龍園の背中を追って辿り着いたのは、放課後の生徒で賑わう学内のカフェ『パレット』だった。ガラス張りの店内では、男女が楽しげに談笑している。
ガラス越しに店内を覗き込んだ。さっき龍園を一方的に殴っていた石崎、小宮、近藤の3人がヘラヘラ笑いながらパフェをつついている。
「呑気なもんだ。バカ面下げてティータイムか」
「言っとくけど、私は色仕掛けで呼び出したりしないから」
「予定を変更してやる。手間が省けた」
『手間が省けた』って、3人を呼び出す手間のことよね。まさか校舎裏でやり返す気なのか。
ここは校舎裏とは違う。周りには数十人の生徒がいて、カウンターの奥には大人の店員もいる。天井を見上げれば、防犯カメラが黒々と光っている。
私は龍園の制服の袖を引っ張った。
「ここはカフェ。退学にでもなったらどうするわけ? この学校、そういうのに厳しいんじゃないの?」
「ククッ。構わねえさ」
呆れる。昨日の私も「退学にでも何でもしてよ」と口走った。でも、強がってたくせに、いざとなったらビビった。こいつも同類だ。どうせ強がり。
「ちょっとしたテストをするだけだ。お前は店員の動きと、その辺の生徒の動向を見張れ。怪しい奴がいたら後で報告しろ」
「見張れって、あんたは何するつもり?」
聞き返すのも待たず、龍園はドアを蹴り開け一直線に石崎たちのテーブルへ向かった。
私は少し遅れて入店。入り口のすぐ横の壁際で足を止め、腕を組みながら、龍園の狙いを考えることにした。
退学の話をしたのに、返ってきたのは「ちょっとしたテスト」。話が噛み合っていない。でも殴り込みに来た人間の言い方じゃない。私の万引きを見抜いた頭だけは本物かも。損しかない喧嘩をするほどバカじゃない。
龍園は、テーブルの手前でも歩調を緩めなかった。どうせ睨みを利かせるくらいだろう。
しかし、龍園がいきなり走り出した。
……待って。これ、まさか?
そう思った時には龍園の体はもう床を蹴っていた。
パフェをすくった石崎のスプーンが口に届く前に止まり、その顔面に飛び蹴りが突き刺さった。
ガシャーン!!
「きゃーー!!」
「な、なんだ!? 喧嘩か!?」
「すぐに先生を呼べ!」
平和だったカフェは、あっという間に悲鳴と怒号で埋まった。
「ちょっと、テストってこれのこと!? 頭おかしいんじゃないの?」
龍園の頭は別の意味で本物だった。
私の足が半歩前に出かけて止まった。通報されたら巻き込まれるかも。だからといって止めに入るのはだるい。まあ、見張れって言われたし。考えるのをやめた理由はそれだけ。
まず目についたのはカフェの店員だ。これだけ派手に暴れているのに、誰かを呼ぶ素振りも、止めに入る素振りもない。生徒同士のトラブルには不干渉、なんてルールでもあるわけ?
制服のポケットから携帯を取り出した。今年度から導入されたらしい、全生徒の能力評価アプリ『OAA』の顔写真付きの名簿を開いた。中学時代の成績を参考に数値を付けているらしいけど、こんなアプリを導入する意味が分からない。
逃げ出す生徒の波が、入り口の脇に立つ私の肩をかすめていった。その中で、席を立たない女がいた。パニックのさなかにショーでも見るように微笑んでいる銀髪の杖の女。
坂柳有栖。1年Aクラス。
総合評価B-/学力A/身体能力D-/機転思考力B+/社会貢献性C+
杖をついているのは足が悪いからなのか、身体能力はD-。学力Aのくせに、これを娯楽にできるんだ。趣味悪。
悲鳴を上げる女子たちを庇って、率先して外へ誘導しているピンク色の髪の女。
「みんな、落ち着いて! こっちから出られるよ!」
一之瀬帆波。1年Bクラス。
総合評価B/学力A-/身体能力C/機転思考力B/社会貢献性A-
学力と社会貢献性が突き抜けている。万引き常習犯の私とは別の人種だ。性格は良さそう。私とは合わなそうだけど。
視界の外で鈍い音が重なっていくのも、聞かなかったことにする。
窓際の席で、突然の騒ぎに顔をしかめている黒髪ロングの女。一度だけ騒ぎのほうを睨んで、すぐに興味を失ったように視線を逸らす。
堀北鈴音。1年Dクラス。
総合評価B-/学力A-/身体能力B+/機転思考力C/社会貢献性E
