合鍵渡したらPの部屋にアイドルが入り浸るようになった話   作:マロンex

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手毬編

「手毬さん、少しよろしいですか?」

 

レッスンを終えた手毬が教室に戻ると、プロデューサーが小さな紙袋を持って待っていた。

 

「……なに、それ」

 

「差し入れです。よかったら食べてください」

 

手毬は紙袋を受け取り、中を覗き込む。

透明な保存容器の中には、きれいな焼き色のついたフィナンシェが並んでいた。

 

「……これ、プロデューサーが作ったの?」

 

「はい。昨日、少し時間があったので」

 

「買ったんじゃなくて?」

 

「自分で作りました。実はちょっとした趣味でして」

 

手毬は一つ取り出し、しばらく眺めてから口に運んだ。

 

(何これっ!……おいしいっ)

 

もう一口。

 

今度は少し大きめにかじる。

しっとりとした生地に、バターの香りが広がる。

甘さも控えめで、手毬の好みに合っていた。

 

「手毬さん、気に入ってくれたみたいですね」

 

「……別に。普通」

 

「おいしいって顔に出てましたよ」

 

そう言いながら、手毬の手は次の一つへ伸びていた。

 

ただ、ふと周囲を見回す。

近くにほかの生徒がいないことを確認してから、残りを保存容器に戻した。

 

「もう食べないんですか?」

 

「……食べたいけど」

 

「けど?」

 

「こういうの、あんまり食べすぎるとよくないし。人に見られるのも、ちょっと」

 

アイドルである以上、体型管理は避けて通れない。

好きなものを好きなだけ食べるわけにはいかない。

手毬自身、それはよく分かっていた。

 

Pは少し考えてから答える。

 

「でしたら、量や栄養のバランスを考えて作りますよ。手毬さんが無理に我慢しなくてもいいように」

 

「……いいの?」

 

「もちろんです。好きなものを全部我慢する必要はありませんから」

 

手毬は保存容器を見つめる。

 

「……怒らないの?」

 

「何にですか?」

 

「甘いもの食べてること」

 

「食べたくらいで怒ったりしませんよ。それに私からであれば管理もしやすいです」

 

「……そっか」

 

手毬は小さく頷いた。

 

それから、残りのフィナンシェを大事そうに鞄へしまった。

その日から、Pの差し入れは手毬にとって小さな楽しみになった。

 

ただ、手毬のおいしいものへの探求心とは恐ろしいもので、

何度か差し入れを受け取るうちに、少しだけ物足りなさを感じるようになっていた。

 

「……おいしい」

 

いつものように、Pからもらったクッキーを一枚かじる。

 

やっぱりおいしい。

 

甘さも食感も、自分の好みに合っている。

Pが自分のことを考えて作ってくれたのだと思うと、なおさら嬉しかった。

 

けれど、容器の中身が少なくなっていくにつれて、手毬の表情は少しずつ曇っていった。

 

(……もうなくなっちゃう)

 

食べればなくなる。

当たり前のことだ。

また作ってもらえばいい。

今までだってそうだった。

 

それなのに、今日はいつもより物足りなく感じた。

 

(……もっと食べたい)

 

そう思って、手毬は小さく首を振る。

 

(違う。そうじゃなくて……)

 

何が違うのか、自分でもよく分からなかった。

 

数日後。

 

「……ねえ、プロデューサー」

 

「はい?」

 

手毬は差し入れのクッキーを一枚つまみながら尋ねた。

 

「これ、出来立てだともっとおいしいんでしょ?」

 

「うーん...まあ、そうですね。焼きたては香りも違いますし、食感も少し変わりますよ」

 

「……食べたい」

 

「ええ、もちろん。また作ったときに持ってきますね」

 

「そうじゃなくて」

 

手毬は少しだけ眉を寄せた。

 

「焼きたてが食べたいの。作ってから時間が経ったやつじゃなくて」

 

「うーん……それは、なかなか難しいですね」

 

