[魔女の挑発]
マリアの攻撃は、次第に荒々しさを増していた。
先ほどまで見られた無駄のない動きは、怒りによって少しずつ変化している。斬撃は鋭さを保ちながらも、以前より強引になり、周囲の木々を巻き込んでいく。
(木々が次々と切り倒される音)
ロザンナはそれを避けながら、マリアの様子を観察していた。
「あらあら……ふふっ」
彼女の視線が、傍らに吊り下げられたアイリスへと向く。
「そんなに妹さんが大切なのですわね」
マリアは答えない。
「それなら……もう少し、あなたの心を揺さぶってみましょうか」
ロザンナはアイリスの頬に手を添えた。
そして、気絶した彼女の唇に、わざとらしく口付けをする。
「…………」
マリアの動きが止まった。
ほんの一瞬。
だが、その直後だった。
「――ああああああああっ!!」
マリアの身体から、これまで以上の殺意が噴き出した。
赤い瞳が異様な輝きを放ち、手にした黒い剣が大きく脈動する。
「殺してやる……!」
その声には、もう普段の明るさなど微塵も残っていなかった。
マリアは一直線にロザンナへと飛び込む。
今度は斬撃ではない。
黒い剣を正面に構え、全身の勢いを乗せた突きだった。
「そのままいらっしゃいませ♪」
ロザンナは微笑んだ。
(地面からツタが噴き出す音)
マリアの進路を塞ぐように、無数の黒いツタが一斉に伸び上がる。
「邪魔っ!!」
マリアは剣を振るおうとする。
だが、ツタは切り裂かれることを前提としていたかのように、剣の周囲へ複雑に絡みついた。
さらに別のツタが腕と脚に巻き付き、マリアの身体を拘束する。
「なっ……!」
その瞬間、ツタの棘が彼女の身体に食い込んだ。
通常の棘とは違う。
そこから注入されたのは、身体の自由を奪う神経毒だった。
「……っ、何……これ……?」
マリアは剣を振りほどこうとする。
しかし、指先に力が入らない。
腕が重くなり、脚の感覚も徐々に遠のいていく。
「ふふっ。今度のツタには、少々特別なものを仕込んでありますの」
ロザンナは優雅に手を振った。
「身体を動かそうとしても、思うようには動かせないでしょう?」
「……アイ、リス……」
マリアは必死に顔を上げた。
妹の姿が見える。
すぐそこにいるのに、手が届かない。
(身体が地面に倒れる音)
ついにマリアの膝から力が抜けた。
黒い剣が手から滑り落ち、地面に突き刺さる。
彼女は姿勢を崩し、そのまま倒れ込んだ。
それでも、赤い瞳だけはロザンナを睨み続けている。
「まあ……まだそんな目ができるのですね」
ロザンナはマリアのそばへ歩み寄った。
そして、倒れた彼女と、吊り下げられたままのアイリスを交互に眺める。
「さて……これでようやく、ゆっくりお話しできそうですわね」
少し離れた場所では、盗賊の男がツタを短剣で払いながら、その光景を見ていた。
「くそっ……! あの姉ちゃんまで……!」
男はアイリスとマリアを見つめ、歯を食いしばる。
ロザンナの笑い声が、静まり返った森に響いていた。
[最後の切り札]
「……ん……」
アイリスの指先が、かすかに動いた。
意識が少しずつ戻り始めていた。しかし、視界はぼやけ、身体にも力が入らない。自分がどこにいるのかさえ、まだはっきりとは理解できていなかった。
「あら? 目が覚めそうですわね」
ロザンナはアイリスの顔を覗き込む。
そして、わざとマリアから見えるように、再びアイリスの唇に深く口付けをした。
「……っ!」
「やめろ……!」
地面に倒れたマリアが声を荒らげる。
「アイリスに触るな!!」
しかし、身体は動かない。
ロザンナはそんなマリアを一瞥すると、指先を軽く動かした。
(ツタが締め付ける音)
アイリスの身体に黒いツタが絡みつき、鋭い棘が衣服を傷つける。
「やめろおおおおっ!!」
マリアの叫びが森に響いた。
だが、神経毒によって自由を奪われた身体は、指先ひとつ動かすことすらできなかった。
「ふふっ……いい声ですわね」
ロザンナは満足そうに微笑む。
その様子を少し離れた場所から見ていた盗賊の男は、必死にツタを短剣で払いながら、何かを探していた。
そして、ふと地面に目を向ける。
「……あれは?」
そこに落ちていたのは、銀の十字架と一冊の古びた本だった。
アイリスが持っていたものだ。
「そうだ……あの子が持ってた……!」
男はすぐにそれが何なのかを理解したわけではなかった。
ただ、アイリスが悪魔祓いをする人間だということを思い出したのだ。
