この冬に、アイドルを堕とします。【毎日更新】 作:ゴスちゃん
第十話 ターゲットへの接触
この冬に、アイドルを堕とします。 第二章 第十話
第二章『八木麗琴美の章』
香ばしい匂いに目が覚める。
何だか懐かしい香りだった。そのまま微睡そうになるが、ふと視界にエプロン姿の女が映り、眠気が醒める。
「ふぁーぁ、朝早くからご苦労だな」
「あ、起きたか。おはよう、
ぼやけた視界に映る白髪の女。俺がミナカと名付けた記憶喪失の女だった。
挨拶を片手間に、ミナカはフライパンを揺らしていた。中を覗き見ると食パンがある。
「それは?」
「この……フレンチトーストというやつだ」
「へえ、美味そうだな」
レシピ本の一ページに、フレンチトーストが大きく載せられていた。
炊事を任せるからと適当に料理本を買い与えたのだが、実際に作ってくれるとなると想像以上に満足度が高い。普段適当に惣菜で済ませがちな食事に華が付きそうだ。
*
朝食を済ませ、のんびりと出勤の支度をする。時間になったら
「……ん?」
出迎えがくる?
「あ」
ハッとする。
「まずい」
いつものノリで迎えに来た美空玲奈を家にあげてみろ。ミナカと鉢合わせることになる。そうなったら色々問いただされること間違い無い。
それだけは避けなくては。
「ん?まずいって何がだ?」
「おい、俺はもう仕事に行く。知り合いにお前と暮らしている事を知られたくないんだ。一人で勝手に外に出るなよ」
「あ、ああ……」
俺は慌てて家を飛び出した。
刹那、人影とぶつかりそうになる。
「うわびっくりした」
「っ……おまえ」
美空玲奈だった。
「おはよ。今丁度インターフォン押そうとしていたところだったよ」
「そ、そうか」
危ないところだった。あと少しでも遅れていたら……。
「慌てて出てきたけど、どうかしたの?」
「……家にゴキブリが出たから逃げてきた」
「はあ、ゴキブリ?」
「そう」
嘘を悟られないよう真顔を取り繕う。
「え、じゃあ、殺してないの?」
「そりゃまあ、殺せる手段が無いし」
「はあ?あり得ない。ゴキブリ出たのに殺さず放置するなんて」
美空玲奈は口元をワナワナとさせ、信じられないと言いたげだった。
「じゃあテメエが素手で捕まえてみろよ」
「嫌だよバッチぃし」
何とか誤魔化せたようだった。
流石のコイツも虫は苦手らしい。人間味が垣間見れた気がする。
*
出社して直ぐ、ロビーにて長身の男が俺たちに気づいて話しかけてきた。
「ここは一年前と変わらないな、玲奈」
「……
「そうだな。俺もこの雰囲気が懐かしいと感じている。だが昨日まで無職を謳歌していた人間がプロデューサーをやるというのは、おかしな話だ」
「是非
「ふっ、分かってるさ。しかしまあ、ここは変わらないにしても、お前の顔つきは随分と変わったな」
「……そうですか?」
「腹の読めない女になった。いいぞ、玲奈。俺はそういう女の方が好みだ」
「…………」
美空玲奈の顔が微かに歪む。その様子を見てか、比良鷺圭吾は満足そうに鼻を鳴らした。
「それじゃあな。青年もあまり玲奈に踊らされないように気をつけるんだぞ」
「はあ」
細長い背中が遠ざかっていくのを見送る。美空玲奈は依然表情を歪め、襟足を指先で弄っていた。
「どうかしたか?」
「あの人、何考えてんのかなって思ってね」
「はあ」
「……飯島くん、比良鷺さんの戯言にあまり耳を傾けないようにね。あの人、根が意地悪だから」
「そうっぽいな」
腹の探り合いのような会話の流れを聞くに、あの美空玲奈でさえ弄ばれているような印象を受けた。悪い意味で、
*
しかし、美空玲奈も比良鷺圭吾も差し当たって俺には関係ない。
昼時の休憩時間、邪な感情を抱いて、俺は八木麗琴美の控室の扉を叩いた。