「なんで?」

 

「焼き上がる時間に合わせて持ってくるのは、仕事の都合もありますから」

 

「じゃあ、焼き上がるところにいればいいじゃん」

 

「……え?」

 

「プロデューサーが作ってるところを見てれば、出来立てを食べられるでしょ」

 

あまりにも当然のように言う手毬に、Pは少し困った顔をした。

 

「手毬さん、それはつまり……」

 

「家に行けばいいんでしょ?」

 

「そんな簡単に...」

 

「じゃあ、行く。別にやましいことはないし、いいでしょ」

 

「そんなに簡単に決めていいんですか?」

 

「だって、出来立てが食べたいんだもん」

 

手毬はクッキーをもう一口かじった。

 

「……それに、作ってるところも見てみたいし」

 

Pは少し考えたあと、苦笑した。

 

「うーん、正直気乗りはしませんが、分かりました。では、都合が合う日に来てください」

 

「うん。約束ね」

 

手毬は満足そうに頷いた。

 

(……これで、また食べられる)

 

最初はそれだけだった。

Pの作るお菓子がおいしいから、出来立てを食べたい。

それ以上の理由なんてない。

 

そう思っていた。

 

ーPの家

 

手毬は玄関に入るなり、部屋の中を見回した。

 

「……へえ、思ったより普通」

 

「普通の部屋ですからね」

 

「もっと散らかってるかと思った」

 

「それはどういう意味でしょうか……」

 

「別に」

 

Pは苦笑しながら、手毬を台所へ案内した。

そこには、計量器やボウル、焼き型などのお菓子作りの道具がきれいに並んでいる。

 

「わぁっ」

 

手毬の視線が道具に釘付けになった。

 

「これ、全部使うの?」

 

「今日作るクッキーなら、こちらですね」

 

「……へ、へえ」

 

Pが材料を用意していく様子を、手毬は隣からじっと眺めていた。

 

「手毬さんもやってみますか?」

 

「……いいの?」

 

「せっかくですから」

 

「じゃあ、やる」

 

材料を量り、混ぜ、形を整える。

初めての作業に戸惑いながらも、手毬は真剣だった。

 

「手毬さん、そこはもう少し優しく混ぜてください」

 

「こう?」

 

「そうです。上手ですよ」

 

「……当然」

 

焼き上がりを待つ間、手毬はPの隣に立っていた。

 

「もう焼けた?」

 

「まだですよ。あと五分くらいですね」

 

「……長い」

 

「そんなに楽しみですか?」

 

「当たり前でしょ。出来立てが食べたくて来たんだから」

 

「気持ちはわかりますよ。...でもこの待ち時間もお菓子作りは愛おしくなってきますよ」

 

Pは笑いながら、オーブンの中を確認する。

手毬はその横顔を眺めていた。

 

慣れた手つきで道具を片付け、焼き上がりを確認する。

いつも教室で受け取っているお菓子が、こうして作られているのだと分かる。

 

(……確かにこの時間、嫌いじゃない)

 

むしろ、好きだった。

 

お菓子が焼き上がるまでの時間も、Pが自分のために準備してくれることも。

 

(……また来てもいいかも)

 

そう考えてから、手毬は少しだけ頬を赤くした。

 

(べ、別に、お菓子の話だから)

 

やがて焼き上がったクッキーを一口食べる。

 

「……おいしい」

 

「よかったです」

 

「これ、私も作ったんだよね」

 

「はい。二人で作りましたから」

 

手毬はクッキーをもう一枚手に取る。

 

「……また作りたい」

 

「ダメ...と言いたいところですが、正直私も楽しかったです。...また都合が合えば是非」

 

「うん、次は違うのがいい」

 

「何が食べたいですか?」

 

「……考えておく」

 

手毬はそう答えながら、少しだけ嬉しそうに笑った。

それから、手毬は何度かPの家を訪れるようになった。

 

