三尾の妖狐と僕の帰る場所   作:ゆくじろ

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そろそろ日常回から解き放たれようとしてるので初投稿です!


第八話 恋珀の知らない一面

 朝、目を覚ますと、部屋の中にいつもとは違う香りが漂っていた。

 

 甘く、どこか懐かしいような香り。

 

 まだ眠気の残る頭で周囲を見渡すと、部屋の隅に座っている恋珀の姿が見えた。

 

 彼女は何かを手に持ち、じっと眺めている。

 

「……恋珀?」

 

「おお、起きたか。おはよう、湊」

 

「おはよう。何してるの?」

 

「これか?」

 

 恋珀は手に持っていたものをこちらへ見せた。

 

 それは、小さな木の実だった。

 

 茶色い殻に包まれた、見慣れない形の実がいくつか、彼女の膝の上に並んでいる。

 

「昨日、外へ出たときに見つけたものじゃ」

 

「昨日の空き地で?」

 

「いや、廃墟へ戻る途中じゃ。道の脇に落ちておった」

 

「食べられるの?」

 

「おそらくな。昔、一度口にしたことがある」

 

「おそらくって……大丈夫なの?」

 

「心配せずともよい。毒のあるものではない」

 

 恋珀は木の実をひとつ指先で転がした。

 

「ただ、少しばかり固いのじゃ」

 

「じゃあ、どうやって食べるの?」

 

「殻を割ればよい」

 

「簡単に割れる?」

 

「ワシならな」

 

 彼女は小さく笑った。

 

 その表情を見ていると、ふと疑問が浮かんだ。

 

「恋珀って、食べ物に詳しいの?」

 

「詳しいというほどではないぞ。長く生きておれば、自然と覚えることもある」

 

「料理も?」

 

「簡単なものなら作れる」

 

「意外だな」

 

「どういう意味じゃ?」

 

「いや、恋珀は何でも不思議な力で解決しそうなイメージがあったから」

 

「失礼なやつじゃな。ワシとて、食事くらい自分で用意する」

 

「そっか。じゃあ、今度何か作ってよ」

 

「今度と言わず、今日でもよいぞ」

 

「本当?」

 

「ただし、材料があればの話じゃ」

 

 恋珀はそう言って、膝の上の木の実をまとめた。

 

 僕は身体を起こし、窓の外を眺めた。

 

 今日は雲が少なく、穏やかな天気だった。

 

 昨日の外出で、恋珀が人目を気にしていることは改めて分かった。それでも、また一緒に出かけたいと言ってくれたことが嬉しかった。

 

「今日はどうする?」

 

「そうじゃな……」

 

 恋珀は少し考え込んだ。

 

「昨日の木の実を、もう少し探してみるのもよいかもしれぬ」

 

「外へ行く?」

 

「うむ。ただし、昨日より短い時間で戻るぞ」

 

「分かった」

 

 朝食を済ませると、僕たちは出かける準備を始めた。

 

 恋珀は着物の襟元を整え、長い髪を片側へ寄せる。三本の尻尾はいつもどおり大きく広がっていた。

 

「その尻尾、やっぱり大きいね」

 

「今さら何を言っておる」

 

「いや、改めて見るとすごいなって」

 

「三本とも、ワシの大切なものじゃ。そう簡単に小さくすることもできぬ」

 

「隠すのは難しい?」

 

「完全にはな。人間の目をごまかすことはできても、近くで見られれば違和感を持たれるじゃろう」

 

「そっか」

 

「じゃから、あまり人のいる場所へは行けぬ」

 

 恋珀は少しだけ視線を落とした。

 

 僕は彼女の横顔を見つめた。

 

「でも、昨日みたいな場所なら一緒に行けるよ」

 

「……そうじゃな」

 

「少しずつ、行ける場所を増やしていこう」

 

「ふむ。お主となら、そういうのも悪くない」

 

 彼女の尻尾が、ゆっくりと揺れた。

 

 廃墟を出て、昨日通った道を進む。

 

