世界に動物の特徴を持った人外が生まれる、亜人現代社会物
彩葉もかぐやもヤチヨも人外です
かぐやとヤチヨは本編の記憶をもってます
彩葉は何も覚えてない、本編と違って月見ヤチヨという推しがいないことで
原作以上に限界な彩葉を誘拐監禁してしまったかぐやとヤチヨ
監禁された彩葉視点で始まります
目を覚ますたびに、天井の高さに驚く。
五日目になっても、それは変わらなかった。
天蓋付きのベッド、継ぎ目のない白い壁、窓の外に広がる手入れされた庭。
何もかもが、酒寄彩葉の知っている「部屋」の何倍も大きく、何倍も柔らかかった。
扉に鍵はかかっていない。鍵など必要ないのだと、彩葉はもう知っている。
布団の中で、見えなくなれ、と念じると、指先から色が抜けて、輪郭ごと空気に溶けた。
狐の亜人なら誰でも、気配を薄くするくらいのことはできる。
ただし、彩葉のそれは、母の視線から逃れたいと願い続けるうちに、並外れて育ってしまった。
姿を消す、彩葉だけの能力だ。
亜人の力は、種族や家系で決まるものではない。
同じ狐でも、同じウサギでも、誰ひとり同じ力は持たない。
けれど、消えるのは姿だけだった。足音も、息遣いも、体温も、匂いも残る。
この力で、彩葉はこの屋敷から四度逃げた。四度とも、連れ戻された。
一度目は、渡り廊下のそばの池だった。見えない体で走り抜けようとした足首を、水面から伸びた吸盤つきの触手が掴んだ。
ヤチヨは、水を介して触手を呼び出せる。
池も、水道も、水差しも、雨上がりの水たまりも、水のある場所は全部、彼女の手の届く範囲だ。
ただし、触手が現れるのは、ヤチヨが意識を向けた水だけ。
それが、四度の失敗でようやく掴んだ法則だった。
二度目は、水を避けた。それでも、扉を出た先の廊下で、かぐやが待っていた。
かぐやの耳は、音から屋敷全体を完全に把握する。
足音も、衣擦れも、心臓の音さえも。
三度目と四度目は、その二つを同時に避けようとして、どちらかに捕まった。
だから、今夜が五度目になる。水のある場所は、すべて頭に叩き込んだ。
かぐやの耳が、どんな音に弱いかも。
(逃げなきゃ)
理由は、うまく言葉にできない。ただ、ここにいると息ができなくなる。
「おはよう、彩葉」
朝食のワゴンを押して入ってきたのは、ヤチヨだった。
腰から伸びた四本の触手が、ゆらりと床の上で波打つ。吸盤を持つ、しなやかなタコの触腕だ。
海に連なる母方の血が濃く出たのだと、初日に本人から教えられた。
この屋敷が亜人の名家のものであることも。
同じ両親から生まれたかぐやには、ウサギの家系である父方の血が出たことも。
ヤチヨが水差しに目をやると、水面がふっと盛り上がり、透明な細い触手が一本伸びた。
触手は空のグラスに水を注ぎ、彩葉の前にそっと置く。腰の四本は、一本も動いていない。
能力を隠す気は、ないのだろう。隠す必要がないのだ。
「食べられる? 昨日は少ししか口にしなかったから」
「……自分で食べます」
彩葉が手を伸ばすより早く、ヤチヨの触腕がスプーンを持ち上げ、彩葉の口元へ運ぼうとした。
彩葉は顔を背けた。
「やめてください」
ヤチヨの動きが止まる。触腕の先が、すっと色を失った。
感情が体色に出る、悲しいときの色なのだろう。
「……ごめんなさい」
ヤチヨは触腕を引っ込めて、それでも笑おうとした。
「何もしなくていいの。いろははもう頑張らなくていい。全部、私がやるから」
その言葉が、彩葉の胸の底にある、いちばん冷たい場所に落ちた。
借りを作ったら、返すまで相手と対等やなくなる。
人に頼るのは、自分で立てへん人のすることやね。立派な人は、一人で立ってはるもんよ。
母の声だ。酒寄紅葉。強くて、美しくて、誰の手も借りずに立っていた人。
彩葉はその背中を追いかけて、いつまで経っても追いつけないまま、ここまで来た。
