静かな廊下を俺は歩いていた。二人分の足音が廊下に響いている。たいして大きくないはずの足音も静かな廊下では大きく聞こえる。
「どうだ?今の気分は」
俺の前を歩いていた女性が足を止めることなく少し振り返って言った。
黒のスーツにタイトスカート、すらりとした長身、よく鍛えられているがけして筋肉質ではないボディライン。狼を思わせる鋭い釣り目の女性―織斑千冬、これから俺の担任となる女性だ。と言っても初対面ではなく、二か月ほど前から毎日顔を合わせている。
「ヨ、ヨユウデスヨ」
あ、声が裏返った。
「緊張しているようだな」
織斑先生が口の端に笑みを浮かべながら言った。
「…緊張って言うより不安です。いきなりでちゃんと仲良くやっていけるか」
「安心しろ。どうせ今日は入学式だ。ほとんどの人間は確実に初対面同士だ。そこに一人増えたからと言ってどうということはない」
そう。今日はこのIS学園の入学式。俺はその1年1組の生徒となる。今は本当ならどこも教室でSHRを行っているだろう。俺と織斑先生はそんな中、自分たちの教室へと向かっている。なぜ俺と織斑先生は今、入学初日の最初のSHRで明らかに遅刻というような時間に教室に向かっているのか。それは、ある大きな二つの理由が原因である。
IS、正式名称「インフィニット・ストラトス」は宇宙空間での活動を想定し、開発されたマルチフォーム・スーツであった。しかし、従来の兵器を凌駕する圧倒的な性能を持ち、宇宙進出よりも飛行パワード・スーツとして軍事転用が始まり、各国の抑止力の要がISに移っていった。そして、今は”スポーツ”として落ち着いているらしい。
そして、ISの最大の特徴、それは女性にしか扱えないということだった。つまりIS操縦者の数=その国の戦力に近い今、各国は女性優遇の政策を行い、それが原因でISの発表から十年たった今、この世界は女尊男卑の世の中になってしまったらしい。
しかし、そんな世界で男でありながらISを起動することができたものが現れた。「織斑一夏」俺と一緒に歩いている織斑千冬の実の弟である。
そしてもう一人、俺―梨野航平である。
ISを男でありながら動かすことができる。そのためほぼ女子校であるIS操縦者育成用の特殊国立高等学校であるこのIS学園に俺が今ここにいるのである。
しかし、織斑一夏は今ここにはいない。今頃1年1組の教室でSHRを受けていることだろう。なぜ同じ男性操縦者であるはずの俺が廊下を歩いていて、織斑一夏が教室でSHRを受けているのか。この違いはもう一つの理由が原因である。
簡潔に言えば、俺、梨野航平には二か月前以前の記憶がないのである。
俺の一番古い記憶、それは倒れている俺に呼びかける声である。
二か月前、二月の上旬の早朝、学園の端っこの海辺で散歩中の用務員の男性に発見された。発見当時、男性の呼びかけに小さく反応を示したらしいが、またすぐに意識を失い、意識を取り戻したのはその一週間後だった。
発見当時の俺は、右肩から左の脇腹まで切り裂かれており出血多量と、どこからか流れ着いたのか長時間冷たい海水につかっていたことによる体温低下で虫の息だったらしい。
しかし、幸運にもその用務員の男性の応急処置が適切だったこととこのIS学園に置かれていた医療機器の高性能さにより一命を取り留めた。
その後目覚めた俺は自分の名前や自分の家など今までの記憶すべて、またあれは何これは何といった知識の一部をなくしていた。
記憶喪失の原因やその他体の検査を行っていく段階でなぜか男でありながらIS適性があり、しかもそれがとても高いことが判明した(当時の俺はISのことも分からなくなっていたためそれがとんでもないことだとは知らなかった)。
記憶もなくIS適性もあるのでIS学園で保護するということになりかけたところで、一つ問題が発生した。それは俺の過去や素性がわからないということである。どこの馬の骨とも言えない俺に各国からの何かしらのアクションがあることを警戒したIS学園は織斑一夏のほかに男性操縦者の発見を発表。その後素性などの一切の情報を開示しなかった。どのクラスに所属になるのかも入学式当日に学園長の口からクラス担任に通達されるまで誰も知らないという、やりすぎなほどの警戒をしていた。
結果今の現状に至るわけである。
「やっぱり俺が1年1組なったのって同じ男の操縦者の織斑先生の弟がいるからですかね?」
歩きながら俺は質問する。
「さあな。最終的な決定は学園長だ」
織斑先生は前を向いたまま歩いている。
「そういえば、髪、切らなかったんだな」
唐突に織斑先生が言った。
そう、俺の髪は男にしては長い。長すぎるくらいである。金髪の髪(染めていない)を腰のあたりまで伸ばしている。発見当初からこのくらいの長さだったらしい。
「悩んだんですがやめました。これもある意味前の俺の手がかりかもしれないんで」
「そうか。まぁ好きにすればいい。特に校則で決まっているわけでもないしな」
前髪をかき上げながらはにかむ俺に織斑先生は口の端に笑みを浮かべて言った。
○
「さて、着いたぞ」
廊下を歩く長い旅(この学校広すぎる)も終わり、俺たちは1年1組と書かれたプレートの掲げられた教室の前に来た。
中では自己紹介の途中なのか生徒たちが一人づつ立ち上がり自分のことについて話している。
「織斑くん。織斑一夏くんっ」
「は、はい!?」
そんな中順番が回ってきてもなかなか立ち上がらなかった最前列&真ん中の席の生徒が副担任の山田真耶先生(この人ともそれなりに顔を合わせている)に名前を呼ばれ驚いたように声を裏返らせ返事をした。
「あ。あれが先生の弟さんの織斑一夏くんですか」
「まぁな」
二人で見つめる先では織斑が立ち上がり後ろを向く。すると顔が一瞬ひきつる。どうでもいいが先生も織斑だからややこしいな。
「どうしたんでしょう?」
「おそらく予想以上に注目されていて少し押されたんじゃないのか。この学校にはお前とあいつしか男子はいないしな」
「なるほど」
織斑先生の説明に納得する。
「他人事のように言っているがお前もこの後あれらの前に立つんだぞ」
「あ!そうだった」
織斑先生の言葉に自分も当事者であることを思い出す。と言うか先生?今自分の受け持つ生徒をあれって言いませんでした?
