放課後のケヤキモールから続く遊歩道は、浮かれた学生たちの喧噪に包まれている。その中を私は1人、前を歩く標的から適度な距離を保ちながら歩を進めている。
龍園からの命令。他クラスの奴らに接触して情報を集めるという厄介極まりない任務。まずターゲットとして選んだのは、一際異彩を放つAクラスの坂柳有栖だった。
銀色の髪を揺らし、杖をついたこの女は歩くのが致命的に遅い。さっさと接触して適当な話をでっち上げようとした、その矢先。
前を歩いていた坂柳がピタリと足を止めた。振り返りもせず、静かな声が鼓膜を打った。
「先程から尾行をしていたのは、あなたですね。神室真澄さん」
バレていた。それどころか私の名前まで把握している。覚悟を決めて坂柳の小さな背中へと歩み寄った。
「そうよ。あんたと少し話がしたいんだけど」
「はい。構いませんよ」
坂柳はゆっくりと振り返り、私を見てふわりと微笑んだ。警戒されるどころか、私が声をかけるのを待っていたかのような余裕。
その余裕に少しだけ怯んだが、気を取り直して近くのベンチを指差そうとした。その瞬間だった。
「あなた、万引きしていましたよね」
足が止まる。なぜそれを。知っているはずがない。
「そんなことしてないけど。どうしてそう思うの?」
声の震えを殺し、否定と疑問の言葉を絞り出した。
「入学初日のことです。コンビニから出てきたあなたが急いでいるように見えて、少し気になったものですから」
見られていた。一体どこから。
「だったらどうだって言うの? 急いでただけ。それに私が万引きをしたっていう証拠も何もないじゃない」
強気に言い返す。そうだ、証拠なんてない。万引きした酒の缶は龍園が持っている。
「証拠なら、ありますよ」
坂柳は一切の表情を変えず、淡々と残酷な事実を突きつける。
「コンビニに確認を取れば、あなたが商品を手に取って元に戻さないままお店を後にする映像が、防犯カメラから出てくるかと思います。そして、あなたがコンビニにいた時間帯の在庫を店側に確認してもらえばいいだけのことです」
完璧な死角を突いたつもりだった。もしもカメラの映像を時系列で照らし合わされ、入店前と退店後で商品の数が合わなければ。私が商品を手に取った後、どこにも戻さなかったという事実が鮮明に浮かび上がる。
「フフ。焦っていらっしゃいますか? 私を尾行して情報を引き出すつもりが、ご自身が罠にかかっていたことに気付いてしまった顔をされていますよ」
杖を握る両手に体重をかけ、小首を傾げる坂柳。
「それは、その……」
学校にチクるつもりだ。そうなれば私は退学。龍園だけに握られていた弱みが、今度は坂柳の手に渡ってしまった。もう言い逃れはできない。
反論を探す。見つからない。
「お答えがないのですね。では、そういうことで話を進めましょう」
私は何も認めていない。そのはずなのに、話が勝手に先へ進んでいく。
「あなたのことは以前から存じておりました。カフェでの乱闘騒ぎも、アルベルトくんに運ばれていく姿も、拝見しましたので」
カフェの時から覚えられていたのか。
「Cクラスは随分と賑やかな方が多いようで。神室さんと龍園くん、お似合いだと思いますよ」
「は? 冗談じゃない。あんなのと一緒にするな」
即座に否定する。それより気になるのは、龍園に缶を突き出したあの場面も見られていたのかどうか。
「あんた、いい性格してるわね」
この女は力押しの龍園とはまるで別の生き物だ。人を弄ぶのは呼吸と変わらない。
「気に入りました。あなたは、私のスパイとして駒になっていただきます」
坂柳は明日の天気を話すような気軽さで、そう宣言した。また、気に入られる。また、駒にされようとしている。
「なんで別のクラスのあんたなんかの——」
