[アイリスの願い]
保安官の話を聞き終えた後も、アイリスはしばらく黙り込んでいた。
机の上に置かれた古い書類を見つめながら、彼女はロザンナのことを考えていた。
ロザンナの魔法は、自然を操る魔法だった。
木々を成長させ、植物を自在に動かし、荒れた土地さえも豊かな緑へと変える力。
使い方次第では、人々に大きな恩恵をもたらせるはずの魔法だ。
かつて彼女が暮らしていた町でも、その力は多くの人々を助けていたという。
それなのに、彼女は魔女狩りによって居場所を奪われた。
逃げ延びた先で森を作り、長い年月をそこで過ごした。
そして、その森に入り込んできた人間たちを殺害した。
もちろん、人を殺したことが許されるわけではない。
たとえ相手が凶悪犯罪者や盗賊だったとしても、人の命を奪った事実は変わらない。
しかし、アイリスには別の考えもあった。
彼女はただ、自分が生きていくための場所を守りたかっただけなのではないだろうか。
もう誰にも追われず、誰にも傷つけられずに暮らせる場所を。
そう考えると、ロザンナをこのまま牢獄に閉じ込めてしまうことが、本当に正しいのか分からなくなった。
「……保安官さん」
アイリスが顔を上げる。
「ロザンナのことなんですが、お願いがあります」
「何だね?」
「彼女を、私たちの旅に同行させてもらえませんか?」
一瞬、詰所の空気が止まった。
「……今、何と言った?」
「ロザンナを私たちの旅に連れて行きたいんです」
保安官は眉間にしわを寄せた。
「冗談を言っている場合ではない。あの女は長年にわたって人を殺してきた魔女だぞ」
「分かっています」
「ならば、なぜそんなことを言う?」
「彼女の魔法は、本来なら人々を助けるためにも使えるものです。それに、彼女は魔女狩りから逃げて、あの森でずっと暮らしていたんですよね」
「だからといって、罪が消えるわけではない」
「それも分かっています。でも……」
アイリスは一度言葉を切った。
「彼女には、もう一度外の世界を見てほしいんです。ずっと森の中だけで生きてきた彼女に、別の生き方があることを知ってほしい」
保安官は首を横に振った。
「認められない。危険すぎる。君たちが彼女をどうにかできる保証もないだろう」
「それでも、お願いします」
そのとき、隣で話を聞いていたマリアが口を挟んだ。
「ちょっと待ってよ、アイリス!」
いつもの明るい声ではなかった。
「本気で言ってるの?」
「うん」
「だって、あの女だよ? あなたを傷つけて、私の目の前で何度もひどいことをしたんだよ?」
マリアの声には、隠しきれない怒りが滲んでいた。
「私は絶対に反対。あんな危ない女を一緒に連れて行くなんて、何を考えてるの?」
「お姉ちゃんの気持ちも分かるよ」
「分かってないよ!」
マリアはアイリスの肩を掴んだ。
「あなた、あのときどれだけ危なかったと思ってるの? 私はもう、あんな思いをしたくないんだから!」
「……ごめんね」
「謝ってほしいんじゃない!」
マリアは少し俯いた。
あの森でアイリスが傷つけられたときのことが、まだ頭から離れないのだろう。
「私はあなたを守りたいの。だから、これ以上危険なことを増やさないでよ……」
アイリスはマリアの手にそっと自分の手を重ねた。
「お姉ちゃん。私はロザンナを許したわけじゃないよ」
「だったら……」
「でも、彼女にも事情があった。彼女が何十年も森の中で過ごしてきたことを考えると、ただ牢屋に入れて終わりにするのは違うと思うんだ」
「それは……」
マリアは言葉に詰まった。
アイリスは保安官へと向き直る。
「私は彼女を野放しにしたいわけではありません。彼女が罪を償う必要があることも理解しています。ただ、その方法が幽閉だけである必要はないと思うんです」
「君はずいぶんと彼女を信じているようだな」
「信じているというより、知りたいんです。ロザンナが本当はどんな人なのか。森の外で、もう一度生きることができるのか」
保安官は深く息を吐いた。
「……君たち二人は、随分と厄介な旅をしているようだな」
「はい。でも、だからこそです」
アイリスは一歩も引かなかった。
マリアはそんな妹を見つめていた。
どれだけ反対しても、アイリスの意思が変わらないことは分かっていた。
「……もう。アイリスは本当に頑固なんだから」
マリアは小さく呟いた。
それでも、納得したわけではない。
保安官は腕を組み、しばらく考え込んでいた。
「すぐには返事はできない。彼女の罪状や過去の記録を確認する必要がある。それに、本人が同行を望むかどうかも分からない」
「はい。それでも構いません」
「ただし、彼女を連れ出すことについては、私一人の判断では決められない。上にも報告する」
「ありがとうございます」
アイリスは深く頭を下げた。
マリアは隣で、まだ不満そうに頬を膨らませている。
「……私は反対だからね」
「うん。分かってる」
「本当に分かってる?」
「分かってるってば」
アイリスが少し笑うと、マリアは困ったようにため息をついた。
こうして、ロザンナの今後は保安官たちの判断に委ねられることになった。
そしてアイリスの中には、新たな願いが一つ生まれていた。
あの森から出ることのできなかった魔女に、もう一度、外の世界を歩いてもらいたい。
その願いが叶うかどうかは、まだ誰にも分からなかった。