をつき、荒い息をしていた。

 

「湊、大丈夫か!」

 

「ああ……。今度も、見えた」

 

少女は鈴を握りしめたまま、目を見開いていた。

 

「私も……少しだけ見えた」

 

「何を?」

 

「誰かが、私を守ろうとしていた。怖いものから遠ざけるために、眠らせたんだと思う」

 

少女の目から涙がこぼれる。

 

「私を閉じ込めたのは、私を嫌いだったからじゃないんだ……」

 

「そうかもしれないね」

 

僕は少女の肩に手を置いた。

 

恋珀は社の柱を見つめていた。

 

「じゃが、まだ安心はできぬ」

 

「恋珀?」

 

「この封印は、少女を守るためだけのものではない。社の奥にいる何かを閉じ込める役目も持っておる」

 

「つまり、少女を封印から出したことで……」

 

「封印の均衡が崩れておる可能性がある」

 

恋珀は社の扉へ目を向けた。

 

そのときだった。

 

ギ……。

 

閉じていた扉の向こうから、何かが動く音がした。

 

僕たちは一斉に身構える。

 

そして、社の奥から低い声が響いた。

 

『見つけたぞ』

 

聞き覚えのある声だった。

 

神社の奥に潜んでいた、あの存在の声。

 

『その鈴を持つ者……まだ生きていたか』

 

少女が息を呑む。

 

恋珀はすぐさま少女を背後へかばった。

 

「お主は、あの少女を知っておるのか!」

 

『知っているとも』

 

声は、どこか愉快そうに響いた。

 

『あれを待たせたのは、私ではない』

 

「では、誰が待たせた!」

 

『お前たちが探している者だ』

 

僕は息を止めた。

 

『だが、もう戻っては来ぬ』

 

「どうして、そんなことがわかる!」

 

『なぜなら――』

 

社の奥で、赤黒い光が一瞬だけ灯った。

 

『そいつは今も、私の中にいるのだから』

 

少女の鈴が激しく鳴り始めた。

 

チリン、チリン、チリン。

 

僕の胸元にも、これまでにない強い痛みが走る。

 

恋珀が僕の手を掴んだ。

 

「マスター! 鈴から離れるのじゃ!」

 

しかし、僕の手は鈴から離れなかった。

 

鈴の表面に刻まれた印が、まばゆい光を放っている。

 

そして、その光の中に、誰かの手が見えた。

 

僕の手ではない。

 

恋珀の手でもない。

 

少女の手でもない。

 

見知らぬ誰かの手が、鈴の向こう側からこちらへ伸びていた。

 

その指先が、僕の手に触れた。

 

『……ようやく、繋がった』

 

聞こえた声は、社の奥から響くものとは違っていた。

 

懐かしさと悲しみが混じった、優しい声。

 

少女が顔を上げる。

 

「……その声」

 

その目から、再び涙がこぼれた。

 

「知ってる……」

 

少女は震える唇で、言葉を続けた。

 

「私、この声を……ずっと待っていた」

 

光が強くなり、境内全体を包み込む。

 

そして、社の扉の奥から、もう一つの声が響いた。

 

『ならば、思い出すがいい』

 

『お前が待ち続けた約束の、本当の意味を』

 

その瞬間、社の扉が内側から大きく揺れた。

 

まるで、閉じ込められていた何かが、こちらへ出ようとしているかのように。




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