「よし、あいつの挨拶をお手本にしよう」
そう言いながら俺は織斑にさらに注目する。
「………」
織斑先生も黙って見ている。
「えー……えっと、織斑一夏です。よろしくお願いします」
そう言って、織斑は頭を下げて、上げる。しかし、教室の中はそれでは物足りないようである。教室の中は『もっと色々喋ってよ』的な視線や『これで終わりじゃないよね』的な空気になっていた。たぶん当事者である織斑には相当な緊張感だろう。
そんな中織斑が呼吸を一度止め、息を吸い込む。何か言うらしい。クラスの期待が膨らむのがわかる。
「以上です」
がたたっ。思わずずっこける女子が何人かいた。ちなみに俺も若干力が抜けた。
「まったく…」
横を見ると織斑先生が苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「ちょっと待ってろ。あのバカに教育してくる。呼んだら教室に入ってこい」
そう言って織斑先生は教室に入っていく。
織斑は『駄目だった?』とでも言いたげな顔でクラスメイトの顔を見渡している。どうやら背後から近付いていく織斑先生には気づいてないようだ。
パアンッ!
あ、叩いた。
「いっ――!?」
織斑が頭を押さえている。あれ痛いんだよな~。前に叩かれたことあるけど涙出たもんな~。
「げえっ、関羽!?」
パアンッ!
あ、また叩いた。
「誰が三国志の英雄か、馬鹿者」
へぇ~、関羽って三国志の登場人物だったんだ。
「あ、織斑先生。もう会議は終わられたんですか?」
「ああ、山田君。クラスへの挨拶を押し付けてすまなかったな」
うわぁ~。あれが弟を殴った姉と同じ人とは思えないやさしい声だなぁ。
「い、いえっ。副担任ですから、これくらいはしないと……」
さっきまで涙目だった山田先生が若干熱っぽい声と視線を向けて答えている。あ、はにかんだ。
「諸君、私が担任の織斑千冬だ。君たち新人を一年で使い物になるIS操縦者に育てるのが仕事だ。私の言うことはよく聴き、よく理解しろ。出来ない者には出来るまで指導してやる。私の仕事は若干十五歳を十六歳までに鍛えぬくことだ。逆らっても構わんが、私の言うことは絶対に聞け。いいな」
うわぁ~。教師というより軍人のような暴力宣言。
あんなこと言われたらほかの女子たちは困惑したり不快に思ったり…。
「キャーーーーー!千冬様、本物の千冬様よ!」
「ずっとファンでした!」
「私、お嬢様に憧れてこの学園に来たんです!北九州から!」
してませんでした~!!
「あの千冬様にご指導いただけるなんて嬉しくです!」
「私、お姉さまのためなら死ねます!」
女子達の声援に、千冬さんはかなり鬱陶しそうな顔で見ている。
「……はぁっ。毎年毎年、よくもこれだけ馬鹿者共がたくさん集まるものだ。感心させられる。それとも何か? 私のクラスにだけ馬鹿者だけを集中させるように仕組んでいるのか?」
あれ本気で言ってるんだろうな~。と言うか織斑先生ってすごい人気者なんだなぁ。でも、どんな人気もあれだけのことを言われれば少しはさめるかな…。
「きゃあああああっ! お姉様! もっと叱って!罵って!」
「でも時には優しくして!」
「そしてつけあがらないように躾をして~!」
前言撤回。むしろ燃え上っていらっしゃる。
「で?挨拶も満足に出来んのか、お前は」
「いや、千冬姉、俺は――」
パアンッ!
あ、三発目。そう言えば頭を叩くと脳細胞が五千個死ぬって何かの本で読んだな。織斑先生の一発ってめちゃくちゃ痛いからその倍は死んでそうだな。
「織斑先生と呼べ」
「……はい、織斑先生」
さすがに三発は痛かったのか織斑が若干涙目だ。
「え……? ひょっとして織斑くんって、あの千冬様の弟……?」
「それじゃあ、世界で男で『IS』を使えるっていうのも、それが関係してるのかな?
あ、でももう一人いるらしいし…」
「ああっ、いいなぁっ。代わってほしいなぁっ」
教室中で興奮したように色々な会話が飛び交っている。
「ほら、静かにしろ。自己紹介がまだ最後までいっていないだろうが、最優先の連絡事項がある」
織斑先生の言葉に教室が静かになる。
「今日からこのクラスは30人でISのことを学んでいってもらうはずだったのだが、ここでいきなりだが31人目を紹介する」
織斑先生の言葉に静かだった教室がまた少しざわつき始める。そりゃそうだ。入学式当日にいきなり転校生がやってきたようなものだろう。
「おい、入ってこい」
「はい」
織斑先生に呼ばれ、俺は大きく深呼吸をする。
(ここからが記憶も過去もない俺の新しい生活の始まりだ)
そう思いながら俺は新しい世界へと一歩踏み出した。
読んでいただきありがとうございました。次回は主人公の千冬さん以外との絡みも書きたいですね。