初日に僕に助け舟を出してくれた将校はマクレイア中将というらしい。
初日の印象と変わらず、いやそれ以上に部下を大切にしてくれる最高の上司だ。
そして僕に与えられた仕事は、徹底的にIUNによる航空機・整備資材・各人員の運用の差異を、FCUの運用ドクトリンとにらめっこしながらレポートを作成する仕事だった。
マクレイアの言葉通り、FCUの運用はIUNを参考にここ10年で劇的に改善されてきているようだ。
だが、根本的に予算が足りていないので、限界値はかなり低く、まだまだ本格的な戦争への備えができているとは到底言えない状況ではあるが。
「昨日の分、拝見したよ」
定時の40分前、既に今日の分のレポート作成に取り掛かっていた僕に話しかけてきてくれたのは、そのマクレイアだった。
「私は先日の言葉を訂正する必要がありそうだね。君のレポートからは、まだまだFCUの軍運用がIUNのそれに遠く及ばないことがよく分かる」
手を止め、席を立ってマクレイアに向き直ろうとした僕を、マクレイアは片手で軽く制して僕に作業続行を促しながら話しかけてくる。
正直、将官でありながらここまで砕けた軍人に会う機会は少なかった。
だが、この人物が本気で部下に対してリスペクトを持ってくれているのがわかるからこそ、やりづらさは感じない。
「中将。ISAF時代のノウハウがあり、オーシアの資金が多く入っているIUNとFCU軍はそもそも比較対象として不適格です。私の印象としては、むしろ限られたリソース、限られたノウハウでよくここまで効率化されていると感銘すら受けます」
そして定年までいくばくもなさそうなこの将官が、本気でFCU軍をもたせようとしているのが伝わるからこそ、僕は正直な所感を伝えたくなるのだ。
「それが君の口から聞けるのは嬉しいことだがね少佐。では、我が国は明日、本格的な戦争状態に入ったとして、領土と国民を守れると思うかね?」
これが親父からの質問だったらまさか、と笑い飛ばすだろう。
エルジアは大陸戦争で大きく弱体化し、もはや他国への戦争を仕掛けられるような状態ではない。
サンサルバシオンとの間に火種もない。
ユークがユージア大陸に侵攻などすれば、絶対にオーシアが黙っていない。
あるとすれば内戦か。
連合の構成国がある日突然、独立戦争を仕掛けてきたらどうするか。
僕はマクレイアの質問を、この仮定として考えてみる。
「構成国各国に分離独立の論調があることは承知しています。まだ自由エルジアの脅威が完全に去ったとは言えませんから、彼らが実際に内戦に踏み切るとは考えづらいです。もしそうなったとしても自由エルジアの存在がかえって他の構成国の同調を抑えてくれるでしょうから、犠牲を払うことにはなると思いますが致命的な事態にまでは陥らないと考えます」
僕はしばしの逡巡ののち、持論をマクレイアにぶつけてみる。
それを聞いたマクレイアの反応は、案に相違してあまり芳しくなかった。
「内戦勃発のリスクは私も高いとまでは言わないものの、君よりは高く評価しているのだよ、実は。参画国はあらゆる面でFCUに対して不満を持っている。それこそ、軍人たちもな。彼らを州軍扱いにしたのは、正直失策だったと思っている。しかし、私が真に恐れるのは外患との戦争だ」
「外?しかし、目下関係が緊張している国に心当たりがありませんが」
まあ、表向きは関係が良好でも突然戦争状態に突入することはある。
E・E戦争しかり、環太平洋戦争しかり。
「まあ、具体的な仮想敵国なしでの想定は難しいですが、正直に申し上げれば、世界中のどの国をとってもFCUがまともに防衛・反攻できる国を見つける方が難しいかとは思います」
正直なところはこうだ。
マクレイアが言うように、構成国の不満は大きく、開戦時に一部が離反することまで考慮に入れれば、支配範囲の大きさに反してFCUは今世界最弱の国だろう。
最早、どこが仮想敵国かを定義する必要性すら薄い。
それに加えて、この国の空軍は弱い。
親父とお袋のいた海軍の方がかなりましだ。
歴史を見れば明白だが、戦争というものは空軍力で決まるといってももはや過言ではない。
少なくともこの世界では。
そしてひとりのエースが生まれると、そのエースを中心に戦争が大きく動いていく。
オーシアには詳細は不明だがラーズグリーズの悪魔、それに前の灯台戦争で活躍した三本線がいる。
エメリアも一組のエースたちが反攻のきっかけを作ったと聞く。
大国ユークとその隣国ソトアにも、ソトア・ユークトバニア戦争で活躍した両雄がそれぞれいるらしい。
エースという存在まで考慮に入れれば、FCUは決して大きくはないノースポイント一国にすら敗けうる。
いや、絶対敗ける。
彼がいる時点で勝ち目はない。
「私も同じ考えだ。軍人たるもの、自国の軍を自分の国を守れない組織にしたままお役御免というわけにもいかんのでな。せめて、多くの戦争の流れを変えてきたエースが生まれる土壌だけでも作っておかなければな」
