ザバン市――。
市長を徹底的にお仕置きし、ゾルディック家への暗殺依頼すら取り下げさせたジョネス。彼は市長から半ば強引に提供された高級ホテルの最上階、その特別室でくつろいでいた。
特等のソファに深く腰掛け、片手には高級コニャックのグラス。琥珀色の液体を揺らしながら、ジョネスは己の掌をじっと見つめていた。
「……やはり、この肉体(からだ)こそが至高だ」
グラスを傾け、喉を鳴らす。
「発(ハツ)だの、念能力だの……そんな小細工は一切不要ッッ! 重要なのはッッ! 鍛え抜かれた肉体そのものよォッッ!!!」
ジョネスは満足げに笑った。
この世界には念という特殊な能力体系が存在する。しかし、今の彼にとって、それはあくまで補助的な技術に過ぎなかった。
筋肉こそ力。
肉体こそ武器。
そして、圧倒的な身体能力こそが絶対的な強さの証明。
そう信じて疑わない。
ゾルディック家のシルバとゼノを相手にしても、彼の肉体は傷一つ負わなかった。それどころか、まだまだ余力を残していた。
「ククク……この世界には、まだ俺を満足させる相手がいるはずだ」
そのときだった。
カチャリ。
部屋の扉が、音もなく開いた。
「ほっほっほ。なるほど、こりゃあ凄まじいのう。ザバンに怪物が居座っとると聞いて来てみれば……」
聞こえてきたのは、年老いた男の声。
Tシャツに下駄という、どこにでもいそうな老人が、当たり前のように部屋へ入ってきた。
しかし、ジョネスはその姿を見た瞬間、ニィ……と口角を吊り上げた。
(来たか……!)
(ハンター協会会長、アイザック=ネテロ……!)
原作知識を持つジョネスにとって、目の前の老人がどれほどの化物なのかは百も承知だった。
感謝の正拳突き。そして、不可避の百式観音。
キメラアントの王・メルエムとさえ互角以上に渡り合った、人類最高峰の武人。
もっとも、それはあくまで人類の枠内での話だ。
今のジョネスに恐れなど微塵もない。なぜなら、自分はあの『地上最強の生物』のスペックを完全に引き継いでいるのだから。
(ネテロ……。確かに恐るべき武人だ。だが、それは全盛期の話。今のお前では、俺の肉体の強度の前に小傷一つ付けられんぞ?)
ジョネスはゆっくりと立ち上がった。そして、ネテロを真っ向から見下ろす。
「わざわざ出向いてくるとはな。ハンター協会のトップが」
「ほっほ。お主が噂の壊滅屋ジョネスか」
「ゾルディックのジジイどもじゃ相手不足だったから、お前が直々に俺を『解体(バラ)』しに来たか?」
「ふむ。口も達者なようじゃのう」
ネテロは楽しそうに笑った。
しかし、その細い目の奥では、ジョネスの全身を注意深く観察していた。
(……妙じゃ。いや、妙などという生易しいものではない……ッッ)
ネテロの脳裏を過ぎる、言語化を拒むほどの違和感。
(服の上からでも判る、あの異常なまでの筋肉の密度……ッッ! 呼吸一つ、立ち姿一つ、細胞の全てが『戦闘』のためだけに最適化されておる……!)
「しかし、妙じゃな」
「あ?」
「これほどの力を持つ人間が、なぜザバンごときで燻っておる?」
ネテロは下駄を鳴らしながら、ゆっくりと部屋の中を歩く。
「ゾルディックのシルバとゼノ。あの二人をまとめて退けた男の器にしては、やっていることがいささか小粒じゃて」
「……小粒、だと?」
ジョネスの眉がピクリと動いた。
背中の筋肉――鬼の貌(かお)が、ネテロの言葉に反応するように蠢く。
周囲の空気が一瞬で張り詰め、窓ガラスがピキピキと音を立てた。
「俺はただ、この肉体を試しているだけだ」
「ほう?」
「この世界に、俺の肉体を壊せる奴がいるかどうかをな」
ジョネスはネテロに一歩近づく。
「……ジジイ。お前の『百式観音』、俺の肉体に通用するか試してみるか?」
その瞬間。
ネテロの表情から、完全に笑みが消えた。
「…………」
(――な……ッッ!?)
