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あの夜のことはよく覚えている。
白ひげ、エドワード・ニューゲートは本当に強かった。「世界最強の男」という看板に偽りはない。拳を振るうたびに空気が割れ、海が悲鳴を上げた。大罪司教が二人、一撃で肉の塊になった。覇気の質も、積み重ねてきた年月の重さも、あの男は別格だった。だが、あの男は「家族」を背負っていた。そこが敗因だ。
俺は戦場の真ん中で、最も後ろにいた末端の船員から殺させた。ゆっくり、悲鳴が白ひげの耳に届くように。一人殺すたびに、白ひげの拳は少しずつ鈍った。「息子」と呼ぶ者が目の前で首を落とされるたびに、あの男の覇気は怒りで荒れ、荒れた覇気は隙になった。強い人間ほど、弱みを持つと分かりやすい。
「……貴様、何者だ。何が目的でこんなことをする」
血まみれの甲板で、白ひげは膝をついたまま俺を睨んだ。胸には大罪司教ロイ・アルファルドの槍が、背中にはレグルスの拳が埋まっていた。それでも倒れない。化け物だ。
「目的ですか。お金と、ついでに世界ですね」
俺は微笑んで答えた。丁寧な口調で、教会の説教のように優しく。
「貴方の首には数十億ベリーがかかっています。貴方の船員にも、数億の者がたくさんいる。これほど効率の良い商売はそうありません」
「……グララララ……そうか。ガキの理屈だな」
それが白ひげの最期の言葉になった。笑って、笑って、首を落とされるまで笑っていた。
あれは、少し怖かった。
そして、残った船員たちの扱いが本当の始まりだった。
生き残りは約二百人。白ひげ海賊団の主力である隊長格は、全員が億超えだ。マルコは不死鳥の能力を持っていたが、俺が「再生しない」と改竄すれば、ただの重傷者でしかなかった。
「パンドラ様、この者の処遇は……」
「そうですね。まず、腕を全部折りましょう。海軍に引き渡す前に、立っていられないようにしておいてください。逃げられたら報酬が減ってしまいますから」
命令を出した直後、司教たちの士気が目に見えて上がった。ペテルギウス・ロマネコンティは、あの狂ったような瞳で一人ずつ丁寧に骨を砕いていった。大罪司教シリウスは泣きながら「罪を認めなさい」と船員たちに迫った。どんな罪かは言わない。何も言わずに、ただ謝るまで責め続けた。
これはあくまで金のためだ。死体は報酬が三割減になる。だから本当は生かしておいた方が得だ。しかし、その事情を知らない司教の中には、勝手に死体に変えてしまった者も多かった。結果として億超えの者は、ほとんどが死体での引き渡しになった。
……少し反省している。
何人かは、わざと「死ななかったこと」にしてやった。権能で死の直前まで戻す。その繰り返しを数回だけ。生き残った船員の前で見せしめにするためだ。誰が支配者か思い知らせるために。
おかげで、海軍に引き渡された生存者たちは、確認作業のあいだずっとまともに喋れなかったらしい。
ちなみに、原作の主人公の兄にあたる男、ポートガス・D・エースはあの戦場にいた。
ロジャーの息子だ。ロジャーを捕らえた魔女教が、その息子を捕らえる。皮肉が効いている。こいつは殺さなかった。懸賞金五億五千万ベリー。海軍に引き渡す際、「分かっているな」と添えて渡した。高値で売れたし、何より政府に恩を売れた。
あいつがいつかルフィと再会する日が来るのかもしれない。その時が来たらどうなるだろうか。さあ、分からん。
――白ひげ海賊団の壊滅から、一ヵ月。
新世界は荒れていた。
白ひげの縄張りは七十を超える島々にまたがっていた。守護の代わりに上納金を受け取るという、いわば白ひげの「保護」で成り立っていた島々だ。そこに突然、支配者がいなくなった。
海賊たちは残された縄張りを奪い合い始めた。小さな戦争が新世界のあちこちで起きた。
俺はそれをただ眺めていた。
「パンドラ様、動かないのですか」
大罪司教の一人、ライ・バテンカイトスが尋ねた。暴食を担当する男だ。何でも食べたがる性格で、権能を持たないにも関わらず、いつも飢えている。
「ええ、動きません。まだ、です」
奪い合いが激しくなるほど島は疲弊する。疲弊した島は救いを求める。そのとき手を差し伸べるのが魔女教だ。何もしなければ誰にも感謝されないが、地獄を見せたあとの救済は信仰になる。
これは宗教の基本だ。
「まず、一番ひどく荒らされた島から行きます。物資と医師団と、魔女教ハンターを送ってください。無料で」
「無料で、ですか?」
「ええ、無料で。三ヵ月後に請求書を出します」
そう言って笑うと、ライは目を輝かせて頷いた。この男は俺のそういうところが好きらしい。
三ヵ月後、島々から魔女教に届く上納金は、白ひげのそれの二倍になっていた。
