武士になれぬこの身でも   作:色彩悪夢

2 / 2
『男に刀は許されず』

町というのは、こんなにも騒がしい場所なのか。

 

「おお……」

 

俺は思わず声を漏らした。

 

目の前には、村では見たこともないほど大勢の人が行き交っていた。

 

道の両側には店が並び、商人たちが声を張り上げている。

 

「さあ、寄っていきな! 今日はいい魚が入ってるよ!」

 

「反物ならうちだ! 浪華から仕入れた上物だよ!」

 

「そこのお姉さん! ちょっと見ていかない?」

 

荷車を引く女。

 

大きな荷物を肩に担ぐ女。

 

腰に刀を差し、堂々と道の真ん中を歩く女武者。

 

その一方で、男たちは店先で客を呼び込んだり、女たちの後ろを歩いたりしていた。

 

村とは何もかもが違う。

 

「すごいなあ……」

 

俺は周囲を見回しながら歩いた。

 

見たことのない品物。

 

嗅いだことのない香辛料の匂い。

 

どこからともなく聞こえてくる三味線の音。

 

あっちも見たい。

 

こっちも気になる。

 

気づけば、俺は一軒の店先で足を止めていた。

 

「……何だ、これ?」

 

並んでいるのは、色とりどりの小さな硝子玉だった。

 

日の光を受けて、きらきらと輝いている。

 

村では見たことがない。

 

「綺麗だな……」

 

「おや、坊や。気に入ったのかい?」

 

店主の女が声をかけてきた。

 

「あっ、はい! これ、何ですか?」

 

「硝子玉だよ。浪華の商人が持ってきた品さ」

 

「へえ……」

 

俺は一つを手に取ろうとして、慌てて手を引っ込めた。

 

勝手に触ってはいけない。

 

「……いくらですか?」

 

店主が値段を告げる。

 

「えっ!?」

 

思わず声が裏返った。

 

小さな玉一つで、村で何日も働いて貰える銭が必要だった。

 

「た、高い……」

 

「珍しい品だからねえ。まあ、男の小遣いじゃ手が出ないだろうさ」

 

店主は笑いながら言った。

 

俺も曖昧に笑い返し、その場を離れた。

 

「……町って、金がかかるんだな」

 

懐の銭袋を軽く押さえる。

 

中には、これまで少しずつ貯めてきた銭が入っている。

 

山賊に奪われたものだが、助けてくれた侍が、落ちていた銭袋を拾って返してくれた。

 

ありがたいことに、中身も無事だった。

 

けれど、さっきの硝子玉の値段を聞いたせいで、急に心細くなってきた。

 

俺にとっては、それなりに貯めたつもりだったのだが。

 

「……まあ、買わなきゃいいだけか」

 

そう呟いて、再び歩き出した。

 

そのときだった。

 

カン、カン、カン。

 

乾いた音が聞こえてきた。

 

「……ん?」

 

何だろう。

 

音のする方へ顔を向ける。

 

通りの奥に、何人かの女が集まっていた。

 

その手には、木刀が握られている。

 

「……あっ!」

 

俺は思わず駆け出した。

 

*

 

そこは、武術の稽古場らしかった。

 

広い庭のような場所で、数人の女たちが木刀を振るっている。

 

「はっ!」

 

「甘い!」

 

木刀同士がぶつかり、乾いた音が響いた。

 

一人が踏み込み、もう一人が受け流す。

 

そのまま足を払われ、片方が地面に倒れた。

 

「痛っ!」

 

「足元がお留守だよ。もう一度!」

 

「はい!」

 

倒れた女はすぐに立ち上がり、再び構えた。

 

俺は柵の外から、その様子をじっと見つめていた。

 

「……すごい」

 

山道で助けてくれた侍を思い出す。

 

あの人も、こうして稽古をしてきたのだろうか。

 

何度も刀を振り、何度も失敗して。

 

そうやって強くなったのだろうか。

 

俺は女たちの動きを目で追った。

 

右足を前に出す。

 

木刀を振り下ろす。

 

相手の攻撃を横へ受け流す。

 

「……こう、かな」

 

俺は無意識に右足を前へ出した。

 

次に、左足を少し引く。

 

稽古場の女たちがやっていたように、両手を前に出してみた。

 

もちろん、木刀なんて持っていない。

 

ただ、握っているつもりで腕を上げただけだ。

 

「えっと……右足を出して、それから……」

 

一歩踏み込む。

 

