ケヤキモールという商業施設内のカラオケボックス。その薄暗いパーティールームの革張りのソファーに放り投げられ、私はようやく自由の身になった。
乱れた制服のスカートと髪を慌てて整え、龍園を睨みつけた。隣では伊吹が防音壁を乱暴に蹴っている。お構いなしに龍園が口を開いた。
「俺が企てていた計画を説明してやる。入学初日、神室がコンビニで——」
言い終わる前に私はソファーから跳ね起きていた。龍園の胸ぐらを掴み、顔を寄せて石崎たちに聞こえないぎりぎりの声で耳打ちした。
「勝手に話すな……! 今からでも自首——」
「できねぇよ、お前には」
掴んだ手が、言葉ごと止まる。
「あの日、お前は初めて『退学した後』を想像した。俺に見つかったことで命を救われたと、心のどこかで感じたはずだ」
違う、と言い返したいのに材料がどこにもない。あの瞬間、私は『終わった』と思い、自棄になって自首しようとした。この男はそれを全部見ていたのだ。
私は黙ってソファーに座り直した。それが何よりの返事。石崎たちが疑問の表情を浮かべているが、腕と足を組んで平静を装った。
「入学して2日目。俺はカフェで神室を試した。怪しい奴はいたか?」
龍園の問いかけに私は観念して口を開いた。
「店員は通報しなかった。生徒の揉め事には不干渉という線引きがあるのかも。それと坂柳有栖と一之瀬帆波と堀北鈴音。他の連中が逃げ惑ってる中で、あの3人だけはそれぞれ反応が違った」
「上出来だ。各クラスの目立つ奴が、同じ店に揃ってたわけだ」
満足そうに頷く龍園に私はもう1人の顔を思い浮かべて付け足した。
「……あと、Dクラスの綾小路清隆って奴。あの騒ぎで1人だけ全然動じてなかった。なのにOAAは平凡な数字ばかり。不自然じゃない?」
「綾小路? 誰だか知らねぇが、ビビってただけだろ」
「まあ、そうかもしれないけど」
それでも、あの無機質な瞳はまだ頭の隅にこびりついていた。
「それよりなんで石崎はあんたの仲間になってるの? カフェで返り討ちにされただけなのに、翌朝にはもう『龍園さん』だったじゃない」
「ククッ。あの後、俺と石崎たちは真嶋に連れて行かれて話をした。結果から言うと、喧嘩両成敗で処分はなしだ」
あれだけ派手にカフェで暴れておいて、そんなバカな話があるわけない。
「カフェで暴れたのは退学になる線を確かめるためだ。真嶋が退学にはならないと口にした時点で答えは出た。だが処分なしは表向きの話だ。見えねぇところでペナルティはある。それが何かも、大方の予想はできている」
しかし、その言葉を聞いて矛盾に引っかかった。
「あんた、その次の日も教室で暴れてたじゃない。見えないペナルティがあるって分かってたなら、意味ないでしょ」
「クラスを俺の支配下に置く方が先だからだ。順を追って説明してやる。石崎は入学早々に小宮と近藤を取り巻きにつけていた。俺は石崎に喧嘩を売って、校舎裏でわざと負けてやった」
「……あれ、演技だったってこと?」
「石崎に勝たせときゃ、小宮と近藤を連れて調子に乗る。兄貴分をねじ伏せりゃ、舎弟はどうする?」
石崎が気まずそうに目を逸らした。
「カフェで石崎だけを潰した。真嶋の呼び出しの後は、小宮と近藤の目の前で石崎に服従を誓わせた。兄貴分が頭を下げりゃ、舎弟ごと俺の手に入る」
「くだらな。不良同士のそういうの、全然理解できない」
龍園は構わず顎で石崎を指した。
「石崎は上に立たせると空回りする。だが、誰かの下につけりゃよく動く」
「えっ、あ、はい!」
けなされているのに石崎の目は輝いている。余計なことは言わないでおこう。
「次はアルベルトだ。見た目に反して平和主義者で揉め事を放っておけねぇ。教室で喧嘩を起こせば、こいつは自分が悪者になってでも収めに入る」
アルベルトは腕を組んだまま動じない。さっきの石崎とは大違い。
「あの乱闘も、あんたの仕込みってわけ」
「当然だ。それで終わりじゃねぇ。その後は、飯の時も便所の時も襲い続けた」
「あのストーカーまがいの行動はそういうこと……」
「アルベルトに聞かれたぜ。なぜそこまでして襲うのか、ってな。俺は答えてやった。お前の優しさがこのクラスの輪を乱すと。俺とアルベルトで派閥が二つできりゃ、クラスはまとまらねぇ。だから俺の下につけて、恐怖でクラスを一つに縛った」
