視線を巡らせると、教室の床に倒れた龍園を囲むリンチの輪の外で、拳を握りしめている青緑色の髪の女子が目に入った。獣みたいな目つきの、伊吹澪だ。
あんなところに突っ立っていたら巻き込まれる。椎名に声をかけた時と同じことをまた思った。
「ムカつく!」
感情任せの叫び声と一緒に、伊吹は群れの中へ飛び込んでいった。流れるような回し蹴りが、龍園に嬉々として蹴りを入れていた男子の横腹に入る。
「ぐえっ!?」
吹っ飛んだ男子が机に激突する。
助けに入ったのか。いや、あの顔は違う。
「てめえ! 何すんだ伊吹!」
「ムカつくから蹴っただけだけど」
短絡的にもほどがある。仕掛けたのは伊吹なんだから、どうなっても私の知ったことではない。
「女だからって容赦しねえぞ!」
怒り狂った男子が伊吹に掴みかかろうとした、まさにその時だった。
「ちょっと、2人ともやめなよ!」
今度は愛想の良い笑みを浮かべた女子、真鍋志保が取り巻きを連れて2人の間に割って入った。クラスの和を乱さないでと言いたげな、いかにも優等生ぶった態度。ああ、そういうタイプね。
「伊吹さんも、いきなり蹴るなんてやめときなよ。危ないじゃん」
諭すような口調だった。普通ならここでクールダウンする場面。しかし伊吹はそういう人間ではないみたい。
「は? ぶっ飛ばすぞ。ブス真鍋」
「……ブス真鍋?」
止めに入ってくれた人間に言う台詞じゃない。真鍋の顔から貼り付けたような笑顔が消え、小さな舌打ちが聞こえた。ほら見なさい。こういうタイプには裏があるのよ。
ガラッ。
教室の前のドアが開いて担任の坂上が入ってきた。
「よし。席につけ、出席を取るぞ……」
教壇に立った坂上はひしゃげた教卓と、床で呻いている龍園たちを冷ややかに見下ろした。
「これは何の騒ぎだ?」
低く抑えた声。さすがに怒るだろう。退学者が出てもおかしくない異常事態だ。私は息を潜めて審判の時を待った。
「ククッ。アルベルトの奴が突然暴れ出したから、俺たちで必死に止めてたのさ」
床に倒れたまま唇の血を拭いながら、龍園が平然と嘘をついた。自分をねじ伏せた相手に全部の罪をなすりつける。龍園を止めたのはアルベルトだ。クラスの誰もが知っている。
「山田、それは本当か?」
坂上が教室の後ろで静かに立っているアルベルトに視線を向ける。
当然、否定するはずだ。自分が悪者にされて黙っている奴なんていない。
「……YES」
なぜ、自分が暴れたことにしたのか。言葉が通じていないのか。しかし、アルベルト本人が認めた以上、口を挟む奴はいないらしい。
「そうか。山田、お前は後で私の元に来るように。他に怪我人は挙手をしろ。いなければ、このまま出席を取るが」
大問題じゃないのか。机は倒れて生徒が血を流しているのに。
龍園が立ち上がって、ゆっくりと席へ戻っていく。どこか納得したような顔をしている。
とんでもないクラスに入ってしまった。生徒だけでなく、教師までどうかしている。私は呆れ果てて天井を仰いだ。
◇◇◇
怒涛のホームルームと午前中の授業が終わって、お昼休みを告げるチャイムが鳴った。
クラスの連中がそそくさと学食へ向かう中、ふと教室の後ろを見ると、アルベルトが大きな体を揺らしながらゆっくり出て行くところだった。
坂上のところへ行くのか、それともお昼ご飯か。ぼんやり眺めていると、その後ろ姿を追うように、湿布と絆創膏だらけの龍園がこっそり後をつけていくのが見えた。
まだやる気なのか。執念深いというか、もはや異常だ。
「ねえ。神室さん、だっけ?」
突然、真横から声をかけられた。少し気の強そうな顔立ちの、目つきの悪い女子が立っている。確か、名前は西野武子。
「そうだけど、何?」
「いや、さっきから龍園を目で追ってるみたいだからさ。好きなのかなぁって思って」
「は? んなわけないでしょ」
全力で顔をしかめた。しかし、思い返せばここ数日はあいつの動きばかり見ている。
「お昼ご飯買ってないから学食行ってくる」
鬱陶しい絡みを避けるため、席を立って教室のドアに向かった。
「やっぱり追いかけるんだ。行ってらっしゃい」
背中越しにニヤニヤとからかうような声が降ってくる。足を止めて、振り返ってきつく睨みつけた。
「あんた、性格悪すぎ」
「思ったこと言ってるだけなんだから、別にいいでしょ」
全く意に介さない態度に調子が狂う。
私は返事もせず逃げるように教室を出て、学食へ向かった。
◇◇◇
お昼時の学食は全学年の生徒でごった返していた。アジフライ定食の乗ったトレイを両手で持ちながら、空いている席を探して歩いていると、ひときわ目につく大きな背中が視界に入る。
アルベルトだ。
壁際の1人席で山盛りの定食を窮屈そうに食べている。食べる前にきちんと手を合わせて、唇が小さく「いただきます」と動いたのが見えた。シュールな男だ。
私が空いている席を見つけた、その時。
視界の端で何かが猛スピードで動く。人混みの隙間を縫うように低い姿勢で走ってくる赤紫色の髪。
龍園だ。
反射で目が追ってしまう。さっきの西野の声が頭をよぎる。違う。学食で走っている奴がいて、気にならないほうがおかしい。
そのまま、ご飯を食べている無防備なアルベルトの背後へ音もなく忍び寄り——
「ドリャアッッ!!」
龍園が、飛んだ。無駄に高く、無駄に綺麗なフォームで。放たれた渾身の飛び蹴りがアルベルトの広大な背中に入った。
なぜ飛ぶ。背後から普通に蹴ればいいのに、わざわざ飛ぶ意味が分からない。
さすがのアルベルトも食事中の不意打ちには耐えきれず、顔からテーブルに突っ込んだ。
「喧嘩か!?」
「おいおい、またあいつかよ……」
学食中が騒然となる中、アルベルトは振り返らなかった。口の中のものをゆっくり噛んでごくりと飲み込む。律儀だ。
近くの席で本を読んでいる椎名だけは、変わらずページをめくり続けていた。
「クハハハハッ!」
龍園は着地と同時に踵を返して、学食の出口へ猛ダッシュで逃げていった。
逃げ足だけは一人前の龍園が、出口の手前で一瞬だけ振り返って私と目が合った。その目は確かに笑っていた。慌てて目を逸らす。
顔にご飯粒をつけたまま、表情ひとつ変えないアルベルト。
私は手にしたトレイを握りしめながら、ただ一言だけ呟いた。
「……だっさ」
みみっちいゲリラ戦法。
それなのに。出口で合った目が笑っていた理由だけが、分からなかった。
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