両手を振り下ろす。

 

「……あれ?」

 

何かが違う。

 

さっきの女たちは、もっと滑らかに動いていたはずだ。

 

俺はもう一度やってみた。

 

今度は少し速く。

 

「よっ……と!」

 

踏み込んだ瞬間、身体が前へ傾いた。

 

「うわっ!?」

 

慌てて足を出す。

 

危うく転びそうになった。

 

「……難しいな」

 

足の位置が悪かったのだろうか。

 

俺は稽古場に目を戻した。

 

女たちの足元を注意深く観察する。

 

右足。

 

左足。

 

踏み込むときは、後ろの足も動かしている。

 

「……なるほど」

 

もう一度、真似してみる。

 

今度は少し上手くできた気がした。

 

「……よし、もう一回」

 

「おい、そこの男」

 

「……右足を出して……」

 

「おい!」

 

「うわっ!?」

 

突然、肩を叩かれた。

 

振り返ると、稽古着を着た大柄な女が立っていた。

 

「何してるんだ?」

 

「あっ、すみません! 稽古を見ていて……」

 

「見ていたのは分かるけどね」

 

女は俺の足元を見た。

 

「さっきから、何をやってるんだい?」

 

「その……真似してました」

 

「真似?」

 

「はい。剣術の動きを……」

 

女は目を丸くした。

 

「……お前が?」

 

「はい」

 

少しの沈黙。

 

女は俺の身体を上から下まで眺めた。

 

「……ちょっと、構えてみな」

 

「えっ?」

 

「さっきやってたやつだよ」

 

「あっ、はい!」

 

俺は慌てて足を開き、両手を前に出した。

 

稽古場の女たちがやっていた姿勢を思い出す。

 

右足を前。

 

左足を後ろ。

 

両手は胸の前。

 

「……こう、ですか?」

 

「違う」

 

即答だった。

 

「えっ?」

 

「足が開きすぎだよ。それじゃ踏み込んだときに身体が流れるだろ」

 

「あっ……」

 

「それに、腕に力を入れすぎ。そんなに肩を上げてどうするんだい」

 

「す、すみません!」

 

「謝らなくていいから、直してみな」

 

「はい!」

 

俺は言われた通りに足を動かした。

 

少し狭くする。

 

肩の力を抜く。

 

「……こうですか?」

 

「まだ広い」

 

「……これくらい?」

 

「そうそう。で、身体を前に倒しすぎない」

 

俺は何度か姿勢を直した。

 

女は腕を組んで見ている。

 

「……よし。じゃあ、そのまま一歩踏み込んでみな」

 

「はい!」

 

俺は右足を前へ出した。

 

続けて左足も動かす。

 

「……あれ?」

 

また身体が揺れた。

 

女がため息をつく。

 

「だから、身体を前に倒しすぎだって」

 

「す、すみません!」

 

「もう一回」

 

「はい!」

 

俺は繰り返した。

 

一回。

 

二回。

 

三回。

 

何度も足を動かす。

 

少しずつ、身体の揺れが小さくなってきた。

 

「……よし!」

 

「いや、まだ駄目だよ」

 

「ええっ!?」

 

女は呆れたように笑った。

 

「お前、随分と熱心だねえ」

 

「……そうですか?」

 

「ああ。普通はここまで言われたら嫌になるもんだよ」

 

俺は少し考えた。

 

「でも、できないままだと気になるので……」

 

「……ははっ!」

 

女が笑った。

 

「変わった男だねえ」

 

それから、俺の腕を見た。

 

「……ただね」

 

「はい?」

 

「お前、剣術を習いたいのかい?」

 

「……はい」

 

「何のために?」

 

俺は少し迷った。

 

けれど、正直に答えた。

 

「……武士になりたいんです」

 

女の表情が変わった。

 

「……武士?」

 

「はい」

 

「お前が?」

 

「……はい」

 

女はしばらく黙っていた。

 

それから、困ったように頭を掻いた。

 

「……そりゃあ、また大きな夢だねえ」

 

「……やっぱり、無理でしょうか?」

 

「無理かどうかは知らないよ」

 

意外な答えだった。

 

「……え?」

 

「私はお前の一生を知ってるわけじゃないからね。ただ、相当難しいとは思うよ」

 

女は稽古場を指差した。

 

「あそこにいる連中だって、何年も稽古してる。それでも、武士として仕えられるかどうかは分からない」

 

「……」

 

