[魔女の領域]
(ミシミシ……バキバキ……)
突然、周囲の木々が一斉に音を立て始めた。
「……え?」
アイリスが足を止める。
三人を取り囲むように、木々の葉が急速に色を失っていく。緑色だった葉は茶色に変わり、枝は干からび、太い幹までもが黒ずんでいった。
枯れていく範囲は、三人を中心に円形に広がっていく。
(パキ……パキパキ……)
やがて、周囲には奇妙な空間が生まれた。
そこだけ森から切り離されたかのような、広大な空き地。
枯れた木々が円形に並び、その向こうには相変わらず鬱蒼とした森が広がっている。
「な、なんだよ……これは……」
盗賊の男が震えた声を漏らす。
アイリスは銀の十字架に手を添え、周囲を警戒した。
そして、三人の視線が自然と一点へ向かう。
枯れた木々の向こう。
そこに、一人の女が立っていた。
[森の女主人]
(コツ……コツ……)
ゆっくりと、女がこちらへ歩いてくる。
艶やかな長い髪。整った顔立ち。人間離れした美しさを感じさせる、妖艶な雰囲気。
身にまとった衣装も優雅で、まるで森の中にいること自体が不自然に思えるほどだった。
女は三人を眺めると、口元に薄い笑みを浮かべた。
「まあ……ようやく、お顔を見せてくださったのね」
透き通るような声。
しかし、その声には明らかな悪意が含まれていた。
「随分と賑やかなお客様ですこと。悪魔のお嬢さんに、可愛らしい人間のお嬢さん。それから……あら、ずいぶんとお腹を空かせた殿方まで」
女は盗賊の男を見て、くすりと笑った。
「ふふっ。皆さん、私の森を楽しんでくださったかしら?」
「……あなたが、この森を操っているの?」
アイリスが尋ねる。
「操るだなんて。少しばかり、お手伝いをお願いしているだけですわ」
女が指先を軽く動かす。
すると、背後の木々が一斉に枝を揺らした。
(ザワザワザワ……)
まるで、主人の言葉に応える従者たちのようだった。
アイリスは女から感じられる魔力に意識を集中させる。
そして、すぐに違和感を覚えた。
(……これは)
彼女の魔力は、悪魔のものとは違っていた。
悪魔特有の魔力とは明らかに異なる。どこか不自然で、自然に生まれた力とは思えない。
まるで、何者かが意図的に作り上げたような魔力だった。
(悪魔由来の魔力じゃない……。人工的な魔力?)
アイリスは女を見つめた。
そうか。
ようやく理解した。
この森そのものが悪魔なのではない。
この森には、最初から女主人がいたのだ。
森を操り、侵入者を捕らえ、逃げ道を奪う存在。
つまり、この呼ばれずの森は――
この女を中心とした、巨大な縄張りだったのだ。
そして、森に足を踏み入れた時点で、彼女には三人の行動がすべて筒抜けだった。
[逃げ道]
「……お姉ちゃん」
アイリスが小さく呼びかける。
だが、返事をする前にマリアが動いた。
(フワッ……)
マリアはアイリスの前へ移動し、両腕を広げるようにして立ち塞がった。
いつものような明るい表情はない。
赤い瞳は女を真っ直ぐに見据え、尾が警戒するように揺れていた。
「あなたが、さっきのツタを操ってたんだね」
「あら。お気に召さなかったかしら?」
「妹を傷つけたこと、忘れてないから」
「あらあら……怖いこと」
女は楽しそうに微笑んだ。
その時、盗賊の男が後ずさった。
「お、おい……なんだよ、あの女……。お前ら、あんな奴と知り合いなのか……?」
「知り合いじゃないよ」
アイリスが答える。
「だったら逃げようぜ! あんなの相手にできるわけがねぇ!」
男は振り返り、先ほど通ってきた方向へ走ろうとした。
しかし――
(ドゴォンッ!!)
「うわあっ!?」
地面が大きく揺れた。
男の進路を塞ぐように、巨大な木々が地中からせり上がってくる。
太い幹が何本も絡み合い、壁のような障害物を形成した。
さらに、その表面から黒い棘付きのツタが無数に伸びてくる。
(ギチギチ……)
ツタは男の周囲を囲み、逃げ道を完全に塞いだ。
「ひっ……!」
男は尻もちをつき、慌てて後ずさる。
しかし、どちらへ動いても棘だらけのツタが待ち構えていた。
「お、おい! 助けてくれ!!」
男の叫びが空き地に響く。
女はその様子を眺めながら、優雅に微笑んだ。
「いけませんわ。せっかくお客様が揃ったのですもの。勝手に帰られては困ります」
マリアはアイリスを背後に庇ったまま、女を睨み続ける。
アイリスもまた、銀の十字架を握り直した。
「……お姉ちゃん。あの女、普通の悪魔じゃない」
「うん。分かってる」
「魔力の性質が変なの。慎重にいこう」
「でも、アイリスを傷つけたことは許さないよ」
マリアの声が低くなる。
女は二人を交互に見つめ、ゆっくりと両手を広げた。
「さあ……せっかく私の領域まで来てくださったのですもの」
(ザワ……ザワザワザワ……)
枯れていたはずの木々が、再び動き始める。
その枝先が、まるで無数の腕のように三人へ向けられた。
「今度は、もっと楽しい遊びをいたしましょう?」
女の笑い声が、森の奥まで響き渡った。