ポケモン現代入り(非公式二次創作)   作:生獣(なまけもの)

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とある商店街シリーズ コロッケ一個、百二十円  

 

 

 関西の、とある商店街。

 

「はい、コロッケ二つ! 二百四十円!」

 

 昼前の商店街に、威勢のいい声が響いた。

 

 アーケードの中ほどにある惣菜屋『おかずの福田』。

 

 昔ながらの小さな店だ。

 

 コロッケ、唐揚げ、メンチカツ。夕方には煮物や焼き魚も並ぶ。

 

 店主の福田は、五十代の女だった。

 

 声が大きい。

 

 笑い声も大きい。

 

 そして、口も達者だった。

 

「おばちゃん、コロッケ一個!」

 

「はいよ! 百二十円!」

 

「百円にならん?」

 

「ならん!」

 

「えー!」

 

「その二十円でうちが生きとんねん!」

 

 小学生の男の子が笑った。

 

 福田も笑う。

 

「ほら、熱いから気ぃつけや」

 

「はーい!」

 

 男の子が去っていく。

 

 福田は、次のコロッケを揚げようと厨房へ戻りかけた。

 

 その時。

 

「エパッ!」

 

「……ん?」

 

 店の外から、聞き慣れない声がした。

 

 見ると、アーケードの柱の上に、小さなポケモンがいた。

 

 紫色の身体。

 

 大きな耳。

 

 そして、先端が手の形をした長い尻尾。

 

「……あんた、何や?」

 

「エイパ!」

 

 エイパムだった。

 

 五月にジョウト地方のポケモンが関西を中心に現れてから、もうすぐ三か月。

 

 商店街でも、いろいろなポケモンを見かけるようになっていた。

 

 時計屋には、午後五時になるとホーホーが来る。

 

 八百屋の前では、オタチが毎朝立っている。

 

 文房具店には、絵を描くドーブルが現れるようになった。

 

 そして今度は。

 

「……うちかいな」

 

 福田は、エイパムを見上げた。

 

 エイパムは、じっと店先を見ている。

 

 正確には、揚げたてのコロッケを。

 

「……あかんで」

 

「エパ?」

 

「それは売りもんや」

 

「エイパ!」

 

「欲しかったら百二十円やで」

 

 もちろん、冗談だった。

 

 野生のポケモンへ勝手に食べ物を与えてはいけない。

 

 それは、今では商店街でも当たり前の注意事項になっていた。

 

 可愛いからといって餌付けすれば、店へ居ついてしまうかもしれない。

 

 人間の食べ物が身体に合うとも限らない。

 

 それに、食べ物を狙って人へ近づくようになれば、事故にもつながる。

 

「……ほら、帰り」

 

「エパッ!」

 

「鳴いてもあかん」

 

 福田は、そう言って店へ戻った。

 

 エイパムは、しばらく柱の上にいた。

 

 それから、尻尾を器用に使ってアーケードの梁へ飛び移り、姿を消した。

 

「……変わった客やなあ」

 

 福田は苦笑した。

 

 それが、最初だった。

 

 

     ◇ ◇ ◇

 

 

 翌日。

 

「エイパ!」

 

「……また来たんか」

 

 昼前。

 

 エイパムは、昨日と同じ柱の上にいた。

 

「エパ!」

 

「今日もコロッケか?」

 

「エイパ!」

 

「……分かりやすいなあ」

 

 福田は笑った。

 

 エイパムは、店先に並ぶ惣菜をじっと見ている。

 

 特に、揚げ物の方へ顔を向けることが多かった。

 

「……匂いかねえ」

 

 福田は呟いた。

 

 油の匂い。

 

 揚げたてのコロッケの匂い。

 

 人間でも、つい足を止めてしまう。

 

 ポケモンだって、気になるのかもしれない。

 

「……でも、あかんもんはあかんで」

 

「エパ?」

 

「勝手に食べたら泥棒や」

 

「エイパ!」

 

「返事だけはええなあ」

 

 福田は笑った。

 

 その時。

 

「おーい、福田!」

 

 八百屋の山田が、大きな声でやって来た。

 

「何や、山田のおっちゃん!」

 

「今日もコロッケ余っとるか!」

 

「まだ昼や!」

 

「ほな、夕方また来るわ!」

 

「買いに来いや!」

 

 山田は笑った。

 

 それから、柱の上のエイパムに気づく。

 

「……何や、あれ」

 

「新しいお客さんや」

 

「ポケモンやんけ」

 

「見たら分かるわ!」

 

 山田は、エイパムを見上げた。

 

「……コロッケ狙っとるんか?」

 

「そうみたいやねん」

 