 木々の間には朝露が残り、葉の先から小さな雫が落ちていた。足元の草を踏むたび、湿った土の感触が靴越しに伝わってくる。

 

「湊」

 

「なに?」

 

「少し、あそこを見てみよ」

 

 恋珀が指さした先には、低い木が何本か並んでいた。

 

 その枝には、茶色い木の実がいくつもついている。

 

「これかな?」

 

「そうじゃ。昨日見つけたものと同じじゃな」

 

「結構あるね」

 

「落ちているものを拾えばよい。枝を傷つける必要はない」

 

 僕は木の根元へ近づき、落ちている木の実を拾い始めた。

 

 恋珀も隣で、器用に尻尾を使いながら木の実を集めている。

 

「尻尾って便利だね」

 

「当然じゃ。手が塞がっておっても、こうして物を運べる」

 

「僕も尻尾が欲しくなってきたよ」

 

「人間に尻尾が生えたところで、使いこなせるか分からぬぞ」

 

「確かに」

 

 恋珀は小さく笑った。

 

 木の実をいくつか集めたところで、僕は近くに落ちていた大きな葉を見つけた。

 

「これに包んで持って帰ろうか」

 

「よい考えじゃな」

 

 葉を広げ、拾った木の実をその上に並べる。

 

 恋珀はそれを見て、満足そうに頷いた。

 

「これだけあれば、しばらく楽しめそうじゃ」

 

「どうやって食べるの?」

 

「まずは殻を割る。それから、中身を取り出して火で軽く炙るのじゃ」

 

「美味しそうだね」

 

「昔はよく食べておった。懐かしい味じゃ」

 

 その言葉を聞いて、僕は少しだけ嬉しくなった。

 

 彼女にも、懐かしいと思えるものがある。

 

 長い年月を生きているからといって、すべてを忘れてしまったわけではないのだ。

 

 むしろ、忘れずに残っているものがあるからこそ、今もこうして暮らしているのかもしれない。

 

 帰り道、恋珀は木々の間を歩きながら、時折足を止めて周囲を眺めていた。

 

「どうしたの?」

 

「いや、昔と変わらぬ場所もあるのだと思ってな」

 

「変わってない?」

 

「木の形や、風の通り方じゃ。人の暮らしは変わっても、こういうものは残ることがある」

 

「そういうのを見ると、安心する?」

 

「……そうじゃな」

 

 恋珀は空を見上げた。

 

「何もかもが変わってしまうわけではない。それを知るだけでも、悪くないものじゃ」

 

 その声は、いつもより少し柔らかかった。

 

 廃墟へ戻ると、恋珀はさっそく木の実の準備を始めた。

 

 集めた木の実を布の上に並べ、殻をひとつずつ割っていく。彼女の指先は器用で、力加減も正確だった。

 

 僕も手伝おうとしたが、最初のひとつはうまく割れなかった。

 

「……難しいね」

 

「力を入れすぎじゃ。もっと丁寧に扱うのじゃ」

 

「こう?」

 

「そうじゃ。焦らず、少しずつ力を加える」

 

 二つ目は、なんとか殻を割ることができた。

 

「できた!」

 

「うむ。よくできたのう」

 

 恋珀は嬉しそうに頷いた。

 

 その後も二人で木の実を割り、中身を取り出していった。

 

 すべて終わる頃には、思っていたより時間が経っていた。

 

「結構かかったね」

 

「こういうものは、急いでやるものではない」

 

「恋珀は慣れてるね」

 

「昔は一人でやっておったからな」

 

「一人で?」

 

「そうじゃ。食べるものを集め、火を起こし、必要なものを作る。誰かに頼る必要もなかった」

 

「今は僕がいるけどね」

 

「そうじゃな」

 

 恋珀は手を止めた。

 

 そして、少しだけこちらを見た。

 

「今は、二人でできる」

 

「うん」

 

「それは、悪くないものじゃ」

 

 その言葉に、僕は笑って頷いた。

 

 火を起こし、取り出した木の実を軽く炙る。

 

