青く澄み渡る空の下、色鮮やかなネオンサインとガラス張りの高層ビルが立ち並ぶ仮想都市『phigrOS』。
そこは、かつて現実世界で凍えていた人類が夢見た「寒くない街の」完全な再現であり、それ以上の理想郷だった。
「......今日の天候データ、異常なし。仮想風速、毎秒2メートル。人々のバイタル、異常なし」
街の中心にそびえ立つピクセルタワー。その最上階にある冷たいデータが流れる中枢管理室で、鳩は一人、無数に浮かぶ空中のモニターを見下ろしていた。
モニターの中に映し出されているのは、活気に満ちた街の広場だ。
人々は薄着で歩き回り、笑い合い、配給の粗末なスープではなく、データで緻密に再現された色とりどりの食事を楽しんでいる。
広場の片隅にあるベンチでは、Ginoが足を組みながら梆笛を吹いていた。
現実世界では凍りつくのを恐れて懐に隠していたあの笛を、今は陽だまりの中で、誰に遠慮することもなく堂々と奏でている。その高く澄んだ音色に惹かれ、街の人々が足を止めて拍手を送っていた。
「Gino、いい音だ。随分と腕を上げたな」
「へへっ。手が凍えないから、指かよく回るんだよ。隼も一曲どうだ?」
笑い合う二人の姿。
妹の身を案じてばかりで常に険しい顔をしていた兄・隼の表情は、信じられないほど穏やかだった。
「よかった......。みんな、笑ってる」
モニター越しにその姿を見つめながら、鳩はふわりと微笑んだ。
誰も死なない。誰も凍えない。狂ったように灰が降ることもない完璧な楽園。
しかし、その活気に満ちた広場に、そして彼らの会話の中に、「鳩」の存在は欠片もなかった。
彼女は街を創り上げる際、全ての住人の記憶から、自分自身の存在を完全に消去していたのだ。
『警告。対象NPCノ記憶データカラ、管理者ノ情報ガ欠損シテイマス。整合性ヲ保ツタメ、自己データヲ街へ投影シマスカ?』
システムが無機質な声で問いかけてくる。
鳩は小さくかぶりを振り、空中に浮かぶキーボードを叩いてプロンプトを拒否した。
「ううん、投影しないで。これでいいの」
自分がもし、あの中に混ざってしまったら。
「お兄ちゃん」「Gino」と呼んでしまったら、彼らの優秀な頭脳は必ず違和感に気づいてしまう。なぜ自分はタワーのプログラム内にいるのか。ここはどこなのか。現実の自分たちの肉体はどうなってしまったのか、と。
自分がこの世界を創り、管理する神様的な存在になってしまったこと、そして現実世界が滅んだという絶望を、大好きな彼らに絶対に悟らせてはいけない。
「みんなが幸せに笑ってさえいれば、それでいいの。私だけの秘密」
彼女は冷たい管理室の床に膝を抱え、胸元の『Alpaにゃん』をぎゅっと握りしめた。
孤独ではなかった。モニター越しとはいえ、大好きな人たちの笑顔をいつでも見ることができるのだから。
自分が忘れ去られ、塔の上で誰とも触れ合えずに永遠の時を過ごすことになっても構わない。彼らのこの平穏が守られるなら、安い代償だと思った。
しかし、広場で笛を吹き終えたGino が、ふと空を見上げて首を傾げた。
「......なぁ隼、」
「ん、どうした」
「いや......こんなにいい天気で、笛も最高の音が出たのに。なんだか、一番この音を聞かせたかった奴が......誰か大事な奴が、ここにいない気がするんだよな」
Ginoのその呟きは誰の耳にも届かないほど小さなものだった。
だが、環境音のすべてをモニタリングしている鳩の耳には、痛いほど鮮明に届いていた。
「っ......」
胸の奥が、きゅうっと締め付けられる。
私を思い出さないで。違和感に気付かないで。
鳩は震える手でモニターに触れ、彼らの幸福な日常が、一日でも長く続くようにと祈り続けた。