「ほな、百二十円やな」

 

「せやろ?」

 

 二人は笑った。

 

 エイパムは、何が面白いのか分からない様子で首を傾げた。

 

「エパ?」

 

「……お前、財布持っとるか?」

 

 山田が聞く。

 

「エイパ!」

 

「持っとる言うてるで」

 

「嘘つけ!」

 

 福田が吹き出した。

 

 エイパムは、二人を見下ろしていた。

 

 そして。

 

 尻尾の先を、ちょいちょいと動かした。

 

 まるで、何かを掴もうとしているようだった。

 

「……おい」

 

 福田が目を細める。

 

「それで取ろうとか考えてへんやろな」

 

「エパッ!」

 

「……ほんまかいな」

 

 福田は、少しだけ不安になった。

 

 

     ◇ ◇ ◇

 

 

 三日後。

 

 その不安は、半分だけ的中した。

 

 午後一時。

 

 店には、ちょうど客がいなかった。

 

 福田は厨房で、夕方の仕込みをしていた。

 

 その時。

 

 カタン。

 

「……ん?」

 

 店先から、小さな音がした。

 

 福田が顔を上げる。

 

 そこには。

 

「……あ」

 

 エイパムがいた。

 

 店の前に吊るしてあった宣伝用の札を、尻尾で引っ張っている。

 

 札には、大きな文字でこう書かれていた。

 

『揚げたてコロッケ 一個百二十円』

 

「……何しとんねん!」

 

「エパッ!?」

 

 エイパムが飛び上がる。

 

 尻尾が札に引っかかり、紐が外れた。

 

 カラン!

 

 札が地面へ落ちる。

 

「ああああ!」

 

 福田が叫んだ。

 

 エイパムは、慌てて柱へ飛び移る。

 

「こら! 待ちな!」

 

「エイパ!」

 

「待て言うとるやろ!」

 

 もちろん、追いかけたりはしない。

 

 ただ、思わず声が出た。

 

 エイパムは、柱の上から福田を見ている。

 

 その尻尾には、小さな木の実が握られていた。

 

「……ん?」

 

 福田は、首を傾げた。

 

 エイパムは、木の実を店の前へ落とした。

 

 ころん。

 

 それから、コロッケを見る。

 

 木の実を見る。

 

 もう一度、コロッケを見る。

 

「……まさか」

 

 福田は、思わず呟いた。

 

「……それ、代金のつもりか?」

 

「エイパ!」

 

 エイパムが元気よく鳴いた。

 

 福田は、しばらく固まっていた。

 

 それから。

 

「……あかん」

 

 小さく首を振った。

 

「……あかんで、それは」

 

 エイパムは首を傾げた。

 

「エパ?」

 

「気持ちは分かるけどな」

 

 福田は、少しだけ困ったように笑った。

 

「木の実一個でコロッケ売ったら、商売あがったりや」

 

 エイパムは、じっと福田を見ている。

 

「……それにな」

 

 福田は、少し真面目な声になった。

 

「野生の子に、勝手に食べもんやったらあかんねん」

 

「エパ?」

 

「……分からんよなあ」

 

 福田はため息をついた。

 

 エイパムは、しばらくその場にいた。

 

 やがて、木の実を拾い直し、アーケードの梁へ飛び移った。

 

 そして、どこかへ行ってしまった。

 

「……まったく」

 

 福田は、落ちた札を拾い上げた。

 

 紐が切れている。

 

「……修理せなあかんな」

 

 そう呟きながら、ふと空を見上げた。

 

 エイパムの姿は、もうなかった。

 

「……木の実で買いもんしようとするポケモンか」

 

 福田は、少しだけ笑った。

 

 

     ◇ ◇ ◇

 

 

 それから、エイパムは毎日のようにやって来た。

 

 朝ではない。

 

 夕方でもない。

 

 決まって、昼前。

 

 福田が最初のコロッケを揚げる頃だった。

 

「……あんた、時計持っとるんか?」

 

「エパ?」

 

「いや、何でもないわ」

 

 福田は笑った。

 

 エイパムは、柱の上から店を眺めている。

 

 時々、尻尾を動かす。

 

 時々、耳をぴくぴくさせる。

 

 そして、コロッケが揚がると、決まって元気よく鳴いた。

 

「エイパ!」

 

「……はいはい、今日もよう揚がったで」

 

 福田は、そう答えるようになっていた。

 

 もちろん、コロッケは与えない。

 

 エイパムも、店先へ降りてくることは少なくなった。

 

 ただ、そこにいる。

 

 福田も、時々声をかける。

 

 そんな日が続いた。

 