老雄の背筋に、氷水を浴びせられたかのような悪寒が走る。
心臓が跳ね、額から一筋の冷や汗がツゥと流れ落ちた。
(お主……なぜワシの能力を知っておる……!?)
ネテロの脳裏に、これまでにない巨大な警戒心と、未知への恐怖に似た驚愕が跳ね上がる。
発の兆候すら見せない、オーラすら纏わぬ剥き出しのこの男が、なぜ自分の秘奥義を知っているのか。
単なる噂で知ったというには、あまりにも具体的すぎる。
「お主、何者じゃ?」
「さあな。そんなことはどうでもいい」
「ほっほっほ。まったく、随分と自信満々じゃのう」
ネテロは再び笑った。
いや、笑うしかなかった。
「ならば、少しばかり確かめさせてもらおうかの」
刹那。
ネテロの身体が動いた。
合掌。
両手を合わせる、ただそれだけの動作。しかし、その速度は常人の動体視力では認識することすらできない。
武に殉じた者が、数十年の歳月をかけて到達した神の領域。
祈りを捧げるようなその所作の直後、凄まじい衝撃がジョネスへと襲いかかった。
――感謝の正拳突き。
ネテロ自身の拳が、神速でジョネスの胸部へと放たれた。
「ッ!」
ジョネスの瞳がわずかに見開かれる。
(速い……ッッ!)
(確かに原作通りの神速! だが、見えるぞ……ッッ!!)
ジョネスは避けなかった。
あえて両腕を広げ、胸を張る。正面から受け止めるつもりだった。
ズガァァァンッッ!!!
轟音。
部屋の壁が吹き飛び、窓ガラスが粉々に砕け散る。
衝撃波はホテルの外壁にまで達し、ザバン市街にまで轟音を響かせた。
「なっ……!?」
周囲にいた警備員たちが、何事かと一斉に振り返る。
もうもうと立ち込める煙。
その中心から、ゆっくりと人影が現れた。
「…………」
ジョネスだった。
上半身の服こそ破けていたものの、その分厚い大胸筋には傷一つ付いていない。
彼は自分の胸を軽く叩き、感触を確かめる。
「……なるほど。いい突きだ」
そして、ネテロへ視線を向けた。
「だが、俺を壊すには、あと一万回は殴ってもらわんとなァッッ!!」
その狂気的な笑顔を見て、ネテロの細い目が限界まで見開かれた。
(け、堅の防御すらなしに……!? まともに喰らって無傷……だとッッ!?)
ネテロの指先が、微かに震えていた。
これほどの規格外。
キメラアントと対峙するより前に、人類の皮を被った怪物を前に、その老躯は戦慄していた。
「ほっほっほ……」
老人の口元に、乾いた笑みが浮かんだ。
「こりゃあ、とんでもないイカレポンチじゃ。ワシの攻撃を、ただの肉体(ハダカ)で受け止めるとはのう」
「どうした? もう終わりか?」
「まさか」
ネテロは楽しそうに笑った。
否、そうでもしなければ、圧倒的な強者のプレッシャーに圧し潰されそうだったのだ。
「実に面白い。久しぶりに血が騒いできたわい」
◇
ネテロは一歩後ろへ下がった。そして、懐から一枚の紙を取り出す。
「ところで、お主。ハンターに興味はないかね?」
「……あ?」
「お主ほどの実力があれば、ハンターとして活動するのも悪くなかろう。世界には、まだまだ面白い場所があるぞい」
ネテロは紙を差し出した。
ハンター試験への特別招待状だった。
しかし、ジョネスは一瞥すらしない。
「おいおい、ジジイ。話の途中でパンフレットを配るな」
「ほっほっほ。つれないのう」
「俺が求めているのはそんな紙切れじゃない」
ジョネスはネテロを指差した。
「お前の百式観音……今の突きがそうか? 思ったほどの覇気が感じられんぞ」
「…………」
「耄碌(もうろく)したか?」
その言葉に、ネテロの細い目が今度こそ真の驚愕に見開かれた。
そして次の瞬間。
その表情は、至高の歓喜へと変わっていた。
(この男……全盛期のワシを品定めしておる……ッ!)
