そのうち文字数を倍くらいに増やしたいな
「……お主、まだおるのか」
翌日、廃墟の一室で目を覚ました僕に、聞き覚えのある声が降ってきた。
目を開けると、赤い着物を着た白髪の少女が、少し離れた場所に立っていた。
稲荷恋珀。
昨日出会った、五千年を生きるという狐の妖怪だ。
「おはよう」
「挨拶をしておる場合ではない。ここから出ていけと言ったはずじゃぞ」
「でも、ほかに行く場所もないし」
「それはお主の都合じゃろう」
彼女は呆れたようにため息をついた。
僕だって、彼女の住処を勝手に使うつもりはなかった。ただ、ここは思っていた以上に居心地がよかった。
それに、彼女が本当に妖怪なのか、まだ確かめたい気持ちもあった。
「君は、ずっとここに住んでいるの?」
「質問に答える義理はない」
「そっか」
「……まったく、調子の狂う人間じゃな」
恋珀は僕をじっと見つめた。
警戒しているのは分かる。けれど、今すぐ追い出そうとする様子はなかった。
しばらく沈黙が続いたあと、彼女は口を開いた。
「よいか。ここに住むことを許したわけではないぞ。ただ、今すぐ追い出すのが面倒になっただけじゃ」
「じゃあ、しばらくいてもいい?」
「話を聞いておったか?」
そんなやり取りが、何日も続いた。
僕は建物の壊れた部分を片づけたり、使える場所を掃除したりした。恋珀は最初こそ不満そうにしていたが、僕が何をしても特に文句を言わなくなった。
ある日、僕が水道の蛇口をひねっていると、恋珀が不思議そうに眺めていた。
「人間は水がなければ生きていけぬのか?」
「そうだね。君は違うの?」
「ワシとて水は使う。じゃが、人間ほど不便ではない」
そう言って、彼女は手のひらを軽く掲げた。
次の瞬間、小さな炎が浮かび上がる。
僕は思わず手を止めた。
「……それ、どうやったの?」
「火を起こしただけじゃ」
「手から?」
「そうじゃが?」
彼女にとっては、たいしたことではないらしい。
その炎は彼女の手のひらの上で揺れ、周囲をほんのりと暖めていた。
僕はその光景をしばらく眺めていた。
「便利だね」
「ふん。ようやくワシの力を理解したか」
少し得意げな顔をする恋珀。
その表情が、妙に印象に残った。
それから僕たちの生活は、少しずつ形になっていった。
水は残された水道を使い、火は恋珀の力で起こす。食べ物は僕が外から調達してくる。
決して快適とは言えない暮らしだったが、不思議と不自由には感じなかった。
恋珀は相変わらず偉そうで、何かにつけて「人間はこれだから困る」と口にする。
けれど、時折見せる仕草には、年相応の少女のような幼さもあった。
ある晩、僕が火のそばで座っていると、恋珀が隣にやってきた。
「お主、なぜここにおる?」
「ここが落ち着くから」
「……ほかに行く場所はないのか?」
「ないわけじゃないけど、帰りたい場所もないかな」
恋珀は何も言わなかった。
三本の尾が、ゆっくりと床の上を揺れる。
「人間というものは、帰る場所を欲しがるものではないのか?」
「そうなのかもしれないね」
「ならば、お主は変わっておる」
「そうかな」
「そうじゃ」
彼女は炎を見つめたまま、少しだけ声を落とした。
「……ここを帰る場所だと思うのなら、好きにすればよい」
僕は彼女の方を向いた。
「いいの?」
「何度も言わせるでない。ワシが許したわけではないぞ。お主が勝手に居座っておるだけじゃ」
「ありがとう」
「礼を言うな。調子が狂う」
そう言いながらも、彼女は僕の隣から離れなかった。
その夜、僕は初めてこの廃墟を、自分の家のように感じた。
そして恋珀もまた、僕がいることを少しずつ当たり前のように受け入れ始めていた。
まだ、お互いのことをほとんど知らない。
それでも、僕たちの間には小さな日常が生まれ始めていた。
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