この作品に登場するアイドル、また、それに関連する芸能事務所や企業、業務内容、イベントは本作オリジナルのものであり、現実のものとは異なります。
この冬に、アイドルを堕とします。 第一章 第二話
side飯島悠斗
「私の要件は、分かっていると思うけど、例の写真を消して欲しい。ただそれだけだね」
「あの男は彼氏か?」
「言う必要ある?」
「まあいいさ」
その反応が答えみたいなものだ。そもそも例の写真が奴にとって後ろめたい存在だからこそ、こうして出向いてきている筈だ。
何にせよ、この交渉は俺有利に進む。相手の弱みを握っている限り、幾らでも強く出れる。
「嫌だと言ったら?」
コイツが先してきたように、煽るような顔をしてやる。
「……そもそも、私のゴシップ記事を世に出したとして、君にメリットはあるの?」
そう簡単に会話の主導権を握らせてはくれないらしい。
「金になる」
「確か、ライターのアルバイトをしているんだってね」
「ふん、調べがいいな。分かるだろう?これは誰が見たってトクダネだ。反響は大きいだろうよ」
「なるほど。実績を評価されて、もしかしたら正社員に……なんて道筋も有り得るかもしれないと」
「そこまでは言ってないが、何にせよ俺に有利に働く。それに」
「それに?」
目の前の女を煽るように声色を変える。
「俺より優れている奴が、俺の手で落魄れていく様はさぞ美味い酒肴になるだろうよ」
「あらら、私は君の酒のつまみにされるわけか。困ったねえ、ほんと困った」
そう言う癖して、奴は全く動じていなかった。俺の期待していた困り顔さえ見せてはくれない。
「要するに、君は今の生活に満足していないわけだ」
「あ?」
「違う?こんな小さな家で、大して良い食事にもあり付けず、気の合う友人や恋人さえいない。そんな最中、私のゴシップはまさに蜘蛛の糸」
知ったようなムカつく口。だが、どれもこれも図星であった。
「でも、考えてもみてよ。仮にゴシップ記事を公表したとして、君が得られるのはほんの少しのお金と一時の快楽だけだ。ひと月もせず、また退屈な日々に戻るんじゃないかな」
「何が言いたい」
「君の人生は何も変わらないよ」
「っ……」
キッパリと言い切られた。
「残念ながら君の見つけた蜘蛛の糸は、極楽へとは続いていないんだ。せいぜい地獄の中の山の頂程度だろうね」
「だ、だとしても!依然、俺にとってメリットしかないのに変わりはない。悪いが罪悪感なんてもんは持ち合わせてないんだ。てめえが地獄に堕ちようが知った事じゃない」
危うく奴のペースに乗せられるところだった。
「随分とやさぐれてるね。こんな環境が君の性格を捻り回したのかなぁ?」
「同情すんなよ、気持ち悪ぃ。所詮、金も名声もあるボンボンに俺みてえな底辺の気持ちはわかりっこねえんだよ」
「ああ、そうだね。その通り。君の気持ちは分かる……だなんて、まさしく偽善者の言葉さ。どんなに優れている人であっても、他人の気持ちを理解するのには限界があるものだよ」
「…………」
俺は、目の前の女の考えを推し量りかねていた。女の言動は、理屈では理解出来ない。見ず知らずの盗撮魔と二人きりになる点もそうだし、お願いする立場な癖してどこか余裕そうな態度を貫いている点もそう。それどころか俺のことを煽ってくる始末だ。今までの会話さえ、どこか不自然に感じられた。
奴は何がしたい。
そもそも、鍵が空いていたからと言って無断で家に上がる真似を普通するだろうか。不法侵入で俺が騒いだら、ゴシップ以上の懸念点になりかねないはずだ。
そんな懸念点を抱えても尚、問題にさせない手を持っているのだろうか。
それは、なんだ?
