薫風香る初夏の晴れやかな芝の大地。
まさに今伸び盛りである事を示すかのように生い茂る若葉を象徴するかのように、小倉レース場の芝コース上には12人の新進気鋭なウマ娘が揃っていた。
その眼には自信、緊張、心配、勇猛。様々な色を帯びたものが含まれていたが、誰もが勝ちたいという意欲だけは共通していた。
『今日も始まりました、ウマ娘のデビュー戦。この若い芽はここから大きく育ち、次代のクラシック戦線で輝く一等星となるのでしょうか。』
実況が毎年定例の如く使っているワードを淡々と述べている。
レース場の大型モニターには一番人気のウマ娘がデカデカと映し出される。次いで二番、三番と画面が映っていき、八番目の人気ウマ娘が映った時、思わず苦笑してしまった。
「……緊張、してますね」
そんな様子を見てか、トレセン学園の学生服を着たウマ娘が声をかけてくる。
意識して気付かれないようにしたつもりだったが、彼女たちの機敏な聴力には誤魔化されないらしい。
「そりゃまぁ、こんだけの人に注目されながら走るのは初めてだろうしね。仕方ない仕方ない」
「これだけ……ですか?」
できる限りデビュー戦の景色を間近で観たいがために立見エリアの最前列まで出てきたのだが、それは容易にできてしまった。
何故なら今日の小倉レースはメインレースがオープン戦で、本命は新潟レース場のGⅢにある。言ってしまえば、さほど重要ではないレース開催しかない日には、いつもよりやや観覧するファンが少ないのだ。
客席全体を振り返って見渡したウマ娘が、ちらほらと空きスペースのあるスタンドを見てから再度トレーナーの方を向くと、同時にファンファーレが鳴り響く。レース開始の合図だ。
「少ないと思うなら大違いだよ。むしろ後になって、これくらいの方が楽だったと思うかもしれない。」
「?」
各ウマ娘が用意されたゲートへ向かう。八番人気のウマ娘のゲートは6番だ。
緊張した顔のままゲートに入ると、少し落ち着いたように見えるのは気のせいだろうか。
「これから先、勝てばもっと多いファンの前で走る事になる。その時に圧倒される子も多いからね。」
全ウマ娘がゲートに入る。
それから間を空けずゲートが開き、同時に飛び出して芝のコースへ躍り出た。
ワッと歓声が上がり場内を包み込む。3番ゲートから出たウマ娘が躓いたのだ。
両脇のウマ娘がそれに僅かに気を取られ、初速で後れを取る。
デビュー戦の悪い所が出てしまった瞬間だった。
「出だしはまずまず。指示通り先団に取りつけましたね。」
大型モニターに映るウマ娘の隊列は極めて慎重な動きに見えた。
逃げの手を打ったのは1人だけ。その後ろに八番人気のウマ娘が付いて、後方に他の集団がチラホラと追走している。
最初に後れを取った3人のウマ娘以外はそうした隊列のまま3コーナーに突入した。
「少し遅いな」
「はい」
前半タイムが表示されたが、平均ペースに比べると2秒遅かった。
逃げのウマ娘を見れば、やや歩合を緩めた格好で走っているように見える。
4コーナーを曲がり直線へ入る。
後ろに控えていたウマ娘の数人が外へ回り込んで一気に加速をかける。
逃げのウマ娘はそれを見越して再加速をかけたが、突き放せず先頭を維持するので手いっぱいに見えた。
先団に付いていた八番人気は逆に内を突いて潜行を開始した。
そのペースは十分なものに見え、末脚を次々と見せてくる後方追走に引けを取らない。
歓声が大きくなる。応援の声色が高まる。
外から迫るウマ娘の足色が鈍くなる。
内を突く数人が一気に脚を伸ばして競り合う。
その中には遅れを取ったはずの一人もいた。脚が残っていたのだ。
残り100メートル。三人の接戦だった。
誰も譲らず駆け抜け、そのままゴール板の前をほぼ同時に通過した―。
「悔しいぃぃぃぃ~~~~!!!!!」
結果は写真判定の末、八番人気のウマ娘―レイメイクアッド、の着順は2着で確定した。