「私は、あなたに助けてもらう理由がありません」
彩葉は言った。声が硬くなるのが、自分でも分かった。
「会ったこともないのに、どうして」
ヤチヨは、笑った。笑おうとして、失敗した顔だった。
「……そうね。いろはは、そうだよね」
八千年。その数字を、彩葉はまだ知らない。ただ、ヤチヨの瞳が遠い時間を見ているように揺れたことだけが、わけもなく彩葉の記憶の端に引っかかった。
会ったことなど、ないはずなのに。
昼過ぎ、扉の向こうから声がした。
「彩葉、起きてる? お昼寝、今ちょうど終わったよね。寝返りは七回。あ、今、深呼吸した」
ノックの前に、そこまで言い当てられる。かぐやの耳は、壁一枚ぐらいでは何も隔てない。
屋敷のどこで誰が何をしているか、音だけで全部分かるのだと、彩葉は身をもって知っていた。
扉が開いて、かぐやが入ってきた。
頭の上で、金色のウサギの耳がぴんと立っている。耳の内側は、ほんのり淡いピンク色だ。
彩葉の姿を見つけた瞬間、その耳がぺたりと垂れ、淡いピンクの内側が髪の陰に隠れた。
「彩葉。ごめんね。怖かったよね」
かぐやは、彩葉の手を取った。小さな手は震えていた。
「私ね、帰るまでのことしか覚えてなくて。でも、彩葉と過ごした時間は全部、全部覚えてるの。だから、もう、離れたくなくて」
帰るとは、どこへ。過ごした時間とは、いつの話なのか。彩葉には、何一つ心当たりがなかった。
かぐやの目は真剣で、嘘や冗談でないことだけは分かる。だからこそ、何も返せなかった。
「……離してください」
「うん、分かってる。分かってるけど」
かぐやが、彩葉を抱きしめた。
被捕食者に手籠めにされるなんて、情けないことやね。
母の声が、耳の内側で鳴った。
実際には、誰も口にしていない。分かっている。分かっているのに、声は止まらない。
狐は捕食する側やろ。それがウサギの腕の中で身動きもできへんなんて、どっちが上で下なんか、自分でも分かってるはずやけど。
力で負けたんやなくて、気持ちで負けてるんよ。彩葉。
狐の耳が伏せた。尻尾が体に巻きついた。ウサギの腕の中で、捕食者側であるはずの自分が、指先ひとつ動かせなくなっている。それが、たまらなく惨めだった。
「彩葉? 震えてる。どうしたの」
「……離して」
声が掠れた。かぐやは手を放した。何が悪かったのか分からない顔で、耳を伏せて後ずさる。
淡いピンクの内側は、もう見えなかった。
「ごめん。ごめんね。私、また」
彩葉は答えられなかった。喉の奥で、幻聴だけが鳴り続けていた。
夕食も、ほとんど喉を通らなかった。かぐやは扉の外で、ずっと立っていた。
ウサギの耳が、扉越しに自分の呼吸を聞いているのだと思うと、息をするのさえ苦しかった。
窓の外で、雨が降りはじめた。
深夜。屋敷が静まり返ったころ、彩葉は部屋を出た。
息を整えて、力を使う。体の輪郭がほどけ、尻尾の先まで透き通る。けれど音は消えない。
だから足は、床を踏むのではなく、置く。体重を乗せる前に、一拍。
雨が、屋敷全体を打っていた。屋根を叩き、窓を叩き、庭木の葉を叩く。
耳が良すぎるぶん、かぐやは大きな音の中では、小さな音を拾いきれなくなる。
三度目の日も、雨の夜だった。あのときは、別のところでつまずいた。今夜は、そこを避ける。
最初の曲がり角で、立ち止まる。
廊下の奥、かぐやの部屋の灯りが点いている。彩葉は息を止め、その前を通り過ぎた。
扉の向こうで、衣擦れの音がした。
「……?」
かぐやの声。彩葉は壁に張りつき、透き通った体の中で、自分の心臓の音さえ聞かれるのではないかと思った。やがて、また静かになった。
階段を降りる。広間を抜ける。右手の洗面所、左手の花瓶、噴水のある中庭。水の気配のある場所は、すべて記憶の中にある。選ぶのは、乾いた床と、乾いた廊下だけだ。
庭に面した窓に手をかけた。庭の池は、遠い。ここからなら届かない。