 香ばしい匂いが部屋の中に広がっていった。

 

「いい匂いだね」

 

「そうじゃろう。もう少し待つのじゃ」

 

 恋珀は火加減を調整しながら、木の実を丁寧に転がした。

 

 やがて、彼女は一つを手に取り、息を吹きかけて冷ました。

 

「ほれ、食べてみるがよい」

 

「ありがとう」

 

 受け取って口に入れる。

 

 ほんのりとした甘みと、香ばしさが広がった。

 

「美味しい!」

 

「そうか。それならよかった」

 

「恋珀も食べて」

 

「もちろんじゃ」

 

 彼女もひとつ口に運んだ。

 

 その瞬間、表情が少しだけ変わった。

 

「……懐かしい味じゃ」

 

「昔と同じ?」

 

「完全に同じとは言えぬ。木も土も、昔とは違っておるじゃろうからな。じゃが、こうして食べると、昔のことを思い出す」

 

「どんなこと?」

 

「特別なことではない。森の中で過ごしておった頃のことじゃ。誰かと話すこともなく、ただ季節が巡るのを眺めておった」

 

「寂しくなかった?」

 

「寂しいと思うこともあった。じゃが、それを誰かに話すことはなかったのう」

 

「どうして?」

 

「話す相手がおらなんだ。それに、話したところで何かが変わるとも思っておらなんだ」

 

 恋珀は木の実をもうひとつ手に取った。

 

「長く生きるというのは、そういうことでもあるのじゃろうな。嬉しいことも悲しいことも、いつしか自分の中だけで片づけるようになる」

 

「今は違う?」

 

「……少し違うかもしれぬ」

 

 彼女は僕を見た。

 

「湊には、話してもよいと思える」

 

 その言葉を聞いて、僕は胸の奥が温かくなるのを感じた。

 

 恋珀が何を思い、どんな時間を過ごしてきたのか。

 

 僕にはまだ知らないことがたくさんある。

 

 けれど、これから少しずつ聞いていけたらいいと思った。

 

「じゃあ、これからも色々聞かせてよ」

 

「よいぞ。ワシが覚えておる範囲でな」

 

「楽しみにしてる」

 

「ただし、昔の話ばかりでは退屈するかもしれぬぞ」

 

「そんなことないよ」

 

「そうか。ならば、また話してやろう」

 

 恋珀は穏やかに微笑んだ。

 

 その後も、二人で木の実を食べながら、他愛のない話を続けた。

 

 昔見た景色のこと。

 

 森で出会った生き物のこと。

 

 人間の暮らしが変わっていく様子を、遠くから眺めていたこと。

 

 どれも僕にとっては知らない世界の話だった。

 

 話を聞くたびに、恋珀という存在が少しずつ身近になっていく。

 

 五千年という長い時間を生きてきた彼女にも、好きなものがあり、懐かしいものがあり、誰かと共有したいと思う思い出がある。

 

 それを知ることができるのは、僕にとって大切なことだった。

 

「湊」

 

「なに?」

 

「今日は楽しかったか?」

 

「うん。すごく楽しかったよ」

 

「そうか」

 

 恋珀は自分の尻尾を抱えるようにして、少しだけ身体を丸めた。

 

「ワシもじゃ」

 

「また一緒にやろうね」

 

「そうじゃな。次は別のものも探してみよう」

 

「いいね」

 

 窓の外では、夕方の光がゆっくりと色を変え始めていた。

 

 今日も特別な出来事があったわけではない。

 

 ただ二人で木の実を拾い、火で炙り、昔の話をした。

 

 それだけの一日だった。

 

 けれど、恋珀が昔の思い出を話してくれたことも、懐かしい味を一緒に楽しめたことも、僕にとっては忘れたくない時間だった。

 

 これから先、彼女がどんな話を聞かせてくれるのか。

 

 どんな景色を一緒に見られるのか。

 

 まだ分からないことばかりだ。

 

 それでも、明日もまた、彼女と同じ場所で朝を迎えられる。

 

 今はそれだけで十分だった。




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