合鍵渡したらPの部屋にアイドルが入り浸るようになった話 作:マロンex
ある日のこと。
仕事中に過労で倒れたプロデューサーは、数日間の入院を余儀なくされた。
退院が近づいた頃、彼は咲季にある頼み事をした。
「申し訳ないんですが、咲季さん。ひとつお願いしてもいいですか?」
「何? 退院の手続きなら手伝うわよ! 何でも言って!」
「いえ、自宅にあるパソコンや資料を持ってきてもらいたくて。仕事の確認だけでもしておきたいんです」
「……病院でも仕事するつもり?」
「少しだけですよ」
「少しだけ、ねえ……」
呆れながらも、咲季は了承した。
しかし、いざプロデューサーの部屋に着いてみると、玄関の鍵が開けられない。
そのことを電話で伝えると、彼はあっさりと言った。
「そうでした。予備の鍵があるので、それを使ってください。玄関の棚の引き出しに入っています」
「それなら、最初から渡しておいてよ」
「すみません。じゃあ、今後のこともありますし、そのまま持っていてもらえますか?」
「今後?」
「退院後も、もし体調が悪くなったりしたら困りますから」
「そう……分かったわ。預かっておくわ」
軽い気持ちだった。
本当に、ただそれだけだった。
だが、電話を切ったとたん背中にぞくりと悪寒が走った。
(何か...とんでもない過ちを犯した気が...)
悪い予感はすぐに的中した。
咲季は食事を届けるために部屋を訪れ、掃除をするために訪れ、体調を確認するために訪れた。
そして、いつの間にか。
「ふふっ...お邪魔するわね。待っててあげるわプロデューサー♡」
合鍵で玄関を開け、プロデューサーが帰ってくるのを待つようになっていた。
合鍵を渡したのは、少し間違いだったのかもしれない。
少なくとも、プロデューサーはまだそのことに気づいていなかった。
ーある日の仕事終わり。その日は予定よりも仕事が長引いた。
帰宅したのは、日付が変わる少し前。
「……ただいま」
静かに玄関を開ける。
リビングの明かりはついていなかった。
けれど、ソファの上に何かがある。
近づいてみると、そこには毛布にくるまった咲季が眠っていた。
「咲季さん……?」
テーブルには、夕食がラップをかけられた状態で置かれている。
その横には、メモが一枚。
『遅くなってもいいから、帰ったらちゃんと食べること!』
最後に小さく、花の絵が描かれていた。
「……まったく...叱るに叱れませんね」
プロデューサーは思わず笑みをこぼした。
起こさないように毛布を掛け直そうとした、そのとき。
「……ん」
咲季が小さく身じろぎする。
「咲季さん。すみません、起こしてしまいましたか?」
「……プロデューサー?」
「はい。帰りましたよ」
咲季は眠そうに目をこすり、ゆっくり身体を起こした。
「おかえり……」
「ただいま戻りました。待っていてくださったんですか?」
「別に……待ってたわけじゃないわよ」
「そうなんですか?」
「ちょっと休んでただけ。気づいたら寝ちゃってただけよ」
「そうでしたか。ありがとうございます」
「……夕食、食べた?」
「まだです」
「なら、温めるわ」
咲季が立ち上がろうとする。
しかし、プロデューサーはその肩にそっと手を置いた。
「大丈夫ですよ。咲季さんは寝ていてください。自分でやりますから」
「でも……」
「せっかく休んでいたんですから」
咲季は少しだけ不満そうに頬を膨らませた。
「……じゃあ、ここに座って」
「はい?」
「隣。少しだけでいいから」
プロデューサーがソファに腰を下ろすと、咲季はその隣に座った。
そして、彼の肩に頭を預ける。
「……五分だけよ」
「はい」
「今日はずっとレッスンだったし、ちょっと疲れちゃったの」
「お疲れさまでした」
「あなたもね」
咲季は彼の袖をつまんだ。
「……帰ってきてくれてよかった」
「え?」
「何でもないわ。ほら、早くご飯を食べてきて」
咲季は身体を離した。