窓を開けた、そのとき。
冷たい雨が、顔に叩きつけてきた。
雨粒の一つ一つまでは、ヤチヨにも見張れない。今夜のヤチヨは、眠っているはずだった。
彩葉は窓枠を越えて、庭に降り立った。雨が肩を、背中を、尻尾を打つ。
庭の池も、噴水も、雨に煙っている。触手は、どこからも現れなかった。
(行ける)
走る。庭を抜け、塀に跳びつく。尻尾でバランスを取り、塀の上を一息に越える。
濡れた縁に足が滑った。「あっ」と、声が漏れた。
着地の衝撃で足首に鈍い痛みが走ったけれど、止まらなかった。
「彩葉!」
かぐやの声だ。姿は消せても、声は消せない。雨音の中でも、あの耳は、あの一声を拾ったのだ。
ウサギの脚が地面を蹴る音が、背中に迫ってくる。彩葉は歯を食いしばって、闇の中を走った。
――けれど、その足音は、途中でぴたりと止んだ。
足元の水たまりが一瞬だけ盛り上がり、何事もなかったように凪いだ。
雨のせいだ、と彩葉は思った。そう思うしかなかった。振り返らなかった。
街の灯りが見えてくるまで、一度も。
翌日から、彩葉はいつもの生活に戻った。
学校に行き、バイトを詰め込み、夜遅くに帰る。誰も追ってこなかった。
ただ、視線は感じた。
通学路の電柱の影。コンビニの窓ガラスの向こう。人混みの中でふと振り向くと、見覚えのある長い髪が、すれ違うように遠ざかっていく。夜道の先で、金色の耳が角を曲がって消える。
二人は、捕まえに来ない。近づかない。話しかけもしない。
ただ、見ている。遠くから、ずっと。
そこで、ようやく気づいた。かぐやの耳は、あの夜の一声を確かに拾っていた。雨に濡れた街は、ヤチヨの触手が届く水で満ちていた。それなのに、二人は追いつかなかった。
逃げ切ったのではない。逃がされたのだ。
それが、いちばん怖かった。いっそ連れ戻しに来てくれたなら、戦えるのに。
何も言わずに見守られていると、自分が弱いから見張られているのだと、突きつけられている気がした。
(私は、自分の力でやれる)
彩葉は、バイトを増やした。睡眠を削った。食事を、削った。幻聴の聞こえる夜は、さらに働いた。
頼らない、頼らない、頼らない。母のようになれないのなら、せめて、あの二人に守られるような弱い自分には、ならない。
足首の痛みも、見ないふりをした。
そして、金曜の夜。
バイト帰りの道で、視界がぐらりと傾いた。
膝が折れる。アスファルトの冷たさが、頬に触れる。耳の奥で、母の声が鳴っていた。
ほら、言うたとおりやろ。
頼らんて言うて倒れたら、結局いちばん人様に迷惑をかけるんよ。
それが分からんうちは、私のようにはなれへん。
(ちがう)
声にならない。手足の感覚が、遠のいていく。
そのとき、誰かが名を呼んだ。
「彩葉!」
温かい腕が、彩葉を抱き起こした。ウサギの耳が、滲んだ視界の向こうで揺れている。
耳の内側の淡いピンクだけが、ぼんやりと見えた。
「やっぱり、無理してた……! ばか、ばかっ」
「かぐや、落ち着いて」
もう一つの声は、静かだった。腰から伸びた触手が、そっと彩葉の体を包む。
夜の海のような、ひんやりとして、優しい感触。
「ごめんなさい。見ているだけって、約束したのに」
ヤチヨの声が、少し震えていた。
「でも、もう、見ていられない」
彩葉は抗おうとして、指先ひとつ動かせなかった。
「……はな、して」
「離さない」
かぐやが、ぎゅっと彩葉を抱きしめた。幻聴は、もう聞こえなかった。
意識が沈む前に、彩葉はぼんやりと思った。
(ああ、私は、こんなにも)
「帰ろう。今度は、ちゃんと休める場所に」
ヤチヨの触手が、彩葉の体を丁寧に抱え上げた。二人は夜の道を、屋敷のほうへ歩き出した。
暗闇に落ちていく彩葉の尻尾だけが、最後まで、ヤチヨの腕に小さく絡みついていた。
記憶持ちヤンデレと記憶なし主人公っていいよね