[崩れ始める防衛線]
(ドガガガガッ!!)
聖壁に、絶え間なくツタが叩きつけられていた。
アイリスは銀の十字架を握りしめ、詠唱を維持している。
しかし、額には汗が浮かび、呼吸も少しずつ乱れ始めていた。
(……まずい)
内心、アイリスは焦っていた。
このまま防戦一方では、いつまで持ち堪えられるか分からない。
聖壁は確実に攻撃を防いでいる。けれど、ツタの数は減るどころか、森の奥から次々と増えていた。
何より問題なのは、ロザンナだ。
あの女は、まだ本気を出していない。
こちらの反応を楽しむように眺め、時折指先を動かしているだけ。それだけで、これほどの攻撃を仕掛けてくる。
(隠し種がある可能性も考えないと……。今ここで無理に攻めても、向こうの思う壺かもしれない)
アイリスは次の行動を考え続けた。
聖壁を維持するか。
一度解除して攻撃に転じるか。
それとも、マリアと連携してロザンナ本人を狙うか。
どれも簡単には決められない。
「アイリス! 大丈夫!?」
空中からマリアの声が飛んでくる。
「大丈夫! でも、あんまり長くは持たないよ!」
「分かった!」
マリアはツタの群れの中を舞うように移動していた。
(ヒュッ!)
顔の横を通り過ぎる棘付きの枝をかわし、身体をひねって別のツタを避ける。
そして、赤い瞳を向けた。
(ギギギ……)
マリアの邪眼が光る。
(バキィッ!!)
空中に浮かんでいたツタが、何かに引き裂かれたように真っ二つになる。
続けて、背後から迫る二本にも視線を向ける。
(ズバッ!)
二本のツタが同時に切断された。
マリアは回避と邪眼による斬撃を繰り返し、着実に黒いツタの数を削っていた。
「もう! しつこいなぁ!」
いつもの軽い口調ではあるが、その表情には苛立ちが見える。
妹を守るためにも、これ以上攻撃を通すわけにはいかなかった。
[迫る一撃]
その時だった。
(ズズズズ……)
聖壁の正面で攻撃を繰り返していたツタの一部が、突然動きを変えた。
一本の太いツタが、ほかのものとは違う動きを見せる。
棘が密集した先端が細く鋭くまとまり、まるで槍のような形へ変化していった。
アイリスは気づいた。
「……っ!」
狙いは、自分だった。
聖壁の正面に攻撃を集中させていたほかのツタとは違う。
それは防壁の側面を回り込むように伸び、アイリスの頭部へ向けて一直線に突き出されようとしていた。
(速い……!)
避けられない。
詠唱を維持したままでは身体が動かせない。
聖壁を解除する時間もない。
「アイリス!!」
マリアが叫ぶ。
だが、彼女も別のツタに進路を塞がれていた。
(間に合わない……!)
アイリスは反射的に目を閉じようとした。
次の瞬間――
(ザンッ!!)
何かが切り裂かれる音が響いた。
「…………え?」
アイリスは恐る恐る目を開けた。
目の前にあったはずの黒いツタが、先端から真っ二つに裂けていた。
(ザシュッ! ザシュッ!)
切断されたツタは、さらに細かく分かれて地面へ落ちていく。
そして、その向こうに一人の男が立っていた。
[唯一の武器]
「……間に合ったか」
盗賊の男だった。
男は短剣を構え、アイリスの前に立っていた。
その短剣の刃は、黒いツタを切り裂いた直後の位置で止まっている。
「え……あなた……?」
アイリスは呆然と男を見つめた。
先ほどまで逃げ回っていた男が、今は自分を庇うように立っている。
「おいおい……。目の前で助けてもらった相手がやられそうになってるのに、黙って見てられるかよ」
男は短剣を握り直した。
手は震えていた。
顔にも恐怖が残っている。
それでも、男は逃げなかった。
「……俺だって、まだ死にたくねぇんだ」
そう言って、男はアイリスを振り返った。
「だから、あんたも死ぬなよ」
アイリスは一瞬、言葉を失った。
盗賊。
先ほどまで二人を脅していた男。
食べ物を恵んでもらい、ようやく立っていられるようになった男。
そんな彼が、今、自分を守ってくれた。
「……ありがとう」
アイリスは小さく答えた。
男は照れくさそうに顔を背ける。
「礼なんかいい。あとでパンの借りを返す。それだけだ」
その様子を見ていたマリアが、空中で動きを止めた。
「……へえ」
赤い瞳が男へ向けられる。
「あなた、なかなかやるじゃん」
「褒めるのは後にしてくれ! まだ来てるぞ!」
男が叫ぶ。
(ザワザワザワ……!)
周囲の木々が再び揺れ始めた。
ロザンナは、少し離れた場所からその光景を眺めていた。
そして、口元を隠すように手を添える。
「あら……」
その声には、先ほどまでとは少し違う響きがあった。
「逃げ惑うだけの方だと思っておりましたのに」
彼女の視線が、盗賊の男の短剣へと向けられる。
「ふふっ……面白いですわね」
ロザンナは楽しそうに微笑んだ。
「どうやら、宴の参加者を少し見誤っていたようですわ」
アイリスは男の背中を見つめた後、改めて十字架を握り直した。
防衛線はまだ崩れていない。
そして今、三人の間に新たな連携が生まれようとしていた。