最初はクッキー。

次はフィナンシェ。

その次は、以前から食べてみたかったチョコレートケーキ。

 

訪問のたびに、手毬は新しいお菓子を要求した。

 

「今日は何を作るの?」

 

「今日はシフォンケーキにしようかと思っています」

 

「……前に食べたやつ?」

 

「そうです」

 

「じゃあ、もっとふわふわにして」

 

「なかなか難しい注文ですね」

 

「プロデューサーならできるでしょ」

 

「頑張ります」

 

「あと、焼きたてがいい」

 

「もちろんです」

 

「……あと、次も来るから」

 

「ふふ。分かりました」

 

最初は、お菓子を食べるために来ていた。

けれど、いつの間にか、手毬は焼き上がりを待つ時間まで楽しみにするようになっていた。

Pが材料を準備するところを見る。

 

一緒に生地を混ぜる。

オーブンの前で焼き上がりを待つ。

 

そして、完成したお菓子を二人で食べる。

その一つ一つが、手毬にとって大切な時間になっていた。

 

(……次はいつ来よう)

 

帰り道、手毬はそんなことを考えていた。

 

(別に、お菓子が食べたいだけだし)

 

そう自分に言い聞かせる。

 

けれど、次に訪れる日を考えるだけで、自然と足取りは軽くなっていた。

 

ーお菓子作りの名目で通うようになったある日の帰り際。

 

Pは玄関で手毬に向き直った。

 

「手毬さん、少しお話があります」

 

「……なに?」

 

「最近、私の帰宅時間に合わせて来ていただくことが増えましたよね」

 

「そうだけど」

 

「仕事の都合で、予定より帰りが遅くなる日もあります。毎回待たせてしまうのも申し訳ないので」

 

Pは小さな鍵を取り出した。

 

「こちらを預かってもらえませんか?」

 

手毬は鍵を見つめた。

 

「……何これ? 鍵?」

 

「合鍵です。私が不在のときでも、必要なら先に入って待っていてください」

 

「……私が持ってていいの?」

 

「はい。ただし、いくつか約束してください」

 

「約束?」

 

「まず、外で不用意に見せないこと。それから、私がいないときに来る場合は、事前に連絡してください」

 

「分かった」

 

「それと、あまり長居しすぎないこと。手毬さんもアイドルとしての予定がありますからね」

 

「……分かったってば」

 

「それから、私たちはプロデューサーとアイドルです。こうして自宅に招くこと自体、一般的な関係とは少し違います。誤解を招くような行動には気をつけましょう」

 

手毬は少しだけ視線を落とした。

 

「……そんなに気にするんだ」

 

「当然です。手毬さんの立場にも関わりますから」

 

「……そっか」

 

少し寂しそうな声だった。

Pはその様子に気づき、言葉を付け足す。

 

「...ですが、手毬さんが安心して過ごせる場所になればと思っています。お菓子も、また一緒に作りましょう」

 

「……うんっ、ありがとう」

 

手毬は鍵を受け取った。

小さな金属の感触を、手のひらで確かめる。

 

(……これがあれば)

 

Pがいないときでも、この部屋に来られる。

帰ってくるまで待っていられる。

そう考えると、胸の奥が少し温かくなった。

 

「大事にする」

 

「ありがとうございます」

 

「……なくさないから」

 

「はい。信頼していますよ」

 

その言葉に、手毬は少しだけ顔を背けた。

鍵を鞄にしまうとき、口元が緩んでいるのをPに見られないように。

 

合鍵を受け取ってから、手毬はPの家に一人で入ることにも慣れてきた。

最初は少し落ち着かなかった。

けれど、今では玄関で靴を脱ぎ、鞄を置き、ソファに座るまでが自然になっている。

 

(……ここ、落ち着く)

 

Pの家だからだろうか。

 

それとも、いつも自分のためにお菓子を作ってくれる場所だからだろうか。

手毬はソファに座り、スマートフォンを眺めていた。

今日は新しいお菓子を作ってもらう約束をしている。

 

