第四節
[妹の決意]
それから数日後。
アイリスは叔父の書斎にいた。
机の上には、古びた悪魔祓いの書物が何冊も積み重なっている。蝋燭の明かりが揺れる中、アイリスは一冊ずつページをめくっていた。
「……悪魔化した人間を元に戻す方法」
何度も同じ言葉を口にしながら、資料を探していた。
叔父は向かい側の椅子に腰掛け、静かにその様子を見守っている。
「叔父さん、本当に何か方法はないの?」
「……アイリス」
「古い文献でもいいの。伝承でも、噂でも。何か残っていない?」
叔父はしばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「悪魔になった人間を、元の人間に戻す方法は存在しない」
アイリスの手が止まった。
「……そんな」
「悪魔との契約によって存在そのものが変質してしまったんだ。病気を治すような話とは違う。少なくとも、私が知る限りではな」
「でも……」
「マリアはもう人間ではない。外見だけの問題でもない。魂も、身体も、悪魔のものへと変わっている」
アイリスは俯いた。
分かっていた。
叔父の表情を見れば、答えなど聞く前から分かっていた。
それでも、認めたくなかった。
「……じゃあ、お姉ちゃんはずっとあのままなの?」
「そうなる」
部屋に沈黙が流れた。
アイリスは机の上の本を見つめた。
自分が助かったのは、姉がすべてを犠牲にしたからだ。
その姉を元に戻すことすらできない。
自分には何もできないのか。
そんな考えが頭をよぎった。
しかし、アイリスは顔を上げた。
「……私、諦めない」
「アイリス」
「まだ全部の本を読んだわけじゃない。世界には、ここにない知識だってあるはずだよ」
叔父は何も答えなかった。
「悪魔についてもっと勉強する。いろんな町を巡って、古い教会や図書館も調べる。何か方法が見つかるかもしれない」
「それは簡単な旅ではないぞ」
「分かってる」
アイリスは静かに答えた。
「でも、お姉ちゃんをこのままにはできないから」
叔父は姪の決意を見つめ、深く息を吐いた。
「……そうか。ならば、私に教えられることはすべて教えよう」
「ありがとう、叔父さん」
その日の夜。
アイリスはマリアの部屋を訪ねた。
マリアはベッドに寝転がり、尻尾を揺らしながら本を読んでいた。
「あら、アイリス。どうしたの?」
「ちょっと話があるの」
「なになに? 恋のお話?」
「違うよ!」
マリアは楽しそうに笑った。
アイリスは姉の隣に腰掛けた。
「私、悪魔祓いを本格的に勉強しようと思う」
「へえ、いいじゃない!」
「それでね。お姉ちゃんと一緒に旅をしたいの」
「旅?」
「うん。いろんな町を巡って、悪魔について調べたいんだ」
マリアは本を閉じた。
「楽しそうじゃない!」
「……いいの?」
「もちろん! アイリスと旅行なんて久しぶりだもの!」
「旅行じゃなくて調査だよ」
「細かいことは気にしないの!」
マリアは妹の肩に腕を回した。
「じゃあ、決まりね。お姉ちゃんがついていってあげる!」
アイリスは小さく笑った。
「うん。よろしくね、お姉ちゃん」
マリアは気づいていなかった。
妹が、本当はどんな答えを探しているのか。
アイリスは決して姉に伝えるつもりはなかった。
悪魔になった人間は、もう元には戻れない。
その残酷な結論を。
いつか、姉を救う方法を見つけるために。
たとえそれが、存在するかどうかさえ分からない希望だったとしても。