けれど、彼の袖をつまんだ手は、しばらく離れなかった。
ーまた別の日 ある休日の昼下がり。
プロデューサーはソファで資料を確認していた。
そのとき、玄関から鍵の開く音がした。
カチャリ。
「ただいまー」
「……咲季さん?」
思わず顔を上げる。
玄関から現れたのは、いつも通りの笑顔を浮かべた咲季だった。
「こんにちは。今日はいい天気ね」
「こんにちは。……あの、咲季さん」
「なに?」
「ここ、私の自宅なんですが……」
「ええ、知ってるわよ?」
「いえ、そうではなくてですね……」
プロデューサーは手元の資料を置いた。
彼女が合鍵を持っていることは知っている。自分で渡したのだから、当然だ。
しかし、こうして何の連絡もなく自宅に入ってくることには、いまだに慣れない。
「今日はどうされたんですか?」
「特に用事はないわよ」
「用事がないのに来たんですか?」
「ええ。強いて言うなら、あなたに会いに来たの」
「……それは、どういう」
「そのままの意味よ」
あまりにも自然に言われて、プロデューサーは返事に困った。
咲季は靴を脱ぎ、慣れた様子で部屋に入ってくる。
そして、いつものようにソファへ向かった。
「隣、いい?」
「……どうぞ」
咲季は彼の隣に座る。
プロデューサーは少しだけ姿勢を正した。
(...流石に今日は注意しなくては)
「咲季さん。何度かお話ししていますが、ここは私の自宅です。担当アイドルとはいえ、あまり頻繁に出入りするのは……」
「駄目?」
「駄目というわけではありません。ただ、世間的にも誤解を招く可能性がありますし、仕事と私生活の区別はつけた方がいいと思うんです」
「ふうん」
咲季は少し考えるように視線を落とした。
「じゃあ、今日は帰った方がいい?」
「いえ、せっかく来ていただいたので、今から帰っていただく必要はありませんが……」
「なら、今日はここにいるわ」
「……咲季さん」
「別に追い返してくれたっていいけどぉ」
そう言って、不敵な笑みを浮かべた咲季はポケットから合鍵を取り出した。
「私にはこれがあるもの」
「そういう目的でお渡ししたわけでは……」
「それと、できれば来る前に連絡をいただけると助かります」
「分かったわ!なるべくそうする」
「お願いしますね」
(正直連絡以前に来てほしくはないんだけどな...)
咲季は鍵を握りしめた。
「……ねえ。これって、私だけが持ってるのよね?」
「今のところはそうですね」
「ふふっ」
咲季は嬉しそうに笑った。
「じゃあ、私だけの特別な鍵ね」
「特別、ですか?」
「そうよ。あなたの家に入れる鍵なんだから」
「あの...何度も言いますが、合鍵をお渡ししたのは、あくまで仕事や緊急時のためで」
「分かってるわ」
そう答えながらも、咲季の表情は変わらない。
「でも、仕事で疲れて帰ってきても、ここに来ればあなたに会える。あなたがいないときだって、帰ってくるのを待っていられる」
「……咲季さん」
「だから、私にとっては特別なの」
咲季は鍵を大切そうに握りしめた。
「それに、あなたがいないときに来るのも好きよ。ここで待っていると、あなたが帰ってくるのが楽しみになるから」
「それは……」
プロデューサーは困ったように眉を下げる。
本来なら、もう一度きちんと注意するべきなのだろう。
担当アイドルが自宅に頻繁に出入りすることも、帰宅を待っていることも、決して一般的な関係ではない。
しかし、彼女はいつも真剣な顔で自分を心配してくれる。
退院してからも食事を気にかけ、部屋の掃除までしてくれた。
その好意が心地よいのもまた事実だったからだ。
「……あまり無理はしないでくださいね。咲季さんにも予定があるでしょう?」
「ええ。分かってるわ」
「それならいいんですが」
「それに、あなたも私が来るのは嬉しいんでしょう?」
「おほん……担当アイドルが元気な姿を見せてくれるのは嬉しいですよ」
「もう。ふふっ、そういうことにしておいてあげる」