普段温厚なマクレイアではあるが、FCUの防衛について語る時の彼の眼は真剣そのものだ。
内地勤務に何ら秀でたところを持たない僕が真面目に働くのは、この将官の真摯さが僕の琴線に触れたからだ。
「エースが生まれる土壌、ですか」
「エース信奉だ。笑うかね?上層部にはいつも一笑に付されるが、私は本気で一人のエースが戦争を変えると思っている」
「いえ。私も信じていますよ」
マクレイアは自嘲気味に返してきたが、僕は本心からそう返す。
彼も見たのだろうか。
本物のエースを。
あるいは、どこかで別のエースに出会ったのだろうか。
僕が新人の頃、彼に反発していた一人のパイロットを思い出す。
彼に出会わなければ、僕もエースなんてものは信じなかっただろう。
しかし、彼の戦いを見て、そのパイロットも心底本物のエースというものを信じるようになっていた。
「生まれるといいですね、エースが」
僕は本心からこう続ける。
いつか戦争になったら、FCUからもエースが生まれるのだろうか。
彼のようなエースになら、後を託して死んでいける。
「案外、君かもしれんぞ」
「まさか」
マクレイアは少し嬉しそうに僕の肩を叩きながらそう言うと、足早に自席へと戻っていた。
気付けば、もうすぐ始業の定時だ。
案外マクレイアと長く喋りすぎたらしい。
席に着いたマクレイアはちらっとこっちを見て、僕と目が合うと目だけで器用に謝ってきた。
僕はこの中将のこういうところが好きだ。
遅筆の僕にとって、一日のペースを保つのに定時では厳しい。
今日は残業確定か。
だが不思議と嫌な気持ちはしなかった。
僕の力作のレポートは、お偉方にはあまり評判が良くなかったようだ。
中将は珍しく顔を赤くして怒っていた。
不祥事メモを使う時が来たか、あいつらを明日クビにしてやる、などと物騒なことまで口走っていた。
……僕の不祥事メモもあるんだろうか。
IUN時代のミスまで引き継がれていたら、クビにはならなくても居づらくなるようなネタは十分貯まっていそうだ。
僕としては中将のような人に届けばよかったのだが、力が入りすぎてFCUの問題点を挙げすぎたらしい。
僕は今日からいろんな委員会に出頭することになり、フォートグレイスへの赴任が2週間とちょっと遅れることになった。
正直、後悔している。
向いていることを頑張る性分だったのに、らしくないことをした結果、待ち遠しかった基地勤務が延びてしまった。
今は空が恋しい。
「少佐。聞いているのか?」
しまった。
そんなことを思っていたら目の前の少将の質問を丸ごと聞き逃してしまった。
今立っているのは、主に空軍機の整備、兵站の運用を管轄する委員会らしい。
となるとこの少将は整備士官あがりだろうか。
整備士官は細かい人が多い。
きちんと聞いていたところで、この人が指摘したい内容が理解できたか、怪しいところだ。
「少佐?」
しまった。返事が遅れた。
「少将、すみませんがもう一度おっしゃっていただけませんでしょうか?」
「どこからだ」
「……できれば最初から」
ばつが悪そうに僕が言うと、少将殿は額に青筋を浮かべながら、胸ポケットから小さい容器を取り出す。
少将は慣れた手つきで容器から錠剤を一粒出すと、ゴリゴリと音を立てて奥歯で砕き飲み込んだ。
その後しばらくこめかみに指をあてていたから、あれは頭痛薬だ。
頭痛薬を常備する人間は神経質。
これは今日の委員会は針の筵だ。
本当に地獄だった。
僕が整備、兵站運用の項目で主張したい内容は概ね属人化している箇所についての指摘だったが、少将殿の主張はその運用を支える人材の育成は規格化されているから問題なし、というものだった。
僕から見れば数名の明らかに優れている整備士官は、FCUの標準的な教練で生まれたとはいいがたいほどの腕を持っているのだが、彼の主張だと彼らこそがFCUの教練の想定している人材とのことだ。
その場合はむしろほとんどの士官を想定通りに育成できていないことが問題になるわけだが、少将まで出世した彼とお世辞にも弁論に長けるとは言えない僕では勝負にならず、結局僕の指摘が論理矛盾に溢れており考慮の価値なしという結論になった。
別にそれならそれでいいから委員会の実施などせずに握りつぶしてくれればよかったのだが、面子というものは佐官の赴任時期に優先する最優先事項らしい。
しかし収穫がなかったわけではない。
何せ僕はこのレポート作成の過程で、空軍の整備士官の中でとりわけ優秀な士官の名前を頭に叩き込むことができた。
残念ながらフォートグレイスに今配属されている整備士官の中に彼らの名前はなかったが、何かの拍子に彼らと配属が同じになったら絶対僕の機体の機付長にしてやる。
そう思うことで溜飲を下げようと思ったのだが、よく考えたらそれはレポート作成の成果であって今日の徒労の成果ではなかった。
それに気付いてしまい、僕の帰路の足取りはやはり重くなったのだった。
言い負かされてぽしょぽしょになってるレックスを想像すると愛おしくなりませんか?