「ほっほ……。手厳しいのう」
ネテロは招待状を懐にしまった。
「ならば、少しばかり昔を思い出させてもらうかね」
その瞬間。
ネテロの纏う空気が激変した。
先ほどまでの飄々とした老人の雰囲気は消え失せ、全身から研ぎ澄まされたオーラが立ち上る。
足元の床が軋み、周囲の空気が震え始めた。
ジョネスの表情に、初めて明確な歓喜が浮かぶ。
(これだ……!)
(原作のキメラアント編で魅せた、精神の究極……!)
ネテロは両手を合わせた。
祈り。
感謝。
そして、武の極致。
「百式観音――」
背後に巨大な観音像が姿を現した。
無数の腕を持つ、神々しくも恐ろしい巨大な念能力。その掌が、ゆっくりと動く。
「壱乃掌」
ドゴォォォンッッ!!!
次の瞬間、観音の掌がジョネスを襲った。
しかし、ジョネスは後方へ飛ばされながらも、空中で身体を捻り、見事に体勢を立て直す。
「ほう……!」
「まだまだじゃぞい」
ネテロの合掌。
観音の腕が再び動く。
「弐乃掌」
今度は左右からの挟撃。逃げ場を塞ぐように、二つの巨大な掌がジョネスを襲った。
ドガァァァンッ!!
ジョネスは両腕を交差させて受け止める。
足元の地面が陥没し、身体が大きく後退した。
「ククク……!」
ジョネスは楽しそうに笑った。
「いいぞ! これだ! こういうものを待っていた!」
「ほっほ。まだまだ序の口じゃ」
ネテロの額に、じわりと油汗が滲む。
(観音の打撃を腕一本で受け流すなど、あってはならん……! 奴の肉体は一体何でできとるんじゃ……!?)
ネテロの合掌が続く。
「参乃掌!」
今度は上空からの一撃。
ジョネスは身体を捻って回避するが、観音の掌がその動きを追う。
「四乃掌!」
右。
「五乃掌!」
左。
「六乃掌!」
正面。
――それは、武の歴史において「あり得ない」はずの光景だった。
次々と繰り出される打撃。
その速度は、常識の範疇を完全に超えていた。
ジョネスは避け、受け止め、時には拳を振るって観音の掌を弾き返す。しかし、攻撃の間隔は次第に短くなっていく。
「ほっほっほ! どうじゃ!?」
「素晴らしいッッ!!」
ジョネスは笑いながら叫んだ。
「その速度、その精度! さすがは人類最高峰の武人だ!」
ドガガガガガガッッ!!!
観音の無数の掌が、ジョネスを取り囲む。
もはや肉眼で追うことすら困難な連続攻撃。しかし、ジョネスの身体は決して崩れなかった。
(見える……!)
(確かに速い! だが、俺の眼には捉えられるッッ!!)
ジョネスは攻撃の軌道を見切り、最小限の動作で回避する。
それでも避けきれない一撃は、分厚い筋肉で受け止めた。
ドゴォンッ!
バキィッ!
ズガァァンッ!
(バ、バカな……ッッ! 完全にワシの攻撃の間を読み切っておる……ッッ!!)
攻撃を繰り出しながら、ネテロの心臓は早鐘を打っていた。
息が上がる。
冷や汗が全身を濡らす。
かつてない戦慄が、老いた武人の魂を刻一刻と蝕んでいく――。
凄まじい衝撃が周囲を揺らす。
ホテルの最上階は、もはや原形を留めていなかった。
壁は崩れ、床には大きな亀裂が走り、剥き出しの鉄骨があちこちに飛び出している。
それでも、ジョネスは笑っていた。
「もっとだ! もっと来いッッ!! もっと魅せてみろォッッ!!!」
ネテロの口元にも笑みが浮かぶ。
「ほっほっほ。ここまで言われては、引き下がれんのう!」
「そうこなくてはなァッ!」
◇
その後も、戦いは続いた。
ネテロは百式観音の攻撃速度をさらに引き上げていく。ジョネスはそれに応じるように、徐々に攻撃の精度を高めていった。
そして――。
「九十九乃掌!」
百式観音の無数の掌が、一斉に動いた。
上下左右、あらゆる方向から襲いかかる無数の打撃。
その攻撃は、単純な速度だけでは説明できない。ネテロの祈りと動作が一体となった、究極の武技。
ジョネスの巨躯が、完全に打撃の嵐へと飲み込まれた。
ドガガガガガガガガガガガガアアンッッッ!!!