「それに、お前は男だろ?」

 

俺は頷いた。

 

「女より身体が小さいし、力も弱い。稽古で身体を壊すかもしれない」

 

「……でも、練習すれば」

 

「そりゃあ、今より上手くはなるだろうさ」

 

女は俺の腕を軽く掴んだ。

 

「ただ、覚えなきゃならないのは剣の振り方だけじゃない。踏み込みも、体力も、相手の動きを読むことも必要だ」

 

「……」

 

「お前が何年稽古したって、体格のいい女に力比べで勝てるとは限らないよ」

 

俺は自分の腕を見た。

 

女の手と比べると、随分と細い。

 

「……そう、ですよね」

 

「だから悪いことは言わない。無理して武士なんて目指さず、別のことを考えた方がいい」

 

「……」

 

「剣術を覚えたいだけならともかく、武士になりたいとなると話は別だからね」

 

女は俺の肩を軽く叩いた。

 

「ほら、もう行きな。お前に何かあったら、私まで叱られちまう」

 

「……はい」

 

俺は頭を下げた。

 

「教えてくれて、ありがとうございました」

 

「ああ。気をつけて帰りな」

 

俺は稽古場を後にした。

 

少し歩いてから、もう一度足を止める。

 

右足を前へ。

 

左足を後ろへ。

 

身体を倒しすぎないように、一歩踏み込む。

 

「……こう、だったかな」

 

今度は転ばなかった。

 

けれど、これで合っているのかは分からない。

 

「……難しいなあ」

 

俺は小さく呟き、再び歩き出した。

 

*

 

しばらく町を歩いていると、一軒の店が目に入った。

 

店先には、刀や槍、弓などが並んでいる。

 

「……武器屋?」

 

俺は足を止めた。

 

店の奥には、大小さまざまな刀が置かれていた。

 

鞘に美しい装飾が施されたもの。

 

飾り気のない実用的なもの。

 

長い槍や、重そうな鎧まである。

 

「……おお」

 

思わず見入ってしまった。

 

山道で見た、あの侍の刀。

 

あの人も、こういう店で刀を買ったのだろうか。

 

「何だい、坊や」

 

店の奥から声がした。

 

顔を上げると、腕の太い女がこちらを見ていた。

 

「何か探してるのかい?」

 

「あっ、はい!」

 

俺は店に近づいた。

 

「あの、刀っていくらくらいするんですか?」

 

「刀?」

 

「はい!」

 

女は店先に置かれた刀を一本手に取った。

 

「物によるね。飾り刀なら高いし、実際に使うものでも出来次第だ」

 

「……一番安いのは?」

 

「そうだねえ……」

 

女は一本の刀を指差した。

 

「これなんかは安い方だよ」

 

そして、値段を告げる。

 

「…………え?」

 

俺は固まった。

 

聞き間違いかと思った。

 

「……あの、もう一度いいですか?」

 

女が同じ値段を繰り返す。

 

俺は懐の銭袋を押さえた。

 

全然足りない。

 

それどころか、今の所持金では刀の代金のほんの一部にしかならなかった。

 

「……そんなにするんですか?」

 

「そりゃあ、刀だからね」

 

女は当たり前のように言った。

 

「鉄も使うし、鍛えるのにも手間がかかる。安物でもそれなりの値段はするよ」

 

「……」

 

「で、買うのかい?」

 

「……その、今はちょっと」

 

「そうかい」

 

女は刀を元の場所へ戻した。

 

「金が貯まったら、またおいで」

 

「……あの」

 

「ん?」

 

「男でも、刀を買えるんですか?」

 

女は不思議そうな顔をした。

 

「金さえ払えば売るよ」

 

「……え?」

 

「うちは武器屋だからね。男だろうが女だろうが、金を持ってる客なら相手にするさ」

 

女は肩をすくめた。

 

「まあ、男が刀を買うなんて滅多にないけどね」

 

「……そうなんですか」

 

「そりゃあ、普通は必要ないだろう?」

 

女は俺の顔を見た。

 

「それで、お前は何に使うつもりなんだい?」

 

俺は少し迷った。

 

けれど、正直に答えることにした。

 

「……武士になりたくて」

 

「……武士?」

 

「はい」

 

女は俺を見つめた。

 

それから、少しだけ眉を上げた。

 

「へえ。男が武士を目指すのかい」

 

「……変ですか?」

 

「珍しいとは思うけどね。まあ、人の夢に口を出すつもりはないよ」

 

