シャルティアの手が、日傘を開いた。
黒いレースだ。傘は悟の頭の上に来て、影は肩に落ちた。差している本人の顔には、かかっていない。
「左は、わたしでありんす」
悟はバスケットへ手を伸ばした。ナーベラルの手が、悟の指より先に持ち手をつかんだ。
「お持ちいたします」
早い。悟は持ち手に指をかけて、少し引いてみた。ナーベラルは引かない。離しもしない。バスケットが二人のあいだで宙に浮いた。
「弁当くらい持てるさ。重い物じゃない」
「お持ちいたします」
一字一句、さっきと同じだった。
「モモンガ様」
セバスだった。斜め後ろから、穏やかな声で。
「恐れながら。ナーベラルの仕事を、取っておられます」
悟は手を離した。ナーベラルはバスケットを抱え直して、三歩下がった。第六階層、コロッセウムの入口だった。
◇
言い出したのは二日前の朝、報告の席だ。ここで迎える、五年目の春だった。
「弁当を持って、空の下で食べたい」
アルベドの微笑みが、凍った。
「……空の、下」
「第六階層の、だ。外じゃない」
肩から、目に見えて力が抜けた。微笑みが戻りかけて、それから消えて、守護者統括の顔になった。承知いたしました、と言って、数えはじめた。護衛の数を。森のどこからどこまでを、誰が、何人で。
「あー、三人くらいでいい」
と悟は言った。数が途切れた。
「三人、でございますか」
「三人。それと、俺。森を歩いて、座って、食って、帰る。それだけだ」
誰が三人になるかは、その場で決まった。
「あたしの階層ですから!」
アウラがまず一人。
「モモンガ様の左側は、わたしが守りんす」
シャルティアで二人。三人目に、アルベドは名乗り出なかった。
「わたくしは護衛ではございませんので、数には入りません。随行でございます」
「ちょっと。それは──」
「はいはい」
アウラが手を振って、シャルティアの続きを払った。
マーレは留守番だとアウラが決めた。木の世話があるし、今日は男の子はいいの、と言って。それを聞いたマーレがどんな顔をしたのか、悟は見ていない。
翌朝、アルベドが報告の終わりに一つ足した。給仕にプレアデスを。それと、執事を。
「いや、護衛は三人だと言ったぞ?」
「給仕は、護衛ではございません」
随行、のときと同じ声だった。分かった、と悟は返した。三人くらい、と言ったはずが、気づけば大所帯になっていた。
◇
森に入った。
さっそく、シャルティアの日傘が枝に引っかかった。
「ねえ。森の中で、傘いる?」
アウラが振り返った。
「いりんす。木漏れ日というものがありんしょう。一筋でもモモンガ様のお肩に落ちたら、どうしんすか」
「日なたぼっこになるだけじゃん」
「ぬしは、もう焼けているから平気でしょうけど」
「焼けてないし! これ、地の色だから」
ふん、とシャルティアが鼻を鳴らした。傘はすぼめたが、悟の頭の上からはどかさない。枝をくぐるたびに、傘の先ががさがさと葉を鳴らした。葉っぱのほうが、よほど日を遮っている。
二人の言い合いを、アルベドはもう止めない。アウラはまた先に立って、悟が追いつくのを待っては、また先に立った。後ろのほうで、エントマがときどきしゃがんでいた。
木が切れて、丸く開けた草地に出た。
「じゃーん。昨日、刈りました。どこにするか決めるほうに、半日かかりましたけど」
「いい場所だ。よく見つけたな、アウラ」
「でしょ」
「自分の階層で、半日も迷ったのでありんすか」
「いちばんいいとこを選んでたの!」
悟は笑った。
アルベドが敷物を広げた。大きい。十人は座れる。跪いて広げる。四隅を引いて、しわを手のひらで押して、四隅を引き直す。悟は直し終わるのを待たずに座った。アルベドの手が、しわの上で止まった。
「しわの一つくらい、あったほうが座りやすいさ」
「じゃあ、あたしここ!」
アウラはさっさと上がってきて、右隣に座った。アルベドも上がってきた。端ではなかった。まっすぐ、悟の膝のほうへ。
「ちょっと!」
「どこに座る気でありんすか!」
「え? いつものように、モモンガ様のお膝に」
「いつもはしてない」
「……はい」