けれど、Pからはまだ連絡がない。

 

時計を見る。

 

帰宅予定まで、まだ三十分ほどある。

 

(……早く帰ってこないかな)

 

一人でもお菓子は食べられる。冷蔵庫にはPが用意してくれたものもある。

それなのに、今は食べる気になれなかった。

 

(……一緒に食べたい)

 

その気持ちに気づいて、手毬は少しだけ眉を寄せる。

 

(別に、待ってるわけじゃないし)

 

そう自分に言い聞かせながら、玄関の方へ視線を向けた。

 

しばらくして、スマートフォンが震えた。

 

『すみません。もう少しで終わります。あと三十分ほどで帰れそうです』

 

手毬はすぐに返信する。

 

『分かった』

 

少し考えてから、もう一通送った。

 

『気をつけて帰ってきて』

 

送信してから、手毬は画面を見つめた。

 

(……何これ)

 

自分で送っておいて、少し恥ずかしくなる。

 

「……お茶でも淹れようかな」

 

台所へ向かい、Pのマグカップを二つ出す。

 

自分の分と、Pの分。

 

お湯を沸かしていると、玄関の鍵が回る音がした。

 

「ただいま戻りました」

 

「……おかえり」

 

「手毬さん。待たせてしまいましたね」

 

「別に。今、お茶を淹れてたところ」

 

Pは台所に並んだ二つのマグカップを見て、微笑んだ。

 

「ありがとうございます。助かります」

 

「……うん」

 

手毬は自分のカップを持って、Pの隣に座った。

 

以前なら、向かい側に座っていた。

今では自然と隣を選ぶ。

Pが少し距離を空けると、手毬は何も言わずに少しだけ近づいた。

 

「手毬さん、近くないですか?」

 

「……そう?」

 

「そうですね。もう少し離れてください」

 

「ここ、座り心地いいから」

 

「ソファのどこに座っても同じだと思いますが」

 

「……じゃあ、こっちがいい」

 

手毬は肩を寄せた。

 

Pは困ったように息を吐く。

 

「手毬さん。私たちはプロデューサーとアイドルですから、あまりこういうことが当たり前にならないようにしてくださいね」

 

「分かってる」

 

「本当に?」

 

「……分かってるってば」

 

手毬は少しだけ身体を離した。

けれど、数秒後にはまた袖をつまんでいた。

 

「手毬さん」

 

「……これくらいならいいでしょ」

 

「そういう問題ではありません」

 

「……厳しい」

 

「手毬さんが甘えすぎなんです」

 

「甘えてない」

 

そう言いながら、袖をつまむ指は離れなかった。

Pはそれ以上注意するのを諦め、手毬のために淹れたお茶を一口飲んだ。

 

「……今日は何を作るんですか?」

 

「チョコレートケーキ」

 

「前にも作りましたね」

 

「前のは前の。今日は今日」

 

「分かりました。では、準備しましょうか」

 

手毬はようやく袖を離した。

その顔は、少しだけ嬉しそうだった。

 

ー完食後

 

「……ねえ、プロデューサー」

 

「はい?」

 

「いつもお菓子作ってもらってるじゃん」

 

「そうですね、手毬さんにも手伝ってもらってますけどね」

 

「ううん、全然何もできてない。...だから、今日は私が夕飯を作る」

 

Pは少し驚いた。

 

「手毬さんがですか?」

 

「なに。その反応」

 

「いえ、嬉しいですよ。ただ、料理をするんだなと思って」

 

「……できるし」

 

手毬は少しむっとした表情を見せる。

 

「じゃあ、お願いしますね」

 

「任せて」

 

そう答えた手毬は、どこか得意げだった。

しかし、いざ台所に立つと、思ったようにはいかなかった。

 

「……これ、どのくらい切るの?」

 

「一口大くらいで大丈夫ですよ」

 

「分かった」

 

しばらくして、まな板の上には大小さまざまな野菜が並んだ。

 

