テラー化した生徒たちが流れ着く世界の話 作:豚足と豚骨の化身
「この世界のゲヘナを見ていたいの。」
そのイブキの願いは、条件付きでOKされた。一つ、特殊部隊を同行させること。二つ、先生を同行させること。三つ、必ず万魔殿を訪れること。最後のひとつは、リンちゃんなりの配慮なのだろうか。それを聞いた総督は「私達もまだ警戒対象か。それも致し方ない。」と言って、その条件を呑んだ。そうして明日、私は二人の案内をすることになった。
私は今、病院の廊下を歩いている。ベッドで眠らされているであろうアルのお見舞いに来たのだ。数時間前までここにいたのだから、まるで久しぶりかのごとく「お見舞い」などと受付の看護師に言うのは違和感があったが、それは些細なことである。
私は受付から伝えられた場所へと向かう。未だ、アルは緊急治療室で寝かされているらしい。ひとまず一命は取り留めたが、いつ状態が悪化してもおかしくない状況だと言うのだ。
視界の先、アルとガラスを隔てた廊下にカヨコが立っているのが見える。案の定、便利屋のみんなも来ていたようだ。
「カヨコ。」
私が名前を呼ぶと、彼女がこちらを見た。酷い顔色だったが、目元はスッキリとしていた。彼女の隣にたって、部屋の中にいるアルを見つめる。沢山の器具に繋がれた彼女のその様子は、余りにも痛々しかった。
「ハルカは?」
「…………社長が大怪我して死ぬかもしれないって聞いて、ショックで自室に籠って出てこない。ムツキは泣き疲れて寝ちゃった。」
見ると、廊下のイスに横になるムツキの姿がある。目元が赤く腫れていることから、どれだけ涙を流したかは明白だった。そして彼女を比べると、カヨコが一切泣いていないであろうことも明白だった。
「カヨコ、無理してるでしょ。」
「別に、社長はこの程度で死ぬような人じゃないってことは私が一番理解してるから。」
「……そうだね。きっと、『私のこと心配したかしら?』とでも言ってケロッと目を覚ましてくれるよ。」
「うん。」
静寂は冗長だった。絶望が周りをずっと暗くして、希望の光は程遠い。もしアルが死んだらと考えると、心臓が握りつぶされたみたいに痛くなる。私があの時あぁしていれば、なんて考えがとめどなく溢れてくる。それはきっと、カヨコも同じだ。
「私は、目を瞑ってるからさ。」
そう言って、瞼を下ろす。視界が真っ暗に染まる。
「先生?」
「だから、感情は全部吐いちゃおう?一人で溜め込む必要は無いよ。」
「………………」
視界を閉ざしたからか、周りの音がよく聞こえた。空調機の音、遠くから聞こえる人の足音、そしてカヨコの声。
「私は社長を信じてる。社長なら死なないって思ってる。思おうと……してる。でも、それでも……やっぱり……」
彼女の声が震えている。やがてそれは嗚咽に代わり、それ以上言葉を紡ぐことはなかった。私は何も言わず、隣で目を瞑っていた。すると、胸に暖かい感触が伝わった。彼女が顔を埋めているのだろう。私は上から手探りに彼女の頭を撫でた。
どれくらいそうしていただろう。ともかく、カヨコが泣き止むまで私はずっとその頭を撫で続けていた。やがて「もういいよ」と言って、彼女が離れた感覚があった。私はゆっくりと目を開く。
私の服は涙で濡れていた。カヨコの目は、寝ているムツキのように赤く腫れている。ちゃんと泣けたみたいで良かった。
「今日はもう遅いし、帰ろっか。」
寝ているムツキを起こさないように抱き上げて、私が告げるとカヨコはコクリと頷いた。便利屋の持つ車の後部座席にムツキを寝かせて、私が運転席に座るとカヨコが申し訳なさそうな顔で私を覗き込む。
「そこまでしてくれなくてもいいのに。」
「いいのいいの。カヨコは助手席に座ってて。ちゃんと安全運転で送り届けてあげるから。」
「そう?じゃあお言葉に甘えちゃうけど……」
カヨコが助手席に座ったのを確認して、私はペダルを踏んだ。便利屋の活動するオフィスまではそう遠くは無い。20分もすればつくだろうと頭で考えながら、私は病院をでる。
「ありがとう、先生。弱音を吐ける場所をくれて。」
「うん、どういたしまして。」
「私は、社長の代わりに二人を守っていかないといけないから。ムツキの前では泣かないようにって思ってた。正直、すごく無理をしていたと思う。」
夜の街灯が前から後ろへと流れていく。景色が移ろう窓の外を眺めて、カヨコは言葉を紡いでいく。
「ねぇ、先生。私は社長みたいに強くないからさ、多分……また泣きたくなると思う。その時は……」
「また私の元を訪ねておいで。いつでもウェルカムだよ。何なら、アイマスクでも用意しておこうか?」
「そこまではしなくていいよ……。ふふ、でもありがとう。」
カヨコがクスリと微笑む。少し笑えるくらいには、メンタルは持ち直したらしい。もちろん、今もアルのことを思うと気が気じゃないだろうけど、彼女一人で抱え込むなんてことはもう無いだろう。
