七月三十日。
八月一日まで、あと二日。
アメリカ合衆国、ニューヨーク都市圏。
世界でも有数の大都市は、今、奇妙な緊張感に包まれていた。
街を歩く人々。
走り続ける自動車。
地下を行き交う列車。
いつもと変わらない光景の中で、普段なら見かけないものが増えている。
警察官。
消防車両。
公園に設置された立ち入り禁止の看板。
そして、街頭の大型ディスプレイに流れる注意喚起。
『未知の生物を発見した場合は、近づかず、当局へ通報してください』
未知の生物。
日本では、すでにポケモンと呼ばれている存在だ。
その出現が、あと二日に迫っていた。
◆
東京都内。
ポケモン関連の情報を扱う政府の一室。
「アメリカ側から追加の照会が来ています」
職員が資料を机に置いた。
「またか」
「はい。今朝だけで三件目です」
上司は小さく息を吐いた。
ここ数日、アメリカ側からの問い合わせが急増している。
出現が予測されるポケモンの生態。
都市部での危険性。
捕獲時の注意点。
人間への攻撃性。
どれも重要な質問だ。
だが、資料に書かれていることを説明するだけでは済まないものも増えてきた。
「今回は?」
「都市部におけるポケモンの初期対応についてです」
「具体的には?」
「出現直後、複数のポケモンが同じ場所で確認された場合、どの種類を優先して隔離するべきか、という質問です」
「……難しいな」
「はい」
職員は資料をめくった。
「例えば、ヤブクロン、ミネズミ、マメパト、ヨーテリーが同じ区域で確認された場合です」
「……その四種類か」
「アメリカ側は、毒タイプであるヤブクロンを最優先で隔離する方針を検討しています」
「間違いではないだろう」
「そうですね。ただ……」
職員が言葉を濁す。
「何か問題が?」
「昨日の掲示板の書き込みが気になりまして」
上司の眉が動いた。
「……例の?」
「はい」
分布見てる人。
昨日、久しぶりに現れた書き込み主。
本人かどうかは不明。
しかし、その指摘は実務的で、アメリカ側への追加確認にもつながった。
「毒タイプだから危険。だから最初に隔離する。それ自体は理解できます」
職員が続ける。
「ですが、ポケモンは単純な危険度だけで優先順位を決められるものなのでしょうか」
「……」
「例えば、隔離しようとしたことで、かえって危険になる可能性は?」
上司は腕を組んだ。
「その辺りは、専門家の意見を聞くしかないな」
「はい」
「例の有識者から追加資料は?」
「現時点ではありません」
「そうか」
上司は少し考えた。
「とりあえず、既存の資料を整理して回答しよう」
「分かりました」
「それと、現地の状況によって判断が変わることも伝えてくれ」
「はい」
職員が席へ戻る。
その机の片隅では、昨日から開いたままの掲示板が静かに更新されていた。
◆
その頃。
俺は自室でパソコンを眺めていた。
「……んー」
昨日、久しぶりに掲示板へ書き込んだ。
それだけのつもりだった。
ところが。
どうやら、少し面倒なことになっているらしい。
というのも。
昨日のスレッドが、妙に伸びているのだ。
「……まだやってるのか」
俺は何となく開いてみた。
◆
【海外】八月一日のニューヨーク、どうなると思う?【あと二日】
612:名無しの観測班
あと二日
613:名無しの観測班
早いな
614:名無しの観測班
明後日か
615:名無しの観測班
ニューヨークの人たち眠れてるんかな
616:名無しの観測班
少なくとも俺なら眠れない
617:名無しの観測班
日本の四月一日思い出す
618:名無しの観測班
あの時は本当に意味分からなかった
619:名無しの観測班
今も意味分からんけどな
620:名無しの観測班
それはそう
621:名無しの観測班
ところで昨日の分布見てる人
622:名無しの観測班
またその話?
623:名無しの観測班
いや結構重要じゃね?
624:名無しの観測班
何が
625:名無しの観測班
あいつが指摘した内容
アメリカ側が追加確認するって話になったじゃん
626:名無しの観測班
偶然の可能性もある
627:名無しの観測班
でも内容はまともだった
628:名無しの観測班
本物かどうかは別としてな
629:名無しの観測班
俺は本物に一票
630:名無しの観測班
根拠は?
