七月下旬。
「……また増えてる」
事務所のパソコンを見ながら、高瀬は小さく呟いた。
画面に表示されているのは、今週の依頼一覧だ。
一般住宅の屋根裏。
農業用倉庫。
食品工場。
河川敷の遊歩道。
それから、学校のプール。
「何が増えてるって?」
後ろから先輩が覗き込んでくる。
「依頼ですよ。昨日より六件増えてます」
「そりゃ増えるだろ。夏休みだしな」
「夏休み関係あります?」
「学校関係の依頼が増える」
「ああ」
言われてみれば、確かにそうだった。
普段は子供がいるため立ち入れない場所でも、夏休みなら作業できる。
学校側としても、休みの間に問題を片付けておきたいのだろう。
もっとも、依頼の内容は以前と随分変わっている。
「……プールにメノクラゲって」
「水抜いても残ってたらしいぞ」
「どうやって入ったんですかね」
「知らん」
「海から来たんですかね」
「だから知らんって」
高瀬は依頼書を開いた。
学校のプールでメノクラゲらしきポケモンが発見された。
教職員が確認したところ、少なくとも三匹。
プールの使用は中止。
現在は立ち入り禁止になっている。
「……これ、うちがやるんですか?」
「いや。水中のポケモンは専門の業者に回すってさ」
「ですよね」
高瀬は画面を閉じた。
自分たちの会社は、もともと害獣駆除を請け負っていた。
ネズミやハクビシン、アライグマ。
そういった動物による被害への対応が主な仕事だった。
四月にポケモンが出現してからは、そこへ新しい仕事が加わった。
最初の頃はコラッタが中心だった。
今では、それだけでは済まない。
「次の現場、何でしたっけ?」
「倉庫の中にサンド」
「サンド?」
「そう」
「……先輩のと同じじゃないですか」
「だからって、うちのが説得できるとは限らんぞ」
「分かってますよ」
高瀬は立ち上がった。
「じゃあ、準備しますか」
「おう。ガーディの調子も見とけよ」
「もう大丈夫ですよ。あれから普通に走ってますし」
「それならいいけどな」
高瀬は腰のホルダーへ手を伸ばした。
そこには、使い慣れたモンスターボールが収まっている。
◆
「ガーディ、出てこい」
事務所の裏手。
高瀬がボールを投げると、赤茶色の身体が地面へ現れた。
「ガウッ!」
「おはよう」
ガーディが近づいてくる。
高瀬はしゃがみ、右前脚を確認した。
「痛くないか?」
「ガウ?」
「こっち。前に怪我した方」
脚を軽く触る。
ガーディは嫌がる様子を見せなかった。
地面へ下ろすと、その場で軽く跳ねる。
「……大丈夫そうだな」
「ガウ!」
「だからって無茶すんなよ」
ガーディが尻尾を振った。
先日、畑でラッタとぶつかった際に右前脚を痛めた。
病院では軽い打撲と診断され、しばらく休ませていた。
今ではすっかり元気になっている。
ただ、元気になったからといって、何でもさせていいわけではない。
「今日は無理に突っ込むなよ」
「ガウ」
「あと火も駄目」
「ガウ」
「分かってる?」
「ガウッ!」
「……本当に?」
ガーディが首を傾げた。
「まあ、いいか」
高瀬は頭を撫でた。
少し前まで、仕事にポケモンを連れていくなんて考えもしなかった。
それが今では、ガーディの体調を確認してから出発するのが当たり前になっている。
変わったものだ。
「高瀬ー、行くぞー」
「あ、はーい!」
先輩の声がする。
「じゃ、戻っててくれ」
ボールを向けると、ガーディは抵抗することなく中へ戻った。
◆
現場は、市街地から少し離れた場所にある資材倉庫だった。
敷地内には複数の建物が並んでいる。
そのうち一棟のシャッターが半分ほど開いていた。
「こちらです」
依頼主の男性が案内する。
「昨日、奥の方で見つけまして」
「サンドが一匹ですか?」
「見たのは一匹だけです。ただ、ほかにもいるかもしれません」
「分かりました」
高瀬は倉庫の中を覗いた。
積み上げられた段ボール。
金属製の棚。
木製パレット。
床には土が散らばっている。
「……あれですかね」
高瀬が床を指さす。
コンクリートの一部に、小さな穴が開いていた。