「それと、二人を守るのを手伝って欲しい。先生には、迷惑を沢山かけちゃうけど……」
「迷惑なんかじゃないよ。生徒に頼られるのは先生の本望だからね。ぜひ手伝わせて。それに、アルにも『あの子たちを守って』って言われてるし。」
「…………社長らしい。」
「そうだね。そうだ、ハルカの事だけど……」
「あぁ、あの子は私たちで何とか励ますよ。もし私たちでどうにもできなかったら、先生も手伝って。」
「わかった。ムツキは大丈夫そう?」
「すごく泣いてたけど、ムツキは強いから。きっと大丈夫。」
そうこうしているうちに、便利屋のオフィスに到着した。駐車場に車を停めて、後ろのムツキを再び抱き上げてオフィスの中のソファまで連れていく。ビルの一室、そこにある彼女達には家賃が高すぎるオフィス。アルが勢いで借りてしまった、彼女らの居場所。扉の前まで行くと、カヨコがポケットから鍵を取り出さて鍵穴に差し込む。
「とりあえず、ムツキはソファに寝かしておいて。」
カチャリ、鍵が軽い音を鳴らして回転する。カヨコは驚いたように目を見開いた。「…………開いてる。」その瞬間、辺りに一気に冷たい空気が立ち込める。カヨコは拳銃を取り出して、構えたままゆっくりと扉を開く。
「先生は私の後ろからついてきて。」
小声で囁く彼女の言葉に頷く。カヨコは音を立てないように靴のまま室内へと上がり込み、その背中に付き添うように私は彼女の動きを真似て行く。廊下を抜け、やがてオフィスが見えてきた。
「やっと…………来たのね……。」
透き通った侵入者の声、しかしそこにはドス黒く蠢く殺意を感じた。全身の毛が逆立ち、心臓が早鐘を打っている。ゆっくりと、オフィスの社長椅子が回転し、彼女は姿を現した。
かつて桃色だった髪は色が抜け落ち、真っ白になっている。かつて輝きに満ちた眼は、霞んで闇が渦巻いている。真っ黒なヘイローが怪しく光り、鋭く研ぎ澄まされた殺意が私たちの身体を貫いてゆく。彼女を象徴するコートは未だ肩からかけられているが、その服の端はボロボロになっていた。この世界の彼女とは似ても似つかない、しかし目の前の少女は確かに「陸八魔アル」だ。
「久しぶり……いえ、初めましてというべきかしら?ねぇ、先生。」
私はグッと息を呑む。
「一体、どういうつもりだい?」
「さて、あなた達にそれを教える義理は無いわね。」
アルはそう言うと、背後から長身のスナイパーライフルを取り出してそれを部屋の隅へと向けた。その射線の先にあるものを見て、私は奥歯をギリリと噛み締める。そこにあったのは、四肢と口を縛られてただ涙を流すだけのハルカの姿だった。咄嗟にハルカを助けようとカヨコが動くと、アルが怒号を飛ばす。
「動くな!動いたら、その子の脳漿がぶち撒かれることになるわよ。」
「…………社長、なんで。」
「カヨコ、私は別世界のあなた達なんてどうでもいいのよ。最悪殺しても、何も思わない。」
カヨコは、顔を顰めたまま動けなくなった。もちろん、私も動けない。私たちは今、相手に命を握られているのだ。
「別に私は殺人鬼って訳ではないわ。私の要求を聞いてくれるなら、あの子も解放してあげる。」
「ンー!!ンー、ンー!!」
ハルカが必死に声を上げて立ち上がる。その瞬間、アルの持つスナイパーライフルからとてつもない轟音が鳴り響いた。耳を裂くようなそれに、私は思わず耳を抑える。キーンと鳴り響いた耳鳴りの中で、私は悲鳴と共に膝から崩れ落ちたハルカの方を見た。耳を銃弾が掠ったのだろう、耳の端ら頬をダラりと血が伝っている。
「人質がごちゃごちゃ喚くんじゃないわよ。あなたには聞いてないの。今、選択を迫られているのはカヨコ課長。あなたよ。」
「…………分かった。要求は聞くから、これ以上ハルカを傷つけないで。」
「聡明な判断ね。流石は課長。」
その時、腕の中で眠っていたムツキが目を覚ました。そして、「来訪者」であるアルの姿が目に入る。
「アルちゃん……なんで………」
ムツキの視線は煙を立ち上らせるアルの銃を見た後、その射線上にいた拘束されたハルカへと移ってゆく。ムツキの瞳孔が、カッと開いた。
「先生、その子の口抑えて。」
アルの命令に、私は悲鳴を上げようとしたムツキの口を抑える。ムツキは悲鳴の行き場を失い、唸るように声を上げた。
「ごめん、ムツキ。今説明してる暇はないんだ。」
「そうね、先生も利口で嬉しいわ。」
アルはハルカに銃口を向けたまま、机に腰を乗せて不敵な笑みをしてみせる。カヨコは深く息を吸い込み、そして覚悟したように口を開く。
「それで、要求っていうのは……?」
「そう身構えることもないわよ。とっても簡単な話、あなた達は私にそれを明け渡して皆で仲良く帰ればいいの。」
次に彼女が口にした言葉は、余りにもこの便利屋68の社員たちにとって残酷で無慈悲なものだった。
「便利屋68を、私にちょうだい?」