意外だった。

 

てっきり笑われると思っていた。

 

「……ありがとうございます」

 

「礼を言われるようなことじゃないさ」

 

女は店の奥から木刀を一本取り出した。

 

「ただ、武士になりたいなら、いきなり真剣を買う必要はないんじゃないかい?」

 

「……木刀?」

 

「ああ。まずは稽古だろう?」

 

「……確かに」

 

俺は木刀を見つめた。

 

さっきの稽古場の女たちが使っていたものと似ている。

 

「……これなら、いくらですか?」

 

女が値段を告げる。

 

「……あっ」

 

刀よりは、ずっと安い。

 

けれど。

 

「……やっぱり、足りない」

 

俺は肩を落とした。

 

女は苦笑した。

 

「随分と銭が少ないみたいだねえ」

 

「……はい」

 

「だったら、まずは金を貯めることだね」

 

「……そうですよね」

 

「それに、剣術を習うなら師匠への礼も必要になるだろうし、武具も揃えなきゃならない」

 

「……師匠にも、お金を払うんですか?」

 

「そりゃあね。どこかの家に奉公して教わるならともかく、道場に通うなら月謝がいるところも多いよ」

 

「……」

 

「武士になるには、腕だけじゃなく金も必要ってことさ」

 

俺は懐の銭袋を握りしめた。

 

刀を買う金がない。

 

木刀を買う金も足りない。

 

稽古を習う金もない。

 

武士になるには、思っていた以上に金がかかるらしい。

 

「あの……」

 

「まだ何かあるのかい?」

 

「武士になるには、どうしたらいいんでしょうか?」

 

女は少し考えた。

 

「うーん……そうだねえ」

 

そして、遠くに見える城を指差した。

 

「一番分かりやすいのは、どこかの城に仕官することだろうね」

 

「仕官……」

 

「ああ。もっとも、普通は誰かの紹介があったり、腕を認められたりして初めて話が進むもんだけど」

 

「……紹介?」

 

「武家の知り合いでもいれば、話を通してもらえるかもしれないね」

 

俺は少し考えた。

 

武家の知り合い。

 

村にはいない。

 

たまに武士が訪れることはあるが、顔を覚えている程度だ。

 

そもそも、相手が俺を覚えているかどうかも怪しい。

 

「……お城に行けば、何か分かりますか?」

 

「さあねえ。門前払いされるかもしれないけど、聞くだけならできるんじゃないかい?」

 

「……分かりました!」

 

俺は頭を下げた。

 

「ありがとうございました!」

 

「ああ。金が貯まったら、またおいで」

 

俺は店を後にした。

 

懐の銭袋が、さっきより軽く感じられた。

 

中身は変わっていないはずなのに。

 

*

 

町の奥へ進むと、大きな城が見えてきた。

 

「……あれが、お城か」

 

高い石垣。

 

立派な門。

 

その向こうには、幾重にも屋根が重なった建物が見える。

 

村で見たことのある建物とは、比べものにならないほど大きかった。

 

門の前には、槍を持った女武者たちが立っている。

 

俺はその姿を見つめた。

 

あの侍も、ここへ向かったのだろうか。

 

仕官の試しを受けると言っていた。

 

上手くいけば、城に仕えることができるらしい。

 

「……」

 

俺は少し迷った。

 

武器屋の女は、紹介が必要になるかもしれないと言っていた。

 

それでも、実際に聞いてみなければ分からない。

 

もしかしたら、何か方法があるかもしれない。

 

「……よし」

 

俺は門へ向かった。

 

「すみません!」

 

門番の女武者がこちらを見た。

 

「何だ?」

 

「あの、少しお聞きしたいことがあるんですが……」

 

「何を聞きたい?」

 

俺は一度深呼吸した。

 

「武士になるには、どうしたらいいんでしょうか?」

 

「……武士?」

 

「はい」

 

「誰がなるんだ?」

 

「……俺です」

 

女武者は俺を見下ろした。

 

そして、少し眉をひそめた。

 

「……お前が?」

 

「はい」

 

「……本気で言っているのか?」

 

「はい!」

 

女武者はしばらく俺を見ていた。

 

それから、ため息をついた。

 

「……まあ、志すだけなら勝手だが」

 

「……!」

 

「ただし、ここは誰でも仕官を願い出られる場所じゃない」

 

「……そうなんですか?」

 

「ああ。仕官を望むなら、まずは紹介状を持ってくることだ」

 

