合鍵渡したらPの部屋にアイドルが入り浸るようになった話   作:マロンex

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リトルプリンスが小さなお城に入り浸る話(麻央編)

有村麻央は、面倒見のいい少女だ。

 

女子寮の寮長として、寮生たちの生活を見守り、困っている子がいれば相談に乗る。

体調を崩した子がいれば声をかけ、共同スペースが散らかっていれば率先して片づける。

 

誰かのために動くことを、麻央は苦に思わない。

むしろ、誰かが喜んでくれる姿を見ることが好きだった。

そんな麻央が最近、少し気にかけている人物がいる。

 

担当プロデューサーだ。

 

ある日のレッスン終わり。麻央は、いつもより少し元気のない彼に気づいた。

 

「プロデューサー、少し顔色が悪いようだけど……大丈夫かい?」

 

「ええ。少し風邪気味なだけです。大したことはありませんよ」

 

「本当に? 無理はしていないかい?」

 

「大丈夫です。少し身体が冷えただけだと思います」

 

「身体が冷えた?」

 

麻央は首を傾げた。

 

「最近、急に寒くなってきたからね。部屋では暖かくしているのかい?」

 

「それが、実は少し困っていまして……」

 

「何かあったのかい?」

 

「家の窓の建付けが悪くて、完全に閉まらないんですよ。隙間風が入ってくるので、部屋がずっと寒いんです」

 

「……え?」

 

麻央の表情が変わった。

 

「窓が閉まらないのかい?」

 

「はい。少し前から調子が悪くて。修理を頼もうとは思っているんですが、仕事が忙しくてなかなか時間が取れず……」

 

「それは聞き捨てならないね」

 

「えっ?」

 

「窓がきちんと閉まらない部屋で過ごしているなんて、放っておけないよ。寒いだけじゃなく、防犯面でも問題があるだろう?」

 

「それは、そうなんですが……」

 

「一度、ボクに部屋を見せてもらえないかな?」

 

「麻央さんに、ですか?」

 

「うん。まずは窓の状態を確認したいんだ。自分で直せる範囲なら手伝えるかもしれないし、難しそうなら修理を頼む方法も一緒に考えよう」

 

「ですが、そこまでしていただくのは……」

 

「キミが風邪を引いている原因かもしれないんだよ? それに、寒い部屋で無理を続けられても困るからね」

 

麻央は少しだけ困ったように笑った。

 

「まずは状態を確認しよう。それで、必要なら修理の手配も考えようじゃないか」

 

「……分かりました。ありがとうございます」

 

「ふふっ。任せてくれたまえ」

 

こうして麻央は、プロデューサーの部屋を訪れることになった。

 

休日。

麻央はプロデューサーの部屋を訪れていた。

 

「お邪魔するよ、プロデューサー」

 

「いらっしゃいませ、麻央さん。今日はよろしくお願いします」

 

「うん。さっそく窓を見せてもらえるかな?」

 

「こちらです」

 

案内された窓を確認すると、確かに建付けが悪く、最後まできちんと閉まらない状態だった。

 

麻央は窓の周囲や鍵の部分を慎重に確認する。

 

「なるほど……。確かにこれでは隙間風が入ってしまうね」

 

「そうなんです。夜になると特に寒くて」

 

「少し見てみようか」

 

麻央は窓枠の状態を確かめ、引っかかっている部分を慎重に調整した。

 

幸い、大がかりな修理が必要な状態ではなかった。

何度か開閉を繰り返すと、窓はきちんと閉まるようになった。

 

「よし。これなら大丈夫そうだね」

 

「本当ですか? ありがとうございます」

 

「念のため、もう一度確認してみよう」

 

プロデューサーが窓を開け、再び閉める。

今度は隙間もなく、しっかりと閉まった。

 

「これなら、もう冷たい風が入ってくることもないだろう」

 

「助かりました。これで少しは暖かくなりそうです」

 