1着は遅れを取ったウマ娘、4番ゲートの勝利だった。
人気で言えば5番人気と8番人気が先着するという荒れ模様だったが、トレーナーはおおよそ理由は分かっていた。
「十分よくやったと思うよ。レース前は緊張していたのに、指示は忘れなかったじゃないか」
「それはそうですけど~~!!」
飲料を渡しながら労いの言葉をかけるが、悔しさがまだ先立つレイメイにはあまり効果が無いようだ。
とりあえず、先ほど立見席で一緒にいたウマ娘―ウェイバックとレースの振り返りを簡潔にした。
「今回のレースでは事前の想定通り、スローペースに落ち着いた展開で進めたので先行したのは正解でしたね」
「私の脚じゃキレないってトレーナーが言うから……」
「そこ拗ねない動かない。脚を休ませろって言ったでしょう」
プラプラと脚を動かして抗議するレイメイを宥めつつ、湿布を片脚に貼りつける。
「それに、開幕初週で芝が荒れていないのを利用したイン突きも見事でした」
「やっぱり?やっぱりあそこ凄かったよね?」
「それに、外に回った奴らが歓声に驚いたのも功を奏したな」
ウマ娘の五感は人間のそれを大きく上回る。特に聴力は著しく、人間では聞き漏らすような音を把握するのもお手の物だ。
そんな鋭敏な感覚を持つ者が、慣れない環境で突然大音量の声を受け止めたら、怯んでしまうのも無理はない。
トレーナーはそれを想定に入れて、レイメイに内側から駆け抜けろと指示を出していた。
「でも私ってそんな声には驚かないですよ?」
「お前は鈍感っていうか、ズブいもんなぁ……」
「あーっ!それ傷つきました!乙女の心を抉りました!ウェイ!聞いたよね!今の無神経な言葉ァー!」
「あはは……」
レイメイの猛抗議を2人してスルーすると、もう片脚にも湿布を貼り付けてレース後の手当を終える。
「とりあえずトレセンへ戻ろう。次走はまた来月とかになるが、今度は小倉では無いかもしれないしな」
「あっ!じゃあお土産買ってもいいですか?同室の子に言われてて……」
「……少しだけな」
やった!とレイメイが喜ぶ姿を後目に、とりあえず着替えるであろう事情から控室を出る。
すると人もまばらな通路で、やや籠った声が聞こえてきた。泣き声だ。おそらくは3番ゲートの子だろう。
気持ちはよく理解できた。デビュー戦でこれからという時の一歩目でミスを犯してしまったのだ。
これからも負い目を持ち続けるであろう彼女を、トレーナーはしっかりリカバリーしなくてはならない。
そういう意味では、2着でもあっけらかんとしていたレイメイには内心でホッとしていた。
着差がハナ差だったのもあり一層口惜しさも残ると思っていたが、ポジティブに処理をしてくれたと思う。
とりあえずは次走へ気持ちを向けて、明日以降に用意を続けていけば大丈夫と判断はできる。
未だ泣き声の止まない扉の前を通りつつ、関係者通路を歩きながら水村はそう考えていた。
水村トレーナー(28)
URA専属の若手トレーナー。
チーム<トライアド>を先代トレーナーから継承する形で管理し、現在5人のウマ娘の担当となっている。
チーム<トライアド>
栗原トレーナーがかつて担当していたチーム。
重賞勝利するウマ娘を毎年輩出していた強豪だったが、栗原が引退し水村へ交代すると不調に陥った。
チーム名の由来は三冠レース制覇を目指すという意味から。
☆URA専属トレーナー
営利法人組織『Uma-musume Racing Association』に所属するウマ娘専門運動指導者の通称。
国立・私立問わず4年制大学の卒業後、専門教育機関への入学とトレーナー試験の合格を得た後、2年間の研修期間を経て初めて認定される。
ただし合格率は極めて低く、毎年数百名が試験を受けるが合格者は僅か数名という年が通例である。
他にもNAU(地方ウマ娘全国協会)という別組織が運営するトレーナー資格もあり、こちらとの兼用が可能。