 ある日。

 

 店の前に吊るしてあった値札が、風で飛ばされた。

 

「あっ!」

 

 福田が声を上げる。

 

 値札は、アーケードの奥へ転がっていく。

 

「……もう!」

 

 福田が店を出ようとした時だった。

 

「エイパ!」

 

 柱の上から、エイパムが飛び降りた。

 

 尻尾を伸ばす。

 

 ひょい。

 

 転がっていた値札を、器用に掴んだ。

 

「……おお」

 

 福田が声を漏らす。

 

 エイパムは、値札を持ったまま柱へ戻った。

 

 そして。

 

 福田の方へ、尻尾を伸ばした。

 

「……あんた」

 

 福田は、少しだけ驚いた。

 

 値札は、エイパムの尻尾の先にある。

 

 福田は、直接触れないようにしながら、差し出された値札を受け取った。

 

「……ありがとな」

 

「エイパ!」

 

 エイパムが、嬉しそうに鳴いた。

 

 福田は、思わず笑った。

 

「……あんた、なかなかやるやん」

 

 エイパムは、尻尾を得意げに振った。

 

 その日から。

 

 福田は、エイパムを少しだけ違う目で見るようになった。

 

 

     ◇ ◇ ◇

 

 

 八月に入る少し前。

 

 福田は、風邪を引いた。

 

 最初は、ただの喉の痛みだった。

 

 けれど、翌朝には熱が出た。

 

「……あかん」

 

 福田は、布団の中で呟いた。

 

 身体が重い。

 

 頭も痛い。

 

 立ち上がるのも億劫だった。

 

「……今日は休みやな」

 

 福田は、店のシャッターに『本日休業』の紙を貼った。

 

 それから、家へ戻った。

 

 店の裏には、小さな住居がある。

 

 昔は家族で暮らしていたが、今は福田一人だった。

 

 夫は、十年以上前に亡くなっている。

 

 子供はいない。

 

 それでも、寂しいと思うことは少なかった。

 

 商店街には、顔なじみがいる。

 

 毎日、誰かが声をかけてくれる。

 

 店を開ければ、客が来る。

 

 だから。

 

「……まあ、二、三日休んだら治るやろ」

 

 福田は、そう呟いて目を閉じた。

 

 

     ◇ ◇ ◇

 

 

 翌日。

 

 昼前。

 

 商店街の柱の上に、エイパムが現れた。

 

「エイパ!」

 

 いつもの時間。

 

 いつもの場所。

 

 けれど。

 

 店のシャッターは、閉まっていた。

 

「……エパ?」

 

 エイパムは、首を傾げた。

 

 いつもなら、コロッケの匂いがする。

 

 いつもなら、大きな声が聞こえる。

 

 けれど、今日は何もない。

 

「エパ?」

 

 エイパムは、柱から降りた。

 

 シャッターの前へ近づく。

 

 尻尾で、軽く触れる。

 

 カン。

 

 小さな音がした。

 

「……エパ」

 

 エイパムは、しばらくそこにいた。

 

 それから、柱へ戻った。

 

 昼が過ぎる。

 

 商店街には、人が行き交っている。

 

 けれど、惣菜屋のシャッターは開かない。

 

 エイパムは、何度も店の方を見ていた。

 

 その様子に気づいたのは、八百屋の山田だった。

 

「……何や、お前」

 

 山田が声をかける。

 

「福田のとこ、今日は休みやで」

 

「エパ?」

 

「風邪や。寝込んどる」

 

 もちろん、言葉が通じているかは分からない。

 

 それでも、山田は続けた。

 

「……まあ、すぐ戻ってくるやろ」

 

 エイパムは、じっと山田を見ていた。

 

 それから、もう一度シャッターを見た。

 

「……エパ」

 

 小さく鳴いた。

 

 

     ◇ ◇ ◇

 

 

 二日目。

 

 エイパムは、また来た。

 

 昼前。

 

 いつもの柱。

 

 けれど、店は閉まっている。

 

「……エパ?」

 

 エイパムは、しばらくシャッターを見ていた。

 

 それから、尻尾で軽く叩いた。

 

 カン。

 

 返事はない。

 

「……エパ」

 

 その様子を、文房具店の中村が見ていた。

 

「……おい、山田」

 

「何や?」

 

「あれ、昨日もおったよな」

 

「……せやな」

 

 二人は、エイパムを見た。

 

「……コロッケ食べたいんかな」

 

 中村が呟く。

 

「……最初は、そうやったんやろな」

 

 山田が答えた。

 

「……今は?」

 

「……知らん」

 

 二人は、しばらく黙っていた。

 