「だったら、これにも何か……!」
男はツタを払いのけながら駆け寄り、銀の十字架と本を拾い上げた。
ページをめくる。
そこには見慣れない文字と、複雑な詠唱文が記されていた。
「読めるかなんて知らねえぞ……!」
男は適当なページを開き、そこに書かれた文章を大声で読み始めた。
「ええと……なんだこれ! とにかく、聞けえええっ!!」
彼は意味も分からないまま、文字を一つずつ読み上げていく。
その瞬間だった。
(魔力が激しく共鳴する音)
銀の十字架が強烈な光を放った。
本に記された文字が次々と輝き、地面に巨大な魔法陣が浮かび上がる。
「なっ……!?」
ロザンナが初めて驚いた表情を見せた。
次の瞬間、魔法陣の中心から光が爆発的に広がった。
光は地面を走り、木々を包み込み、森全体を覆うように巨大なドームを形成する。
(光が森を包み込む音)
その光に触れた黒いツタは、動きを止めた。
ロザンナの周囲に漂っていた魔力も消え失せる。
マリアの身体を縛っていたツタも、まるで枯れた縄のように力を失い、地面へ落ちた。
注入されていた神経毒も、その魔力を失って効力をなくしていく。
「……身体が……」
マリアはゆっくりと指を動かした。
腕にも脚にも感覚が戻ってくる。
やがて、彼女は自分の力で上半身を起こした。
「これは……!」
ロザンナは周囲を見回す。
魔術を使おうとするが、何も起こらない。
木々も、ツタも、ゴーレムも、完全に動きを止めていた。
「魔力が……使えない?」
男は本を抱えたまま、目を丸くしていた。
「お、おい……なんだこれ!? 俺がやったのか!?」
アイリスを拘束していたツタも力を失い、彼女の身体はゆっくりと地面へ降りてくる。
マリアはすぐに駆け寄り、妹を抱き留めた。
「アイリス! アイリス、しっかりして!」
「……お姉、ちゃん……?」
「よかった……!」
マリアはアイリスを強く抱きしめた。
その声には、先ほどまでの怒りとは違う、安堵が混じっていた。
そして、彼女は男の方を見る。
「あなたがやってくれたの?」
「いや、俺にも何が何だか……本に書いてあった文章を読んだだけだ!」
男の手にある本を見て、マリアは目を見開いた。
それはアイリスが常に持ち歩いていた悪魔祓いの本だった。
「……魔封じの籠」
かすかに意識を取り戻したアイリスが呟く。
「お姉ちゃん……それは……魔力を封じるための術……」
「魔封じの籠?」
「うん……術の範囲内にいるものの魔力を、一時的に全部封じるの。悪魔や魔術師を相手にするときの……最後の切り札……」
アイリスはまだ朦朧とした様子で説明した。
本来なら、熟練した悪魔祓いでなければ扱うことすら難しい術だった。
それを盗賊の男は、偶然にも発動させてしまったのだ。
「……なるほど」
マリアはゆっくりとアイリスを地面に寝かせ、ロザンナへ向き直った。
ロザンナもまた、魔術が使えなくなった状況を理解し始めていた。
「まさか……このような手段がありましたのね」
彼女の表情から、先ほどまでの余裕が消えていく。
「残念ですわ。せっかく楽しくなってきたところでしたのに」
「……もう魔術は使えないよ」
マリアは静かに告げた。
「あなたも、私もね」
先ほどまで手にしていた黒い剣も、魔力で形作られたものだった。マリアの手の中で、それは黒い霧となって消えていく。
ロザンナも魔術による防御や攻撃を使うことはできない。
残されたのは、互いの身体だけだった。
「ふふ……面白いことになりましたわね」
ロザンナは構えを取る。
マリアもまた、静かに拳を握った。
だが、両者には明確な違いがあった。
マリアは普段から魔術だけに頼っていたわけではない。空中での身のこなしや、近距離での戦いにも十分に慣れていた。
一方のロザンナは、森と魔術を自在に操ることを前提として戦ってきた。
魔術を封じられた今、その差は大きかった。
ロザンナが先に踏み込む。
しかし、マリアはその動きを見切り、身体をわずかに傾けて攻撃をかわす。
そして、相手の懐へ一気に入り込んだ。
(拳が打ち込まれる音)
ロザンナの身体が大きく揺れる。
「くっ……!」
彼女が体勢を立て直すより早く、マリアは続けて攻撃を繰り出した。
ロザンナは後退しながら応戦するが、マリアの動きについていけない。
先ほどまで森を支配していた魔女は、今や一人の悪魔と肉体だけで向き合わされていた。
そして、その勝負では――
マリアの方が、明らかに上手だった。