「ここにいたか」
「え?な、何の用……?」
「一昨日、ミナカの買い物に付き合ってくれた礼をしようと思ってな。昼はまだだろ?」
俺がコンビニで買った弁当を二つ分見せつけると、八木麗琴美は目を丸くした。
こんなのは八木麗琴美に近づく為の口実に過ぎない。
「あんた意外と律儀ね。他人に感謝とかできるタイプなんだ」
「俺のことなんだと思ってるんだ」
「堅物」
「おい、……ってなんか同じこと美空玲奈にも言われたような……」
目論見通り、昼を二人で食べる流れに持っていけた。八木麗琴美が食堂で昼飯を食べないこと、そして昼時に毎回近くのコンビニに行くことも事前に調べが付いている。
「普段ここで飯食ってるのか」
「私って群れるのが苦手なタイプでね」
「なに厨二病拗らせたガキみたいなこと言ってんだ」
「でも食堂って独りで食べるの結構しんどくない?」
「仲良い奴と食えば良い」
「あんたはいるの?」
「いやいない」
「よくそんな偉そうな口叩けたわね……」
それを言ったら仲良い奴が誰もいない癖に堂々と食堂で飯を食ってる美空玲奈はどうなるんだ。
「八木麗さんってこの業界長いんだろ?」
「そうね。幼い頃からいるし、かれこれ……十二年とか?」
「それだけ長かったら仲良い奴の一人や二人いるだろ」
「そりゃ昔は、同じぐらいの歳の子と仲良くなったりしたけど、大体みんなどこかで居なくなっちゃうし……」
声が尻窄んでいく。
子役は歳を経ることによる身体的、精神的変化、あるいは環境的変化によって活動を引退するケースが多い。
そうでなくても、目の前の八木麗琴美にように、人気に曇りが差し、皆の記憶から忘れ去られることはよくあることらしい。
「美空玲奈も丁度ぼっちらしいぞ。二人で仲良くすれば良い」
「そう簡単に言うけどね……アイツと仲良くするってちょっと正気じゃないわよ。頭おかしいもん、玲奈って」
八木麗琴美の口から愚痴がこぼれた。
「分かる」
すぐに共感してみせる。
「デビューしたばかりの頃は、まだ可愛げがあったけど、今はもう……何考えてんのかまるで分かんない。腹黒いって言うのかな。アイツと話してると、首根っこ掴まれているような気分になるの」
「マネージャーとしてアイツの近くに居る俺から言わせてもらうと、最上級に打算的な女だよ、奴は。常に損得を前提に相手の腹の内を読んで会話をするイメージだ」
「正直、居心地悪くない?」
「まあ」
会話は、同じレベルでないと成立しないとよく言う。美空玲奈をまともに相手するには奴相応の打算性が必要になる。普通の人間ならば、心の内を読まれているような薄気味悪さを感じてしまうだろう。
また、特に俺のような嘘や隠し事が多い人間にとって、美空玲奈は天敵と言える。
「実際、美空玲奈よりかは八木麗さんのマネージャーやる方が良かったかもな」
「そ、そう?」
しかし俺は美空玲奈個人に雇われた身だ。幾ら奴が腹黒いからと言って、職場で比較的自由にさせてもらっている事を踏まえると、天秤は奴に傾く。
「八木麗さんの今のマネージャーってどんな人なんだ?」
「普通の真面目な女性ね。でも業務的な話ばっかで、あんまり仲良くはないかも」
「普通そんなもんじゃないのか。アイドルとマネージャーなんて」
寧ろ仲良くなりすぎるのは自身の首を絞めかねない。それが男女の関係だと特にそう。
「そう?喋ってて楽しい方がいいと思うけど」
……ふむ。ここまで話している感じ、俺に対する印象はそこまで悪くなさそうだ。
「午後はどんな予定なんだ?」
「えっと……、基本的に歌のレッスンね」
八木麗琴美が手に取ったスケジュール表を覗き見る。