「昨日はなかったんですよ」
「そうですか」
先輩がしゃがみ込む。
穴の周囲には、細かな土が積もっていた。
「結構掘ってるな」
「床、大丈夫なんですかね」
「下がどうなってるか次第だな」
高瀬も覗き込む。
穴は奥へ続いているようだった。
「これ、捕獲依頼ですよね?」
「ああ。外へ追い出すだけじゃ、また入ってくる可能性がある」
「ですよねぇ」
依頼主が頷く。
「できれば捕まえていただきたいんです。床もこれ以上壊されると困りますので」
「分かりました。ただ、建物の下に潜られた場合は時間がかかるかもしれません」
「お願いします」
高瀬は依頼書を確認した。
捕獲後の引き渡し先。
使用可能な器具。
作業範囲。
建物の損傷が発生した場合の取り扱い。
必要事項は揃っている。
「……書類だけで仕事した気分になりますね」
「まだ始まってもいねえぞ」
「分かってますって」
◆
「ガーディ、頼む」
「ガウ!」
ボールから出てきたガーディが、すぐに地面へ鼻を近づけた。
先輩もサンドを出す。
「サンド、穴の周りを見てくれ」
「サァ」
サンドが穴へ近づく。
少し鼻を動かした後、前脚で周囲の土を触った。
「どうです?」
「まだ中にいるかもしれんな」
「ガーディは?」
高瀬が振り返る。
ガーディは棚の方を向いていた。
「ガウ」
「そっち?」
ガーディが歩き出す。
高瀬も後を追った。
棚の裏側。
積み重なったパレットの隙間。
そこに、黄色い身体が見えた。
「……いた」
サンドだった。
身体を丸め、こちらを警戒している。
「先輩、いました」
「見えてる」
先輩が近づいてくる。
野生のサンドは、二人の姿を確認すると身体を低くした。
「逃げ道は?」
「奥の通路が外に繋がってます」
「なら、そっちは塞ぐな」
「捕獲するんですよね?」
「追い詰めて床下に潜られたら面倒だろ」
「ああ」
高瀬は頷いた。
まずは、建物の外へ逃げられる経路を残す。
その上で、捕獲できる状況を作る。
逃げ道を全部塞げばいいというものではない。
「ガーディ、ゆっくり近づいて」
「ガウ」
ガーディが一歩進む。
野生のサンドが身構えた。
その瞬間。
ザッ。
「うわっ!」
床の土が舞った。
サンドが前脚で土を跳ね上げたのだ。
高瀬は反射的に顔を背けた。
「すなかけか!」
「高瀬、下がれ!」
「はい!」
ガーディも一度距離を取る。
野生のサンドは、その隙にパレットの下へ潜り込んだ。
「……逃げましたね」
「まだ中だ」
「ですよね」
先輩が自分のサンドへ指示を出す。
「無理に追うな。出口側を見てろ」
「サァ」
サンドが通路の方へ移動する。
高瀬はパレットの隙間を覗いた。
「……奥にいます」
「出てきそうか?」
「いや、丸まってますね」
「そうか」
先輩が周囲を見回す。
「ここ、全部動かすわけにもいかんな」
「フォークリフト借ります?」
「その前に、もう少し様子見よう」
高瀬は頷いた。
◆
十分後。
「……出てこないですね」
「出てこないな」
高瀬と先輩は、少し離れた場所に座っていた。
ガーディは伏せている。
サンドは通路の脇で待機していた。
野生のサンドは、相変わらずパレットの下から動かない。
「どうします?」
「餌で誘導してみるか」
「食べますかね」
「分からん。試すだけ試そう」
先輩が用意していた餌を取り出す。
野生のサンドの食性については、すでに政府の資料が公開されている。
ただ、資料に書かれたものなら何でも食べるというわけではない。
個体差もある。
環境によって反応も変わる。
結局、現場で確認するしかなかった。
「これでいいですかね」
「とりあえず置いてみろ」
高瀬は餌をパレットの近くへ置いた。
そのまま距離を取る。
しばらく待つ。
野生のサンドが、少しだけ顔を出した。
「……お」
高瀬が小さく呟く。
サンドが餌へ近づく。
匂いを確認する。
そして。
食べた。
「食った」
「食いましたね」
「静かにしろ」
「あ、はい」
サンドは周囲を警戒しながら、少しずつ餌を食べている。
高瀬はボールを確認した。