文武両道なのに、社会貢献性がE。人付き合いが苦手そうなぼっち女。そこだけは私に似てるかも。
そして、カウンターの端の席。
逃げ惑う生徒の中でその男だけが動かない。無機質な瞳で、目の前の惨劇をただ眺めている。近くで椅子が倒れても瞬きひとつしない。
見つけることができたのは、防犯カメラの死角を突くことに命を懸けてきた私だからだ。この騒ぎの中で誰の視界にも入らない位置と姿勢をキープしている。
絶対にただ者じゃない。坂柳たちより上の数字が出ても驚かない。OAAを開いた。
綾小路清隆。1年Dクラス。
総合評価C-/学力C/身体能力C-/機転思考力D+/社会貢献性D
「……は?」
画面を二度見した。何度見ても、総合評価はC-だ。
「どう見ても、ただの凡人」
小声で漏れた。落ち着き払った横顔とはどうにも噛み合わない。ただの勘違いね。
「どうした。やり返さねぇのか?」
鈍い音の合間に、龍園の笑い声が混じった。そっちへ目を向けると、信じられない光景が広がっていた。
「てめぇ、あんま調子乗ってっと、ぶっ!」
「おい、石崎! 大丈夫か!?」
「場所を考えろ龍園!」
「ククッ。校舎裏の続きだ。先に手を出したのはどっちだったか、思い出させてやるよ」
校舎裏では防戦一方だった龍園が、石崎を一方的に殴りつけている。
石崎の拳を食らっても、殴られるたびに笑って、倍の強さで返す。小宮と近藤は龍園の腕にしがみついて止めようとしているが、そのたびに片手で払いのけられ、拳が向く先は石崎だけだ。
気づけば、龍園のOAAを開いていた。
龍園翔。1年Cクラス。
総合評価C/学力D/身体能力B/機転思考力B/社会貢献性E-
身体能力Bと機転思考力B。喧嘩が強いのと、万引きを見抜けた理由はこれね。社会貢献性は堀北より下のE-。それだけは妙に納得。
最初から本気を出せばよかったのに。なんで校舎裏ではあんなに殴られていたの。不意打ちなしでも勝てたでしょ。
「おい、何の騒ぎだ!」
息を切らした教師が駆けつけてきた。厳格そうな険しい顔。入学式で1年Aクラスの担任として紹介されていた、真嶋先生だ。
「こいつらが先に俺をリンチしたから、やり返してるだけだ」
「そんな言い訳が通用すると思うな。誰か、目撃者はいるか?」
真嶋先生が周囲を見渡した。その瞬間、龍園は血のついた指先で入り口の脇に立つ私をビシッと指差した。
「そこにいる」
間の抜けた声が出そうになった。全員の視線が、私に集まる。
いやいや。確かに見てたけども。あいつは最初から私を証人にするつもりで連れてきたわけ?
「お前はCクラスの……神室か。今の言葉は本当か?」
なんで私が証言なんか。嘘をつく意味はないし、龍園を敵に回すのも面倒くさい。事実だけ言えばいい。
「はい。放課後、龍園が彼らに校舎裏に呼び出されているのが気になって追いかけました。3人が龍園を一方的に暴行している現場を目撃しました。ここで喧嘩をすることは知りませんでした」
業務報告みたいに淡々と言い終えると、石崎たちの顔が一気に青ざめた。
「そうか。ならば単なる暴力事件とは事情が変わってくるな。だが、ここで暴れたのは事実だ。石崎と龍園。それに校舎裏の件がある、小宮と近藤もだ。4人ともついて来い。話を聞いた上で処分を下す」
「退学か?」
龍園は血の滲む唇を舐め、挑発するように教師を見上げた。
「……いや、恐らく退学にはならない。だが、相応のペナルティは覚悟しろ」
「ククッ、なるほどな」
答えを手に入れた。そんな顔に見える。証人がいれば退学にならない、とか。退学になるかもしれないのを承知で試すなんて、強がりじゃなかったのか。意味が分からない。この学校のことを、私はろくに知らないから。
龍園は逆らわず、真嶋先生に連れられて歩き出し、すれ違いざま私を愉しげな目で一瞥した。
静かになったカフェに私は1人残される。店内を見回すと、カウンターの端の席は空になっていた。あの無機質な瞳の男は誰の記憶にも残らないように、いつの間にか消えている。
この学校には私の理解を超えた実力者たちがいる。深いため息をついて店を出た。寮へ帰る道は、やけに長かった。