「……紹介状?」

 

「そうだ。武家や有力者の推薦があれば、仕官の試しを受ける道が開ける場合もある」

 

「……」

 

「もちろん、紹介されたからといって必ず仕官できるわけじゃない。腕や素行も見られる」

 

俺は少し考えた。

 

「……あの、紹介状って、どこで貰えるんですか?」

 

「お前を推してくれる武家や有力者がいれば、そこから貰えるだろう」

 

「……知り合いがいない場合は?」

 

「……いないのか?」

 

「はい……」

 

女武者は困ったように俺を見た。

 

「だったら、まずはそういう相手を探すところからだな」

 

「……」

 

「どこの村の者だ?」

 

「山の向こうの、小さな農村です」

 

「武家の生まれではないんだな?」

 

「はい。普通の農家です」

 

女武者は腕を組んだ。

 

「……そうか」

 

それから、俺の身体を見下ろした。

 

「それに、お前は男だろう?」

 

「……はい」

 

「戦になれば、女でも簡単に死ぬ。お前みたいな細い男を、わざわざ戦場へ連れていく理由がない」

 

「……でも、稽古をすれば」

 

「稽古をしたところで、女と同じように戦えるとは限らないだろう」

 

何も言い返せなかった。

 

山賊に襲われたときのことが、頭をよぎる。

 

あの女たちに、俺は何もできなかった。

 

女武者は俺の表情を見て、少し声を和らげた。

 

「……別に、お前の夢を笑うつもりはない」

 

「……」

 

「ただ、武士になりたいというだけで仕官できるほど、甘い世界じゃないんだよ」

 

「……はい」

 

「まずは腕を磨くことだ。それから、お前を推してくれる者を探すんだな」

 

「……分かりました」

 

俺は頭を下げた。

 

「ありがとうございました」

 

「ああ。気をつけて帰りな」

 

俺は城門を後にした。

 

少し歩いたところで、振り返る。

 

高い石垣。

 

立派な門。

 

その前に立つ、槍を持った女武者たち。

 

あの中に入るには、紹介状が必要らしい。

 

でも、俺には紹介してくれる人がいない。

 

そもそも、紹介状を貰えたとしても、腕を認められなければ仕官できない。

 

「……はあ」

 

思わずため息が漏れた。

 

武士になるって、こんなに大変なのか。

 

*

 

気づけば、空が赤く染まり始めていた。

 

「……まずい」

 

思わず呟く。

 

町を見て回っているうちに、随分と時間が経ってしまった。

 

今から一人で山道を通れば、村に着く頃には暗くなってしまう。

 

それに、あの山には山賊がいる。

 

俺は自分の腕を見下ろした。

 

また襲われたら、今度こそ助からないかもしれない。

 

「……どうしよう」

 

しばらく悩んでいると、街道の脇に荷車が停まっているのが見えた。

 

商人らしい女が、荷物を縄で縛っている。

 

「あの……」

 

思い切って声をかけた。

 

「ん? 何だい?」

 

「すみません。これから山の向こうへ行くんですか?」

 

「ああ。麓の村まで品物を届けるところだよ」

 

「……本当ですか!?」

 

「何だい、急に」

 

俺は慌てて頭を下げた。

 

「あの! 俺も山の向こうの村に住んでいるんです! もしよかったら、一緒に連れていってもらえませんか?」

 

商人の女は俺を見た。

 

「……お前、一人かい?」

 

「はい……」

 

「護衛は?」

 

「……いません」

 

女は呆れたようにため息をついた。

 

「まったく。男が一人で町まで来たのかい?」

 

「……すみません」

 

「家の者には言ってきたんだろうね?」

 

「…………」

 

「……おい?」

 

俺は目を逸らした。

 

「……黙って出てきました」

 

「はあ!?」

 

女が素っ頓狂な声を上げた。

 

「あんた、何考えてるんだい!?」

 

「す、すみません!」

 

「山道には山賊も出るんだよ! 何かあったらどうするつもりだったんだい!」

 

「……実は、もう襲われました」

 

「……は?」

 

女が固まった。

 

「……何だって?」

 

「山賊に襲われて……でも、通りかかった侍の方に助けてもらって……」

 

女は頭を抱えた。

 

「……あんた、本当に馬鹿だねえ」

 

「……はい」

 

「呆れたよ、まったく……」

 

女はしばらくため息をついていた。

 

それから、荷台を指差した。

 

「……ほら、乗りな」

 