「……プロデューサー」

 

「はい?」

 

「これ、大きさ違わない?」

 

「少し不揃いですね。でも、味には問題ありませんよ」

 

「……そう」

 

手毬は気を取り直して、次の工程へ進む。

ところが、今度は調味料の分量を間違えてしまった。

 

「……あれ?」

 

「手毬さん、少し味が濃いかもしれません」

 

「……そんなことない」

 

「一度、味見してみましょうか」

 

Pが味を確かめる。

少し間を置いて、穏やかに笑った。

 

「……少し濃いですね」

 

「ごめん...失敗した」

 

手毬の肩が落ちる。

 

「...せっかくお礼しようと思ったのに」

 

「大丈夫ですよ。ここから調整できます」

 

「でも、あなたはいつも簡単そうに作るじゃん」

 

「慣れているだけです。最初から上手だったわけではありませんよ」

 

Pは鍋を受け取り、手毬に手順を説明しながら味を整えていく。

二人で作業を続けるうちに、どうにか夕食らしいものが完成した。

 

見た目は少し不格好で、味付けにもまだ改善の余地がある。

それでも、二人で作った料理がテーブルに並んだ。

 

「いただきます」

 

Pが一口食べる。

 

「うん、美味しいですよ」

 

「……本当?」

 

「本当です」

 

「気を遣ってない?」

 

「気を遣っていたら、もっと大げさに褒めています」

 

「それ、褒めてないでしょ」

 

手毬は頬を膨らませた。

けれど、Pがもう一口食べるのを見て、少しだけ表情を緩める。

 

「……そっか」

 

(……なんかうれしいな)

 

自分が作ったものを、Pが食べてくれている。

それだけのことなのに、胸の奥が温かくなる。

 

(いつも作ってもらってばっかりじゃ、なんか嫌だ)

 

お菓子を作ってもらうのは嬉しい。

 

でも、最近はそれだけでは足りなくなっていた。

Pが自分のために時間を使ってくれるのが嬉しい。

自分の好きな味を覚えてくれるのが嬉しい。

そして、作ったものを一緒に食べてくれるのが嬉しい。

 

だから、今日は自分が何かしてあげたかった。

 

(……おいしいって言ってくれるかな)

 

そう考えると、手毬は少しだけ張り切った。

けれど、結果はこの通りだった。

しばらくして、手毬は箸を置いた。

 

「……ねえ」

 

「はい?」

 

「お詫び」

 

「お詫び、ですか?」

 

「うまく作れなかったから。何かしてあげる」

 

「十分ですよ。一緒に作ってくれただけで嬉しいです」

 

「それじゃ私が納得できない」

 

手毬は少し迷ったあと、自分の箸で料理を一口分つまんだ。

そして、Pの口元へ差し出す。

 

「……はい」

 

「え?」

 

「食べて」

 

「手毬さん?」

 

「……あーん」

 

言った直後、手毬の耳が赤くなる。

 

Pは一瞬驚いたものの、素直に口を開けた。

 

「……あーん」

 

「……どう?」

 

「美味しいですよ」

 

「……なら、よかった」

 

手毬は視線を逸らした。

 

失敗した料理を食べてもらうのは恥ずかしかった。

それでも、Pが自分の差し出した一口を食べてくれたことが、思っていた以上に嬉しかった。

 

(……なんだろう)

 

お菓子を作ってもらったときとは、少し違う。

 

自分が作ったものを食べてもらう。

自分の手から、Pに何かを渡す。

 

それだけのことなのに、胸の奥が温かくなる。

けれど、少し遅れて、手毬は自分がしたことを思い返した。

 

(……私、今……)

 

箸を持ったまま、Pの口元に料理を差し出した。

「あーん」なんて言って、食べさせて。

 

まるで、恋人同士みたいなことを。

 

(……っ!)