 エイパムは、シャッターの前に座っていた。

 

 いつもなら、コロッケを見て尻尾を振っている。

 

 けれど、今日は違った。

 

 ただ、閉まった店を見ている。

 

「……変なやっちゃな」

 

 中村が呟いた。

 

 山田は、小さく笑った。

 

「……せやな」

 

 

     ◇ ◇ ◇

 

 

 三日目。

 

 福田は、ようやく熱が下がった。

 

「……ふう」

 

 布団から起き上がる。

 

 身体はまだ少し重い。

 

 けれど、昨日よりはずっと楽だった。

 

「……店、開けられるかな」

 

 福田は、窓の外を見た。

 

 商店街のアーケードが見える。

 

 いつもなら、今頃はコロッケを揚げている時間だった。

 

「……ああ、もう昼か」

 

 福田は、少しだけ寂しくなった。

 

 店を休むこと自体は、珍しくない。

 

 けれど。

 

「……あの子、来とるんかな」

 

 ふと、そんなことを思った。

 

 柱の上のエイパム。

 

 コロッケを欲しがって、毎日やって来る食いしん坊。

 

 福田は、思わず笑った。

 

「……何考えとんねん、わし」

 

 野生のポケモンだ。

 

 来る日もあれば、来ない日もある。

 

 それに、コロッケがなければ、来る理由もない。

 

 そう思った。

 

 けれど。

 

 少しだけ、気になった。

 

 

     ◇ ◇ ◇

 

 

 四日目。

 

 福田は、店を開けた。

 

 まだ本調子ではない。

 

 だから、今日はコロッケだけ。

 

 いつもの半分の数だけ揚げることにした。

 

「……よし」

 

 シャッターを上げる。

 

 店先を掃除する。

 

 値札を並べる。

 

 そして、厨房へ戻る。

 

 油を温める。

 

 コロッケを入れる。

 

 じゅわっ。

 

 いつもの音がした。

 

「……やっぱ、これやな」

 

 福田は、少しだけ笑った。

 

 その時。

 

「エイパ!」

 

 聞き慣れた声がした。

 

 福田が顔を上げる。

 

 柱の上に、エイパムがいた。

 

「……おう」

 

 福田は、思わず笑った。

 

「久しぶりやな」

 

「エイパ!」

 

「……何や、元気やん」

 

 エイパムは、いつもより大きな声で鳴いた。

 

 それから、柱を降りてきた。

 

「……おいおい」

 

 福田は、少しだけ驚いた。

 

 エイパムは、店の前で立ち止まった。

 

 そして。

 

 尻尾の先を、福田の方へ伸ばした。

 

「……ん?」

 

 そこには、小さなものが握られていた。

 

 古い値札だった。

 

 以前、風で飛ばされた時に、福田が探していたもの。

 

 角が少し折れ、紐が切れている。

 

「……あんた」

 

 福田は、目を丸くした。

 

「……これ、持っとったん?」

 

「エイパ!」

 

 エイパムは、嬉しそうに鳴いた。

 

 福田は、しばらく値札を見ていた。

 

 それから、ゆっくり受け取った。

 

「……ありがとな」

 

 小さな声だった。

 

 いつもの大きな声ではない。

 

 エイパムは、尻尾を振った。

 

 福田は、少しだけ笑った。

 

「……ほんま、変な子やなあ」

 

 それから。

 

 ふと、気づいた。

 

 エイパムは、コロッケを見ていなかった。

 

 ただ、福田の顔を見ていた。

 

「……あんた」

 

 福田は、少しだけ言葉に詰まった。

 

「……わしのこと、待っとったん?」

 

「エイパ!」

 

 エイパムが元気よく鳴いた。

 

 もちろん、本当にそうなのかは分からない。

 

 ただ、偶然かもしれない。

 

 けれど。

 

 福田は、少しだけ胸が温かくなった。

 

「……そっか」

 

 小さく呟いた。

 

「……そっかあ」

 

 それから、いつもの調子で笑った。

 

「ほな、今日もコロッケ百二十円やで!」

 

「エイパ!」

 

 エイパムが尻尾を振る。

 

 福田も笑った。

 

 商店街に、いつもの声が戻ってきた。

 

 

     ◇ ◇ ◇

 

 

 それから、福田とエイパムの関係は、少しずつ変わっていった。

 

 エイパムは、相変わらず毎日やって来る。

 

 コロッケの匂いに反応することもある。

 

 けれど、それだけではなくなった。

 

 福田が店先を掃除していると、柱の上から見ている。

 

 客と話していると、首を傾げる。

 

 福田が笑うと、尻尾を振る。

 