轟音。
衝撃波が周囲の建物を揺らし、地面にまで亀裂を走らせる。
超高層ホテルの最上階は、ついにその形を維持できなくなった。
しかしッッ!
その破壊の嵐の中心で、ジョネスは笑っていた。
「素晴らしい……ッッ!!」
瞬間、背筋が哭いた。
背中の筋肉が、ベキベキと音を立てて蠢動を始める。
広背筋、僧帽筋、脊柱起立筋。
複雑に隆起した筋肉が、まるで生き物のように形を変えていく。
泣いているような、嘲笑っているような異形の貌。
『鬼の貌(オーガの背中)』――ッッ!!!
その鬼の貌が、周囲の時空を歪ませるほどの凄まじい威圧感を放ち始めた。
「いいぞ! ネテロ!!」
ジョネスの身体が、一気に前へと踏み込む。
「だが――」
百式観音の掌を、正面からブチ破る。
「やはり、肉体の強度が違いすぎるッッ!!!」
ドゴォォォンッッ!!!
ジョネスの拳が、ついにネテロへと届いた。
ネテロの身体が大きく弾き飛ばされ、崩壊したホテルの残骸を越えて、ザバンの荒野へと叩きつけられる。
土煙が舞い上がった。
「…………」
ジョネスはその場に立ち、拳を下ろした。
そして、ゆっくりと荒野へ視線を向ける。
「どうした、ジジイ。まだ終わりじゃないだろう?」
土煙の向こうから、ネテロが立ち上がった。
口元には血が滲んでいる。衣服もところどころ破れていた。
しかし、その顔には笑みが浮かんでいた。
「ほっほっほ……」
ネテロは楽しそうに笑った。
「まさか、ここまでとはのう」
彼の背後に浮かんでいた百式観音が、静かに消えていく。
「ワシも長いこと生きてきたが、これほどの肉体を持つ人間に出会ったのは初めてじゃ」
「まだやるか?」
ジョネスは拳を握り直す。
「俺は構わんぞ。むしろ、今からが本番だ」
「いやいや、これ以上は無理じゃて」
ネテロは肩をすくめた。
「お主の肉体は、もはや人間の範疇に収まっておらん。ワシの百式観音を受け続けて、なお立っておるとは……」
ネテロは目を細めた。
(……恐ろしい。これほどの怪物が……この世界に隠れておったとはな)
老雄の背中を、どっと不快な汗が濡らす。
言葉とは裏腹に、その五臓六腑は強烈な衝撃で悲鳴を上げていた。
あと一撃まともに喰らえば、自らの老躯は容易く粉砕される。
その冷酷な現実を、武人の本能が瞬時に理解(わか)らせていた。
(認めざるを得まい……。ワシの完全な負けじゃて……ッッ)
しかし、不思議と悔しさはなかった。
むしろ、生涯最高とも言える武のぶつかり合いを経験できたことに、心から満足していた。
「実に楽しかったぞい」
「フン。俺も久しぶりに楽しめた」
ジョネスは不敵に笑った。
その周囲には、いつの間にか大勢の警察官とハンターたちが集まっていた。
崩壊したホテルを取り囲み、銃を構えている。
しかし、誰一人としてジョネスに近づこうとはしなかった。
本能が警鐘を鳴らしているのだ。
あの男に近づけば「死ぬ」と。
ネテロが手を上げる。
「全員、武器を下ろせい」
「会長! しかし!」
「よい。もう戦いは終わった」
ネテロはジョネスを見つめた。
「この男を相手に、今のお主たちが何人集まろうと意味はないじゃろう」
その言葉に、警察官たちは一斉に息を呑んだ。
ジョネスは周囲を見回し、ニヤリと笑った。
そして――。
「おい」
「……何じゃ?」
「俺を連れて行け」
ジョネスは自ら両手を差し出した。
「……刑務所(そこ)へな」
「ほっほ?」
ネテロが不思議そうに首を傾げる。
しかし、ジョネスの内心は歓喜に満ちていた。
(フッ……!)
(ネテロすら超えていると証明された今、この世界じゃ国家権力すら俺を縛れん!)