631:名無しの観測班
勘
632:名無しの観測班
解散
633:名無しの観測班
そもそも本物だったら何で今さら掲示板に来たんだ?
634:名無しの観測班
暇だったんだろ
635:名無しの観測班
世界の命運握ってる奴が暇で来るな
636:名無しの観測班
本人だって暇な時くらいあるだろ
637:名無しの観測班
ポッポ有識者にも休日は必要
638:名無しの観測班
その呼び名まだ生きてたのか
◆
「……世界の命運って」
大げさだな。
俺は苦笑した。
そもそも、俺が世界の命運を握っているわけではない。
知っていることを資料にして渡しただけだ。
それを実際に活用しているのは政府や研究者たちである。
俺一人でどうにかできる話ではない。
……まあ、いいか。
スクロールする。
すると、少し気になる書き込みがあった。
◆
651:名無しの観測班
アメリカの公開会見見てたんだけどさ
652:名無しの観測班
何?
653:名無しの観測班
毒タイプのヤブクロンを優先的に隔離するって話が出てた
654:名無しの観測班
そりゃそうだろ
655:名無しの観測班
毒持ってるなら危険だし
656:名無しの観測班
でもヤブクロンってそんなに危険なの?
657:名無しの観測班
毒タイプだぞ
658:名無しの観測班
タイプだけで判断するのはどうなんだ
659:名無しの観測班
近づかなきゃいいんじゃね?
660:名無しの観測班
清掃員が間違って持ち上げる問題もあるし
661:名無しの観測班
じゃあ隔離で正解か
662:名無しの観測班
問題はどうやって隔離するか
663:名無しの観測班
捕まえる
664:名無しの観測班
だからそれが簡単じゃないんだって
665:名無しの観測班
ポケモン有識者ならどうするんだろ
666:名無しの観測班
本人呼んでこい
667:名無しの観測班
昨日の人が本物なら答えてくれるんじゃね
668:名無しの観測班
もういないだろ
◆
「……うーん」
俺は画面を見つめた。
ヤブクロン。
毒タイプ。
確かに、危険性はある。
ただ。
優先的に隔離する。
その言葉が、少し引っかかった。
隔離すること自体は悪くない。
問題は、どうやって隔離するかだ。
ヤブクロンは、別に常に人間を襲うようなポケモンではない。
もちろん、個体差はあるし、野生のポケモンだから絶対安全とは言えない。
けれど、無理に捕まえようとすれば、抵抗する可能性はある。
それに。
ヤブクロンだけを優先するのも、少し違う気がする。
「……あー」
俺は頭をかいた。
……これ、書いた方がいいかな。
昨日も同じことを考えた。
そして、結局書き込んだ。
今日も同じだ。
まあ、必要なことだけならいいだろう。
俺は書き込み欄を開いた。
◆
674:分布見てる人
ヤブクロンを優先して隔離する方針なら
捕獲方法は慎重に考えた方がいいと思う
675:名無しの観測班
!?
676:名無しの観測班
来た
677:名無しの観測班
昨日の人じゃん
678:名無しの観測班
また偽物か
679:名無しの観測班
同じコテだな
680:名無しの観測班
コテなら誰でも使えるだろ
681:名無しの観測班
とりあえず話聞こうぜ
682:名無しの観測班
何が問題なの?
683:分布見てる人
ヤブクロンは毒タイプだけど
必ずしも積極的に人を襲うわけじゃない
追い回して刺激するより
人が近づかないようにして様子を見る方が安全な場合もある
684:名無しの観測班
なるほど
685:名無しの観測班
じゃあ放置でいいの?
686:分布見てる人
放置とは違う
場所による
人通りが多い場所なら立ち入りを制限した方がいいし
接触事故が起きそうなら専門の人が対応する必要がある
687:名無しの観測班
じゃあ何を優先するの?
688:分布見てる人
種類だけで優先順位を決めないこと
689:名無しの観測班
どういうこと?