アルベドは膝を揃えて、敷物の端の端に座った。
「左は、わたしでありんす。朝に申し上げたとおりに」
シャルティアが上がって、左に座った。座ってから、じりじり寄ってくる。右から、アウラが同じだけ寄った。
「近い」
「アウラこそ、近いわ」
端の端から、アルベドが言った。
「あたしは最初からここだもん」
メイドたちは、敷物の外に一列に立っていた。セバスは木の下だ。
「座れって、毎回言ってるだろ。七人に立って見られていたら、食べにくい」
アルベドが指を一本こめかみに当てた。〈伝言〉だ。口で言えば届く距離だぞ。列の端でユリが顎を引いて、六人が同時に敷物の端へ腰を落とした。座っても一列だった。セバスは、立っていた。
「セバスもな」
「私は、立っているのが仕事でございます。木の下は、日も当たりませんので」
悟もそこまでにした。
ナーベラルがバスケットを開けて、ソリュシャンが杯に注いで、二人とも黙って下がった。
アウラが時計を押した。革の帯が、擦れて色を変えている。
──おなか、すいたでしょ。ごはんの時間だよ。ちゃんと食べな。
食べた。パンは柔らかく、肉は冷めても固くなっていない。果物は切り口が瑞々しい。リンゴジュースは、冷えていなくて、いつもどおりだった。
アウラは、もう一つ目を手に取っていた。アルベドとシャルティアは、バスケットに手を伸ばさない。悟がパンを口へ運ぶと、二つの顔がそろってついてきた。
「取っていいんだぞ」
「存じております。弁当は、分けて食べるもの。……モモンガ様が、そう仰せでございました」
アルベドは微笑んだまま、動かない。
悟はバスケットから一つ取って、アルベドに差し出した。アルベドはパンを見て、悟の手を見て、もう一度パンを見た。それから両手で、押しいただいた。
「いただきます」
食べた。真剣に食べた。背筋を伸ばして、小さく噛む。飲みこんでから、しばらく黙っていた。
「モ、モモンガ様の御手から、直に……これはもう、パンではございません。くふ、くふふ──ゴホン。おいしゅうございます」
「毎回それだな」
「パン一つに、大げさな」
「シャルティアも、どうせそうなるって」
とアウラ。悟はシャルティアにも一つ渡した。シャルティアは両手で包んで、じっと見つめた。
「とっておきんす」
「ほらね」
「後で、か」
「いまは、モモンガ様の召し上がるお姿を見ておりたいのでありんす」
アウラはもう三つ目を食べていた。
「おいしいですよ、これ。肉のやつ」
「アウラ」
アルベドが、微笑みを崩さずに呼んだ。
「何?」
「モモンガ様がお一つ召し上がるあいだに、三つ」
「えー、だって、分けて食べるものって」
悟は笑って、バスケットをアウラのほうへ押した。
「食べていい。残すと料理長が泣く」
列のほうから、小さな声がした。
「……いいなぁ」
ルプスレギナだった。隣のユリがすぐに名前を呼んで、それだけでルプスレギナの背筋がまっすぐになった。
「ルプスレギナ」
と悟も呼んだ。背筋がさらにまっすぐになった。
「はいっす。……はい」
「来ていい。みんなも、好きに持っていけ」
ルプスレギナは来て、膝をついて、バスケットから一つさらった。手つきが、アルベドとまるで違う。片手で済ませて、頭を下げて、列へ戻った。半分は、列に着く前に口の中に消えていた。ユリの目が向いたが、もう遅かった。
ほかの四人は、ユリの顔を見てから、一つずつ取りに来た。ユリは最後に来た。
「そういえば、鏡の村も、今朝まで変わりなしっすよー」
「鏡の?」
一拍、分からなかった。
「ああ。あの村か。……そうか」
ユリが、もう一度、名前を呼んだ。
エントマは、列にいない。草地のはずれにしゃがんで、着物の袖から手を出しては、草の根元の何かをつまんで面の下へ運んでいる。もう一つ。もう一つ。
「エントマ」
ユリの声は大きくない。エントマがしゃがんだまま、首だけ振り返った。
「おやつですぅ。落ちてましたぁ」
「落ちていた、ではありません」
「虫ですぅ。ここのは、大きいですぅ」
「でしょ? うちの森のは、育ちがいいの」
アウラが胸を張った。悟は食べていたパンを口から離した。離してから、また口に入れた。
