ヨルムンガンド発動から二日後。
世界各地では、航空機墜落による被害の確認が続いていた。
空中にいたおよそ七十万人が命を落とし、各国の救助機関は対応能力を超えた惨事に追われている。
各国政府は原因の究明を急いでいたが、有力な手掛かりは得られていなかった。
一方、軍事面でも混乱は続いている。
航空支援を失い、広域通信や補給に支障をきたした軍隊は、従来の作戦を維持できなくなっていた。
もっとも、それですべての戦争が終わったわけではない。
戦車は走り、銃は撃てる。
今も各地では戦闘が続いている。
ただ、その一方で。
昨日まで敵を殺すために集結していた兵士たちが、別の選択を迫られていた。
◇
アゼルバイジャン国境付近。
新ソ連軍、前線指揮所。
「偵察部隊の指揮官はどうした!」
ヴォロノフ大佐の怒声が響いた。
昨日、偵察部隊は前進命令に反して停止した。
敵の陣地を確認しながら、それ以上の接近を拒否したのである。
「現在も指定地域で警戒を継続しています」
副官が答えた。
「ならば、なぜ連れてこない!」
「現地を離れれば、監視に空白が生じます。それに、上級司令部から新しい命令が届いています」
「……何?」
差し出された書類を読み、大佐の表情が険しくなった。
攻勢作戦の無期限延期。
現在位置での防御態勢維持。
不要な武力衝突の回避。
さらに、現地の緊張緩和に必要な接触については、承認を条件に認めると記されていた。
「……ふざけるな」
大佐は書類を机に叩きつけた。
「ここまで兵力を集めておいて、戦うなというのか!」
「航空戦力の運用再開は不可能です。補給計画も復旧していません」
「地上部隊は健在だ!」
「しかし、予定通りの作戦は実行できません」
大佐は副官を睨みつけた。
反論したかった。
だが、航空支援がなく、補給の見通しも立たない状況で進軍すれば、部隊が孤立する危険性は高い。
それに、上級司令部は作戦停止を明確に命じている。
「……偵察部隊は現位置で待機させろ」
「了解しました」
「ただし、勝手な判断は二度と許さんと伝えろ」
「はっ」
副官が敬礼する。
大佐は椅子に腰を下ろした。
戦力は残っている。
敵に敗北したわけでもない。
それなのに、侵攻作戦は再開できない。
その事実が、彼には何より屈辱的だった。
◇
国境地帯。
新ソ連軍の偵察部隊は、昨日からほとんど位置を変えていなかった。
三両の装甲車両が斜面の陰に停車し、前方のアゼルバイジャン軍陣地を監視している。
「……車長」
「何だ?」
「昨日のこと、やっぱり処分されるんですかね」
若い兵士が尋ねた。
車長は双眼鏡を下ろした。
「さあな。司令部次第だ」
「命令違反ですからね」
「そうだな」
昨日、彼は前進を拒否した。
あのまま進めば、敵軍との交戦は避けられなかっただろう。
部隊を停止させた判断に後悔はない。
だが、それを上層部がどう評価するかは別問題だった。
「……ま、帰ってから考えよう」
車長は再び双眼鏡を構えた。
そのとき、道路脇に停車している複数の車両が目に入った。
「ん?」
「どうしました?」
「あれを見ろ」
兵士も双眼鏡を覗く。
古いバスと数台の乗用車が、道路脇に停まっている。
車両から降りた人々が、何かを話し合っていた。
「民間人ですかね?」
「おそらくな」
車長は周囲の地形を確認する。
問題の道路は、両軍の警戒区域に近かった。
軍用車両が接近するだけでも緊張が走る場所である。
「……まずいな」
「何がです?」
「あの連中、このままだと危険な区域へ入るぞ」
車長は通信機を手に取った。
「指揮所に報告しろ。民間車両が接近している」
◇
アゼルバイジャン軍、監視所。
「少佐、民間車両を確認しました!」
アリエフ少佐は双眼鏡を構えた。
確かに、複数の車両が道路脇に停車している。
