【マダオの地平線・無限ループする青いレジャーシート】
第一章:朝焼けのかぶき町と、最悪の路上商人
夜が白み始め、かぶき町の空が薄っすらと群青色から白濁した朝のトーンへと切り替わりつつあるころ。
「ふぅ……やっと変態どもとオタク談義をやり切ったかと思えば、すっかり朝じゃねぇか。足腰が完全にバキバキだわ」
坂田銀時が首をボキボキと鳴らしながら、だらだらとアスファルトの道を歩いていた。その隣では、徹夜で映画談義に付き合ったにもかかわらず、どこか元気そうな精霊・十香が「いやぁ、朝の冷気と早朝の散歩も悪くないものだな!」と爽やかに腕を組んでいる。
二人が静かな路地裏を曲がり、万事屋への帰路につこうとしたその時だった。
視界の隅に、見慣れた――いや、絶対に直視してはならない「社会の底辺の気配」が飛び込んできた。
青いレジャーシートの上に、謎の海外版映画の怪しげなDVDパッケージが幾何学的模様のように雑多に並べられている。そしてその中央には、ボロボロのトレンチコートをまとい、無精髭を生やした絶望の体現者――長谷川泰三(マダオ)が、うなだれた姿勢で座り込んでいた。
「……おっ、そこのお兄さんとお姉さん。どうだい、今話題の『アベンジャーズ』の裏バージョンみたいなやつとか、『マトリックス』のパチモンみたいなやつとか……一枚五百円で見逃してやるよ……。妻にも愛想を尽かされ、職を失い、今やこのアスファルトの冷たさだけが私の友である男の、魂のセカンドハンドDVDを……」
「よし、十香。目を合わせるな。あいつは視界に入れた瞬間にこちらのライフ(社会的信用と運気)が削られる、かぶき町の歩くブラックホール・通称マダオだ。全速力でシカトして通り過ぎるぞ」
銀時は十香の肩をガシッと掴むと、一切の視線を合わさず、まるでそこに野良犬の糞でも落ちているかのような完璧な「無関心ステップ」で、マダオの横をスルーして通り過ぎた。
「お、おい、無視するなよ! せめて『頑張れよおっさん』くらい言ってくれてもいいだろ! なあ!」
マダオの悲痛な叫びを背に聞きながら、銀時と十香はそのまままっすぐ路地を抜けていった。
第二章:不可解な空間歪曲と、最初の帰還
「ふん、あの薄汚れた男は何だ? 精霊の私から見ても、あそこまで綺麗に運気が枯れ果てた人間は珍しいぞ」
十香が後ろを振り返りながら首をかしげると、銀時はやれやれと首を振った。
「関わったら負けの最終形態だよ、あいつは。さて、この角を曲がれば、すぐウチの近くだ。早く帰って冷えた牛乳でも飲んで寝るぞ」
銀時がそう言って自信満々に角を曲がった――その瞬間だった。
視界が開けた先に見えたのは、朝焼けの光景ではなく、なぜか見覚えのある「青いレジャーシートと、雑多に並べられた怪しい映画のDVD」であった。
そしてその中心には、先ほどと全く同じ姿勢でうなだれている、長谷川泰三(マダオ)の姿が鎮座していた。
「……おっ、そこのお兄さんとお姉さん。どうだい、今話題の『アベンジャーズ』の裏バージョンみたいなやつとか……」
「――って、なんでまたここにいんだよテメェール!!!」
銀時が思わず二度見し、全身の毛穴を逆立てて絶叫した。
マダオはビクッと肩を跳ね上げ、涙目で顔を上げた。
「な、なんだよ銀ちゃん! 僕だってお好きでこの場所で青空DVDショップを開いてるわけじゃないんだよ! 朝から客が一人も来なくて絶望してたところに、君たちが通りすがりに盛大に舌打ちして去っていったから驚いただろ!」
「いや、違うだろ! 俺たちはさっきここを通り過ぎて、別の角を曲がってまっすぐ歩いてきたはずなんだよ! なんでまた一歩も進んでねぇどころか、お前の目の前にワープしてんだよ!」
十香も大剣を抜くべきか迷いながら、周囲の空間をじっと観察した。
「む……空間に微量の魔力や空間震の気配はない。だが、この道の構造そのものが、まるでメビウスの輪のようにねじ曲げられている……? 銀時、これはあの男が発する『絶望の重力場』によって、周囲の物理法則が歪められているのではないか!?」
「マダオの重力場とか最悪の物理法則だなオイ!!」
第三章:無限ループの悪夢と、加速する精神崩壊
「ふん、気のせいだ気のせい。ただの目の錯覚か、俺がさっきから通った道を勘違いしてただけだ。行くぞ十香!」
銀時は嫌な汗を拭いながら、再びマダオを完全無視して別の方向へ歩き出した。
今度こそはと、右に曲がり、左に曲がり、階段を駆け上がり、完全に別のルートを選んで進んだ――はずだった。