 

そこまで考えた途端、頬が一気に熱くなった。

 

「手毬さん? どうしました?」

 

「な、なんでもない!」

 

思わず声が大きくなる。

Pは不思議そうに首を傾げたが、手毬は顔を見られないように俯いた。

 

(なにやってるの、私……!)

 

別に、深い意味なんてなかった。

ただ、お詫びをしたかっただけ。

自分が作った料理を食べてもらいたかっただけ。

 

そう言い聞かせても、一度意識してしまうと、さっきの行動が頭から離れない。

 

(……恋人みたい、とか。何考えてるの)

 

自分で自分に呆れながらも、胸の鼓動はなかなか落ち着いてくれなかった。

 

それでも。

 

(……また、やりたい)

 

そんな気持ちが心のどこかに残っていることに気づいて、手毬はますます顔を赤くした。

 

(……別に、変な意味じゃないし)

 

そう自分に言い聞かせながら、手毬は何事もなかったように箸を持ち直した。

そのまま箸を引っ込めるかと思いきや、今度は少しだけ自分の方へ料理を寄せた。

 

「……もう一回」

 

「え?」

 

「まだ残ってるから」

 

「自分で食べられますよ?」

 

「私が食べさせたいの。……だめ?」

 

Pは一瞬、返事に迷った。

担当アイドルに食事を食べさせてもらう。

客観的に考えれば、あまり褒められた状況ではない。

 

「……今回だけですよ」

 

「うん」

 

手毬は小さく頷き、もう一度料理を差し出した。

Pが食べ終えると、今度はPが自分の箸で料理を一口分取った。

 

「では、お返しです」

 

「……え?」

 

「手毬さんもどうぞ」

 

「自分で食べられるし」

 

「そうですか?」

 

「……でも」

 

手毬は少しだけ口を開く。

 

「……せっかくだから」

 

Pが差し出した一口を食べると、手毬は恥ずかしそうに俯いた。

 

「……普通」

 

「ふふ。そうですか」

 

「笑わないで」

 

けれど、その声はいつもより柔らかかった。

 

夕食を終えたあと、Pが食器を片付けようとすると、手毬が立ち上がった。

 

「私がやる」

 

「いえ、今日は作ってもらいましたから。片付けは私がしますよ」

 

「それじゃ、お礼にならない」

 

「もう十分ですよ」

 

「……じゃあ、一緒にやる」

 

手毬は譲らなかった。

 

結局、二人で食器を洗うことになった。

手毬が洗い、Pが隣で拭く。

最初は順調だったが、手毬が洗った皿を滑らせかけ、Pが慌てて受け止める。

 

「おっと、手が滑りましたか」

 

「……ごめん」

 

「いえいえ、ゆっくりで大丈夫ですよ」

 

「...うん」

 

Pは手毬の手元を確認する。

 

「それにしても、今日は頑張りましたね」

 

「……失敗ばっかりだったけど」

 

「それでも、私のために作ってくれたんでしょう?」

 

「……うん」

 

「嬉しかったですよ」

 

手毬は洗い物を続けながら、少しだけ口元を緩めた。

 

「……なら、また作る」

 

「次はもう少し簡単な料理にしましょうか」

 

「……失礼だね」

 

「あははっ、すみません」

 

食器を片付け終えると、手毬はソファに戻った。

Pも隣に座り、明日の仕事の予定を確認し始める。

しばらくして、手毬が袖をつまんだ。

 

「……ねえ」

 

「はい?」

 

「もう少し、ここにいて」

 

「ここにいますよ」

 

「そうじゃなくて」

 

手毬はPの方へ身体を寄せる。

 

「……もう少し近く」

 

Pは手元のスマートフォンから顔を上げた。

 

「手毬さん、さっきも言いましたが、甘えすぎですよ」

 

「……今日だけ」

 

「今日だけ、ですか?」

 

「うん。今日は料理も頑張ったし」

 

「それは理由になるのでしょうか……」

 

「なる」

 

手毬はPの肩に頭を預けた。

Pは少し困った顔をしたが、結局そのまま動かなかった。

 