古いバスには子供や老人の姿も見えた。
「人数は?」
「二十人以上と思われます」
「何をしている?」
「閉鎖された検問所を避けようとして、進路を間違えた可能性があります」
少佐は顔をしかめた。
新ソ連軍の侵攻が迫っているという情報に加え、世界規模の航空機墜落。
国境付近では、住民の避難が相次いでいる。
問題は、あの車両が停車している場所だった。
少し先には新ソ連軍の偵察部隊がいる。
こちらから保護部隊を出せば、敵に攻撃と誤認される危険があった。
「……面倒なことになったな」
「どうしますか?」
部下が尋ねる。
少佐は少し考えた。
「敵に連絡を取る」
「……敵軍にですか?」
「ああ」
「しかし、通信が通じるかどうか……」
「駄目なら別の方法を使う」
少佐は双眼鏡を下ろした。
「民間人を通す。そのために互いの部隊を動かさないよう、調整したい」
「相手が応じるでしょうか?」
「分からん」
少佐は答えた。
「だが、撃ち合うよりはましだ」
◇
新ソ連軍、偵察部隊。
「車長! 敵陣地に動きがあります!」
報告を受けた車長が双眼鏡を構えた。
アゼルバイジャン軍の陣地から、小型の軍用車両が一台出てきている。
そのアンテナには、白い布が結び付けられていた。
「……白旗か?」
「そのようです」
車両はゆっくりと進み、民間車両から少し離れた場所で停止した。
乗っていた兵士が降りてくる。
武器は携行しているようだが、構えてはいない。
「どうします?」
「まず指揮所に報告しろ」
兵士が通信機を操作する。
しばらくして返答が届いた。
『偵察一号、現位置で待機。接触は許可しない』
「……了解」
車長は顔をしかめた。
向こうの兵士は、依然として白い布を掲げている。
どう見ても、戦闘を始めようとしている様子ではない。
だが、命令は待機だ。
「参ったな……」
車長が呟いたとき、再び通信機が鳴った。
『偵察一号、応答せよ』
「こちら偵察一号」
『上級司令部からの指示だ。民間人保護に必要な接触について、限定的な許可を与える』
「……了解しました」
『ただし、軍事的な交渉は認められない。独断で停戦協定など結ぶな』
「承知しています」
通信が切れた。
車長は隣の兵士を見る。
「……行ってくる」
「一人でですか?」
「ああ」
「危険ですよ」
「分かってる」
車長は腰の拳銃を外し、車内へ置いた。
「預かってろ」
兵士は驚いた。
「武器を持たずに行くんですか?」
「話をするだけだ」
「相手がそう思ってるとは限りませんよ」
「だからこそ、こっちから銃を向けるわけにはいかん」
車長は車両から降りた。
少し離れた場所では、アゼルバイジャン軍の兵士が待っていた。
◇
国境線に近い道路。
二人の軍人が向かい合っていた。
一人は新ソ連軍の偵察部隊の車長。
もう一人は、アゼルバイジャン軍から派遣された若い将校だった。
互いに武器を構えていない。
だが、周囲では両軍の兵士たちが警戒を続けている。
何かあれば、すぐに銃撃戦が始まる。
そんな状況だった。
「……民間人の件か?」
先に口を開いたのは、新ソ連軍の車長だった。
相手の将校が頷く。
「そうだ」
「こちらでも確認している」
「道路を通行させたい。そちらの部隊が誤って攻撃しないよう、協力を求める」
「こちらから攻撃するつもりはない」
「それを保証できるのか?」
車長は少し考えた。
「……俺の部隊についてならな」
将校は黙った。
「上の連中が何を考えているかまでは分からん」
「……こちらも同じだ」
将校は苦笑した。
しばらく沈黙が続いた。
遠くでは、民間人たちが不安そうにこちらを見つめている。
「……妙な話だな」
車長が言った。
「何がだ?」
「昨日まで、俺たちはあんたらを攻撃するつもりだった」