白ひげは「保護料」としてそれを受け取っていた。魔女教は「寄付」と呼ぶ。名前を変えただけだが、島の人間は喜んで払う。呼び方ひとつで、人は誇りを持って金を差し出す。便利なものだ。
もちろん、すべてがうまくいったわけではない。
ある島の領主が魔女教の「保護」を拒んだ。白ひげには払っていたのに、新しい支配者には頭を下げられないという、くだらない矜持だ。
その島にレグルスを送った。
翌朝、領主の館は更地になっていた。館にいた家族も、使用人も、護衛も、皆跡形もなくなった。レグルスは謙虚な男なので、報告書の最後に「申し訳ありません、やりすぎました」と書き添えていたが、効果は絶大だった。
その日の夜には、近隣の島の領主たちが手土産を抱えて挨拶に来た。
見せしめは一度でいい。二度目は必要ない。
そして俺は、もう一つ権能を使った。
歴史の改竄だ。
白ひげの縄張りだった島々の古い資料、新聞、記録、人々の記憶に細工を施した。「白ひげは島の守護を名目に、年に数人の娘を連れ去っていた」「白ひげの傘下になった島では、反抗した者が見せしめに殺されていた」。事実ではない。だが、もう事実になった。
それまで白ひげを慕っていた島民たちは、突然昔の恐怖を思い出した。涙を流して魔女教に感謝した。「あの暴君を倒してくださって、ありがとうございます」と。
悪人を倒した英雄。それが虚飾の魔女の新しい肩書きになった。
笑ってしまう。事実はその逆だ。
だが、世の中は事実では動かない。信じられた物語で動く。
金も、それで動く。
魔女教の収入は半年で五倍になった。上納金、懸賞金、武器商会との取引、傭兵派遣料。さらに悪魔の実の取引が加わった。白ひげ海賊団が溜めていた財宝と、保有していた悪魔の実を、「戦利品」という名目で全部いただいた。
その中には、いくつかの有名な実もあった。
グラグラの実だけは、さすがにない。あれは白ひげの死体と共にどこかへ消えたらしい。さて、今ごろはどこの誰の腹に収まっているのやら。
世界政府は魔女教への監視を強化した。しかし俺たちは表向きにはただの善良な賞金稼ぎ組織だ。慈善活動をしている。海賊を狩っている。悪い噂はあっても証拠はない。
五老星は俺に呼び出されたことすら覚えていない。
それでも、あの老人たちの中には「何かがおかしい」という直感だけが残っているらしい。ときどき、何もない虚空を睨むのだという。
……そのうち始末するときが来るだろう。今ではないが。
魔女教幹部会、通称「大罪の間」。
大罪司教たちが円卓を囲んでいた。俺は上座で紅茶を飲んでいる。
「報告をお願いします」
「はい。新世界の南部、三十二の島を完全に掌握しました。うち十九は戦闘なしで合意に達しています」
「海軍の動きは?」
「静観しています。政府からは『魔女教ハンターの活動を黙認する』という旨の非公式な通達が届きました」
首輪ではなく手綱だ。そのつもりで見ている。
実際、海軍は魔女教を利用している。自分たちが動けない海域の海賊を魔女教が片付ける。見返りに情報と、ほんの少しの黙認。
世界政府と魔女教は互いに利用し合っている。ただし、利用されているのはどちらか。
それを理解している者は、まだ少ない。
「ところでパンドラ様。ビッグ・マム、カイドウ、そして赤髪のシャンクス。残りの三人の四皇については、いかがなさいますか」
ペテルギウスが恍惚とした表情で尋ねた。この男は俺が「殺せ」と一言いえば、世界の果てまで追いかけて全員の首を持ってくる。そういう男だ。
俺は紅茶のカップを置いた。
「今はまだです。急ぐ必要はありません」
「しかし、白ひげが落ちた以上、新時代の覇者は決まったも同然では」
「いいえ」
窓の外を見る。
夜の海が静かに広がっていた。
「世界は広いですよ。私が知らない強者も、予想もしない怪物も、きっとまだたくさんいます。あなたたちに全員の首を落とさせるのは、それを見極めてからで良いでしょう」
実際のところ、ルフィのことが気になっている。
原作の主人公。ゴムゴムの実、いや、ヒトヒトの実 幻獣種 モデル「ニカ」の保有者。世界政府の敵だと五老星は答えていた。もしその実が目覚めたら、世界はひっくり返る。そのとき俺はどちら側に立っているのが得か。
それを確かめるまでは、四皇の残りには手を出さない。決して臆病なわけではない。ただの損得勘定だ。
翌朝の新聞の一面にはこう書かれていた。
『白ひげ海賊団、壊滅 魔女教の仕業か』
『新世界に新たな勢力 虚飾の魔女、四皇の空席に座る』
見出しの横には、俺の写真が小さく載っていた。
……盗撮だ。許可はしていない。だが、写りは悪くない。
新聞を畳んで、紅茶をもう一口飲んだ。
世界の覇権は剣や銃で決まるのではない。金と、恐怖と、信じられる物語で決まる。そして俺は、その三つを自在に書き換えられる。
悪が勝つ。
それだけの話だ。
たぶん今後は平均4000文字くらいになると思います
改善:改行が多かったのでギュッとした。