「美味いか?」
「はい、ですぅ」
袖の中で、まだ何かが動いていた。パンとどちらが美味かったか聞くのは、次の機会にしよう。
「モモンガ様、お気になさらず。虫です」
ナーベラルが、平らな声で言った。
「戻ったら、手を洗わせます」
とユリが言った。何のために、とは誰も訊かなかった。
◇
食べ終わるころに、風が通った。草の匂いがして、木の上で何かが鳴いた。鳥のようで、鳥より低い声だ。空は青くて、雲がいつもより多い。
「マーレが、朝から雲を増やしてます」
アウラの指が、上を差した。
「モモンガ様が、焼けないように」
悟は空を見た。増えた雲の影が、草の上を渡っていく。
「よし。遊ぶか」
三人が、顔を見合わせた。
「遊び、でございますか」
「狩りなら、獲物は森の奥に幾らでもおりんす。大きいのから順に、わたしが」
「それ、シャルティアがやりたいだけでしょ。かけっこ、とか?」
アルベドが、モモンガ様のお望みの遊びを仰せください、何でも用意いたします、と言った。用意する遊び、というものが悟には分からなかった。
「用意は要らない。人がいればできるさ」
「人がいれば、何ができるのでありんすか」
「色々あるぞ。けいどろ。かくれんぼ。だるまさんが転んだ」
「けいどろ」
「……あれは走るな。だるまさんが転んだにしよう。立っているだけでいいんだ」
悟は列のほうを見た。
「お前たちも来い。遊ぶぞ!」
五人の目がユリに集まった。ユリが立ち上がった。そのまま、間を置いた。
「ボッ……私たちも、よろしいのですか」
聞こえたのは悟とアウラだけらしい。アウラの口の端が、一瞬だけ上がった。
「固いことはいいっこなしだ。給仕は休み」
「畏まりました」
ユリは来ないで、ルプスレギナとシズとナーベラルの背中を押した。
だるまさんが転んだ、を教えると、六人は戦術の説明でも聞くように、真剣に聞いた。子供の遊びだぞ、これ。ルプスレギナは、途中から足を踏み替えている。
「では、鬼は」
とアルベドが言って、そこで言葉を切った。
「鬼は、モモンガ様に、背を向けることになりますでしょうか」
「そうだな。木を見るから、背中は向ける。それが鬼だ」
「……わたくしには、できません。御身に背を向けて、御身から目を離して、数を数えるなど」
「わたしも、できんせん」
「モモンガ様の背後から近づく、というのも、私には」
ナーベラルだった。
「不敬かと」
「ただの遊びだ」
「はい。不敬かと」
「仕方ないな。俺がやる。鬼は楽なんだ、数えるだけでいい。ナーベラルは、やりたくなければそこで立っていていいぞ」
「立っております」
悟は木に額を寄せて、目を閉じた。樹皮が痛い。鬼は楽だと言ったのは、自分だ。
「だーるーまーさーんーがー、こーろーんーだ」
振り向いた。
六人が止まっていた。
アウラは右足を上げたまま。シャルティアは日傘を傾けたまま、ドレスの裾も揺れない。アルベドは一歩を踏み出した形で、微笑みも崩さない。ルプスレギナは両腕を前に出した妙な形で、笑いをこらえている。シズは、最初の場所に、最初の形で立っていた。一歩も出ていない。ナーベラルも元の場所で、言ったとおりに立っているだけだった。
六つの石が草の上に立っている。
風が吹いた。草が揺れて、木が揺れて、シャルティアの銀の髪だけが風に流れた。
「動いたっ」
「動いておりんせん!」
シャルティアの声が森に跳ねた。
「髪が動いてたぞ」
「髪はわたしではありんせん。風でありんす」
「大人げないですよ、モモンガ様」
とアウラが言った。足はまだ下りていない。
「風でございます、モモンガ様」
アルベドまで言った。ルプスレギナの肩が、笑いで揺れた。
「ルプスレギナ、動いた!」
「っ……いまのは、揺れただけっす。風っす」
「お前のは風じゃない。笑ってただろ」
「……はいっす」
ルプスレギナが悟の隣に来て、立った。来るときの足取りが、やたらと軽かった。
「分かった分かった。風は厳しすぎたな」
二度目に首を回すと、アウラとシャルティアとアルベドが、さっきの倍の距離を縮めた形で止まっていた。いつ動いたのか分からない。シズは、まだ最初の場所にいた。