「よかったよ。あとは、部屋を暖かくして、しっかり休むことだね。風邪気味なんだから、無理は禁物だよ」

 

「はい。気をつけます」

 

麻央は満足そうに頷いた。

これで当初の目的は達成した。

そう思って部屋を見回したときだった。

 

「……ところで、プロデューサー」

 

「はい?」

 

「少し気になることがあるんだけど」

 

「何でしょうか?」

 

麻央の視線の先には、床に置かれた荷物や、片づけきれていない書類があった。

さらに、キッチンには洗い物が残っており、洗面台にも汚れが目立つ。

 

窓の問題は解決したものの、今度は部屋全体の状態が気になり始めてしまった。

 

「キミ、普段からこういう状態なのかい?」

 

「……あまり時間が取れなくて。仕事が忙しいと、どうしても後回しになってしまうんです」

 

「ふむ……」

 

麻央は腕を組み、部屋をもう一度見回した。

 

「窓のこともそうだけど、君は生活環境全体を少し見直した方がよさそうだね」

 

「そうでしょうか?」

 

「そうだよ。せっかく窓を直しても、部屋がこの状態では落ち着いて休めないだろう?」

 

「確かに、そうかもしれません」

 

「それに、水回りも気になるね。こういう場所は汚れを溜めてしまうと、あとで掃除が大変になるから」

 

「すみません。そこまで気が回っていませんでした」

 

「謝らなくていいよ。仕事が忙しいのは分かっているからね」

 

麻央は少し考えてから、にっこりと笑った。

 

「よかったら、今日このまま部屋の片づけも手伝わせてもらえないかな?」

 

「えっ? ですが、窓を直していただいただけでも十分です」

 

「ここまで見てしまったら、放っておくわけにはいかないよ」

 

「麻央さん……」

 

「それに、キミにはこれからも元気に仕事をしてもらわないと困るからね。まずは、安心して休める部屋にしようじゃないか」

 

「……ありがとうございます。では、お言葉に甘えてもよろしいでしょうか」

 

「もちろん。任せてくれたまえ」

 

一通りの片づけが終わる頃には、部屋の印象もずいぶん変わっていた。

 

「うん。これなら、だいぶ過ごしやすくなったんじゃないかな」

 

「ありがとうございます。本当に助かりました」

 

「どういたしまして。ただ、こういう場所は一度掃除したら終わりというわけじゃないからね」

 

「そうですね」

 

「換気扇やエアコンのフィルター、浴室の排水口なんかは、たまに確認した方がいいよ。汚れを溜めてしまうと、あとで大変だからね」

 

「なるほど。覚えておきます」

 

「それから、せっかくきれいにしたんだから、この状態を維持できるようにしよう」

 

「はい。頑張ります」

 

麻央は満足そうに頷いた。

 

「でも、キミ一人で全部やろうとすると、また仕事を優先して後回しにしてしまうかもしれないね」

 

「……否定できません」

 

「ふふっ。正直でよろしい」

 

麻央は少し考えてから、改めて口を開いた。

 

「これからも、時々様子を見に来てもいいかな?」

 

「もちろんです。今日も本当に助かりましたから」

 

「ありがとう。キミがちゃんと生活できているか、ボクも気になるからね」

 

「ですが、毎回私がいるとは限りませんよ。仕事の都合で帰りが遅くなることもありますし」

 

「それは仕方ないさ。キミの仕事が忙しいことは分かっているよ」

 

「そうですね……」

 

プロデューサーは少し考え込んだ。

 

「うーん、急に帰宅が遅くなる日もありますし、せっかく麻央さんが来てくださっても、待ちぼうけですよね」

 

「なるほど。それなら、キミがいないときでも部屋に入れるようにしておいた方がいいね」

 

「そうですね。ただ、本来ならアイドルがプロデューサーの自宅に出入りするというのは、少し気をつけなければいけないことなんですが……」

 