「そうだな」
「それが今日は、民間人をどう通すか相談してる」
「……確かに」
将校は空を見上げた。
航空機の姿はない。
「世界中で、飛行機が落ちた」
将校が呟く。
「ああ」
「俺の知り合いも乗っていた」
車長は相手を見た。
「……そうか」
「まだ安否は分からない」
将校は視線を落とした。
「昨日までなら、こんな話を敵の軍人にするなんて考えもしなかった」
「……俺もだ」
車長は答えた。
しばらくして、将校が顔を上げる。
「通行させたいのは、あのバスと乗用車だけだ。軍用車両は出さない」
「こちらも部隊は動かさない」
「移動経路を確認したい」
「分かった。ただし、そちらが勝手に兵力を増やすなら話は別だ」
「それはこちらの台詞だ」
二人は互いを睨んだ。
だが、銃を抜く者はいなかった。
やがて、車長が小さく息を吐いた。
「……やろう」
「何を?」
「民間人を通すんだろ?」
将校は少し驚いた顔をした。
そして、頷いた。
「ああ」
その場で決まったのは、ほんの小さな取り決めだった。
互いの部隊を動かさないこと。
民間車両が通過する間、武器を向けないこと。
そして、何か問題が起きた場合は、まず連絡を取ること。
国家間の停戦協定ではない。
戦争の終結でもない。
ただ、民間人を安全に通すための協力だった。
◇
数時間後。
民間車両が、ゆっくりと道路を進み始めた。
先頭のバスには、子供や老人の姿が見える。
少し離れた場所では、新ソ連軍の装甲車両が停車していた。
反対側では、アゼルバイジャン軍の兵士たちが監視を続けている。
双方とも武器を持っていた。
だが、誰も発砲しなかった。
バスが危険な区域を通過する。
続いて乗用車が一台、また一台と進んでいった。
最後の車両が通過すると、新ソ連軍の兵士が小さく息を吐いた。
「……全車両、通過しました」
「ああ」
車長は双眼鏡を下ろした。
「指揮所に報告しろ」
「了解」
兵士が通信機を操作する。
車長は、遠ざかっていく民間車両を見つめていた。
昨日は敵軍への接近を拒否した。
今日は、その敵軍と直接話をした。
結果、民間人は誰一人撃たれることなく通過できた。
「……車長」
「何だ?」
「こういうことも、できるんですね」
兵士が呟いた。
車長は少し笑った。
「まあな」
それだけ答え、車内へ戻った。
通信機からは、すでに指揮所の呼び出しが聞こえていた。
◇
アゼルバイジャン軍、監視所。
「民間車両、全車通過しました!」
報告を受けたアリエフ少佐は頷いた。
「よし」
「新ソ連軍の動きは?」
「変化ありません」
「そうか」
少佐は双眼鏡を置いた。
最悪の事態は避けられた。
だが、問題が解決したわけではない。
国境の向こうには依然として新ソ連軍が展開している。
こちらも防御態勢を解除することはできなかった。
「少佐」
部下が口を開いた。
「今後も、あのような接触を続けるのですか?」
「必要ならな」
「敵ですよ?」
「分かっている」
少佐は答えた。
「だからといって、話をすることまで禁じられているわけじゃない」
部下は黙った。
「次に何かあったとき、互いの意図を確認する手段があるだけでも違う」
「……確かに」
「今回の件を上へ報告しろ。正式な連絡窓口が必要だ」
「了解しました」
少佐は窓の外へ目を向けた。
新ソ連軍の装甲車両が、遠くに見える。
あの中にいる兵士が、どんな人間なのかは分からない。
だが、少なくとも今日は、約束を守った。
それだけは事実だった。
◇
新ソ連軍、前線指揮所。
「……敵軍と接触しただと?」
ヴォロノフ大佐は報告書を睨みつけていた。
「はい。民間車両の通行に関する限定的な調整を行ったとのことです」
副官が答える。
「勝手に交渉したのか!」
「上級司令部の許可の範囲内です」
