この作品に登場するアイドル、また、それに関連する芸能事務所や企業、業務内容、イベントは本作オリジナルのものであり、現実のものとは異なります。
この冬に、アイドルを堕とします。 第一章 第九話
普段通っているスーパーではなく、少し離れたショッピングモールまで来た。
休日だけあって人混みに溢れている。
薬局にて、俺は後ろを付いてくるだけのミナカに言う。
「好きなもん買っていいぞ」
「申し訳ないが選んでくれ。何分、何が良いとか分からない」
女の癖に……って思ったが、そうか、記憶喪失が故か。しかし俺も何が良いとか全く分からないぞ。
「化粧とかしたいか?」
「した方がいいだろうか」
「そりゃ、すっぴんでいるよりはいんじゃないか?」
そこはすっぴんでも可愛いよって言うべきか。しかしどんな女であろうと、化粧をした方が綺麗なことには変わりない。化粧はある種のエチケットのように思える。
「化粧道具は何がいいのだろう」
「俺に聞かれてもな」
買い物を始めたはいいものの、初手で行き詰まってしまった。お互いに無知すぎるのだ。
俺は男だからある程度の杜撰さが許されるが、現代の若い女どもは気を遣う必要があるのだろう。
店員に聞くべきだろうか。
しかし、なんて説明すべきか。化粧初めてなんですーって言えばいいのか?
何だか、考えれば考えるほど怠くなってきた。
「あんた、何してんの?こんなところで」
「?」
背後で聞き覚えのある声がした。
振り返って見れば、女が立っていた。
……誰だっけな。
「ええっと……誰?」
失礼を承知でそう訊くも、女は特に気に留める様子もなく耳打ちしてくる。
「
「あー……」
お姫様の命令でソープに堕とそうと画策している相手だ。
今、俺が一番気を遣うべき人物に出会した。咄嗟に態度を作る。
「プライベートだとそんな感じなんだな」
アイドル特有の華々しさは微塵も無かった。ただの小綺麗な女って印象だ。
「アイドルに夢見すぎ。リアルバレを防ぐ意味でもみんなこんなもんよ」
「さながら一般人の変装か」
「そう言うこと」
プライベートで仕事相手に出会すのはあまり好きではないが、しかし今に限っては都合が良い。
「八木麗さん、今時間あるか」
「あるけど……何?」
「八木麗さんってメイクするよな?」
「ば、バカにしてる?するに決まってるでしょ」
知っている。確認の意味合いが強い。
「なら頼む。買い物に付き合ってくれ」
「買い物って……ええ?」
「俺のじゃなくてコイツのな」
ミナカを親指で指差す。
「彼女さん?」
「彼女さんか?」
両者、同タイミングで同じことを言いだした。気まずい空気が流れた。
「違う、違う」
説明が必要そうだった。
「ミナカに説明すると、この人は八木麗琴美っていう……まあ、俺の仕事先の人だ」
「そう言えばまだ悠斗の仕事を聞いてなかったな。さっきアイドル……とか言ってたが」
「黙ってろ。後にしろ。説明が面倒臭くなる」
「あ、ああ……」
「で、八木麗さんに説明すると、コイツは……」
そこで言い淀む。
ミナカの記憶喪失を正直に告げていいのか?いや、ダメに決まっている。俺とミナカの関係に首を突っ込まれたら、必ずどこかでボロが出る。
「コイツは……俺の義妹だ」
「義妹?」
隣から怪訝な視線を感じるが無視する。
「そう。波留に引っ越してきたばかりの田舎娘なんだよ。それで今、コイツの生活必需品の買い物を手伝ってたところだ」
「そうなんだ。ええと、ミナカさんって言うの?」
「あ、あぁ。初めまして」
「初めまして」
一先ずは凌げたか。
美空玲奈相手だったら疑われそうな苦し紛れの嘘だが、幸いにも八木麗琴美はあまり鋭い女では無さそうだった。
「私にミナカさんの買い物を手伝えって?」
「そういうことだ。何癖、田舎っ子でまともにメイクしたことさえないような奴でな。その辺含めて色々何を買えばいいか教えてやって欲しいんだよ」
「はあ。髪染めてて凄く綺麗な子だけど、化粧したことないなんてあるんだ。まあ、田舎ってそういうもの……なのか」
勝手に一人で納得しているようだ。バカで助かった。
「いいわ。貸し一つね」
「げ」
「それぐらいいいでしょ?」
「まあ、いい」
貸し借りの約束は出来る限りしたくないのだが、この際仕方ない。
「よろしくお願いする。琴美」
「え、ええ。よろしく、ミナカさん」
相変わらず距離の詰め方が急な奴だ。
*
「はー、買った買った!」
「こんなに買っていいのだろうか」
「いいでしょ。飯島悠斗が気前よく俺が払うって言ったんだし」
両手いっぱいの買い物袋を持たされた。三人いるのに何故か俺だけ。
理不尽だった。
「はぁ……はぁ……」
「なーに息切らしてんの?」
「女の買い物って何でこんな疲れるんだ。もっとこう、パパッと決めろよパパッと」
「せっかくの義妹の門出をそんな適当に済ませようとするなんてあり得ない」
「はぁ……まぁいいや、ちょっと休もうぜ。歩きっぱなしで疲れた」
「男のくせに体力無いわね」
うるせえ。
「悠斗、やっぱり一つ持つ」
そう言って、ミナカは片側の荷袋の一つを持ってくれた。
「サンキュー、お前はまともだ」
「な、何?私がまともじゃないみたいな言い方して」
「口じゃなくて行動で誠意を見せてくれたら助かる」
「むー」
八木麗琴美はもう片方の荷袋の一つを無理矢理持っていく。
仕方ないから持ってあげると言いたげな表情だった。