 時々、落ちたものを拾ってくれる。

 

 もちろん、商品には触らせない。

 

 店の中へ入れることもしない。

 

 それでも。

 

「……おう、今日も来たんか」

 

「エイパ!」

 

 そんなやり取りが、当たり前になっていった。

 

 ある日。

 

 福田は、ふと気づいた。

 

 昼前になると、無意識に柱の方を見ている。

 

 エイパムがいないと、少しだけ気になる。

 

 今日は来ないのだろうか。

 

 どこかで元気にしているだろうか。

 

 そんなことを考えてしまう。

 

「……あかんなあ」

 

 福田は、苦笑した。

 

「……情が移っとるわ」

 

 その日の夕方。

 

 福田は、時計屋の老人にその話をした。

 

「……何や、分かる気ぃするなあ」

 

 老人は、少しだけ笑った。

 

「……おっちゃんも?」

 

「まあな」

 

 老人は、店の看板を見上げた。

 

 午後五時。

 

 ホーホーが、いつもの場所に止まっている。

 

「……あの子が来んかったら、わしも気になるやろな」

 

 福田は、少しだけ笑った。

 

「……せやろ?」

 

「せやな」

 

 老人は頷いた。

 

 それから、少しだけ遠くを見るような目になった。

 

「……昔はな」

 

 小さく呟く。

 

「五時になったら、家内が声かけてくれたんや」

 

 福田は、黙って聞いていた。

 

「休憩せえ、言うてな」

 

「……うん」

 

「今は、あの子が来よる」

 

 老人は、ホーホーを見上げた。

 

「……不思議なもんやなあ」

 

 福田は、少しだけ笑った。

 

「……ほんまやな」

 

 しばらく、二人は黙っていた。

 

 そして。

 

「……誰かが来るん待つんも、悪ないで」

 

 老人が言った。

 

 福田は、少しだけ目を細めた。

 

「……せやな」

 

 小さく頷いた。

 

 

     ◇ ◇ ◇

 

 

 八月のある日。

 

 エイパムが、来なかった。

 

 昼前。

 

 いつもの時間。

 

 いつもの柱。

 

 けれど、そこには誰もいない。

 

「……ん?」

 

 福田は、顔を上げた。

 

 コロッケを揚げる。

 

 客が来る。

 

 会計をする。

 

 それでも、エイパムは来ない。

 

「……珍しいな」

 

 福田は呟いた。

 

 もちろん、野生のポケモンだ。

 

 毎日来るとは限らない。

 

 それに、今日は暑い。

 

 どこか涼しい場所で休んでいるのかもしれない。

 

「……まあ、そんな日もあるわな」

 

 福田は、そう言って仕事へ戻った。

 

 けれど。

 

 昼を過ぎても。

 

 夕方になっても。

 

 エイパムは来なかった。

 

「……何やろなあ」

 

 福田は、少しだけ落ち着かなかった。

 

 その時。

 

「おーい、福田!」

 

 八百屋の山田が、慌てた様子でやって来た。

 

「……何や?」

 

「ちょっと来てくれ!」

 

「……どうしたん?」

 

「……エイパムや」

 

 福田の手が止まった。

 

「……え?」

 

 山田は、少しだけ息を切らしていた。

 

「商店街の端で、怪我しとるみたいや」

 

 福田は、すぐにエプロンを外した。

 

「……どこや」

 

「こっちや!」

 

 二人は、商店街の奥へ向かった。

 

 

     ◇ ◇ ◇

 

 

 商店街の端。

 

 人通りの少ない路地。

 

 そこに、エイパムがいた。

 

「……エイちゃん」

 

 福田は、思わず呟いた。

 

 エイパムは、壁際に座り込んでいた。

 

 片方の足を、少し浮かせている。

 

 身体には、小さな擦り傷もあった。

 

「……エパ」

 

 弱々しい声。

 

 福田は、思わず駆け寄りそうになった。

 

 けれど。

 

 足を止めた。

 

 野生のポケモンだ。

 

 怪我をしている。

 

 不用意に触れば、驚いて暴れるかもしれない。

 

 傷を悪化させる可能性もある。

 

「……山田」

 

「何や」

 

「……相談窓口、電話して」

 

「もうしとる」

 

 山田は、スマートフォンを見せた。

 

「担当の人、来てくれるって」

 

「……そっか」

 

 福田は、小さく息を吐いた。

 

 それから、少し離れた場所にしゃがんだ。

 

「……おい」

 

 エイパムが、顔を上げる。

 

「……あんた、何しとんねん」

 

「エパ……」

 

「……ほんま、心配かける子やなあ」

 

