この作品に登場するアイドル、また、それに関連する芸能事務所や企業、業務内容、イベントは本作オリジナルのものであり、現実のものとは異なります。
この冬に、アイドルを堕とします。 第一章 第七話
「あぁーまじでマネージャーになりてえ。お前はいいよなあ。恵まれてて。俺はよぉ、ADなんか雑務やる為にここに入った訳じゃねえんだ。本当はもっとアイドルとお近づきになりたくて入ったのにさあ」
「邪な理由じゃねえか」
「でも普通そうじゃない?アルバイトでも正社員でも、アイドル事務所に入るような人って、初めはアイドル好きな人が多いと思うな」
昼食どき、俺と美空玲奈と春川芳樹の三人で飯を突いていた。ADなんてのはこの業界の最低身分だと聞くが、そのくせして人気アイドルたる美空玲奈の前で己を貫けるのは関心に値する所だった。
ただの頭の狂ったやつってだけかもしれんが。
「そうそう。うまくいけばアイドルと仲良くなれるかもしれないんだ。夢ある仕事だとは思わないか?」
「よくお前そんな堂々と不正をしたいだなんて口に出来るな」
無論、アイドルは異性との付き合いが禁じられている。特にマネージャーやAD含むスタッフとの恋愛は御法度だ。
「ルールごときが若い女と男の恋路を邪魔なんかできないぜ」
「耳が痛いんじゃないか?なあ」
俺は美空玲奈に煽るような視線を送った。
「んー?何の事かな?」
奴は笑みを崩さなかった。
プライベートで恋人らしき男と一緒にいた癖に、あくまで不正はないとの姿勢を貫くらしい。
「
「ふん」
この頃、俺が
「あ、やべ。もう時間だ」
ガツガツ目の前の飯を平らげ、春川芳樹は忙しそうに仕事へと戻っていった。
「大変そうだな、ADは」
「そうだよ、大変だよ?普通、この手の業界に入ったばかりの頃はADをやらされるからね。春川くんも言っていたけれど、君は運が良いんだよ」
「お前の弱みを握れたことがか?」
「勿論」
弱みを握られている側だとは思えない不気味な笑顔を浮かべている。
つくづく底の見えない女だ。
「……ところで、アイツは何なんだ?ADの割に、お前と親そうだが」
「自分に都合の良い駒を作ることは、この荒波のような社会を生きやすくする処世術だよ」
「都合の良い駒ですか」
「さてね。………冗談、友達だよ」
「嘘こけ。友達は居ないって認めてたじゃねえか」
「あ、バレた」
凡そ、美空玲奈に従順な下僕と見るべきだろう。美空玲奈は奴のそう言った性格を上手く利用しているようだった。
「さて」
午後は何をしようかと考えながら、席を立ち上がる。
「あー、飯島くん」
「なんだ?」
「悪いけど、午後は私のマネージャーとして働いてもらうよ」
*
波留プロのプロデューサーに会いに行く。そう言った美空玲奈は、俺を乗せて車を走らせていた。
運転中の奴の横顔を伺う。珍しく、緊張しているようなそんな様子が見受けられた。
「何でプロデューサーに会うって言うのに、車で走ってるんだ。事務所にいないのか?」
「元だからね。今は辞職してる」
「はあ」
「
「知らん」
「一昔前、天才と謳われた波留プロ元プロデューサーの名前だよ」
ただのプロデューサーが天才などと持て囃されることなんて有り得るのだろうか。
「まあ、プロデューサーってより、音楽家の気質が強いけどね」
「天才音楽家って事か」
ハンドルを切りつつ、奴は頷いた。
「作曲に始まり、編曲、作詞、ボイスコーチングまで彼は天才的な才能を持っていた。実際デビュー前から彼のお世話になった私は、こうして音楽祭で優勝出来たわけだしね」
「さながら恩師か」
「そゆこと」
通りで奴が珍しい顔色をしているわけだ。
「クライアントから要望があってね。音楽祭を前にして彼の指導を受けたいらしい。だから、辞職した比良鷺さんを波留プロに連れ戻しに行くわけ」
「クライアント?」
「
未栄優奈……。
入社当日を思い起こす。
*
「ああ、今日からここで働き始めました。飯島と言います」
「うん知ってるよ。玲奈から聞いた。あなたが飯島悠斗か」
「はい」