捕獲用として支給されたものだ。
数に余裕があるわけではない。
むやみに投げることはできなかった。
「……今ですか?」
「まだ」
「はい」
サンドがもう少し前へ出る。
身体の大半が、パレットの外へ出た。
「今なら」
「待て」
「……はい」
先輩が野生のサンドを見ている。
サンドは餌を食べ終え、周囲を見回した。
ガーディが顔を上げる。
「ガウ」
その声に反応したのか、野生のサンドがこちらを向いた。
目が合う。
「……あ」
サンドが身構えた。
「高瀬、投げろ!」
「はい!」
ボールを投げる。
赤と白の球体が床を転がり、サンドの身体へ触れた。
赤い光が伸びる。
サンドの身体が小さくなり、ボールへ吸い込まれた。
球体が閉じる。
一度。
二度。
小さく揺れる。
そして。
動かなくなった。
「……捕まった?」
「確認しろ」
「あ、はい」
高瀬は端末を取り出した。
捕獲した個体の登録情報を確認する。
表示されたのは、サンド。
捕獲状態は正常。
「……大丈夫です」
「よし」
先輩が息を吐いた。
「終わったな」
「ですね」
高瀬はボールを拾い上げた。
その横で、ガーディが尻尾を振っている。
「ガウッ!」
「お前、今日はほとんど見てただけだろ」
「ガウ!」
「いや、助かったけどさ」
高瀬が頭を撫でる。
「……まあ、無茶しなかったからよし」
ガーディは嬉しそうだった。
◆
作業終了後。
「捕獲できました」
高瀬が依頼主へ報告する。
「ありがとうございます。これで安心できます」
「ただ、床の穴は別途補修した方がいいですね」
「ああ、やっぱり」
「ええ。このままだと、別のポケモンが入る可能性もありますから」
先輩が説明する。
「あと、倉庫の外周も確認した方がいいです。侵入経路が残っていると、また同じことになります」
「分かりました。業者に相談してみます」
「お願いします」
高瀬は作業記録を入力した。
対象、サンド一匹。
捕獲、一匹。
使用器具、モンスターボール一個。
建物への追加損傷、なし。
使用ポケモン、ガーディ及びサンド。
それぞれの登録番号を入力する。
「……先輩」
「何だ」
「これ、また入力項目増えてません?」
「増えてるな」
「昨日までなかったですよね」
「ああ」
「……何でです?」
「知らん」
高瀬は画面を見つめた。
新しく追加された項目。
『作業中に使用した技』
「……技?」
「ああ、それな」
「何ですかこれ」
「作業中にポケモンが使った技を記録するんだと」
「……全部?」
「確認できた範囲でいいらしい」
「今回、何使いましたっけ」
「うちのサンドは使ってないな」
「ガーディも使ってないです」
「なら、なしでいいだろ」
高瀬は入力した。
使用した技、なし。
保存。
すると。
『対象ポケモンの使用した技も入力してください』
「……え?」
高瀬が画面を見直す。
「先輩」
「今度は何だ」
「野生の方もですって」
「……ああ」
「すなかけ、ですよね」
「そうだな」
入力する。
保存。
『技の使用による建物・設備への影響を選択してください』
「…………」
高瀬は画面を閉じたくなった。
「先輩」
「今度は何だよ」
「これ、いつ終わるんですかね」
「仕事が終わったらだろ」
「仕事は終わったじゃないですか」
「書類が残ってる」
「……ですよねぇ」
高瀬は諦めて入力を続けた。
◆
帰りの軽バン。
「今日は楽でしたね」
助手席で高瀬が言った。
「そうか?」
「だって、誰も怪我してないですし」
「それが普通なんだよ」
「いや、分かってますけど」
高瀬は後部座席を見る。
ガーディは足元で伏せていた。
先日のように脚を浮かせている様子はない。
「……大丈夫そうだな」
「ガウ」
「今日は頑張ったもんな」
「ガウッ!」
「お前、ほんと元気だな」
高瀬が笑う。
先輩は運転しながら口を開いた。
「そういや、来週から新しい研修があるらしいぞ」
「研修?」
「ああ。ポケモンを使った駆除作業の安全講習」
「……またですか」
「まただ」
「この前も受けましたよね」