690:分布見てる人
例えば同じ場所に
ヤブクロンとミネズミとマメパトがいたとして
ヤブクロンが人の来ない場所にいて
ミネズミが道路に飛び出してるなら
先に対応するのは道路の方
691:名無しの観測班
あー
692:名無しの観測班
確かに
693:名無しの観測班
毒タイプだから最優先ってわけじゃないのか
694:分布見てる人
そう
種類ごとの危険性と
今その場所で起きている危険は分けて考えた方がいい
695:名無しの観測班
これ結構大事な話では?
696:名無しの観測班
というか普通に行政向けのアドバイスじゃん
697:名無しの観測班
お前本当に誰なんだよ
698:分布見てる人
分布見てる人
699:名無しの観測班
そうじゃねえ
700:名無しの観測班
草
◆
「……よし」
これでいいだろう。
あとは現地の人たちが判断すればいい。
俺は椅子にもたれかかった。
すると。
新しい書き込みが目に入った。
◆
712:名無しの観測班
じゃあ質問
713:名無しの観測班
何?
714:名無しの観測班
アメリカの会見で
ポケモンが集団で現れた場合の対策も話してた
715:名無しの観測班
集団?
716:名無しの観測班
マメパトとかミネズミとか
717:名無しの観測班
それが?
718:名無しの観測班
集団を分散させるために
音や光を使う案があるらしい
719:名無しの観測班
鳥避けみたいな感じ?
720:名無しの観測班
そう
721:名無しの観測班
普通に有効そう
722:名無しの観測班
日本でもやってるところあるよな
723:名無しの観測班
ポケモン相手にも効くの?
724:名無しの観測班
分布見てる人どう思う?
◆
「……あ」
俺は思わず声を漏らした。
音や光。
確かに、効果がある場合はある。
ただし。
……それ、相手によるぞ。
特に、集団でいるポケモンを相手にするなら。
俺は再びキーボードに手を伸ばした。
◆
729:分布見てる人
音や光で追い払う方法は
ポケモンの種類によっては逆効果になる可能性がある
730:名無しの観測班
逆効果?
731:分布見てる人
驚いて逃げる場合もあるけど
パニックになって予想外の方向へ移動する場合もある
集団なら特に注意
732:名無しの観測班
なるほど
733:分布見てる人
マメパトみたいな飛行するポケモンなら
一斉に飛び立つことで別の事故につながる可能性もある
734:名無しの観測班
あー
735:名無しの観測班
道路とか?
736:分布見てる人
道路もそう
建物の窓や交通設備も考えた方がいい
737:名無しの観測班
じゃあ音や光は使わない方がいい?
738:分布見てる人
一律に禁止する必要はないと思う
ただ、種類を確認せずに使うのは避けたい
739:名無しの観測班
めっちゃ慎重だな
740:名無しの観測班
でも正しい気がする
741:名無しの観測班
ポケモンって野生動物と同じ対応じゃ駄目なのか
742:分布見てる人
共通する部分はある
でも能力も生態も違うから
既存の方法がそのまま通用するとは限らない
743:名無しの観測班
なるほど
744:名無しの観測班
本物っぽい
745:名無しの観測班
まだ言うか
746:名無しの観測班
いや昨日からずっと思ってるんだけど
こいつ本当にあの人じゃない?
747:名無しの観測班
根拠は?
748:名無しの観測班
説明の仕方
749:名無しの観測班
それで本人判定するな
750:名無しの観測班
じゃあどうやって判定するんだよ
751:名無しの観測班
知らん
752:名無しの観測班
無責任すぎる
◆
……うん。
相変わらずだ。
俺は少し笑った。
別に、本物かどうかはどうでもいい。
必要な情報が伝われば、それでいい。
……しかし。
この流れだと、また質問が来そうだな。
そう思った時だった。
◆
761:名無しの観測班
質問いい?
762:名無しの観測班
またか
763:名無しの観測班
今度は何だ
764:名無しの観測班
アメリカのニュースで
ポケモンが出現した場合
住民が勝手に捕まえようとしないよう注意してるんだけど
765:名無しの観測班
当たり前では?