思考を巡らせる。その末に、一つの答えが見つかる。
「それで、幾らくれるんだ?」
「おお?」
俺の発言に、初めて奴は眉を動かした。
「要は、買収したいんだろ。俺のことを」
それを踏まえると、奴が話の切り口として俺の生活の貧しさに触れた事にも合点がいく。
「ふうん」
値踏みするような視線が俺の身体の隅々まで動く。若い女とは思えない異様な圧迫感があった。
「ね、値段次第で考えてやっても良い」
「参考までに希望を聞こうか」
考える。
こう言うのは初手で高い値を提示するものだ。そうした方が最終的な額面が高くなりやすい。
「一億」
俺はそう言い切った。
「それは無理」
キッパリと断られた。
「あんた人気アイドルなんだろ。これぐらい、今後の芸能人生に比べたら訳ないだろ」
「私個人がそんな額面を動かすのは厳しいかな」
「じゃあ、経理だか社長だか知らねえけど、それだけの額面を動かせる人間と話をさせろ」
「それも無理な相談だ。これは私の個人的な話として内々に処理したいからね」
事情ありと言った顔だった。
わざわざコイツが直接出向いてきたのにもこういう理由があるからなのだろう。
「じゃあ、幾らまでなら出せるんだ」
「……一つ、提案しても良い?」
「あ?」
奴は俺の目を見つめた。
不思議とこれまでの威圧感ある様子は見られなかった。それどころか、どこか吸い込まれる綺麗な瞳を輝かせている。
「私が、私のマネージャーとして、個人的に飯島くんを雇う……ってのはどうかな」
耳を疑う。今、なんて言った。
「ま、マネージャーだぁ?」
「そう。アイドル美空玲奈のマネージャー。給料は月五十は出そう。その他に、生活の変化によって生じる諸々の出費は私が負担しよう。君の社会的地位を約束するよ」
「……冗談」
「私は本気だよ?」
月五十……って、幾らだ?
年収だと、単純計算で六百万……。
今とは文字通り桁が違う。
マネージャー……俺が?
あの美空玲奈だぞ。大物アイドルだぞ。
途端に、手の届かない遠い存在が、身近に感じられた。
「マネージャーって、何をするんだ」
俺の反応に、奴は満足そうに続ける。
「基本、私と会話してくれればそれでいいよ。本来はスケジュール管理とかもあるけどね。別に君に仕事の出来栄えは微塵も期待してないから、要望次第で業務は免除してあげるよ。あくまでこれは“買収”だからね」
「はは、なんだ、それ……」
最低限、この女の話し相手しているだけで月五十貰えるのか。
詐欺もびっくりのホワイトぶりだ。だからこそ、疑わざるを得ない。上手い話には裏があるものだ。
「何か裏があるな。てめえのそれは、人を騙す時の話し方だ」
「何もないよ。まとめて一億払うよりかは、月うん十万で君を懐柔する方が何十倍もマシだもの」
懐柔、ねえ。
「それは、そうかもだが……」
提示する条件が条件だけに、どこかキナくさい。
「でも、わざわざなんでマネージャーなんかに?」
「君という人間に興味が湧いたからって理由じゃ納得してくれない?」
「なんだそれ」
「君、話してて面白いもの。私とは全く異なる底辺中の底辺の人間……。こんな人がマネージャーだったら退屈しなさそう」
「いちいちうぜえな」
つくづく底が見えないと思ってしまう。俺は心底ゲンナリしているのだが、俺のそんな様子を見てか、奴は声色を変えて続ける。
「分かった。嫌になったらいつでも辞めていい。もちろん辞めた後は給料なんて出ないけどね。逆に言うなら続けている間は、君の生活を保証するよ」
一見、デメリットはないように感じられる。強いて言えば、会話相手が面倒な奴ってだけ。しかし、これで金が貰えると言うならば、あってないような些細な問題だ。
——俺は、莫大な金が必要なのだ。金を用意できるか否かで俺の今後の人生が左右する。要はそれだけの『借金』が俺にはあるのだ。
「二言は無いな?」
後出しで色々条件を追加されたら面倒この上ない。その確認の意を込めて俺は訊いた。
「勿論。なんなら、信用ないうちは例の写真を持っていてもいいよ」
最悪、こいつが俺を騙していようと、俺に切れるカードはあると。
「ふん、いいだろう。少しでも裏切られたと感じたら、てめえのゴシップをばら撒いてやる」
俺は奴の提案を受け入れた。
「それじゃあ、契約成立だね」
「ああ」
「これから宜しく。飯島くん」
握手を求めて手を差し出してくる美空玲奈はまさしくアイドルの笑顔をしていた。それはきっと、本来皆が知るアイドル美空玲奈の顔なのだ。
俺はその手を握ることなく、無視を決め込む。
「ふん」
「あらら、釣れないなぁ」
こうしてこの冬、ゴシップという一つの利害から俺と美空玲奈の可笑しな関係が始まったのだった。
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