「……本当に、ほどほどにしてくださいね」

 

「分かってる」

 

「本当ですか?」

 

「……たぶん」

 

「たぶんでは困ります。外ではほんとにやめてくださいね....」

 

手毬は小さく笑った。

 

「……プロデューサーって、意外と優しいよね」

 

「そうでしょうか?」

 

「うん。注意するくせに、結局こうしてくれるし」

 

「それは、手毬さんが聞き分けてくれないからです」

 

「……じゃあ、これからも聞き分けない」

 

「手毬さん」

 

「冗談」

 

そう言って、手毬は目を閉じた。

Pは少しの間、彼女の様子を見つめていた。

そして、そっとブランケットを掛ける。

 

「……少しだけですよ」

 

その声に、手毬は目を閉じたまま答えた。

 

「……うん」

 

本当は、もう少しだけ一緒にいたかった。

お菓子を食べるために来たはずなのに。

いつの間にか、夕食を作るようになっていた。

 

Pの帰りを待つようになっていた。

 

そして今は、隣に座っているだけで満足できるようになっていた。

 

いや、正確には。

 

隣に座っているだけでは、少し足りなくなっていた。

 

「……プロデューサー」

 

「はい?」

 

「次は、何作ってくれるの?」

 

「そうですね。手毬さんが食べたいものを考えておきます」

 

「……じゃあ、次も来る」

 

「ふふ。お待ちしています」

 

「……うん」

 

手毬は肩を寄せたまま、静かに微笑んだ。

鞄の中には、合鍵が入っている。

いつでもこの部屋に来られる。

Pがいないときでも、帰ってくるまで待っていられる。

 

それが嬉しかった。

 

「……ねえ」

 

「今度は何ですか?」

 

「明日も来ていい?」

 

「明日ですか? 明日はレッスンのあとに打ち合わせがありますよね」

 

「終わってから」

 

「遅くなりすぎないようにしてくださいね」

 

「分かってる」

 

「それから、明日はお菓子を食べるだけではなく、ちゃんと休むこと」

 

「……分かってるってば」

 

Pは苦笑した。

 

「本当に、最近は甘えん坊になりましたね」

 

「……悪い?」

 

「いえ。ほどほどにしてくれるなら構いませんよ」

 

手毬は少しだけ顔を上げた。

 

「……じゃあ、ほどほどに甘える」

 

「そうしてください」

 

「……でも、ここではいいでしょ?」

 

「何がですか?」

 

「甘えるの」

 

Pはすぐには答えなかった。

担当アイドルとプロデューサー。

その関係を忘れてはいけない。

 

それでも、目の前の手毬が安心したように笑っているのを見ると、突き放すことはできなかった。

 

「……節度を守れる範囲なら、ですね」

 

「……分かった」

 

手毬は再び肩を預ける。

今度は、さっきより少しだけ自然に。

 

「……おやすみ、プロデューサー」

 

「まだ寝るには早いですよ」

 

「……じゃあ、もう少しだけ」

 

その言葉に、Pは小さく笑った。

 

「本当に、少しだけですよ」

 

手毬は返事をしなかった。

 

ただ、Pの袖をつまむ指だけは、最後まで離さなかった。

手毬にとって、甘いものはずっと好きなものだった。

 

けれど、今は少し違う。

 

お菓子そのもののおいしさだけでは、もう満足できなくなっていた。

作ってくれる人がいて、一緒に食べてくれる人がいて、帰ってくるのを待てる場所がある。

 

それが、何よりも嬉しかった。

 

最初は、出来立てのお菓子が食べたかっただけ。

でも今は、焼き上がるまでの時間も、隣で作業する時間も、帰りを待つ時間も、全部が欲しい。

そして明日もまた、手毬は合鍵を使ってこの部屋を訪れるのだろう。

 

「……明日も楽しみだな」

 

誰にも聞こえない声で呟いて、手毬はPの肩に頬を寄せた。

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