絶句した。思慮の浅い不良。そう思っていた。龍園は拳を振るう前に勝負を決めていた。
今日の教室を思い出す。昨日まで龍園を軽く見ていたクラスメイトたちは、突然始まった独裁に怯えていた。
「文句はねぇな、アルベルト」
「YES」
「あるのかよ!?」
「NO」
「どっちだよ!?」
言語の罠にかかり1人でパニックを起こす石崎をよそに、龍園は伊吹に目を向けた。
「残る問題は伊吹だ。適当に痛めつけたところで、絶対に言うことは聞かねぇ」
ドンッ、と壁を蹴る音が鳴った。否定はしないらしい。
「そこで神室。お前が現れた」
「私?」
「お前が俺に反抗できるかどうか、その最終テストも兼ねることにしたのさ」
龍園は笑みを消してソファーから身を乗り出し、私の目を見ていた。
「お前はこれまで、俺のやることを遠巻きに眺め、見て見ぬふりをしてきた。だが、伊吹の件は別だ」
言葉を挟めない。
「女1人を集団でリンチするってのは、お前からしたらありえねぇ光景だったはずだ。自分の保身より、自分が正しいと思うことを優先する女。そう読んでいた」
「じゃあ、全部あんたの読み通りってこと?」
平気なふりをして睨み返すと龍園は意外にもすぐには笑わなかった。代わりに赤く腫れたままの自分の頬を指の背でなぞった。
「伊吹を踏みつけるか、口で止めに入るか。どちらかだと思ってた。まさか叩くとは思わなかったぜ」
そこで初めて口の端がゆっくりと持ち上がった。
「だから、合格だと言ったのさ」
あの渾身のビンタは『ただ自分にムカついたから』やっただけだ。それをこの男は予想外の収穫として認めている。
「伊吹が俺に牙を剥くのは構わねぇ。だが、ところ構わず暴れ回られるのは面倒だ。だから俺とお前で屈辱を与えて怒りの向け先を絞らせた」
「屈辱なんて与えるつもりなかったけど」
すると、横から伊吹が噛み付いてきた。
「あそこで私を踏まなかった時点でムカつくんだよ。同情しやがって」
踏まれても怒るくせに、踏まれなくても同情されたと言って怒る。どういう思考回路をしているのだろう。
「龍園さんマジすげえ! 神室も龍園さんと対等に話してやがる!」
「BOSS」
歪んだ理屈に無邪気に心酔する石崎。ブラザーからボスに呼び方を変えたアルベルト。
ふと気づいた。いつの間にか自分から質問を重ねてしまっていた。
ソファーに深く腰掛け、いかにも裏で暗躍する組織のナンバーツーみたいな顔をして会議をしてしまっているではないか。昼間の西野の『優越感に浸ってる顔』という鋭い指摘が耳の奥でよみがえり、組んでいた腕と足を慌てて解いた。
壁際で伊吹が不機嫌そうに吐き捨てる。
「何、カッコつけてんのよ」
アルベルトまで頷く。
「Sister」
「私はあんたの妹じゃない」
抗議は男たちの笑い声にかき消された。私もその輪の端に座っている。
「ちょっと待って。言い忘れてたけど、私はあんたの側近になるなんて一言も——」
「嫌なら勝手にしろ。だが、俺の計画にお前は必要だ」
返事を待つように、龍園は私を見据えていた。
身勝手な男。腹が立つ。言い返す言葉が出てこないのが、もっと腹が立つ。
私を含めた全員に別々の手を打って、この短い間に一つの計画へ束ねている。誰かを凄いと思ったことなんて、これまで一度もなかった。
嫌なら勝手にしろと言われたのに、私は立ち上がらない。1人で息を潜めて過ごす退屈な3年間より、この男の下で強烈なスリルを味わう方が私の性分には合っているのかもしれない。
……認めない。認めないけれど。
ここに残るのは、私が決めたことだ。
「手下になるつもりは一切ないけど、協力できることはしてあげる」
ぶっきらぼうに言い捨てた。
「もう一つだけ聞かせて。他クラスを叩き潰すって、何のためなの?」
「知りたきゃ自分の目で確かめろ。今から他クラスの奴らに接触して情報を集めておけ」
「えっ?」
龍園は一度も振り返ることなく無造作にドアを開けて出ていった。石崎とアルベルトが忠犬のように続き、伊吹も舌打ちをして後を追った。
広いパーティールームに取り残された私はぽつりと呟いた。
「……雑に扱いすぎでしょ」
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