「助かる」
「貸しもう一つね」
「ざけんな」
*
休憩がてらショッピングモール近くにあるセントラル広場にやってきた。休日はガキどもの声で騒々しい。
「ふー、疲れたぁ」
一足早くベンチに腰を掛ける。ミナカは興味あり気に周囲を見渡していた。
「ここは賑やかだな」
「そっか。もしかしてセントラル来るのも初めてだったりする?」
「あぁ。私の地元は一度にこんな多くの人の姿を見る機会が無いから新鮮だ」
「へえ、田舎出身にはこんな光景でさえやっぱり新鮮に映るのね」
俺が適当に付けた田舎出身の義妹という設定をもう既に己が物にしている辺り、ミナカは多少頭がキレるようだ。
「しかし、何なのだろう、あの建物だけ明らかに周囲の景観からは浮いているが」
ミナカの目線の先には窓一つない黒塗りのビルがある。青空と芝生溢れるこの広場にとって、あのビルは異物そのものだった。
「あれ、有田市役所よ」
「な……あ、あれが?」
「やっぱり、おかしいよね。何で公的施設の代表例たる市役所をあんな悍ましい見た目にしちゃったのかしらね。ほんと、設計者のセンスを疑うわ」
気持ちは分かる。がしかし、あのデザインはビル内部の機密性を維持するべくして設計されたものだ。
「その内、ミナカも行くことになるぞ」
「え?」
「波留に住むにあたって転入手続きがあるからな」
「ああ、なるほど……」
無論、そんなことはしないし、そもそもコイツと一緒にこのビルの扉を潜るような事はあり得ない。
「ん」
ぼーっとビルを眺めていると、その真下辺りで何やら人の集団が騒ぎ始めた。
「なんだろ、アレ」
八木麗琴美が疑問を声に上げた。ベンチから立ち上がって、集団を凝視する。
見れば、中年の男女が旗を振りながら声を荒げていた。白い旗には『オーベイツ反対』と書かれている。
「ありゃデモだな」
「デモ?」
「知らないのか?最近、ここらでよく見るぞ。今のオーベイツの活動の在り方に疑問を呈した市民が役所の解放を求めて抗議してんだ」
「はあ。気持ちは分かるけど、物騒ね……」
荒事は苦手だと八木麗琴美の目が言っていた。
「オーベイツってのは?」
「有田市はオーベイツっていう大企業の実験都市なんだ。この都市の中じゃオーベイツは無敵の王様。文字通り都市を動かす上での全ての実権を握ってんだ」
「つまり……あのビルが市役所って事は……」
「あそこがオーベイツの本社ビルって事だな」
「……タチが悪いな、色々と」
「そう思うか」
「ああ」
悪いが俺はオーベイツの犬なんだ……などと、言い出せるわけもなかった。
*
その日の夜、お姫様からの呼び出しがあった。ミナカには酒を買いに外に出ると嘘を付いた。
「失礼します。……っ!?」
お姫様の部屋に入った俺は、その異常な光景に思わず身体を震わした。
「二十二分。前に比べて遅かったわね」
お姫様は部屋内の『異物』を気に介すこともせず、俺へと話を振ってきた。
「はっ、え、ええ。今日は車ではなく歩きでしたので」
動揺を隠せない。視線がついお姫様から外れてしまう。
「気になる?ソレが」
「な、何なのでしょうか。この男は」
男の頭からはドス黒い血が溢れ出ていた。
ピクリとも動かず、白目を剥いているソレは、まさしく死体と言えた。
「最近、家畜が煩いようね」
「は、はい?」
何の話だと思考を巡らす。
「今日の昼間にも、このビルの下で家畜共が騒いでいたそうじゃない?」
その言葉でお姫様の言っている家畜の意味を理解する。
「ああ……はい、私も見ました」
家畜とはデモを行った市民のことのようだった。
「ソレは家畜の代表らしいわ」
まるでゴミを見るような目をしていた。
「……はは、お早い対応ですね……」
苦笑いしか出来ない。
つまり、お姫様はデモの代表者たるこの男を殺したのだ。見れば、お姫様の机の上には黒く艶のある拳銃が置かれていた。アレで殺ったのだろう。
「現状を報告なさい」
こんな異常があるというのに、お姫様は何ら変わらない様子で俺に経過報告を求めた。頭の中を必死に切り替える。
「ええ……と、風呂に沈める対象を八木麗琴美というアイドルに定めました」
圧倒的恐怖による鼓動の高鳴りを抑えながら、何とか頭を回す。
「接触を何度か試みたところ、彼女はあまり本業が順調とは言えない様子でして、そこに付け入る隙があるのでは無いかと考えました」
「それで?」
「…………」
短い三文字の言葉が針よりも鋭く感じられた。
「これから八木麗琴美との関係を深め、彼女を内側から崩していくつもりです」
それを言うとお姫様は満足そうに僅かに頷いた。
「何か問題は?」
「ありません。順調です」
「よろしい」
その言葉にほっと胸を撫で下ろす。
「ところで」
もう終わりかと思っていただけに、続く言葉に心臓が跳ねる。
「悠斗、家畜に気をつけなさい」
「家畜に……ですか」
「油断していると後ろから刺されるわよ」
「え……」
「今日はもう結構。帰りなさい」
後ろから刺されるとは何なのか。何故オーベイツとの関係を誰にも知られていない俺がデモ参加者に注意せねばいけないのか。
その理由を教えてくれず、強制的に今日の謁見はお開きとなった。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
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