咲季は彼の腕に自分の腕を絡めた。
「……それとね」
「はい?」
「この鍵を持ってるのは私だけなんだから、私のことも特別扱いしてよね」
「もちろんです。咲季さんは大切な担当アイドルですから」
「……そういう意味じゃないんだけど」
「え?」
「もう!」
咲季は彼の腕をぎゅっと抱きしめた。
「今はこれでいいわ」
「……咲季さん、近くないですか?」
「そうかしら?」
「少しだけ」
「じゃあ、少しだけ離れるわね」
そう言いながら、咲季はほんのわずかに身体を離しただけだった。
「これならいい?」
「……まあ、これくらいなら」
「ふふっ」
咲季は満足そうに笑い、彼の肩に寄りかかった。
「……いつか、ちゃんと分かってもらうんだから」
プロデューサーは、その言葉の意味を深く考えないようにした。
ーまた別の日 ある日の夕方。
「プロデューサー。ちょっといい?」
咲季は小さな紙袋を持ってやってきた。
「どうしたんですか?」
「これ、置かせてもらってもいい?」
中身は、部屋着と小さなポーチだった。
「……部屋着ですか?」
「そう。毎回着替えを持ってくるのも面倒だし、ここに置いておこうと思って」
「いや、ちょっと待ってください」
プロデューサーは紙袋と咲季の顔を交互に見た。
「ここに置くんですか?」
「ええ」
「咲季さんの家ではなく?」
「そうよ」
「……どうしてですか?」
「急に雨が降ったりしたら困るでしょ? それに、遅くなったときにも便利だし」
「それはそうですが……」
「駄目?」
咲季は首を傾げた。
プロデューサーは返事に迷った。
部屋着を置くということは、彼女がここで着替えることを想定しているということだ。
つまり、今まで以上に長く滞在するつもりなのだろう。
「咲季さん。ここはあくまで私の自宅です。あまり自分の家のように使われると、その……」
「困る?」
「いえ、そういうわけではなくてですね」
「じゃあ、いい?」
「……少し考えさせてください」
咲季は紙袋を胸元に抱えた。
「そっか。分かったわ」
珍しくあっさり引き下がった彼女に、プロデューサーは少し安心した。
しかし、咲季は棚の方を見ていた。
そこにはすでに、彼女専用のマグカップと歯ブラシが置かれている。
「……あら?」
「どうしました?」
「もう結構、私のものが増えてるわね」
「そうですね……」
プロデューサーも棚に目を向ける。
最初はマグカップだけだった。
その次に歯ブラシ。
さらに、咲季が使いやすいようにと置いていったヘアゴムやハンドクリーム。
気づけば、彼女の私物がいくつも並んでいる。
「……いつの間に、こんなに」
「ふふっ。あなたも気づいてなかったの?」
「気づいてはいましたが、まさかここまで増えるとは」
「じゃあ、これも仲間入りね」
咲季は紙袋を持ち上げた。
「咲季さん……」
「冗談よ。今日は持って帰るわ」
そう言って笑う彼女を見て、プロデューサーは少しだけ肩の力を抜いた。
「すみません。せっかく用意してくださったのに」
「いいのよ。あなたが困るなら、無理には置かないわ」
咲季はそう言ってから、少しだけ声を小さくした。
「……でも、いつか置かせてね」
「……考えておきます」
「約束よ?」
「約束とまでは言えませんが……」
「ふふっ。楽しみにしてるわ」
そのあと、二人で夕食を食べ、テレビを見て過ごした。
咲季が作ってきた料理を食べながら、プロデューサーは何度か時計を確認した。
そろそろ帰る時間だろう。
そう思っていたのだが。
「咲季さん、そろそろ帰らなくて大丈夫ですか?」
「……そうね」
咲季はソファから立ち上がらない。
「駅まで送りますよ」
「待って」
彼女は彼の袖をつまんだ。
「今日は...もう少しだけ一緒にいたいわ」
「明日も予定がありますよね?」
「あるわよ。でも、まだ時間はあるもの」
「そうですか……」
プロデューサーは時計を見た。
もう少しだけ、という言葉をそのまま受け取っていいのか分からない。