「あれは捕獲器具の取り扱い」
「その前は?」
「ポケモンの管理登録」
「その前は?」
「技の使用に関する注意事項」
「……多くないです?」
「多いな」
先輩が頷く。
「でも、仕方ないだろ。まだ始まったばっかりなんだから」
「まあ、そうですけど」
高瀬は窓の外を見た。
道路脇の電線に、ポッポが止まっている。
少し離れた場所では、散歩中の男性がイーブイを連れて歩いていた。
どちらも、もう珍しい光景ではなかった。
「……四月の頃って、こんな仕事になると思ってました?」
「思ってねえよ」
「ですよね」
「そもそもポケモンが出てくるなんて思わんだろ」
「そりゃそうですけど」
高瀬は笑った。
四月の頃は、何もかもが手探りだった。
捕獲したポケモンをどう扱うのか。
誰が引き取るのか。
そもそも、業者が捕まえていいのか。
問い合わせる先によって答えが違うこともあった。
今では少なくとも、依頼の段階で方針が決まるようになっている。
手続きは増えた。
覚えることも増えた。
それでも、以前よりはずっと仕事がしやすい。
「……まあ、悪くはないですよね」
「何が?」
「今の仕事です」
先輩が少し考える。
「そうだな」
「依頼も増えてますし」
「ああ」
「会社としては儲かってるんですかね」
「知らん」
「そこは知っといてくださいよ」
「社長に聞け」
「聞いたら給料上げてくれますかね」
「知らん」
「そればっかりじゃないですか」
先輩が笑った。
高瀬も笑う。
そのとき。
「ガウッ!」
後ろから声がした。
振り返ると、ガーディが顔を上げていた。
「何だ?」
「ガウ!」
「……お前も給料欲しいの?」
「ガウッ!」
「いや、分かって言ってる?」
ガーディが尻尾を振る。
先輩が笑った。
「こいつの給料は飯だろ」
「まあ、そうですね」
「ちゃんといいもん食わせてやれよ」
「食わせてますって」
高瀬はガーディの頭を撫でた。
「……でも、もうちょっといい餌買ってやるか」
「ガウッ!」
「だから、分かってんのかって」
ガーディは嬉しそうだった。
◆
事務所へ戻ったのは、夕方だった。
高瀬は作業報告を提出し、翌日の予定を確認する。
「……え?」
画面を見て、手が止まった。
明日の依頼。
午前、住宅の屋根裏調査。
午後、農業用倉庫の点検。
そして。
『市内商業施設・地下駐車場におけるポケモンの生息調査』
「……地下駐車場?」
高瀬は詳細を開いた。
夜間、駐車場内で複数のポケモンが目撃されている。
現時点で人的被害はなし。
ただし、車両の配線が齧られたような痕跡が確認されている。
管理会社から、調査の依頼が入っていた。
「……またコラッタですかね」
後ろから先輩が覗き込む。
「どうだろうな」
「配線齧るって、コラッタっぽくないです?」
「まあな」
先輩が画面を見た。
「……ただ、これ」
「はい?」
「電気設備の点検も必要って書いてあるぞ」
「……あ」
高瀬は依頼書を読み直す。
確かに、そう書いてあった。
「……専門業者と一緒ですか」
「そうみたいだな」
「何か面倒そうですね」
「現場見ないと分からん」
「ですよねぇ」
高瀬は予定表を閉じた。
その足元では、ガーディが丸くなって眠っている。
「……明日も仕事か」
ガーディの耳が少し動いた。
「ガウ……」
「お前はいいよなぁ」
高瀬は椅子の背もたれへ身体を預けた。
すると、先輩が書類を一枚差し出してくる。
「高瀬、これ」
「何です?」
「今日の作業報告、差し戻し」
「……え?」
「技の使用欄が一個抜けてる」
「……マジですか」
「マジ」
高瀬は書類を受け取った。
画面には、見慣れた入力フォームが表示されている。
「……はぁ」
ため息をつく。
ガーディは気持ちよさそうに眠っていた。
ポケモンが現れて、世界は変わった。
仕事の内容も変わった。
使う道具も変わった。
必要な知識も増えた。
そして。
「……書類、増えすぎだろ」
高瀬はもう一度、入力画面を開いた。
少なくとも、これだけは確かだった。
ポケモンが増えても、事務仕事が減ることはないらしい。