[新しい命]
それからしばらくして。
家の中からは、女性の苦しそうな声と、医者の落ち着いた指示が聞こえていた。
マリアは玄関の外で、落ち着かない様子で浮かんでいる。
「うーん……まだかなぁ」
尻尾を揺らしながら窓の方を覗き込む。
すると、家の中から男性の声が聞こえた。
「頑張れ! もう少しだ!」
「大丈夫です。もう少しですよ、奥さん!」
医者の声に続いて、女性が最後の力を振り絞る。
そして――。
「おぎゃあ! おぎゃあ!」
小さな泣き声が、家の中に響いた。
マリアはぱっと顔を上げる。
「……あっ!」
続いて、医者の明るい声が聞こえてきた。
「おめでとうございます! 力強い元気な男の子ですよ!」
「本当か……? 本当に……!」
男性の声は震えていた。
やがて、家の扉が開く。
男性が出てきた。目元を赤くしながら、マリアの姿を見つける。
「君!」
「わっ、どうしたの?」
男性はマリアの前まで来ると、深々と頭を下げた。
「ありがとう! 本当にありがとう! 君がいなかったら、先生を連れてくるのにもっと時間がかかっていた!」
「えへへ、間に合ってよかった!」
「妻も赤ん坊も無事だ。君のおかげだよ!」
その言葉に、マリアは嬉しそうに笑った。
「そっかぁ! よかったぁ…!」
[小さな命を抱いて]
しばらくすると、医者も家の外へ出てきた。
「君、少しいいかな」
「ん? なぁに?」
「先ほどは驚いてしまってすまなかった。まさか悪魔に助けられるとは思っていなかったのでね」
医者は穏やかな表情で続けた。
「しかし、君の判断と行動は見事だった。あの状況で二人をすぐに運んでくれたおかげで、十分に間に合ったよ」
「えへへ、褒められちゃった!」
「本当にありがとう」
医者が頭を下げると、マリアは少し照れくさそうに頬を掻いた。
「どういたしまして!」
そのとき、家の中から男性が顔を出した。
「そうだ! よかったら、赤ん坊を見ていかないか?」
「えっ、いいの?」
「ああ。君にも見てもらいたいんだ」
マリアは嬉しそうに頷き、家の中へ入った。
寝室では、女性がベッドに横たわっていた。疲れた様子ではあったが、その腕には小さな赤ん坊が抱かれている。
「この子が……赤ちゃん?」
マリアはそっと近づいた。
赤ん坊は小さな手を握りしめ、すやすやと眠っている。
「可愛い……!」
マリアの赤い瞳が、柔らかく細められた。
「助けてくれてありがとうね」
女性も優しく微笑む。
「あなたが連れてきてくれたんでしょう? 本当に感謝しているわ」
「ううん! 私はちょっと運んだだけだよ!」
「それでも、あなたがいなければ大変だったわ」
女性は赤ん坊を見つめ、それからマリアに視線を向けた。
「ねえ、少し抱いてみる?」
「えっ!?」
マリアは驚いて目を丸くした。
「いいの?」
「もちろん。ただ、まだ小さいから優しくね」
「う、うん! もちろん!」
マリアは少し緊張した様子で両手を差し出した。
女性から赤ん坊を受け取る。
その小さな身体は、想像していたよりもずっと軽かった。
マリアは宙に浮くのをやめ、ベッドの横に膝をついて、赤ん坊を大切そうに抱きかかえた。
「…………」
しばらく、何も言わなかった。
赤ん坊は小さく身じろぎすると、マリアの腕の中で再び眠りについた。
「……ふふっ」
マリアの表情が自然と緩む。
「ちっちゃいねぇ」
「まだ生まれたばかりだからな」
夫が隣で笑った。
マリアは赤ん坊の顔を覗き込む。
「こんにちは。私はマリアだよ」
もちろん、赤ん坊から返事はない。
それでもマリアは、まるで会話をしているかのように優しく語りかけた。
「元気に大きくなるんだよ。お父さんとお母さんを困らせちゃ駄目だからね?」
すると、赤ん坊が小さな手を動かし、マリアの指に触れた。
「あっ……!」
マリアは驚き、それから嬉しそうに笑った。
「わぁ……握ってくれた!」
その光景を見ていた夫婦も、穏やかな笑みを浮かべていた。
悪魔の角も、赤い瞳も、細い尻尾も。
今の彼らには、何も恐ろしくなかった。
そこにいたのは、自分たちの大切な命を救ってくれた、優しい少女だった。
マリアはしばらく赤ん坊を抱かせてもらったあと、名残惜しそうに女性へ返した。
「ありがとう。すっごく嬉しかった!」
「こちらこそ、抱いてくれてありがとうね」
[姉の帰り道]
家を出たマリアは、再び空中へ浮かび上がった。
「赤ちゃん、可愛かったなぁ……」
先ほどまでの退屈そうな表情は、すっかり消えていた。
「アイリスにも見せてあげたかった!」
そう言って、教会のある町の方角を向く。
妹はまだ調査を続けているだろう。
マリアは少し速度を上げた。
早くアイリスに今日の出来事を話したい。
そして、できれば妹にもあの小さな赤ん坊を抱かせてあげたい。
そんなことを考えながら、マリアは町へと戻っていった。