「……駄目?」
咲季がこちらを見上げる。
「いえ。咲季さんがよろしければ」
「じゃあ、もう少しだけ」
彼女は嬉しそうに隣へ座り直した。
プロデューサーは、また少しだけ困った顔をする。
「本当は、あまり遅くまで引き止めるわけにもいかないんですが」
「引き止めてるのは私よ?」
「ここは私の自宅ですが……」
「うるさい! あなたも一人でいるより誰かがいた方がいいでしょう?」
「それは、まあ……」
「でしょう?」
咲季は得意げに笑った。
プロデューサーは否定できなかった。
以前、彼女が来るようになる前は、仕事を終えて帰宅しても、部屋には誰もいなかった。
食事を済ませ、資料を確認し、眠る。
それだけの生活だった。
今は、帰宅すると咲季がいる。
彼女が作った夕食があり、楽しそうに話す声がある。
最初こそ戸惑っていたが、いつの間にか、それを悪くないと思い始めていた。
むしろ、帰宅前に彼女から「今日は行ってもいい?」と連絡が来ると、少しだけ嬉しくなる自分もいる。
「……プロデューサー?」
「はい?」
「何か考え事?」
「いえ。少し、慣れてしまったなと思いまして」
「何に?」
「咲季さんがここにいることに、です」
咲季は一瞬目を丸くした。
そして、ゆっくりと笑顔になる。
「……それって、嬉しいこと?」
「そうですね。最初は驚いていましたが、今では咲季さんが来てくださるのが当たり前になってきました」
「ふふっ」
「ただ、これでいいのかという気持ちはありますよ。担当アイドルとプロデューサーですから」
「そうね」
咲季は彼の腕に寄り添う。
「でも、あなたは私が来るのを嫌がっていないわ」
「それは……」
「最初は困った顔をしていたのに、最近はあまり言わなくなったもの」
「……気をつけてはいるんですが」
「何を?」
「咲季さんを甘やかしすぎないように、です」
「ふふっ。もう遅いかもしれないわよ?」
「そうなんですか?」
「ええ。だって、私、あなたに甘えるのが好きになっちゃったもの」
咲季は彼の腕を抱きしめる。
「こうして隣に座るのも、帰ってきたあなたを迎えるのも。全部、好きよ」
「……咲季さん」
「だから、もう少しだけここにいさせて」
プロデューサーは返事をするまでに、少し時間がかかった。
本当なら、そろそろ帰るように促すべきなのかもしれない。
それでも、彼女の嬉しそうな顔を見ると、強く言えなくなってしまう。
「……分かりました。あと少しだけですよ」
「やった!」
咲季は嬉しそうに笑った。
そして、彼の肩に頭を預ける。
「ねえ、プロデューサー」
「はい?」
「もし私がここに泊まったら、迷惑?」
「……またその話ですか」
「駄目?」
「迷惑ではありません。ただ、アイドルとしての予定もありますし、軽々しく決めていいことではないと思います」
「そうね。分かってるわ」
咲季は少しだけ考え込む。
「じゃあ、いつか予定がない日に泊まってもいい?」
「……そのときに、もう一度相談しましょう」
「ふふっ。前より少し前向きになったわね」
「そうでしょうか?」
「そうよ」
咲季は嬉しそうに頷いた。
「楽しみね」
帰る時間になり、咲季は玄関へ向かった。
プロデューサーも見送りのために立ち上がる。
「今日はありがとうございました。夕食もごちそうさまでした」
「どういたしまして」
「気をつけて帰ってくださいね」
「分かってるわ」
咲季は靴を履き終えると、玄関で少しだけ立ち止まった。
「……ねえ」
「はい?」
「おやすみのハグ、してくれない?」
「え?」
「今日も頑張ったんだから、それくらいしてほしいなって」
少し照れた表情で両腕を広げる。
プロデューサーは困ったように視線を逸らした。
「咲季さん、そういうのは……」
「駄目?」
「いえ、駄目というわけではありませんが……」
「じゃあ、お願い」
彼は小さく息を吐いた。
「……今回だけですよ」
