この作品に登場するアイドル、また、それに関連する芸能事務所や企業、業務内容、イベントは本作オリジナルのものであり、現実のものとは異なります。
第一話 ウソの始まり(前)
この冬に、アイドルを堕とします。 第一章 第一話
「こ、これはスキャンダルだ……!」
夜も更けた遅い時間。男は茂みに身を隠すようにして、手に持った安物のデジタルカメラだけを暗闇に覗かせていた。男の視線の先には年季の入ったマンションの一室がある。具体的にはその出入り口たる扉の前にて談笑する二人の男女の姿が。
一人は、世間を賑やかす大物アイドルの女。もう一人は、全くもって見知らぬ男だった。ただ、高身長で細身な背丈をしている。
レンズ越しに二人の姿を確認すると、男は興奮気味に頬を引き攣らせた。
「ざまあみやがれ、カスどもっ。死ね、死ね、死に晒せっ」
貧しい者ほど幸せな人間を前にすると妬ましい感情を覚えるものだ。それが容姿に優れ、金も地位も名声もある大物アイドルときたら、特にこの男のような何も持たざる者の目には激しい怒りさえ映る。とは言え、男はただのストーカーなわけでも盗撮魔なわけでも無かった。身分は、とある月刊誌のライター。雇われアルバイトの身であった。
「よ、よし……」
乱れた呼吸を落ち着けることもせず、男はシャッターに緊張で震わせた指を掛けた。
後は、ボタンを押すだけ。そうすれば、かの大物アイドルの不純たる行為を記事にできる。それだけの証拠が得られる。
男はどれだけ過激な内容に記事を仕立て上げるかを妄想し、ある種の越に浸りながらシャッターを切った。
刹那、暗闇に白い閃光が走る。カシャっと大きな音を立てて。
「あ」
男は首後ろを冷やしながら、手元のカメラのメニューに視線を落とした。撮影モードが、マナーモードではなく、オートモードのままであった。
やらかしたという失敗からくる後悔が男を襲う。
喧騒に紛れる昼間ならともかく、今は物静かな深夜。シャッター音は勿論のこと、男の慌てふためく物音さえ、盗撮された被害者たちには聞こえてしまっていた。
「やべっ」
男は逃げるようにその場から立ち去った。先までの慎重な動きはなんだったのか。そう思えるほどに男の逃げ姿は滑稽かつ粗雑であった。
*
そんな肝の冷える夜から二日が経った。
「うう、さみぃ……」
男、
その日は休日。平時であればスーツ姿のサラリーマンだらけのセントラル街には、青臭い若者の姿が散見出来る。大音量で広告を流すビルの煩しさも、休日だというのにスーツを着込んで汗水流しているサラリーマンの姿も、化粧の仕方も知らない女学生の集団も、人目を気にせず騒ぐ青年の姿も、そして不気味なぐらい綺麗に生え揃えられた人工植物の数々にも、悠斗の目には未だ新鮮に映った。
周囲の喧騒とは裏腹に、悠斗は孤独であった。
何の夢も抱かず、ただその日その日を生き繋ぐ日々。唯一している月刊ライターのアルバイトも、本音を言えばやりたく無かった。だが、この大都市たる
*
side飯島悠斗
「ん?」
レコードショップの近くを通りかかった時、見知った顔をテレビの中に見つける。
派手な衣装を着て、華やかなステージの上で歌って踊る女。偶々店を出てきた二人組のオタクが、その女の写ったレコードを何枚か大事そうに手に持っていた。
「いやぁ玲奈ちゃんの新曲、買えてよかった」
「あと少しで売り切れだったな。早めに来て正解だった」
そんな会話が聞こえてくる。
「く、くくくくっ」
思わず吹き出しそうになる。俺は笑わずにはいられなかった。
まさか、俺がそいつの熱愛スクープを持っているだなんてコイツらは知りもしないだろう。あの時は焦っていて確認する余裕さえ無かったが、撮影した写真の中には確かに親しそうに談笑する二人の姿が映っていた。
「後は俺がそれを記事にまとめさえすれば、てめえらの大好きなアイドルは終わりなんだよ」
罪悪感なんて微塵もない。関係な奴が勝手に死んでいくだけだ。恨むなら俺じゃなくて、恋にうつつを抜かした美空玲奈を恨むんだな。
「全く理解出来ねえな。偶像なんかにガチ恋する奴らの気持ちは」
可哀想な彼らは死ぬその時まで彼女らの純情を信じ続けるのだろう。一方通行の恋ほど惨めで哀れなものはない。少なくとも俺はそう思う。
「ふん、実に気分がいい。今日の酒は美味そうだ」
心なしか家へ向かう足取りが軽かった。
*
「あ?」
アパートの前に見知らぬ黒色の車が停まっていた。建物のボロさには似つかわしい程の高級車。
まさか建物の住民のものじゃあるまい。ここに住むような奴らが背伸びをしたところでこの車は手に入らないだろう。まあ、なんにせよ俺には預かり知らぬところ。ダンダンと足音を立てながら階段を登る。
「おいおい……」
俺の部屋の前に男がいた。それも二人も。
目が合う。