「……またそれか!」
大佐は椅子から立ち上がった。
「敵軍と馴れ合うために、我々はここへ来たのではない!」
「承知しています」
「ならば、なぜ止めなかった!」
「交戦を避ける必要があったためです」
副官は淡々と答えた。
大佐が怒鳴り返そうとした、そのとき。
「大佐! 本国から新しい指示です!」
通信担当の将校が入室してきた。
差し出された書類を読み、大佐の表情が変わる。
攻勢作戦停止の維持。
偶発的な武力衝突の回避。
そして、必要に応じた連絡窓口の設置。
上級司令部も、限定的な協議を認める方針へ移行していた。
「……馬鹿な」
大佐は呟いた。
副官が静かに口を開く。
「大佐。現在の兵力を維持するだけでも、相当な負担がかかります」
「……」
「航空支援も補給の見通しもないまま戦闘を始めれば、我々が不利になる可能性もあります」
大佐は副官を睨みつけた。
だが、反論はできなかった。
机の上には、侵攻作戦の地図が広げられている。
そこに描かれた進撃経路は、もはや実行できるものではなくなっていた。
「……全軍、現位置を維持」
大佐は低い声で命じた。
「余計な挑発はするな」
「了解しました」
副官が敬礼した。
大佐は椅子に腰を下ろした。
戦争は終わっていない。
しかし、少なくとも今は戦うことを許されていなかった。
◇
アゼルバイジャン国内。
ココ部隊は、道路沿いの宿泊施設で休息を取っていた。
建物の一角では、レームが現地の情報を確認している。
テーブルには飲み物と簡単な食事が並び、ルツは椅子に深く腰掛けていた。
「……あー、疲れた」
「どうした?」
ワイリが尋ねる。
「移動だよ、移動。飛行機が使えないってのは、想像以上に面倒だな」
「しばらくは仕方ない。道路も鉄道も混雑するだろうし」
「参ったねえ」
ルツは大げさに肩を落とした。
「俺たち、これからずっと車移動か?」
「船もあるよ」
トージョが答える。
「港まで行くのも大変だろ?」
「まあ、それはそうだろうけど」
そんな会話の中、ココが端末から顔を上げた。
「レーム」
「ん?」
「バクー近郊で、新ソ連軍とアゼルバイジャン軍が接触したって」
「交戦か?」
「ううん。民間人を通すために話し合ったみたい」
レームは少しだけ眉を上げた。
「ほう」
「両軍とも約束を守って、避難民を通したらしいよ」
「……へえ」
ルツが意外そうな声を上げる。
「敵同士が協力したのか?」
「限定的にね」
ココは端末をテーブルへ置いた。
その表情に、普段の楽しげな笑みはない。
「でも、たったそれだけのことだよ」
ルツが首を傾げた。
「お嬢、嬉しくないのか?」
「嬉しい?」
ココは小さく笑った。
「敵同士が話し合うなんて、本当なら当たり前にできていいことじゃない?」
「……そりゃそうだけどよ」
「それができなくて、今までどれだけ人が死んだと思う?」
ルツは口を閉じた。
ココは端末へ視線を落とした。
「たった一度の話し合いで、人間が変わったなんて思わないよ」
レームが彼女を見る。
「だが、少なくとも今回は、戦闘にならずに済んだ」
「……うん」
ココは短く頷いた。
「そうだね」
しばらく沈黙が続いた。
ヨナが口を開いた。
「……ココ」
「何?」
「それでも、人間が変わらなかったら?」
ココは少しだけ目を細めた。
「……そのときは、そのときだよ」
「……」
「私が変えたのは、戦争を続けるための条件。人間そのものを変えたわけじゃない」
ヨナは黙って聞いていた。
「それに、今までだって話し合うことはできたはずなんだよ」
ココは静かに続ける。
「それでも戦争を繰り返してきた。何度も何度もね」
その声には、いつもの明るさがなかった。
「だから、私はヨルムンガンドを発動した」
ヨナはココを見つめた。
彼女は笑っていなかった。