「シズ。来ていいんだぞ」
「……了解」
言っただけで、その場にいた。
三度目は、唱え終わる前に、背中に何かが触れた。指の先だ。軽い。服の上から、肩甲骨のあたりに一本。振り向くと、アルベドがいた。真後ろに。
「触れました! モモンガ様の、お背中に、この指で! ──ゴホン。触れました」
「どうやって?」
「歩いて、まいりました」
「俺が唱えはじめたとき、あそこにいたよな」
悟は十歩は向こうの草を指した。
「歩いて、まいりました」
草地の端まで逃げていたのは、アウラだけだった。アルベドは、真後ろから一歩も動かない。
「触ったら、逃げるんだ」
「モモンガ様の御側を離れる決まりは、聞いておりません」
「いま、言った」
「……では、次から」
悟は一歩も歩かずに、アルベドの肩に手を置いた。
「捕まえたっ。次の鬼は、アルベドだ!」
アルベドの微笑みが、ほんの少し引きつった。
「……木を、見るのでございますね」
「見る」
アルベドは木のところへ行くまでに、三度悟を見た。木の前に立つと、背中ががちがちになった。
「統括殿の背中を眺めるのは、いい気分でありんすねえ」
シャルティアが、日傘の下でころころ笑った。
「だるまさんがころんだ」
一息で言って、アルベドが振り向いた。早い。悟は、上げた足を下ろしかけたところだった。
「モモンガ様。動いておられました」
「いやいや、上げただけだ、足を。ちょっとだけ。な?」
「上げておられました」
「捕まったか」
「いいえ。モモンガ様が近づかれる必要は、ございません。わたくしが、まいります」
アルベドは木を離れて、悟のほうへ歩いてきた。
「鬼が来ちゃだめなんだって」
アウラが草地の端で言ったが、アルベドは止まらなかった。悟の前まで来て、跪いた。
「捕まえました」
「それは、鬼が捕まるほうだな」
「鬼で、構いません」
「ずるいでありんす!」
「それ、モモンガ様のとこに来たかっただけじゃん」
アウラが戻ってきて、アルベドの後ろで天を仰いだ。アルベドは跪いたまま、首だけで振り返った。
「何か?」
木の下でセバスが、顔を横に逸らした。悟は笑いを手のひらで押さえた。押さえきれなくて、肩が揺れた。
「よし、そろそろ終わりにしようか。疲れた」
悟は敷物に横になった。アウラが隣に座って、草を一本抜いて、口にくわえる。
「行儀」
とシャルティアが言った。アウラはくわえたまま、だってモモンガ様が寝ころんでるし、と口をとがらせてから、悟の顔を窺った。
「くわえてていい。今日は、そういう日だ。行儀は明日からでいい」
列で、ルプスレギナが同じことをしようとして、ユリに草を取り上げられた。
空がある。マーレの雲が増えていて、端が白く、真ん中が薄い灰色で、ゆっくり動いている。草の匂いがして、どこかでまた鳥のようなものが鳴いた。目を閉じたつもりはなかった。
◇
開けたとき、空が黒かった。
黒いレースだ。日傘が顔の真上にあって、その横から黒い翼が半分かぶさっている。上のほうで、声をひそめた言い合いが続いていた。
「翼をどけなんし。傘の影の邪魔でありんす」
「傘こそ畳みなさい。わたくしのほうが、広く覆えるのだから」
悟が瞬きをすると、傘がさっと離れて、翼が音もなく畳まれた。空が戻った。二人とも、何事もなかった顔をしている。
足が温かい。見ると、膝から下に白と薄い灰色の毛糸のものが掛かっていた。持ってきた覚えがない。
「これは」
「……わたくしが」
アルベドは膝の上で指を組んだ。
「編みました。モモンガ様がお眠りの時間に、毎晩すこしずつ。目の数を数えておりましたら、ちょうど今日、足りまして」
「これを、編んでいたのか」
「はい」
「ああ、上手だな。目が揃ってる。俺には編めない」
アルベドは俯いた。
「くふっ……お、お褒めに、あずかり、くふふ……──失礼いたしました。ありがとうございます」
毎晩どこで編んでいたのかは、知っている。寝台の脇の、灯りを一つだけ残した椅子の上だ。悟はそれは言わずに、編み目を数えた。
「アウラにも編んでやってくれ。夜の森は冷えるだろう」