殆どが歌のレッスンだった。玲奈のように、イベントや番組に出演したり、ラジオにゲスト出演することも、ファンとの交流さえ見ない。
人気がないアイドルとは非情なものだ。
美空玲奈が一日に複数の現場に行くのに対して、八木麗琴美は週に一度何処かの現場に行くか行かないかというレベル。
これではまず間違いなく食っていけないだろう。
「八木麗さんって一人暮らし?」
「寮住みだけど?」
「なるほど。基本的に親から仕送りしてもらってる感じか」
「凄い、何で分かるの?」
「そういうもんだろ、一般的に」
「私がいっぱい稼いでるかもしれないじゃない」
「いっぱい稼げてたら、家賃が大してかからない寮生活なんてしないだろ」
「む。そうよ……悪い?」
頬を膨らませて、不貞腐れてしまった。
「悪いなんて言ってない。むしろ、ちゃんと頑張ってるんだから良いじゃないか」
「……ウチ、あんま裕福じゃないからさ。早くいっぱい稼げるようになってパパとママを楽にしたいんだけど、なかなか上手くいかなくて」
両親想いの良い娘だ。きっと毎月両親から幾らか仕送りを貰っているはずだ。
貧しいながらも自分の夢を応援してくれている両親に恩を返したいのだろう。
「音楽祭に出れるかな、私」
「さあな。それは今後の頑張り次第じゃないか」
「分かってるわよ……」
俺は八木麗琴美がどの程度歌えるのかを知らない。少なくとも美空玲奈は今年の音楽祭に出場する気は無いらしいし、出場自体の可能性は十分あるとは思うが、優勝できるかと聞かれればそれは難しいと答えたくなる。
時計を横目で見る。
もうそろそろ昼休憩の時間が終わりそうだった。
「ま、何か悩んでることがあればいつでも聞き手になるよ」
「偉そうね」
「個人的に、八木麗さんのこと応援してるんだ。俺はアイドルじゃないから大したアドバイスは出来ないけど、悩みをこうして口明かすだけでも少しは気が楽になるだろ」
「…………ふふっ」
八木麗琴美は目を丸くしてから、小さく笑いを溢した。
「ファンに応援されちゃ、頑張らなきゃなぁ」
勝手にファンということにされたが、まあ良いだろう。
「それと」
控室を出る間際、俺は足を止めて彼女の方へと振り返る。
「明日から、俺と食堂行こうぜ」
「……同情のつもり?」
「いや、仲良くなりたい相手を食事に誘うのは普通のことだろう?」
そう言うと、微かな動揺が彼女の瞳に浮かんだ。
「い、いいわ。そういうことにしておいてあげる」
「助かる。それじゃあな」
「うん、じゃあ」
確かな手応えを感じつつ、俺は扉を閉めた。
午後の業務へ向けて、騒々しく人々が行き交う廊下で、直ぐに横に見知った人影が映る。
「盗み聞きとは趣味が悪いな、美空玲奈」
「誤解だよ。君を探してたら、偶々琴美ちゃんの部屋から君の声が聞こえたから外でこうして待っていただけ」
「偶々ね」
「うん偶々」
嘘こけ。
まあ、聞かれて困るような会話はしていない。見逃すとしよう。
「で、何用だ」
「白々しいなぁ。本当は分かってる癖に」
さて、何だろうか。
「今日は君、定期検診の日でしょ」
「ああ……そうだったかもな」
「病院行こうか。車出すよ」
俺は内心、溜息を吐いた。
「お前は知っているんだったな、俺のことを」
「他ならぬ君の担当医から聞かされてるからね。悪いけど、君が定期検診をサボらないように監督することを頼まれているんだ」
「っち、面倒な奴。てめえもあの医師も胡散臭えんだよ」
「何とでも言えばいいよ。でも、君に拒否権は無いから」
その眼差しには有無を言わさぬ圧があった。
両親想いで純粋な少女と、彼女をソープに堕とそうと画策する悠斗の物語。第二章の幕開けです。
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