 福田は、少しだけ笑った。

 

 けれど、その声は震えていた。

 

 エイパムは、じっと福田を見ている。

 

 それから。

 

 尻尾を、少しだけ動かした。

 

 まるで、いつものように何かを差し出そうとするみたいに。

 

「……もうええ」

 

 福田は、小さく首を振った。

 

「……今日は、何も持ってこんでええから」

 

 エイパムは、じっと福田を見ていた。

 

「……ちゃんと治してもらい」

 

 福田は、そう言った。

 

 少しだけ、涙が出そうになった。

 

 

     ◇ ◇ ◇

 

 

 エイパムは、専門の担当者によって保護された。

 

 幸い、命に関わる怪我ではなかった。

 

 足の捻挫と、軽い擦り傷。

 

 しばらく安静にすれば、回復する見込みだという。

 

 福田は、胸を撫で下ろした。

 

「……よかった」

 

 小さく呟く。

 

 それから、担当者に尋ねた。

 

「……あの子、どうなるんですか」

 

『回復後、野生へ戻せる状態かどうか確認します』

 

「……そうですか」

 

『人への依存が強い場合や、野生復帰が難しい事情がある場合は、別の対応を検討することもあります』

 

 福田は、しばらく黙っていた。

 

 それから。

 

「……もし」

 

 小さく口を開いた。

 

「……もし、あの子を飼うことになったら」

 

『はい』

 

「……どうしたらええんですか」

 

 担当者は、少しだけ驚いた様子だった。

 

 けれど、すぐに説明を始めた。

 

 飼育環境。

 

 安全管理。

 

 食事。

 

 健康状態の確認。

 

 そして、必要な手続き。

 

 福田は、一つずつ聞いた。

 

 すぐに飼えるわけではない。

 

 そもそも、野生へ戻せるなら、それが優先される。

 

 それでも。

 

「……分かりました」

 

 福田は、頷いた。

 

「……考えさせてください」

 

 電話を切った後。

 

 福田は、しばらく店の奥で座っていた。

 

 コロッケの匂いがする。

 

 いつもの厨房。

 

 いつもの店。

 

 けれど。

 

 柱の上には、エイパムがいない。

 

「……静かやなあ」

 

 福田は、ぽつりと呟いた。

 

 

     ◇ ◇ ◇

 

 

 数日後。

 

 福田は、時計屋の老人に相談した。

 

「……飼おうか思てんねん」

 

 老人は、少しだけ驚いた。

 

「……エイパムを?」

 

「……せや」

 

 福田は頷いた。

 

「でも、まだ決まってへん」

 

「……そうか」

 

 老人は、黙って聞いていた。

 

「……野生に戻れるんやったら、それがええんやろな」

 

「……せやな」

 

「でもな」

 

 福田は、少しだけ言葉に詰まった。

 

「……あの子が、もう来んようになるんは」

 

 そこで、声が止まった。

 

 老人は、何も言わなかった。

 

 福田は、少しだけ笑った。

 

「……寂しいねん」

 

 小さな声だった。

 

「……最初はコロッケばっかり見とったくせになあ」

 

 老人は、少しだけ笑った。

 

「……せやな」

 

「……いつからやろ」

 

 福田は、店の柱を見た。

 

「……わし、あの子が来るん待っとったんやな」

 

 老人は、ゆっくり頷いた。

 

「……そういうもんや」

 

 しばらく、二人は黙っていた。

 

 それから。

 

「……でもな、福田さん」

 

 老人が言った。

 

「……あの子のためになること、考えたらええ」

 

 福田は、顔を上げた。

 

「……うん」

 

「……それで、ええんちゃうか」

 

 福田は、少しだけ笑った。

 

「……せやな」

 

 小さく頷いた。

 

 

     ◇ ◇ ◇

 

 

 その後、エイパムは順調に回復した。

 

 足の怪我も治り、元気に動けるようになった。

 

 ただ、保護中の観察では、人への警戒がかなり薄いことが分かった。

 

 食べ物を持つ人間へ近づこうとする行動も見られた。

 

 担当者は、慎重に判断を進めた。

 

 野生へ戻すことができるか。

 

 それとも、人の管理下で暮らす方が安全なのか。

 

 福田は、結果を待った。

 

 何度も、柱の方を見た。

 

 エイパムがいない日々。

 

 それが、思った以上に寂しかった。

 

 けれど。

 

 焦らなかった。

 

 自分が寂しいからといって、無理に飼うわけにはいかない。

 

 あの子には、あの子の暮らしがある。

 

 そう思っていた。

 

 そして。

 

 しばらくして。

 

 担当者から連絡が入った。

 

