昼休みの、みみっちい奇襲を境に龍園は毎日のごとく私の視界に入り込んできた。目で追っているわけじゃない。あれだけ走り回られたら嫌でも目に入る。
木曜の廊下ではアルベルトの背中に飛び蹴りを入れ、ビクともしないのを確認してから一目散に走って消えた。どうせ意味ないんだから最初から蹴るな。
金曜の男子トイレからも高笑いしながら飛び出してきた。少し遅れてアルベルトがゆっくりと出てきた。顔色一つ変わっていない。しかし、ズボンは少し濡れていた。中で何があったのか、想像したくもない。
月曜の階段の踊り場。土日を挟み、そのことが頭から抜け落ちていた私の目の前で、龍園は階段の上から助走をつけてアルベルトに飛び蹴りをかました。人が宙を飛んだのに、たまたま居合わせた椎名は見向きもしなかった。
火曜の昇降口では靴を履き替えている背中に。アルベルトの制服にはいつの間にか靴跡がいくつも並んでいた。払う素振りもない。
アルベルトは一度も振り返らず、追いかけもしなかった。逃げていくのは毎回龍園だけ。
◇◇◇
奇襲が始まって1週間後、ホームルーム前のCクラスの教室はそれまでとは全く違う意味での静寂に包まれていた。
重苦しい空気の中、教室のドアが開き悠然とした足取りで1人の男が入ってくる。昨日まで、あれほど見苦しい奇襲を仕掛けて逃げ回っていた龍園だ。問題は、その後ろにそびえ立つ巨体。
石崎の声が響く。
「おはようございます! 龍園さん! それと、アルベルト!」
「ククッ」
龍園の喉の奥で鳴る笑い声。それに呼応するように、アルベルトが龍園の背中越しに恭しくお辞儀をした。
「Brother」
私は自分の席で顔を思い切り引き攣らせる。
ブラザー。何がどうなったらそうなるの? あの姑息なヒットアンドアウェイで、アルベルトの心が折れたとでもいうのか。私には何が何だか分からない。
「えっ?」
「なんでアルベルトが?」
アルベルトを称賛し、龍園をリンチしたクラスメイトたちの顔が青ざめていった。最強の盾を失い、さらにそれが最も厄介な敵の手先になったのだ。
「どうした、威勢の良さはどこに消えた?」
龍園は教卓の縁に座り、楽しそうに教室全体を見渡した。
「これでわかっただろ? 俺がこのクラスの独裁者であることを認める。それでいいな?」
誰1人として声を上げる者はいない。報復を恐れ、全員が目を逸らして俯いている。
「おい、神室」
「な、何よ」
自分でも意外なほど声が上擦る。クラス全員の視線が一斉に私に突き刺さる。
だるい。なんで私にまで飛び火しているのか。ただでさえ目立ちたくないのに、これでは晒し者だ。
龍園は、私に向かって両手を広げてみせた。
「これが暴力だ。理屈も建前も、この結果の前にはひれ伏すしかねぇのさ」
「……はあ?」
私に同意を求めているのか、それとも見せつけているのか。
「よく聞け。暴力、卑怯な手、やり方は一切問わねぇ。生ぬるい綺麗事なんか捨てろ。『恐怖』で他クラスを支配し、徹底的に叩き潰す」
その声は教室の隅々にまで届いた。他クラスを叩き潰す意味が分からない。どこからそんな発想が出てくるんだか。
「お前らは今日から俺の駒になった。ただ、それだけだ」
反論の声は、上がらなかった。
◇◇◇
昼休みの張りつめた教室で息を潜めていると、先日突っかかってきた西野がまたしても私の席に近づいてきた。
「ねえ、神室さん。龍園の子分にでもなったの?」
「誰があんな奴の。困ってるのよ、意味分かんない絡まれ方して」
「名前呼ばれた時、なんか嬉しそうに見えたけど?」
「えっ?」
「あんた、龍園に認められてるって顔してたじゃん。優越感に浸ってる顔」
頭が真っ白になる。私は、そんなことを思っていたのか。いや、あり得ない。あんな暴力男に認められて嬉しいわけがない。ただ、万引きを見逃してもらう代わりに手駒にされているだけだ。私は被害者。
でも。ほんの少しだけ認められていると思っていたのかもしれない。怯えるだけのクラスメイトを見下して、私はあいつらとは違うと。最低な犯罪者の私を『気に入った』と言ってくれた男の隣にいるだけで、自分の価値が上がった気になっていた。
「ビビってないじゃん。龍園に」
「それはあんたもでしょ。伊吹って奴と椎名って子も」
私は動揺を隠すように早口で反論した。
「そうかもね。あたしはああいう不良が嫌いなだけだけど」
「言っとくけど、あんたと仲良くするつもりはないから」
「あたしもないけど。周りがビビってる中で、普通に話せそうな人が神室さんくらいだったってだけ」
「あっそ」
西野はつまらなそうに自分の席へ戻っていった。
嫌な女。お昼ご飯の味が、全くしなかった。
◇◇◇
放課後、また龍園たちが何かを企んだ顔でどこかに向かっていた。
気になるわけない。あいつらが何をしようが、私には関係ない。帰り道が同じ方向なだけ。校舎裏は帰り道ではないけれど、今日はたまたま遠回りしたい気分なだけ。
校舎裏の物陰から覗き込む。そこにいたのは今朝クラスを牛耳った龍園。取り巻きの石崎、小宮、近藤。そして、彼らに取り囲まれ、地面に膝をついている伊吹の姿だった。
石崎の蹴りが伊吹の腹を的確に捉え、体が大きく揺れた。それでも彼女は咳き込みながら、目だけは決して逸らさなかった。
「ムカつくっ!」
女1人相手に集団でリンチを加えるなんて、ただの弱い者いじめだ。
「ねえ。あんたたち、ダサいわよ。女1人に何してんの」
気がつけば私は隠れていた壁の影から歩み出て声をかけていた。
「あぁ? 神室か」
龍園は私を見てわずかに眉を上げた。口元だけが笑っている。
「ちょうどいい。お前も加われ」
「えっ、私が?」
「忠誠を誓う踏み絵だ」
「バカじゃないの。誰がそんなこと」
「勘違いするなよ? 伊吹の方から俺に喧嘩売ってきたんだぜ。俺のやり方が気に入らねえからぶっ飛ばす、だとよ」
龍園は地面に這いつくばる伊吹を見下ろした。
「俺の『駒』である意思表示として、今すぐ伊吹を踏みつけろ。そうすれば、お前の特別な立場を保証してやる」
昼間の西野の言葉が脳裏にフラッシュバックする。
『優越感に浸ってる顔』
従えば私はこのクラスでの安全と特権を手に入れられる。誰にも怯えなくて済む。でも、私に踏み絵なんてできるわけがない。戸惑い、無意識に一歩後ずさりしようとしたその時。
伊吹が顔を上げ、私を睨みつけた。
『お前もどうせ、こいつらの言いなりになる腰抜けなんだろ』
言葉にせずとも、その鋭い視線がそう語っている。痛いほどに突き刺さる侮蔑の色。
「バカにしないで」
自分が何に怒っているのか、もう分からない。
「私だって」
私は右の掌を強く握りしめる。伊吹に向かって、そして私を試すように見つめる龍園に向かって、ゆっくりと足を踏み出した。
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