人間が争いをやめる日を、ただ待っているだけでは何も変わらない。
そう判断したからこそ、ココは世界の空を奪った。
たとえ、途方もない犠牲を払うことになっても。
「……ココは、人間を信じてるのか?」
ヨナが尋ねる。
ココは少し考え、それから首を横に振った。
「信じられるなら、こんなことしてないよ」
短い答えだった。
ヨナは何も言わなかった。
「……ただ」
ココが続ける。
「これまでと同じことができなくなった世界で、人間がどうするのか。それは確かめないとね」
レームが飲み物を口にする。
「ずいぶん長い付き合いになりそうだな」
「そうだね」
ココは小さく微笑んだ。
「でも、もう引き返せないから」
それ以上、誰も口を開かなかった。
端末には、世界各地の情報が絶え間なく流れ続けている。
航空機墜落の被害報告。
軍事作戦の停止。
補給網の混乱。
そして、依然として続く戦闘。
ココはそれらの情報を、一つずつ確認していた。
◇
同じ頃。
世界の別の場所でも、軍事作戦の見直しが進められていた。
ある紛争地域では、補給の遅延を理由に攻勢が延期された。
別の地域では、航空支援を失った政府軍が進撃を中止した。
さらに別の場所では、敵対する武装勢力同士が一時的な停戦を検討し始めている。
理由はそれぞれ違っていた。
補給の問題。
軍事的な損得。
政治的な判断。
そして、これ以上戦争を続けることへの疑問。
ただし、世界中の戦闘が停止したわけではない。
依然として銃声の響く地域も存在した。
戦争によって利益を得る者もいる。
過去の憎しみに囚われ、戦い続ける者もいる。
ヨルムンガンドは、そうした人間の感情まで消し去ることはできなかった。
それでも、大規模な戦争を続けるための仕組みは、大きく揺らいでいた。
航空支援は使えない。
軍事輸送は滞り、情報網も信用できない。
戦争を継続するための負担は、確実に増していた。
その中で、武力衝突を避ける選択をした人間たちがいた。
◇
夜。
アゼルバイジャン国境付近。
新ソ連軍とアゼルバイジャン軍は、依然として互いに警戒を続けていた。
戦車も装甲車両も、その場に残っている。
兵士たちは武器を手放していなかった。
だが、昼間に行われた民間人の通行をめぐる協議は、両軍の上層部へ報告されている。
そして、正式な連絡窓口の設置について、検討が始まっていた。
停戦ではない。
和平でもない。
ただ、敵同士が再び話し合うための道が、一つ開かれただけだった。
新ソ連軍の偵察部隊では、車長が夜空を見上げていた。
隣にいた兵士が声をかける。
「……車長」
「何だ?」
「今日のこと、本国じゃどう評価されるんでしょうね」
「さあな」
「命令違反で処分されたりしませんか?」
「まだ分からん」
車長は答えた。
「ただ、民間人は無事に通れた」
「……そうですね」
「それでいい」
兵士は少し笑った。
「変な話ですよね」
「何がだ?」
「敵と話しただけなのに、こんなに安心するなんて」
車長は黙って空を見上げた。
航空機は飛んでいない。
世界中から、空を飛ぶ自由が失われた。
その代償として、およそ七十万人が命を落とした。
だが、今ここにいる自分たちは生きている。
そして今日、敵を殺さずに一日を終えた。
「……そうだな」
車長は小さく答えた。
遠くには、アゼルバイジャン軍の陣地が見える。
あそこにも兵士がいる。
こちらと同じように、夜を迎えた人間たちが。
明日、戦うことになるかもしれない。
だが、明日も戦わずに済むかもしれない。
その可能性があることを、彼らは知った。
空を失った世界で。
戦争が終わったわけではない。
人間が変わったと証明されたわけでもない。
それでも、この日。
国境を挟んだ二つの軍隊の間に、銃声は響かなかった。