766:名無しの観測班
でもアメリカだと銃持ってる人いるじゃん
767:名無しの観測班
……あ
768:名無しの観測班
それは
769:名無しの観測班
大丈夫なのか?
770:名無しの観測班
野生動物だと思って撃つ人いそう
771:名無しの観測班
いや、さすがに政府が注意してるだろ
772:名無しの観測班
でも実際に目の前に出たら分からんぞ
773:名無しの観測班
分布見てる人はどう思う?
◆
「……うわ」
俺は顔をしかめた。
これは、少し難しい。
銃。
日本ではあまり考えなくていい問題だ。
もちろん、警察などが武器を使用する可能性はある。
けれど、一般市民が銃を持っている状況は、また別の話になる。
そして。
ポケモンには、普通の動物とは違う能力がある。
例えば。
特性。
技。
タイプ相性。
その組み合わせによって、予想外のことが起きる可能性がある。
……ああ、そうか。
俺は少し考えた。
この話なら、まず伝えるべきことがある。
◆
781:分布見てる人
まず、ポケモンに対して銃がどこまで有効かは
現実の検証が十分じゃない
だから安易に使うべきではないと思う
782:名無しの観測班
そりゃそうか
783:分布見てる人
特に危険なのは
攻撃した結果、相手を刺激すること
784:名無しの観測班
反撃されるってこと?
785:分布見てる人
そう
ポケモンは種類によって能力が大きく違う
人間が想定している反応をするとは限らない
786:名無しの観測班
じゃあどうすればいい?
787:分布見てる人
まず距離を取る
近づかない
刺激しない
人が危険な場所にいるなら避難する
対応は訓練を受けた人に任せる
788:名無しの観測班
普通だな
789:分布見てる人
普通のことが一番大事だと思う
790:名無しの観測班
名言っぽい
791:名無しの観測班
でも確かに
792:名無しの観測班
ポケモンを見つけたらまず逃げる
793:名無しの観測班
いや逃げるっていうか距離取る
794:名無しの観測班
全力疾走したら追いかけられそう
795:名無しの観測班
種類によるんじゃね
796:分布見てる人
そう
だから一律の行動だけで対応しようとしない方がいい
797:名無しの観測班
なるほどな
798:名無しの観測班
……なあ
799:名無しの観測班
何?
800:名無しの観測班
これさ
本当にあの有識者だったら
今ここでアメリカ向けの相談会やってることにならない?
801:名無しの観測班
草
802:名無しの観測班
世界規模の相談会を匿名掲示板でやるな
803:名無しの観測班
でも日本政府も見てそう
804:名無しの観測班
まさかw
◆
……。
俺は画面を見つめた。
いや。
その「まさか」は、普通にあり得ると思う。
政府が掲示板を見ているかどうか。
それは分からない。
ただ、俺が以前からここで情報を出していたことは、政府も知っているはずだ。
だったら。
今も監視していてもおかしくない。
……まあ、別に困ることはないけど。
正体が分からなければいい。
俺はそう考えた。
◆
東京都内。
同時刻。
「……見ています」
職員が呟いた。
「何を?」
「掲示板です」
「またか」
「いえ、例の人物が再び書き込んでいます」
その言葉に、上司が顔を上げた。
「……本当か?」
「はい」
職員は画面を示した。
そこには、先ほどのやり取りが表示されていた。
ヤブクロンの隔離。
音や光による追い払い。
一般市民による武器の使用。
どれも、アメリカ側で議論されている問題だった。
「……これは」
上司が画面を見つめた。
「随分、具体的だな」
「はい」
「資料にない情報か?」
「いえ。個々の生態については、既存の資料に記載があります」
「なら、なぜ気になる?」
「質問に対して、必要な情報を組み合わせて答えているからです」
職員は画面を指した。
「例えば、ヤブクロンの危険性についてです。資料では毒タイプとしての注意事項が中心です。しかし、この人物は隔離の優先順位そのものについて説明しています」
「……なるほど」