「……仰せのままに」
仰せのままに、の前の間が長かった。
「いらないです」
アウラが森のほうを向いたまま言った。
「わたしは要りんす」
「貴方のぶんは、毛糸が足りないわ」
「まだ数えてもいないでありんしょう!」
アウラは少し離れたところで、森のほうへ手を上げていた。木立のあいだに大きいものがいる。狼のようなもの。アウラの手が下に向くと、それは木立の奥へ引っこんだ。
「モモンガ様が寝てると、見に来るんです。挨拶、させてもいいですか」
悟が頷くと、アウラは口笛を一つ吹いた。木立から、さっきのものが出てきた。草地を横切ってきて、敷物の手前で首を低くした。顔から胸へ、金の筋が走っている。アルベドの腰が浮いて、シャルティアが日傘の柄を握り直した。
「大丈夫だってば。この子、いちばんおとなしいの」
「フェンか」
「覚えてたんですか!」
「久しぶりだな」
悟は手を伸ばした。硬い毛で、下が温かい。息が手の下で上がって、下がった。
「やっぱり、いい獣だ」
「でしょ」
列から、一人が立っていた。シズだった。眼帯でないほうの目が、獣に据わっている。その目を外さずに、一歩出て、そこで足を揃えた。ユリが名前を呼びかけて、呼ばなかった。
「シズ、触りたい?」
アウラが言った。シズは答える代わりに悟を見た。
「ほら、シズもこい」
「……了解」
シズは来て、悟の隣に膝をついて、獣の首に手を置いた。置いた手がしばらく動かず、それから毛の中にゆっくり沈んだ。顔は変わらない。変わらない顔の、手だけが毛の中にある。獣は首を低くしたまま、じっとしていた。
悟が撫でていたより、ずっと長かった。
「シズ」
ユリの声で、シズの手が毛から出て、膝の上に収まった。
「……了解」
立って、列に戻る途中で一度だけ振り向いて、獣を見た。獣はアウラの手が下りると木立へ帰っていって、アルベドの腰が元の位置に落ち着いた。
よっこいしょ、と口から出た。
「あ。モモンガ様、いま、よっこいしょって」
「言ってない」
体を起こすと、背中が、がさがさ鳴る。
「モモンガ様、じっとしててください。背中、草だらけです」
アウラが後ろに回って、背中の草を取る。一本ずつ。髪からも一本。取った草を手の中に集めて、どうするか考えて、自分の服のポケットに入れた。
「お鼻が、赤うなっておりんす」
触ると熱い。作り物の日でも、鼻は焼けるらしい。マーレが雲を増やしてもだ。
「傘、意味なかったじゃん」
「お休みのあいだは、ずっと差しておりんした!」
「いや、焼けただけだって。大げさだな、まったく」
「ペストーニャに」
「いい。明日になれば、落ち着く」
アルベドの目が悟の鼻を見て、指が一本、こめかみに上がりかけた。
「空は、そのままでいい。いい天気だ」
指が、下りた。
日が傾く前に、片づけた。
ソリュシャンがバスケットの中をのぞいて、アルベドのほうへ顔を寄せた。
「残し、なし」
アルベドが頷いた。
空のバスケットを、三人が同時に見た。
「帰りは、あたしが」
「行きはナーベラルが持ちんした。帰りはわたしの番でありんす」
「軽いものでしたら、わたくしが」
悟は三人が見ているあいだに、持ち手に手をかけた。軽い。来るときの半分もない。
「軽いなら、俺でもいい」
全員が、止まった。アウラの手が伸びた形で、シャルティアの口が開いた形で、アルベドは微笑みのまま。列の六人は、立ち上がりかけた形のまま。木の下のセバスまで、一歩踏み出した姿で、止まっていた。
「だるまさんは、もう終わったぞ」
悟はバスケットを腕に掛けて、歩き出した。三歩で、ナーベラルが隣に来た。
「お持ちいたします」
朝と同じ声だ。持ち手に彼女の手が掛かると、悟の指はひとりでに開いて、バスケットはもう向こうの腕にあった。朝より、うまくなっていた。
シャルティアは、自分の分を布に包んで、畳んだ日傘と一緒に抱えている。
「次は、マーレも連れてきていいですか」
アウラが振り返らずに言った。
「ああ。……いいアイデアだ」
背中に、草の匂いが残っていた。アウラが取りきれなかったのが、まだ一本、どこかにあるのかもしれない。