「何か思ってた印象と違ったなぁ。……ああ、ごめんごめん。私は未栄優奈。波留プロ所属のアイドルってわけじゃないんだけど、一時的に仮在籍している形。しばらくは波留に居るから、ちらほら見かけるかもね。よろしく」
*
ああ、あの変な女か。
要は、未栄優奈は、比良鷺圭吾に歌の指導を貰うべく、わざわざ波留プロまで足を運んだらしい。しかしながら当の比良鷺圭吾は波留プロを辞職しており、今はいない。連れ戻す必要があるとのことだった。
「全貌は理解したけど、わざわざお前が動くんだな。こういうのはお偉いさんが交渉に向かうもんじゃねえのか」
「普通はそうだけどね。でも、お金じゃ解決出来ない問題は、情に訴えかけるしかないんだよ。社長がお願いに伺ったらしいけど、断られたってさ。それで、今度は比良鷺さんと仲の良かった私に行けってさ」
「ふうん」
俺まで連れてくる理由があったのか甚だ疑問だが、まあいいだろう。
未栄優奈は音楽祭で成果を出す為に比良鷺圭吾の指導を望んでいるらしい。わざわざ別の事務所まで足を運ぶくらいだ。藁にもすがる想いなのだろう。
だとすれば、そこに付け入る隙がある。
もし八木麗琴美を堕とすのが厳しそうな場合は、未栄優奈に標的を切り替えるのもアリかもしれない。
*
比良鷺圭吾の家を尋ねた俺たちを出迎えたのは、三十もないであろう若い青年だった。天才やらベテランやら言うから、もっと老けていると思っていただけに、良い意味で度肝を抜かれた。
小さなテーブルを囲むようにして、椅子に腰掛ける。出されたハーブティーの香りが鼻に抜ける。
「諦めが悪いな、玲奈も」
「そう育ててくれたのは、他でもない比良鷺さんですよ」
美空玲奈は何度かここに尋ねたことがあるようだった。話を聞くに、この交渉は今回が何度目かであるらしい。
「それで、彼は?」
今までノータッチだった俺へと彼の興味が移る。ぼーっとしていると、隣から軽い肘打ちを喰らった。
「っと、飯島悠斗です。美空玲奈の新しいマネージャーっす」
背筋を伸ばして最低限の自己紹介をした。
「へえ」
見定めるような視線が身体の隅々まで這う。流石は美空玲奈の恩師なだけあって、年齢にそぐわない覇気や風格がある。
「マネージャーを作るのは、もう一年ぶりか?」
「そうですね。それこそ比良鷺さんが波留プロを辞めた以降は一人でした」
「無責任なことを言うようだが、俺はな、お前は一人でも立ち直れると思っていたよ」
「はは……まあ、どうでしょうね」
話の全貌が掴めない。
立ち直る?
色々聞きたい気分だが、そういう雰囲気ではない。
「飯島くんのことは今はいいんです。何度もお話した通り、波留プロに戻ってきてくれませんか?」
「俺の指導を求めてる奴がいるって?」
「はい」
「燃え尽くした炭には、再び火を付けられない。分かるか?」
「……比良鷺さんは、もう燃え尽きたと?」
「そういうことだな。悪いが、今からまた新しく教え子を作り育てるモチベーションはないな」
比良鷺圭吾は背もたれに寄りかかり、頭の後ろで手を組んだ。
「お前という逸材をこの俺の最後の作品にしたいんだよ。どうせ、俺にはお前を越える作品は作れないからな」
作品とは芸術家らしい発言だが、人間相手に使うと狂気さが滲む。そんな芸術家に、美空玲奈は澄ました顔で低いトーンの声を出した。
「波留プロの経営危機なんですよ」
「知ってるさ。人気絶頂期だった一年前、必要以上にあそこは風呂敷を広げてしまった。今となっては設備を維持するだけでも赤字だろう」
「音楽祭で優勝出来るだけの人材が一人増えれば、それだけで建て直せます」
「話を聞くに、俺の指導を求めているのは、諏訪プロの子らしいが?」
「ええ。ですから、ゆくゆくは波留プロの子たちの指導にも当たってもらうつもりです」
「おいおい、お前はどこまで俺に過労を強いるつもりだよ」
「いいでしょう?可愛い教え子の言うことですし、きいてくださいよ」
「ふっ、そうだな。確かに可愛い可愛い教え子だよ。お前は」
そう言って、比良鷺圭吾は背もたれから背を離し、正面から美空玲奈を見据え、静かに口を開いた。
「玲奈。
……え?
耳を疑う。今、なんて?