そう言って、咲季を優しく抱きしめる。
「ふふっ」
咲季はその背中に腕を回した。
「満足しましたか?」
「まだ」
「まだですか?」
「もう少しだけ」
咲季は彼の胸元に顔を埋める。
「……あと十秒」
結局、十秒では足りなかった。
ようやく離れると、咲季は頬を赤くしたまま玄関を出ていった。
「また明日ね、プロデューサー」
「……明日も来るんですか?」
「ええ。明日は夕飯を作りに来るから。何か食べたいものを考えておいてね」
「咲季さん、あまり無理はしないでくださいよ」
「分かってるわ!」
扉が閉まる直前、咲季がもう一度だけ顔を出す。
「それと!」
「はい?」
「明日は、今日より少し早く帰ってきてね!」
「努力します」
「約束よ!」
「……善処します」
咲季は満足そうに笑い、今度こそ帰っていった。
部屋が静かになった。
プロデューサーは玄関に立ったまま、しばらく動かなかった。
棚に並ぶ咲季のマグカップ。
洗面所に置かれた歯ブラシ。
彼女が持ってきた調味料や、いつの間にか増えていた小物。
そして、先ほどのハグ。
「……これは、少し考えた方がいいですね」
彼はそう呟いた。
担当アイドルとの距離感として、適切なのだろうか。
最初は確かにそう思っていた。
咲季が合鍵を使って入ってくることに驚き、長居することを心配し、私物を置こうとするたびに戸惑っていた。
しかし、今ではどうだろう。
彼女が来ることに慣れた。
夕食を一緒に食べることにも慣れた。
帰り際に甘えられることにも、少しずつ慣れてしまった。
「……慣れというのは怖いですね」
苦笑しながら、彼は明日の予定を確認する。
そのとき、スマートフォンが震えた。
咲季からのメッセージだった。
『明日もお邪魔するわね!』
少し考えてから、返信する。
『分かりました。ただし、あまり遅くならないようにしてくださいね』
すぐに返事が届いた。
『ふふっ。分かってるわ!』
『それと、明日は一緒に夕飯を食べましょうね!』
プロデューサーは画面を見つめた。
そして、ほんの少しだけ口元を緩める。
『楽しみにしています』
送信してから、彼は自分の返事に気づいた。
以前なら、こんな返事はしなかっただろう。
「……本当に、慣れてしまいましたね」
それでも、明日の夕食が楽しみになっている自分がいた。
一方、帰り道の咲季は、ポケットの中の合鍵を確かめていた。
「……明日は何時に行こうかしら」
明日は夕食を作る。
その次の日は、仕事帰りに寄る。
休日には、一緒に買い物に行ってもいいかもしれない。
そして、いつかは部屋着も置かせてもらう。
考えれば考えるほど、楽しみが増えていく。
「ふふっ」
咲季はスマートフォンを取り出し、プロデューサーとのメッセージ画面を開いた。
『明日もお邪魔するわね!』
『入る時は細心の注意を払って下さいね。誰が見ているかわかりませんから』
その返事には、彼らしい注意書きが添えられていた。
それでも、最後には『楽しみにしています』と書いてある。
「……ふふ。楽しみにしてくれてるんだ」
咲季は嬉しそうに微笑んだ。
最初は、彼が困った顔をするたびに少しだけ不安になった。
自分の行動は迷惑なのではないか。
距離を詰めすぎているのではないか。
けれど、最近は彼も少しずつ受け入れてくれている。
まだ恋愛感情には気づいてくれない。
それでも、自分が隣にいることを当たり前に思い始めている。
「……もう少しね」
合鍵を握りしめる。
「いつか、あなたの方から私が来るのを待ってくれるようになったらいいな」
その願いを胸に、咲季は帰路を歩き始めた。
合鍵は、彼の部屋へ入るための鍵。
そして今では、二人の日常を少しずつ変えていく鍵になっていた。
咲季編からはじめます。
シリーズ化しようかと思いますが、
何かリクエストあればお気軽にご連絡下さい。
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