「えっ! いいんですか!?」

 

「放っておいたら、また一人で山道を通りそうだからね」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

俺は何度も頭を下げた。

 

「ただし、荷物には触るんじゃないよ」

 

「はい!」

 

「それと、途中で勝手に降りるなよ」

 

「分かりました!」

 

俺は荷台の隅に座った。

 

女はもう一度ため息をついた。

 

「……村に着いたら、家の者にちゃんと謝るんだよ」

 

「……はい」

 

やがて、荷車がゆっくりと動き始めた。

 

*

 

帰りの荷車が、山道をゆっくりと進んでいた。

 

俺は荷台の隅に座り、膝を抱えていた。

 

「……はあ」

 

今日、何度目になるか分からないため息が漏れた。

 

稽古場で教えてもらった足の動かし方。

 

武器屋で見た刀。

 

城の門番に言われた言葉。

 

どれも、頭から離れなかった。

 

俺は懐から銭袋を取り出した。

 

山賊に奪われたものだが、助けてくれた侍が取り返してくれた。

 

中身も無事だった。

 

けれど。

 

「……少ないなあ」

 

銭袋を開け、中を覗く。

 

長い間、村で仕事をして少しずつ貯めてきた金だ。

 

俺にとっては大金だった。

 

だが、武器屋で見た刀の値段を思い出すと、ため息しか出てこない。

 

刀どころか、まともな防具を買うことさえ難しい。

 

師匠に稽古を頼むにしても、金が必要らしい。

 

「……全然足りない」

 

銭袋を閉じ、懐に戻した。

 

それから、自分の手を見つめる。

 

女たちと比べれば、小さくて細い手だった。

 

山賊に腕を掴まれたときの感触を思い出す。

 

必死に振りほどこうとしても、まったく動かなかった。

 

殴りかかろうとしても、簡単に拳を掴まれた。

 

「……力もないし」

 

金がない。

 

力もない。

 

武士になるための知識もない。

 

それに、俺は男だ。

 

城の門番は、武士になるには紹介状が必要だと言っていた。

 

でも、俺には紹介してくれる人がいない。

 

稽古をつけてもらうにも、金が必要。

 

刀を買うにも、金が必要。

 

仮に全部揃えられたとしても、男というだけで仕官を認めてもらえないかもしれない。

 

「……何だよ、それ」

 

俺は膝に額を押しつけた。

 

「俺、何にも持ってないじゃないか……」

 

悔しかった。

 

あの侍は、何度も稽古をして強くなったと言っていた。

 

俺だって努力することならできる。

 

何度失敗しても、納得するまで繰り返すことなら得意だ。

 

今日だって、稽古場で教えてもらった足の動かし方を何度も試した。

 

少しずつ、上手くなっている気がした。

 

でも、あれだけで武士になれるわけじゃない。

 

何年も稽古を積んだ女たちでさえ、仕官できるとは限らないのだ。

 

「……ずるいなあ」

 

思わず呟いた。

 

生まれつき力の強い女たちが、少し羨ましかった。

 

もちろん、女たちだって稽古をしている。

 

あの侍の傷だらけの手を見れば、それくらい分かる。

 

それでも、最初から持っているものが違う。

 

俺には、刀を握る前から越えなければならない壁がいくつもあった。

 

「……はあ」

 

もう一度、ため息をついた。

 

荷車が揺れる。

 

遠くに、村のある山が見え始めた。

 

帰ったら、きっと叱られる。

 

無断で村を出たのだから、当然だ。

 

下手をすれば、しばらく外にも出してもらえないかもしれない。

 

そう考えると、ますます気が重くなった。

 

俺は懐の銭袋を握りしめた。

 

「……金が欲しいな」

 

それから、自分の細い腕を見下ろす。

 

「……力も欲しい」

 

どちらも、今の俺には足りなかった。

 

俺は荷車の縁にもたれ、夕焼け空を見上げた。

 

「……武士になるって、大変なんだなあ」

 

昨日まで、そんなことは考えもしなかった。

 

でも、諦める気にはなれなかった。

 

あの侍が刀を構えた姿を思い出す。

 

山賊を前にしても逃げず、俺を助けてくれた姿。

 

あんなふうになりたい。

 

その気持ちだけは、今も変わらなかった。

 

「……まず、何から始めればいいんだろう」

 

答えてくれる者はいなかった。

 

荷車は、ゆっくりと村へ向かって進んでいった。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。