カサコソ……チャリ〜ン。
「……おっ、そこのお兄さんとお姉さん。どうだい、今話題の……」
「……」
「…………」
銀時と十香の目の前には、相変わらず青いレジャーシートの上であぐらをかき、乾いた笑みを浮かべる長谷川泰三がいた。
「いや、もう三回目だぞこれ!!」
銀時が頭を抱え、アスファルトの上に崩れ落ちた。
十香も顔を真っ青にしながら、その場で足踏みを繰り返した。
「おかしい……何度走っても、どの方向へ曲がっても、最終的に必ずあの『青いシートとボロトレンチコートの男』の座標に吸い寄せられてしまう! この男の存在自体が、かぶき町の空間座標を固定する『絶対不可避のアンカー』になっているのだわ!」
マダオはオロオロと両手を振りながら弁解した。
「い、いや僕だって好きで君たちをループさせてるわけじゃないんだよ! 正直、君たちが毎回のようにおんなじリアクションで目の前に現れるから、こっちとしても『また来たよこの二人……』って気まずいんだよ!」
「気まずい思いさせて悪かったなコラ!! なんとかしろその無駄にエコな無限ループシステムをよ!!」
そこから先は、まさに地獄の回遊コースであった。
第4ループ:「おっ、そこのお兄さんとお姉さん……」→「黙れ!」(銀時が跳び蹴りをかますも、なぜかシートの裏側から再び出現)
第5ループ:「おっ、そこのお兄さん……」→十香が「とおぉっ!」と電撃の気弾を放つが、マダオのまわりだけ綺麗にバリアされたようにDVDが微動だにしない。
第6ループ:「おっ、そこのお」→銀時とマダオが同時に「いい加減にしろーーっ!!」と泣きながら抱き合う(精神崩壊)。
上空の空中艦〈フラクシナスの司令官席〉では、この異常事態をモニターしていた五河琴里が、チュッパチャプスの棒を噛み砕きながら頭を抱えていた。
「なんなのあれ……! ラトタスクのレーダーにも映らないわよ! あのボロいトレンチコートの男の周りだけに、量子力学を完全に無視した『無職の特異点(シンギュラリティ)』が発生してるわ!」
副司令の神無月恭平は、うっとりと頬を染めて呟いた。
「ああっ……素晴らしい……! どれだけ逃げようとしても、社会の底辺という名の巨大な引力から絶対に逃れられないという、究極の絶望ループ……私の精神が永遠のモラトリアムに包まれて溶けてしまいそうです……っ!」
「お前の存在を今すぐ地球の軌道外に放り出すわよ!」と琴里が一喝した。
第四章:ループからの脱出と、残されたトラウマ
地上では、すでに十数回目のループを迎え、銀時と十香が地面に大の字になってゼーゼーと荒い息を吐いていた。
「はぁ……はぁ……もうダメだ……俺はここでマダオと一緒に人生のセカンドハンドDVDを売りさばく余生を送るんだ……」
「銀時、弱音を吐くな! 精霊としての誇りを捨ててトレンチコートを着るのだけは阻止するぞ……!」
その様子を見かねた長谷川泰三(マダオ)は、そっと持っていたDVDのパッケージを片付け、申し訳なさそうに頭をかいた。
「いやぁ……君たち、そんなに僕のDVDが気になったのかい? そんなに欲しけりゃ、特別に一枚五百円のところ、三枚で千円にま負け……」
「誰が買うかァァァァッ!! お前のその無限ループの呪いを今すぐ解除しろボケェ!!」
銀時が最後の力を振り絞ってマダオの胸倉を掴み、渾身の力で遠くのゴミ捨て場へ放り投げた――その瞬間。
ピピッ――ガガガ、シュィィィーーーン……!!
周囲の空間を歪めていた不可視の重力場が、パチンとゴムパッチンが外れるような音を立てて消え去った。
視界の先には、見慣れたかぶき町の裏路地と、いつもの静かな朝の景色が広がっている。
「……あ」
銀時が呆然と呟いた。
「……空間の歪みが……消えた……?」
十香は地面にへたり込みながら、周囲を確認して大きく息をついた。
「うむ……どうやら、あの男を物理的に視界から排除したことで、空間の呪縛が解けたらしい……。なんと恐ろしい男だ……」
遥か彼方のゴミ捨て場から、「いてて……ひどいじゃないか銀ちゃん、僕はただ商売を……」というマダオの悲しい声が微かに響いてきたが、銀時も十香も、もう二度と振り返ろうとはしなかった。
「……もう二度と、あのルートは歩かない」
「激しく同意するぞ、銀時……」
ボロボロになりながらも、なんとか無限ループの悪夢から生還した二人は、二度と後ろを振り返らず、早足でかぶき町の朝靄の中へと消えていくのだった――。
(第二十話・終わり)