「ポケモンの知識だけでなく、実際の運用を考えている」
「それだけなら専門家でもできるだろう」
「はい」
職員は頷いた。
「ですが、これだけの種類について、即座に回答できる人物は多くありません」
「……」
「しかも、断定を避けています」
上司が眉を上げた。
「断定を?」
「はい。現実の出現状況は分からない。だから、現地で確認して判断するべきだと」
職員は少し笑った。
「知っていることと、知らないことを分けているんです」
上司は黙った。
そして、画面をもう一度見た。
分布見てる人。
その名前が、何度も表示されている。
「……本人かもしれんな」
「私も、そう思います」
「ただし、まだ断定はできない」
「はい」
上司は頷いた。
「それでいい。本人かどうかより、内容を確認しよう」
「分かりました」
「アメリカ側への回答に使える部分は?」
「整理すれば、いくつかあります」
「なら、既存資料と照合した上で、追加の注意事項として送ってくれ」
「はい」
職員が席へ戻る。
そして、掲示板の画面を見つめた。
……本当に、あの人なのだろうか。
数ヶ月前。
まだポケモンについて分からないことだらけだった頃。
突然現れ、膨大な知識を提供していった人物。
今も正体は分からない。
何者なのか。
どこに住んでいるのか。
どうして、あれほどの知識を持っているのか。
何一つ、明らかになっていない。
ただ。
もし、今回の書き込み主が本人なら。
その人物は今も、どこかで普通に生活しているのかもしれない。
そして、気が向いた時に掲示板を覗いている。
……そんなことが、あるのだろうか。
職員は小さく息を吐いた。
その時。
画面が更新された。
◆
821:名無しの観測班
ところで分布見てる人
822:名無しの観測班
まだいる?
823:分布見てる人
いる
824:名無しの観測班
いた
825:名無しの観測班
質問いい?
826:分布見てる人
分かる範囲なら
827:名無しの観測班
アメリカ政府に一番伝えたいことって何?
828:名無しの観測班
急にでかい質問
829:名無しの観測班
それ聞く?
830:名無しの観測班
でも気になる
831:名無しの観測班
何だろ
832:名無しの観測班
危険なポケモンの情報?
833:名無しの観測班
捕獲方法?
834:名無しの観測班
避難計画?
◆
「……一番伝えたいこと、か」
俺は少し考えた。
危険なポケモンの情報。
捕獲方法。
避難計画。
どれも重要だ。
けれど。
それらは、もう資料として渡してある。
だったら。
今、伝えたいことは。
……そうだな。
俺はキーボードを叩いた。
◆
841:分布見てる人
ポケモンを全部危険な生物だと思わないでほしい
842:名無しの観測班
……お?
843:分布見てる人
もちろん危険な種類もいるし
人間に被害を与える個体もいる
でも、それが全部じゃない
844:名無しの観測班
うん
845:分布見てる人
ポケモンにもそれぞれ生態がある
人間に近づく理由も違う
怖がっているだけの場合もあるし
食べ物を探しているだけの場合もある
846:名無しの観測班
なるほど
847:分布見てる人
危険な時は距離を取ってほしい
でも、必要以上に追い回したり
全部排除しようとしたりはしないでほしい
848:名無しの観測班
……
849:分布見てる人
最初は難しいと思う
日本もそうだったし
でも少しずつ慣れていけばいい
850:名無しの観測班
なんか
851:名無しの観測班
急に真面目になった
852:名無しの観測班
いや最初から真面目だっただろ
853:名無しの観測班
ポケモンと共存しろってこと?
854:分布見てる人
すぐにできるとは思わない
ただ、最初から不可能だと決めないでほしい
855:名無しの観測班
……なるほどな
856:名無しの観測班
いいこと言うじゃん
857:名無しの観測班
偽物でもいいこと言うな
858:名無しの観測班
まだ偽物扱いなの草
859:名無しの観測班
いや
860:名無しの観測班
俺はもう本物だと思ってる
861:名無しの観測班
根拠は?
