AIの少女が、現実世界に帰るまで   作:氷華1

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第1章:氷封紀元
第1話:氷封の空と、一杯の白湯


 

 

 

 タワー歴770年。

 分厚い二重ガラスの窓に張り付いた氷の結晶を指先でなぞると、冷たい結露が水滴となってゆっくりと滑り落ちた。

 

 外の世界は、果てしない白に塗りつぶされている。

地球が絶対零度の猛吹雪に覆われる「氷封紀元」を迎えてから、どれだけの時間が過ぎたのだろう。外気温度はマイナス70度を下回り、防寒着なしで外に出れば、肺が凍りついて数分で命を落とす。

 

 ガタン、と重々しい車体の揺れが、少女の細い肩を揺らした。

生き残った人類は、分厚い装甲と巨大な除雪プレードを取り付けた旧式列車を移動基地とし、この極寒の地獄を這いずるようにして生き延びていた。

 

「今日も元気な猛吹雪だね......っと。ストーブ、もう少し火力上がらないかなぁ」

 

 車室の片隅で、17歳の少女・鳩は、かじかむ両手を擦り合わせた。

着込んでいる防寒着は何度も継ぎ接ぎされ、ところどころが煤けている。それでも、フードから覗く彼女の顔には、過酷な環境に押しつぶされないだけの瑞々しい生気が宿っていた。

 

 彼女は手袋を外した指先で、首から下げた一本のペンを弄る。

それはただのペンではない。ウサギのような、猫のような、少し間抜けた動物の意匠が施されたAIボイスレコーダーだ。

 

『ピッ。外気温度ノ低下ヲ確認。ポッポ、体温ヲ維持シテ。風邪ヲ引カナイヨウニ』

 

 ペンの先端が淡く光り、少し舌足らずな電子音声が響いた。

鳩は頬を膨らませ、ペンの頭を軽く指ではじく。

 

「ちょっとAlpaにゃん!私、もう子供じゃないんだからポッポって呼ぶのはやめてって言ってるでしょ。大体、こんな寒いところで風邪なんて引いたら、そのまま死んじゃうわよ」

 

『......システム・エラー。ポッポハ、ポッポ。名称ノ変更ハ管理者権限ガ必要デス』

 

「だから、その権限を持ってる人に文句を言ってるの!」

 

 鳩がジロリと視線を向けた先。

少し離れた座席で、無骨な通信機材の配線を弄っていた青年が、ふっと小さく吹き出した。

 

「やめろよ、鳩。Alpaにゃんをいじめるな。それに『ポッポ』ってあだ名、お前によく似合ってるぞ」

 

 実の兄であり、この偵察隊の技術班でもある隼だ。

彼は手元の作業を止めると、オイルで汚れた手を布で無造作に拭いながら立ち上がった。

その顔には疲労の色が濃く滲んでいるが、妹を見る瞳だけは、ストーブの火よりもずっと穏やかで温かい。

 

「お兄ちゃんが変なプログラム組むからでしょ。偵察に出る時、隊長の前でポッポって呼ばれたら恥ずかしいんだから」

「気をつけさせるよ。......ほら、これでも飲んで温まれ」

 

 隼は苦笑しながら、ストーブの上で温めていた年代物の水筒を手に取った。

へこみだらけのブリキのカップに、とくとくと透明な液体が注がれる。ただのお湯。この凍りついた世界では、コーヒーや紅茶なんてものはとっくの昔に失われている。

 

 それでも、湯気とともに立ち昇るその熱は、何よりも贅沢なご馳走だった。

 

「ありがとう、お兄ちゃん」

 

 鳩は両手でカップを包み込むように受け取った。

じんわりとした熱が、凍えていた手のひらから全身へと染み渡っていく。ふーっ、と息を吹きかけてから一口飲むと、冷え切っていた胃の腑がゆっくりと解けていくのがわかった。

 

「生き返るぅ......。やっぱり、お兄ちゃんが沸かしてくれたお湯が一番美味しい」

「ただの雪解け水だぞ」

「違うよ。温度管理が絶妙なの。ほかの人がやると、ぬるかったり熱すぎたりするんだから」

 

 隼は妹の言葉に呆れたように肩をすくめながらも、自分のカップにもお湯を注ぎ、隣に腰を下ろした。

窓の外では、相変わらず猛吹雪が吹き荒れ、分厚い走行を叩き続けている。しかし、この狭く薄暗い車室の中だけは、確かな体温と、兄の不器用な優しさが満ちていた。

 

 隼は、妹の首元で小さく明滅を続ける『Alpaにゃん』へ視線を落とした。その瞳の奥に、ほんの一瞬だけ、技術者としての冷たく鋭い光がよぎったのを鳩は知らない。彼が妹に持たせたこの端末が、ただの愛らしいボイスレコーダーではないということも。

 

「あと少しだ、鳩」

 隼が、窓の外の白い闇を見つめながらポツリと呟いた。

「え?」

「あと数日で、俺たちの部隊はタワーの麓に到着する。あそこの地下シェルターに入れば、こんな揺れる列車で眠らなくて済む。お前にも、もっとマシなものを食わせてやれる」

 

 ピクセルタワー。

 世界を寒さから守ってくれると信じられている、人類最後の希望。

 

「うん。楽しみだね、お兄ちゃん」

 鳩は微笑み、カップの温かな白湯をもう一度飲んだ。

 

 永遠に続くかのようなこの氷封の世界でも、お兄ちゃんがいれば大丈夫。

そんな無邪気な信頼が、彼女の心を温めていた。

このささやかな幸せが、間もなく空から降る「白い灰」によって、跡形もなく消え去ってしまうことなど、このときの二人は知る由もなかった。

 

 

 

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