「ふふっ。やっぱり、気になるかい?」

 

「ええ。周囲に誤解される可能性もありますし、麻央さんにも気をつけていただきたいです」

 

「それはもちろん。ボクだって、そのあたりは分かっているつもりだよ」

 

「うーん……まあ、でも、麻央さんなら大丈夫でしょう」

 

「ん?」

 

「麻央さんはしっかりしていますし、寮長としても周囲から信頼されていますから。変な誤解はされないでしょう」

 

「……もう」

 

信頼されていることは嬉しい。

けれど、少しだけ複雑な気持ちもあった。

 

(ボクだって、一応女の子なんだけどな……)

 

「それでも、来るときは注意してください。事前に連絡を入れることと、鍵の管理には気をつけること。それから、他の人に鍵を見られないようにしてください」

 

「もちろん。約束するよ」

 

「ありがとうございます。それでは、こちらを預けてもよろしいでしょうか」

 

麻央は鍵を受け取った。

手のひらに収まる、小さな金属の鍵。

それだけのものなのに、不思議と特別なものに思えた。

 

「...確かに。責任を持って預からせてもらうね」

 

「よろしくお願いします」

 

「ふふっ。じゃあ、また近いうちに様子を見に来るよ」

 

「はい。お待ちしています」

 

麻央は鍵を大切そうにしまった。

 

その小さな鍵が、これからの二人の時間を少しずつ変えていくことになる。

 

合鍵を受け取ってから数日後。

麻央は初めて、プロデューサーが不在の部屋を訪れていた。

 

「さて、今日はどこから確認しようかな」

 

玄関を開け、室内に入る。

まずは窓を開けて換気をする。

それから、気になるところを軽く掃除し、洗面台や浴室の様子を確認する。

 

以前のような大がかりな作業ではない。

それでも、誰かが帰ってきたときに気持ちよく過ごせるよう、丁寧に整えていく。

ひと通り終えたところで、麻央は机の上に小さな包みが置かれていることに気づいた。

 

「……あれ?」

 

包みの横には、メモが添えられていた。

 

『いつもありがとうございます。よろしければ召し上がってください』

 

中身は、上品な箱に入った羊羹だった。

 

「これは……」

 

麻央は箱を手に取った。

以前、何気ない会話の中で好きだと話したことがある。

 

それを覚えていてくれたのだろうか。

 

(ボクの好みを覚えていてくれたんだ...)

 

胸の奥が、じんわりと温かくなる。

 

寮長として、人の世話をすることには慣れている。

誰かのために動くことも、特別なことではない。

けれど、こうして自分のことを覚えていてくれるのは、やはり嬉しかった。

 

「……本当に、いい人すぎて心配になるよ」

 

麻央は小さく笑った。

 

その後、羊羹を一つだけいただき、残りをきれいにしまった。

 

せっかくなら、帰ってきたプロデューサーと一緒に食べたい。

そう思いながら、ソファに腰を下ろす。

 

少しだけ休んでから帰ろう。

そう考えていたはずなのに、気がつけば本を読みながら、彼の帰りを待っていた。

 

「ただいま戻りました」

 

玄関から声が聞こえた。

 

「おかえり、プロデューサー」

 

「……あれ? 麻央さん。もしかして、待っていてくださったんですか?」

 

「うん。まあ、ボクが勝手に待っていただけだからね」

 

「すみません。お待たせしてしまいました」

 

「気にしなくていいよ。それより、机の上に置いてあった羊羹、ありがとう」

 

「ああ。以前お好きだとおっしゃっていたので、よろしければと思いまして」

 

「覚えていてくれたんだね」

 

「もちろんです」

 

「ふふっ。嬉しいよ」

 

「それならよかったです。お茶を淹れますね」

 