862:名無しの観測班
何となく
863:名無しの観測班
結局それかよ
◆
……うん。
こんなところだろう。
俺は椅子にもたれかかった。
少し書き込みすぎたかもしれない。
けれど、まあ。
必要なことは伝えられたと思う。
八月一日。
ニューヨークに、イッシュ地方のポケモンが現れる。
それは、きっと大きな混乱を生む。
日本でもそうだった。
最初は誰も、ポケモンとの付き合い方なんて知らなかった。
俺だって。
知識はあっても、実際にどう接すればいいか分からないことはある。
……バンギラスとか。
俺は少し笑った。
あいつとの距離は、まだほとんど変わっていない。
けれど。
焦らなくていい。
父さんは、そう言っていた。
相手を知ること。
無理に近づかないこと。
相手がどうしたいのか、ちゃんと見ること。
……結局、そういうことなんだろうな。
俺はパソコンの画面を閉じた。
その時。
スマホが震えた。
ニュースの通知だった。
『米政府、ポケモン出現時の対応指針を追加検討』
「……お」
記事を開く。
そこには、ポケモンの種類ごとの危険性だけでなく、出現場所や周囲の状況に応じた対応を重視する方針が書かれていた。
……なるほど。
ちゃんと考えてるんだな。
俺はスマホを置いた。
これなら、少しは安心できるかもしれない。
もちろん、何が起きるかは分からない。
資料にない問題も起きるだろう。
それでも。
何も知らずに迎えるよりは、ずっといい。
俺は窓の外を見た。
夏の日差しが庭を照らしている。
ポッポが木の枝に止まっていた。
その下では、ロトムが何かを追いかけている。
……平和だな。
あと二日。
海の向こうでも、いつかこんな光景が当たり前になるのだろうか。
そんなことを考えながら、俺は立ち上がった。
◆
東京都内。
政府の一室。
「……これを」
職員が画面を指した。
「何だ?」
「最後の書き込みです」
上司は目を通した。
ポケモンを全部危険な生物だと思わないでほしい。
必要以上に追い回さないでほしい。
最初から共存は不可能だと決めないでほしい。
「……」
上司はしばらく黙っていた。
そして。
「……似ているな」
小さく呟いた。
「はい」
職員が答える。
「以前、資料を提供してきた人物も、ポケモンを単なる危険生物として扱うことには慎重でした」
「そうだったな」
「もちろん、これだけで本人とは断定できません」
「分かっている」
上司は頷いた。
ただ。
もし本当に本人なら。
その人物は、今も変わらずポケモンのことを考えているのだろう。
正体も明かさず。
見返りも求めず。
必要だと思った情報だけを、どこかから届けてくる。
「……不思議な人間だな」
上司が呟いた。
職員は苦笑した。
「本当に」
画面には、掲示板の最後の書き込みが表示されていた。
◆
891:名無しの観測班
分布見てる人消えた?
892:名無しの観測班
また消えた
893:名無しの観測班
昨日も今日も急に帰るな
894:名無しの観測班
仕事中なんじゃね
895:名無しの観測班
いや仕事中に掲示板来るなよ
896:名無しの観測班
でも本物ならすごいことしてるよな
897:名無しの観測班
アメリカ政府へのアドバイスを掲示板でやる男
898:名無しの観測班
まだ本物と決まってない
899:名無しの観測班
じゃあ何て呼べばいいんだよ
900:名無しの観測班
分布見てる人
901:名無しの観測班
そのまんまじゃねえか
902:名無しの観測班
まあいいじゃん
903:名無しの観測班
八月一日も来るかな
904:名無しの観測班
来るかもな
905:名無しの観測班
来なかったら?
906:名無しの観測班
それはそれでいいだろ
907:名無しの観測班
必要な情報はもう出してくれたんだし
908:名無しの観測班
……そうだな
909:名無しの観測班
じゃああとは
910:名無しの観測班
八月一日を待つだけか
◆
八月一日まで、あと二日。
日本では、いつも通りの夏が続いている。
しかし、海の向こうでは。
世界でも有数の大都市が、未知の生物を迎えようとしていた。
その準備の中に。
匿名掲示板から拾い上げられた、いくつかの助言が加わっている。
それを知る者は、まだ多くない。
そして。
その助言を書き込んだ本人は。
今頃、家で何を食べようか考えていた。
世界が注目する八月一日。
その日まで、あと二日だった。