なんだよ、あいつらは。
来客の予定はない。そんな相手もいない。借金の取り立て?いやいや、まさか今更そんなことはしないはずだ。
だが、皆目検討が付かない訳ではなかった。二日前の失態が脳裏を過ぎる。
あの時、顔を見られたかどうか定かではない。あの暗がりであの距離だ。仮に見られたとしても、個人を特定するには至らない筈だ。
俺が逡巡しているその時だった。
「飯島さんすか?」
金髪のチャラチャラした男は俺を視界に捉えてそう口にした。
「う……」
自然と、右足が後ろへと下がる。
嫌な予感がしていた。俺の動物的感覚がこの場から逃げろと強く訴えてくる。
「ひ、人違い、っすよ」
踵を返し、咄嗟に振り向く。
「あっ」
挟み込むように、反対側にも別の男がいた。いつの間にか、俺は追い詰められていた。逃げられないと悟る。
映画ばりの超絶アクションを決めて、この高さから身を投げ出して逃亡を図る……なんて凡人に出来るわけがなかった。
そうして俺は、
「中でお話いっすか?」
そう言って部屋の中を親指で指さす男を家の中にあげざるを得なかった。
「なんだこれ……」
玄関に見知らぬ女物の靴が置いてあった。
「早く早く」
後ろの男に急かされ、気に留める暇もなくリビングへと足を動かす。何故こんなことになったのだろうか。まさか捕まらないよな、流石に。
思考を巡らす俺の目に、異物が映り込む。
「は」
女がいた。見知らぬ女……ではない。
「来たね。飯島悠斗くん」
明るく透き通った声が俺の名を呼んだ。
「
目を疑うとはまさにこのことだった。缶の詰まったビニール袋が音を立てて床へと落ちる。
かの大物アイドルこと美空玲奈が、俺の家のリビングで、さもありなんと腰を掛けていた。
*
「家の外、見張っておいて」と付き添いらしき男を家から追い出した美空玲奈は、まるで悠斗のことを危険視していないのか、二人きりの空間を許していた。
「なんで、勝手に他人の家に入ってんだ。大手アイドルがまさか白昼堂々泥棒か?」
「ふうん。てっきりビビり散らかすかと思ったけど、結構気ぃ強いんだね。いや、それとも動揺を隠そうと気を張っているだけか」
透明感のある水色の髪が揺れる。見透かすような視線が悠斗を貫く。
「鍵、空いてたよ。不用心じゃない?」
「どうでもいいだろ、そんなこと」
悠斗がこうして虚勢を張れているのは、実際付き添いの男が消えたことが大きかった。相手は女ただ一人。その事実が、悠斗の気を強くした。
「で、なんだ?写真を消して欲しいってか?」
「おお、物分かりがいいね。盗撮魔くん」
玲奈は余裕の表情を崩さなかった。発言の節々には悠斗に対する煽りさえ感じられた。
「っ、黙れよ泥棒」
悠斗は考えた。
何故、美空玲奈本人が直接出向いてきたのか。写真を消して欲しいならば、先ずは電話をするなり、メールを寄越すだろう。こうして住所を含む個人を特定しているのであれば、電話番号やメールアドレスを調べるくらい些細なことだ。
そうでなくとも、先ほどの男たちのような下働きの者を交渉の場に向かわす筈だ。
悠斗のような素性の分からない盗撮魔と直接相対するのはリスクでしかない。その癖、付き人を退室させ、二人きりの空間を許すような真似は悠斗には理解し難かった。
舐められている、そう直感した。
「あんた馬鹿だろ。男を舐めすぎだ」
つい、悠斗は口を尖らせたくなった。
「俺のような社会的弱者のことをどこまで見下してるのかは知らねえけどさ。男と女が一対一で向かい合ったら、普通お終いだぜ?今すぐにでも俺はあんたを暴力で屈伏させられる。分かるか?俺が上であんたが下なんだ」
「へえ。で?そうして見る?」
「っ!こいつ……」
尚も玲奈は見透かすような態度を取り続けた。その素振りは、悠斗が事を荒げても問題がないと言いたげである。
悠斗は喉を閉め、一度は握り締めた拳の力を抜いた。
「……生憎、豚箱には行きたくない」
「盗撮しておいてよくそんな事言えるなぁ」
「黙れよ。ゴシップ記事なんてのは世の中にありふれているだろ。黙認されるんだよこう言うのは」
「まあ、そうだね」
玲奈はそういう事情に対してある種諦観していた。所謂著名人が文春に対して問題提議をしたとしても莫大なニーズがある以上世間はそれを受け入れないだろう。
「いやぁ、良かったよ。君は思っていた以上に賢そうだ。話し合いが出来そうで何より」
そう言って、玲奈は黒色の小型機器をチラつかせた。その先端には二本の金属棒が露出している。
「スタンガン……」
悠斗は息を呑んだ。
「今時のアイドルは暴漢対策にこういうのを持っているの。良い勉強になったでしょう?」
「……分かったよ、話を聞こう」
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