 エイパムについては、現時点で野生復帰よりも、人の管理下で暮らす方が安全と判断されたという。

 

 福田が飼育を希望するなら、必要な準備を進められる。

 

 ただし、飼育環境の確認や、健康管理の体制を整えることが条件だった。

 

 福田は、しばらく黙っていた。

 

 それから。

 

「……お願いします」

 

 小さく答えた。

 

「……あの子、うちで迎えたいです」

 

 電話を切った後。

 

 福田は、しばらく動かなかった。

 

 それから、ゆっくり笑った。

 

「……ほんま、変な縁やなあ」

 

 小さく呟いた。

 

 

     ◇ ◇ ◇

 

 

 それから、福田は忙しくなった。

 

 店の裏の住居を片づける。

 

 飼育スペースを整える。

 

 必要な道具を揃える。

 

 食事について、専門家に相談する。

 

 そして、商店街の人たちへ事情を説明する。

 

「……ほんまに飼うんか!」

 

 八百屋の山田が、目を丸くした。

 

「……せや」

 

 福田は頷いた。

 

「……ちゃんと準備してからな」

 

「へえ」

 

 山田は、にやりとした。

 

「……名前はコロッケやな」

 

「勝手に決めるな!」

 

「ほな、メンチカツ?」

 

「食べもんから離れろ!」

 

 文房具店の中村が、横から口を挟む。

 

「……唐揚げは?」

 

「お前もか!」

 

 時計屋の老人が、声を出して笑った。

 

「……賑やかやなあ」

 

 福田は、ため息をついた。

 

 けれど。

 

 その顔は、笑っていた。

 

 

     ◇ ◇ ◇

 

 

 さらに数日後。

 

 必要な確認と手続きが終わり、福田は正式にエイパムを迎えることになった。

 

 店の裏。

 

 小さな住居の一室。

 

 そこには、エイパムのために整えた飼育スペースがあった。

 

 登れる場所。

 

 休める場所。

 

 安全に過ごせるように工夫した部屋。

 

 福田は、少しだけ緊張していた。

 

「……ほな」

 

 エイパムを見る。

 

「……今日から、うちの子やで」

 

「エパ?」

 

 エイパムは、首を傾げた。

 

 福田は、思わず笑った。

 

「……分からんよなあ」

 

 それから、少しだけ優しい声で言った。

 

「……まあ、ぼちぼち覚えていこな」

 

「エイパ!」

 

 エイパムが、元気よく鳴いた。

 

 福田は、胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。

 

 

     ◇ ◇ ◇

 

 

 その日の夕方。

 

 福田は、小さな皿を用意した。

 

 皿の上には、一口大の丸い料理が三つ並んでいる。

 

 見た目は、コロッケに似ていた。

 

 ただし、揚げてはいない。

 

 専門家に確認した食材を使い、エイパム向けに調整したものだった。

 

 味付けも、人間用とは違う。

 

 塩も、油も、ほとんど使っていない。

 

「……まあ、コロッケ風やな」

 

 福田は、少しだけ照れたように笑った。

 

 エイパムは、皿をじっと見ていた。

 

「エパ?」

 

「……食べてええで」

 

 福田は、少し離れた場所へ下がった。

 

 エイパムは、ゆっくりと皿へ近づく。

 

 匂いを嗅ぐ。

 

 それから。

 

 ぱくっ。

 

 一つ、口に入れた。

 

「……どうや?」

 

 福田は、少しだけ緊張した。

 

 エイパムは、もぐもぐと口を動かしている。

 

 そして。

 

「エイパ!」

 

 元気よく鳴いた。

 

 もう一つ。

 

 さらに、もう一つ。

 

 あっという間に、皿が空になった。

 

「……おお」

 

 福田は、思わず笑った。

 

「……気に入ったんか」

 

「エイパ!」

 

「……そら、よかったわ」

 

 福田は、胸を撫で下ろした。

 

 それから、少しだけ笑った。

 

「……でもな」

 

 エイパムを見る。

 

「うちのコロッケは、百二十円やで」

 

「エパ?」

 

「……あんたのは、特別メニューや」

 

 福田は、そう言って笑った。

 

 

     ◇ ◇ ◇

 

 

 翌日。

 

 商店街の掲示板に、新しい写真が貼られた。

 

 惣菜屋の女将。

 

 その隣にいる、紫色の小さなポケモン。

 

 写真の下には、手書きの文字。

 

『おかずの福田 新しい家族が増えました』

 

 それを見た八百屋の山田が、大笑いした。

 

「……ほんまに飼うたんか!」

 

「飼うたわ!」

 