「クラス移籍ができるルールを知っていますか? 2000万プライベートポイントを学校に支払えば、好きなクラスへ移籍できるんですよ」
「えっ?」
「卒業後の進学や就職先の恩恵を受けられるのはAクラスのみです。これから3年間、Cクラスに潜伏して私のスパイとして働いていただきます。その報酬として、卒業までに2000万ポイントを使い、あなたをAクラスに引き抜いて差し上げます」
そんな途方もない裏ルールが存在するなんて知らなかった。入学からまだ1週間とちょっとなのに、こいつは学校の仕組みの奥まで掴んでいる。私の名前も、初日の万引きも。何者なの、この女は。
「約束を守るなんて保証、どこにもないじゃない。お断りよ」
「でしたら、あの問題児たちと3年間、仲良く青春の日々を送るということでよろしいでしょうか?」
生々しい言葉が私の痛いところに刺さる。あのバカたちと青春の日々を3年間も送らなくてはならないなんて、想像するだけで虫唾が走る。
「あなたのOAAは、身体能力がB+と非常に優秀。学力はCですが、それは教える者次第でどうにでもなります。本来、最初からAクラスにいてもおかしくない能力値です」
「だから何」
「そんなあなたが、あの不良や落ちこぼれの吹き溜まりであるCクラスに入れられた理由をご存知でしょうか?」
「知らないけど」
「あなたが『犯罪者』だからです。バレているのですよ。あなたの過去は、学校側に」
全身の血の気が引いていく。
「単発の出来心ではなく、癖になっていらっしゃったのでしょう? 手癖の悪いあなたは、あの問題児たちと共に更生させるために選ばれたのです」
面接官も学校側も、最初からすべてお見通しだったのだ。バレていないと思い込んでいたのは私だけ。
「どうなさいますか? これは、あなたが自分の人生をやり直すラストチャンスですよ」
龍園に従う。そう決めたのは私自身だ。従わなければ退学になるから、仕方なく。そうに決まっている。でも、学校が最初から知っていたなら話が違う。Aクラスに行ける道が、目の前にある。自分の意思で選べるなら、そっちのほうが筋が通っている。
頷けばいい。それだけのことなのに、首が縦に動かない。
龍園を売るのか、売らないのか。答えが、出ない。
沈黙が続く。坂柳は急かさない。目を細めて、私が揺れるのをじっと待っている。
「フフ。冗談ですよ」
「……は?」
「尾行などするものですから、少し悪戯をしただけです。移籍のルールと、Aクラスの恩恵は本当です。スパイの件と、あなたの過去が学校に知られているという件は作り話です」
思考が停止した。冗談。悪戯。
スパイの件も。私をAクラスに救い出してくれるという甘い誘惑も。全部、ただの暇つぶし。
「あの日、私が見たのはお店から出てくるあなたの姿だけ。防犯カメラも在庫も確認しておりません。あなたのお顔を見て、そういうことにして続けてみただけです」
龍園との缶のやり取りを見ていたなら、在庫や防犯カメラなんて持ち出すはずがない。
「……ですが、本当に、万引きをなさっていたのですか?」
今の問いには、からかう色がない。本気で聞いている。
声が、出ない。あの迷いまで、余興にされた。
「龍園くんを売るべきか、迷っていらっしゃいましたね。楽しませていただいたお礼に、学校側に報告などしませんので。ご安心を」
「あっそ。いい趣味ね」
肩をすくめて髪を耳にかける。効いてなんかいない。そういう顔を全力で作ってみせる。坂柳は杖に両手を重ね、私の顔をじっと眺めた。
「平気そうな顔は、私に向けたものですか? それとも、ご自身に言い聞かせているのですか?」
答えられなかった。返す皮肉の一つも、もう出てこない。
背を向け、来た道を引き返した。あれほど遅いと苛立った杖の音が、あっという間に背後へ遠ざかっていく。
効いてなんかいない。そう思うほど、舌打ちが止まらなかった。