[過ちを止める手]
マリアはゆっくりとロザンナへ歩み寄った。
吹き飛ばされたロザンナは、まだ起き上がれずにいる。
マリアはその足元に落ちていた、大きな枯れ枝を拾い上げた。
そして、地面に枝の先端を押し当てる。
(木が削られる音)
彼女は力任せに枝を削り、その先端を鋭い杭のように尖らせていった。
「……まさか」
ロザンナはそれを見て、表情を強張らせる。
それは古くから伝わる、魔女殺しの方法だった。
魔術を封じられた魔女に対し、木の杭を心臓に突き立てる。単純でありながら、古くから恐れられてきた処刑の手段。
マリアは尖らせた枝を両手で握った。
「あなたが……アイリスにしたこと」
その声は静かだった。
「絶対に許さない」
彼女の身体は限界に近かった。首を締められた苦しさも、全身に負った傷も残っている。
それでも、マリアは最後の力を振り絞って枝を持ち上げた。
ロザンナの胸元へ狙いを定める。
「さようなら……」
そして、杭を振り下ろそうとした。
その瞬間。
「お姉ちゃん!!」
横から伸びた手が、マリアの腕を掴んだ。
「……え?」
マリアの動きが止まる。
そこにいたのは、アイリスだった。
まだ足元は覚束なく、身体も傷ついたまま。それでも、彼女は自分の力で立ち上がり、姉のもとまで歩いてきたのだ。
「アイリス……?」
「だめ……!」
アイリスはマリアの腕を両手で掴み、必死に首を横に振った。
「お姉ちゃん、もうやめて……!」
「でも……こいつは、あなたを……!」
「分かってる。全部分かってるよ……」
アイリスの声は震えていた。
「私を傷つけたことも、お姉ちゃんを苦しめたことも……許せないよ」
彼女は一度、ロザンナの方へ目を向けた。
それから、再び姉を見つめる。
「でも、お願い。そんなことをしないで……」
「アイリス……」
マリアの青く輝く邪眼が、わずかに揺らいだ。
「私は、お姉ちゃんに誰かを殺してほしくない。お姉ちゃんがそんなことをしてしまうのを、見たくないの……」
アイリスは姉の手を握りしめた。
「もう十分だよ。私のところに戻ってきてくれた。それだけでいいから……」
マリアの指から、少しずつ力が抜けていく。
握られていた枝が、地面へ落ちた。
(枝が地面に落ちる音)
マリアはしばらく何も言わなかった。
やがて、青く輝いていた瞳がアイリスを見つめる。
「……ごめんね」
その声は、いつもの優しい姉のものに戻り始めていた。
アイリスは首を横に振り、マリアの胸元へ身を寄せた。
「謝らなくていいよ。お姉ちゃん……」
マリアは妹を抱きしめた。
今度こそ、もう二度と離さないように。
[森の終わり]
ロザンナは、地面に崩れ落ちた。
マリアの蹴りを受けた腹部を押さえ、苦しげに息を吐いている。先程までの余裕に満ちた笑みは、もう彼女の顔にはなかった。
「……まったく。とんだ宴になってしまいましたわね」
ロザンナがそう呟いた、その瞬間だった。
(木々が一斉に震え始める音)
周囲を取り囲んでいた木々が、まるで何かに怯えるように激しく揺れ始めた。
「え……?」
アイリスが顔を上げる。
次の瞬間、森全体に異変が起きた。
黒々とした幹は急速に色を失い、枝葉は乾ききったように崩れていく。無数に張り巡らされていたツタも、地面に落ちると同時に砂のように砕け散った。
一本、また一本と木々が枯れ、やがてそのすべてが土へと還っていく。
(木々が崩れ、土へと還る音)
「な、何が起きてるの……?」
アイリスは周囲を見渡した。
つい先ほどまで、薄暗く不気味な森が広がっていた場所。そこにはもう一本の木も残っていなかった。
代わりに広がっていたのは、朝日の光を浴びた緑豊かな草原だった。
どこまでも続く草地に、柔らかな風が吹き抜ける。
あれほど不気味だった空気も、嘘のように消え去っていた。
「……森が、なくなっちゃった」
マリアも呆然と周囲を見渡していた。
「ロザンナの魔法が解けたから、なのかな……?」
そのときだった。
遠くから、複数の馬の蹄の音が聞こえてきた。
(馬の蹄が地面を打つ音)
「誰か来る!」
アイリスが振り返る。
草原の向こうから、数十名もの保安官たちが馬に乗って駆け寄ってくるのが見えた。彼らは森の外で待機していたのだろう。先程までの激しい戦闘の音を聞きつけ、様子を確かめに来たようだった。
「全員、警戒を怠るな!対象を確認しろ!」
先頭の保安官が声を張り上げる。
彼らは周囲の状況を確認すると、地面に倒れているロザンナを見つけた。
「いたぞ!あの女だ!」
数名の保安官が馬から降り、慎重にロザンナへ近づいていく。
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ロザンナは抵抗する様子もなく、ただ彼らを見上げていた。
「……ふふ。今度は保安官の皆様がお相手ですの?」
「黙れ。お前を連行する」
保安官たちはロザンナの腕を押さえ、拘束具を取り付けた。
こうして、呼ばれずの森を支配していた魔女ロザンナは、保安官たちの手に渡った。
一方、マリアはアイリスの身体を支えながら、周囲を見回していた。
「ねえ、アイリス」
「どうしたの?」
「ライルは?」
その言葉に、アイリスも辺りを見渡した。
先程まで自分たちと共に戦っていた男の姿がない。
少し離れた場所にも、草原の向こうにも、彼の姿は見当たらなかった。
「あれ……? 本当だ。どこに行ったんだろう」
「さっきまでそこにいたよね?」
「うん。私を安全な場所まで運んでくれたんだけど……」
二人は顔を見合わせた。
そして、ほぼ同時に一つの可能性に思い至る。
「……逃げたのかな?」
「たぶんね」
アイリスは、保安官たちの方へ視線を向けた。
ライルは元盗賊だ。保安官が大勢やって来たとなれば、捕まることを恐れて逃げ出したとしても不思議ではない。
「せっかくお礼を言いたかったのに……」
アイリスは少し残念そうに呟いた。
「ふふっ。あの人らしいんじゃない?」
マリアは小さく笑った。
「でも、ライルには助けられたね」
「うん。本当に……」
アイリスは自分の胸元に手を添えた。
彼がいなければ、あのとき自分はどうなっていたかわからない。
「また会えるといいね」
「そうだね」
マリアはアイリスの肩をそっと抱き寄せた。
「それより、アイリス。傷は大丈夫? まだ痛む?」
「大丈夫。ちょっと痛いけど、歩けるよ」
「本当に? 無理してない?」
「してないってば。お姉ちゃんこそ、身体は大丈夫なの?」
「私は平気!」
そう答えたマリアだったが、アイリスの顔を見つめる目には、まだ心配の色が残っていた。
朝日は草原を照らし続けている。
長い間、人々を飲み込み、誰一人として帰さなかった呼ばれずの森。
その森は、もうどこにもなかった。