「……どういうつもりですか?」
「アイドルを辞めて、俺の嫁になれ。
「冗談ですか?」
「どう見える?」
「…………」
冗談を言っている顔には見えなかった。だが、弟子を試すようなそんな風にも見える。
はっきり言って無茶振りにも程がある提案だった。自らの芸能人生、並びに将来の相手を捨てないと、比良鷺圭吾は美空玲奈の要求を呑まないと言っている。
思わず、奴の顔を伺う。
横顔に汗が浮かんでいた。必死に頭を回しているように見える。
俺は、まるでお姫様から無茶ぶりを受ける自分を美空玲奈に重ね見ていた。奴は、どうするんだ。どうやってこの状況を打破するんだ。
「なかなか性格悪いですね、比良鷺さん」
「軽口を叩いている場合か?」
「……っ」
美空玲奈の顔が歪む。
奴のあんな表情は初めて見た。常に偉そうで、余裕そうで、底の見えない奴でもあんな顔をするんだ。
「私、大好きな人がいるんですよ」
それは突然の告白だった。
「大好きで大好きで大好きで大好きでっ!……頭がどうにかなっちゃうぐらい、大好きな人がいるんです」
「それで?」
「私は彼の為ならなんでもします。命だって投げ売ります。親だって裏切ります。大切な……恩師のあなたであろうと、
「…………」
その目には、確かな殺気が宿っている。お姫様に近い迫力を美空玲奈に感じて、俺まで心臓を握られているような息苦しさを覚える。
「比良鷺さん。例え冗談でも、ふざけたこと抜かすなら本気で殺しますよ」
「………ふっ、はははっ、言うようになったな。そうか、愛する人のためなら罪さえ厭わないと、そう言うのか」
「っ」
肩の力が抜けたように、比良鷺圭吾は苦笑し、両手を上げ降参の意を示した。
「どうやら、俺はとんでもない化け物を育ててしまったらしい。首根っこを掴まれていたのは俺の方だったか。……ははっ、実に面白い。いいぞ、玲奈。それでこそ俺の教え子だ」
「従ってくれますね?私の言うことに」
「ああ、そうしよう。殺されるのは……いいや、教え子が罪人になるのは勘弁願いたいからな」
理解に苦しむ会話だった。
「おい、青年」
突然、呼ばれた。
「玲奈のマネージャーなんだろう?」
「……そうですね」
「玲奈のこと、くれぐれもよろしく頼むぞ」
「…………」
何がよろしく頼むだ。
*
帰りの車内は行きの時よりも静かだった。空はすっかり黄金色。カラスの鳴き声が一日の終わりを告げていた。
「お前、色々と凄いな」
「怖かった?」
「いや……」
実際、恐怖は覚えた。
それだけの剣幕が奴にはあった。
「情に訴えるって言うから泣き落としでもするのかと思ったが、まさか恩師を脅すとはな」
「当初は泣き落とすつもりだったよ?でも、やっぱりあの人には通じなさそうだったから、止むを得ずね」
「あれは演技なのか?それとも本気?」
「さてね。私にも分からない。初めは演技のつもりだったけど、最後の方には本気で殺意を覚えてたかも」
「おっかねー女」
俺は溜め息を吐いた。
少し、コイツのことを見直したかもしれない。少なくとも、俺はお姫様に対してあんな真似は出来ない。
俺とコイツとでは置かれている状況がまるで違うから比べるのもおかしいか。
それでも、ちょっぴり、ほんの少しだけ、心の内で美空玲奈のことを尊敬せざるを得なかった。
「…………」
同時に、俺ではコイツを堕とせないと察する。
美空玲奈にあそこまで好いている異性がいるのであれば、俺が付け入る隙はまず無いだろう。いや、その裏をとって、改めてあの写真で脅せばもしや……。
首を振る。
そこまでのリスクを取る意味はない。
美空玲奈を敵に回すのは面倒だ。匙加減を間違えれば、逆に俺が喰われかねない。幸い、お姫様はソープに堕とすのは誰でも良いと仰った。
だがもしも、お姫様が俺に美空玲奈を堕とすよう命令する日が来るならば。その時は、本気で俺はコイツと向き合う必要がある。
「……ふっ」
考えるだけでもゾッとした。
「どうかした?気持ち悪い笑みを浮かべてさ」
「ぶっ飛ばすぞ」
「あはは」
窓越しに、真っ赤な夕陽が地平線へと沈む様子を俺はいつまでも眺めていた。