「名前はコロッケ?」

 

「ちゃうわ!」

 

「ほな、何や?」

 

 福田は、少しだけ得意げに笑った。

 

「……エイちゃん」

 

「……普通やな!」

 

「普通でええやろ!」

 

 山田は笑った。

 

 時計屋の老人も、写真を眺めていた。

 

「……ええ顔しとるなあ」

 

「誰が?」

 

 福田が聞く。

 

「両方や」

 

 老人は、そう言って笑った。

 

 福田は、少しだけ照れたように顔を背けた。

 

「……何やねん、もう」

 

 文房具店の中村も、掲示板を見ていた。

 

「……ほな、うちのドーブルも飼うた方がええんかな」

 

「お前は、まずシャッター直せ!」

 

 山田が叫ぶ。

 

「まだ直してへんのか!」

 

「……あれは、あれでええねん」

 

「芸術か!」

 

「……まあな」

 

 中村は、少しだけ笑った。

 

 その時。

 

「ホー、ホー」

 

 時計屋の看板から、ホーホーの声がした。

 

「……おお、五時か」

 

 老人が顔を上げる。

 

「ほな、休憩するわ」

 

「はいはい」

 

 福田が笑う。

 

 八百屋の前では、オタチが背筋を伸ばしていた。

 

「タチ!」

 

 山田が声をかける。

 

「おう、今日もご苦労さん!」

 

 文房具店の前では、ドーブルが新しい模造紙に線を描いている。

 

「ドーブル」

 

 中村が、少し離れた場所から見守っていた。

 

 そして。

 

 惣菜屋の店先では。

 

「エイパ!」

 

 エイパムが、福田の足元にいた。

 

「……こら、エイちゃん」

 

 福田が声をかける。

 

「店の中では、勝手に走り回ったらあかんで」

 

「エパ?」

 

「……分かっとるんか、分かってへんのか」

 

 福田は、苦笑した。

 

 それから、エイパムを見下ろす。

 

「……まあ、ぼちぼち覚えていこな」

 

「エイパ!」

 

 エイパムが元気よく鳴いた。

 

 福田は、少しだけ笑った。

 

 

     ◇ ◇ ◇

 

 

 数日後。

 

 惣菜屋の店先には、新しい張り紙が増えていた。

 

『野生ポケモンへの餌やりはご遠慮ください』

 

 その下に、もう一枚。

 

『当店のエイパムは、正式な飼育手続きを経て迎えたポケモンです』

 

 そして、さらに小さな文字。

 

『人間用の惣菜は与えないでください』

 

 張り紙を見た常連客が、笑った。

 

「……おばちゃん、ちゃんと書いてるんやな」

 

「そらそうや」

 

 福田は頷いた。

 

「野生の子に勝手に食べもんやったらあかんからな」

 

「でも、エイちゃんは食べられるんやろ?」

 

「せや」

 

 福田は、少しだけ得意げに笑った。

 

「……うちの特別メニューや」

 

 店の奥では、エイパムが専用の皿を前に座っていた。

 

 尻尾を器用に使い、小さな丸い料理を持ち上げる。

 

 ぱくっ。

 

「エイパ!」

 

 福田は、その姿を見て笑った。

 

「……美味しいか?」

 

「エイパ!」

 

「……そら、よかったわ」

 

 その時。

 

「おーい、福田!」

 

 八百屋の山田が、店先から声をかけた。

 

「何や!」

 

「コロッケ二つ!」

 

「はいよ!」

 

「エイちゃんの分も!」

 

「そっちは売りもんちゃうわ!」

 

 山田が大笑いした。

 

 福田も笑った。

 

 店の奥で、エイパムが元気よく鳴く。

 

「エイパ!」

 

 その声に、福田は振り返った。

 

「……あんたも、よう食べるなあ」

 

 エイパムは、満足そうに尻尾を揺らしていた。

 

 五月にジョウト地方のポケモンが現れてから、三か月。

 

 時計屋には、午後五時になるとホーホーがやって来る。

 

 八百屋の前では、毎朝オタチが立っている。

 

 文房具店の前には、絵を描くドーブルが現れる。

 

 そして、惣菜屋には。

 

 正式に家族になった、小さな食いしん坊がいた。

 

 誰かに飼われるポケモンもいれば、野生のまま暮らすポケモンもいる。

 

 それぞれの距離感。

 

 それぞれの付き合い方。

 

 商店街の人たちは、少しずつそれを覚えていく。

 

 今日も、商店街は賑やかだった。

 

 そして。

 

 惣菜屋の厨房からは、いつも通り、揚げたてのコロッケの匂いが漂っていた。

 

 

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