(ならば、凶悪犯どもがひしめく監獄へ行き、さらなる闘争を求めさせてもらうッッ!!)
彼の脳裏に浮かんでいたのは、ブラックペンタゴン。アリゾナ刑務所。そして、ミスター・アンチェインのような規格外の囚人たちだった。
(ククク……待っていろよ。まだ見ぬ強者どもめ!)
ジョネスは完全に悦に入っていた。
一方、ネテロはそんな彼の思惑など知る由もなく、苦笑していた。
「……まったく、妙な男じゃて」
こうして、壊滅屋ジョネスは自ら警察に身柄を引き渡した。
◇
ネテロとの激闘から数日後。
「フハハハハ!!」
警察の護送車へ乗せられる直前、ジョネスは高らかに笑っていた。
重厚な鉄格子の向こう、彼を囲む警察官たちの額からは、尋常ではない量の汗が吹き出している。
(ようやく理解したか。この肉体の圧倒的な価値をッッ!!)
(そうだ……俺こそが地上最強の生物! この世界において、俺を超える存在などそうそういるものではないッッ!!)
周囲の警察官たちは、そんなジョネスを恐る恐る見つめていた。
彼らの耳には、すでに「それ」が届いていた。
「地上最強の生物……」
誰かが呟いたその言葉に、ジョネスは満足げに口角を吊り上げた。
「ククク……悪くない称号だ」
こうして、壊滅屋ジョネスは、自らが名実ともに地上最強の生物であると確信を深めていくのだった。
――だが、待ってほしい。
我々はこの男の「本質」を、あまりにも見くびってはいないだろうか。
「解体屋」ジョネス。
ザバン市が生んだその怪物の手にかかれば、およそあらゆる「個体」は、文字通り肉のパーツへと還元される。
それは格闘技(わざ)ではない。ましてや念能力(オカルト)などでは断じてない。
ただ純粋な、圧倒的な「握力」と「指のハサミ(ピンチ力)」。
生物学において、人間の指先が発揮できる力には限界があるとされてきた。
しかし、ジョネスのそれは「生物の限界」という壁を、とうの昔に突き破っているッッ!
「……信じられん」
後に、現場を調査した高名な解剖学者は、震える手でタバコに火をつけながらこう語った。
「被害者たちの死因は、一様に『肉体のパーツ化』だ。刃物は一切使われていない。
男はただ、つまんだのだ。
ステーキ肉から脂身を引きちぎるように、人間の、それも鍛え上げられたハンターたちの肉体を、素手で……ッッ!
あれはもはや『指』ではない。
油圧式の解体重機(クラッシャー)だ……ッッ!!」
巷では、ゾルディック家の暗殺術、あるいはハンター協会会長・ネテロの神速の打撃すらも、ジョネスの「肉の壁」の前に霧散したと噂されている。
果たしてそれが、尾ひれに尾ひれがついた「デマ」なのか。
あるいは、我々の知らない「真実」なのか。
確かなことは、ただ一つ。
今、一人の男の勘違い(エゴ)が、世界を揺るがす「神話」へと昇華しようとしている。
護送車の重い扉が閉まる。
その瞬間、車体がギチィ……と、ジョネスの重圧だけで沈み込んだ。
世界よ、刮目せよ。
これより始まるは、トリックタワーという名の「白い密室(檻)」。
そこに君臨する、一人の男の「最強証明」であるッッ!!!
◇
目隠しをされ、特殊な飛行船で運ばれたジョネス。
ようやく拘束を解かれた彼の目の前には、どこまでも広がる青空と、あまりにも巨大な塔がそびえ立っていた。
「…………」
ジョネスは塔を見上げた。
「ほう。なかなか面白い場所じゃないか」
やがて、複数の警備員に囲まれながら、塔の内部へと案内される。
そして、無理やり薄暗い小部屋へと押し込められた。
「おい。ここは何だ?」
返事はない。
しばらくすると、天井のスピーカーから冷酷な声が響いた。
『これより、第287期ハンター試験・第三次試験を開始する』
「…………は?」
『囚人、解体屋(バラシヤ)ジョネス』
その名前を聞いた瞬間、ジョネスの眉がピクリと動く。
『お前の容疑は一般人147人の殺害および遺体の解体、ならびにネテロ会長への殺人未遂だが、会長の意向により、刑期の一部をこのトリックタワーの試練官として務めることで短縮する』
『受験生を五人足止めすれば、刑期を五年短縮する。以上だ』
プツン。
スピーカーの音声が途切れた。
部屋には静寂が戻る。
「…………」
ジョネスはしばらく黙り込んでいた。
そして、ゆっくりと首を傾げる。
「……ん?」
今、スピーカーは何と言った?
囚人。
解体屋(バラシヤ)ジョネス。
(いや、待て……)
(ザバンの奴らは俺のことを『壊滅屋(コワシヤ)』とか呼んでいたが、あれは俺の暴れっぷりを見た奴らが勝手に付けたあだ名じゃなかったのか……?)
(元の異名が……解体屋(バラシヤ)……?)
タラリ……と、本日一番の冷たい汗が、ジョネスの額を伝った。
脳裏をよぎるのは、かつて読んだ『HUNTER×HUNTER』の序盤。
そう。
キルア・ゾルディックという暗殺一家の少年に、一瞬で倒された、あの哀れな男。
試験会場で、受験生たちの前に立ちはだかったものの、キルアにあっさりと敗北した男。
その名は――ジョネス。
「…………」
ジョネスの顔面が、みるみるうちに土気色へと変わっていく。
激しい動揺が、その強靭な肉体を震わせた。
(ま、まさか……)
(いや、そんなはずはない……!)
自分の分厚い大胸筋を見る。
あのゾルディック家のシルバとゼノを圧倒した肉体。
ネテロの百式観音すら受け止めた鬼の背中。
これほどの身体能力を持つ自分が、ただの噛ませ犬だったはずがない。
(待て……待て待て待て……!)
(俺のこの肉体は……範馬勇次郎じゃないのか?)
(弾丸すら弾く大胸筋! ネテロの百式観音に耐えきった鬼の背中! 地上最強の生物のスペックそのものじゃないのか!?)
そして、ジョネスは一つの可能性にたどり着いた。
(…………まさか)
(俺は……範馬勇次郎ではなく……)
(ただのジョネスの肉体に、オーガ並みのスペックを持っただけなのかァァァァッッッ!!!)
天地がひっくり返るような衝撃。
自分は地上最強の生物そのものではなかった。
原作最序盤でキルアに敗北する、あの解体屋ジョネスだったのだ。
ただしッッ!
肉体の性能だけは、本人の認識する範馬勇次郎並みという、とんでもないバグ状態だった。
「…………」
しばらくして、ジョネスはゆっくりと顔を上げた。
「……ククク」
笑いが漏れる。
「いや、待て。考えようによっては悪くない」
そもそも、ここまでの戦いで自分の肉体が敗北したことはない。
シルバとゼノを圧倒した。
ネテロの百式観音にも耐えた。
ならば、元の名前がジョネスだろうと、そんなことは些細な問題だ。
(フン……名前などどうでもいい)
(俺の肉体が最強であることに変わりはないッッ!!)
ジョネスは自分にそう言い聞かせた。
しかし、彼の心の奥底には、どうしても拭えない不安が残っていた。
(……キルア、か)
あの少年は、原作では自分を一瞬で倒した。
もっとも、今の自分なら問題ないはずだ。
そう考えようとした、そのときだった。
ドタドタドタドタッ!
複数の足音が、部屋の向こうから近づいてくる。
「おい、こっちじゃないか?」
「いや、こっちだろ!」
「二人とも、少し静かにしてくれ」
「なんだよ、クラピカ!」
聞き覚えのある声。
ジョネスは扉へと視線を向けた。
(……来たか)
扉の向こうにいるのは、原作通りの五人組。
ゴン、キルア、クラピカ、レオリオ、そしてトンパ。
彼らが、まもなくこの扉を開けようとしていた。
ジョネスはゆっくりと立ち上がる。
そして、口元を吊り上げた。
「ククク……面白い」
(来るなら来い。)
ガチャリ。
扉の向こうで、鍵が開く音がした。
『第287期ハンター試験・第三次試験』
その最初の試練が、今まさに始まろうとしていた。
第一部:完
このあとナメプキルア→絶望
でも、疲れたので取り敢えず終わり