二人で羊羹とお茶を楽しむ。

何気ない時間だったが、麻央にとっては心地よかった。

やがて時計を見ると、思っていたよりも遅い時間になっていた。

 

「そろそろ帰らないといけないね」

 

「もうこんな時間ですか。寮まで送っていきますよ」

 

「えっ? 大丈夫だよ。これくらいなら一人でも帰れるさ」

 

「夜も遅いですし、送らせてください」

 

「……ふふっ。分かったよ。じゃあ、お願いしようかな」

 

二人で部屋を出る。

 

プロデューサーは自然と車道側を歩き、暗い路地を避けて明るい大通りを選んだ。

歩く速度も、麻央に合わせてくれている。

 

(本当に気が利く人だね)

 

麻央は隣を歩く彼の横顔を眺めた。

 

(かっこいいアイドルを目指しているボクが、こんなふうにお姫様みたいに扱われるなんて)

 

少し恥ずかしい。

けれど、悪い気はしなかった。

 

「麻央さん?」

 

「えっ? ああ、なんでもないよ」

 

「そうですか?」

 

「うん。今日はありがとう。とても楽しかった」

 

「こちらこそ。気をつけて帰ってくださいね」

 

寮へ続く道の分かれ道で、二人は別れた。

麻央は少しだけ振り返り、彼の姿を見送った。

 

(また、ここに来たいな)

 

そう思う自分に気づいて、麻央は小さく笑った。

 

それから、麻央がプロデューサーの部屋を訪れることは、少しずつ日常になっていった。

 

最初の頃は、掃除や片づけにそれなりの時間がかかっていた。

けれど、プロデューサーも麻央に言われたことを守るようになった。

 

帰宅したら上着をハンガーに掛ける。

使った食器はその日のうちに洗う。

床に物を置きっぱなしにしない。

 

小さなことばかりだが、続けていれば部屋はきれいに保てる。

 

「うん。今日もきれいだね」

 

麻央は部屋を見回して頷いた。

 

「最近は、あまり手を入れるところがなくなってきたね」

 

「麻央さんに教えていただいたことを続けているおかげです」

 

「ふふっ。ちゃんと実践できていて偉いよ」

 

「ありがとうございます」

 

掃除が短時間で終わるようになると、麻央には少しずつ余裕が生まれた。

 

最初は、作業が終わればすぐに帰っていた。

それが、ソファで少し休んでから帰るようになり、やがて本を持ち込んで読むようになった。

プロデューサーが仕事から帰ってくるまで、部屋で過ごすことも増えていった。

 

「ただいま戻りました」

 

「おかえり、プロデューサー」

 

「今日も待っていてくださったんですね」

 

「うん。今日は少し早く片づいたから本を読んでいてね」

 

「ありがとうございます。ゆっくりしていってください」

 

「ふふっ。そうさせてもらうよ」

 

ある日、プロデューサーが帰宅すると、麻央はソファで本を読んでいた。

 

「麻央さん、最近いつも私が帰ってくる頃まで部屋にいらっしゃいますよね」

 

「そうかな?」

 

「はい。いつも待っていてくださるんですか?」

 

麻央は少しだけ考えてから答えた。

 

「まあ、自分で掃除した部屋だからね。きれいになったし、居心地もいい。せっかく整えたんだから、少しくらいゆっくりしていってもいいだろう?」

 

「もちろんです。むしろ、そうしていただけると嬉しいですよ」

 

「そうかい?」

 

「はい。麻央さんがいてくださると、私も嬉しいですから」

 

「……」

 

「帰ってきたときに麻央さんがいると、なんだか安心するんです」

 

麻央は思わず視線を逸らした。

 

(……どうして、そんなことを言うんだろうね)

 

(ボクはただ、掃除した部屋が居心地いいから残っているだけのはずなのに)

 

胸の奥がくすぐったい。

ここで過ごす時間が好きなのは、部屋がきれいだからだけではないのかもしれない。

 

(本当は、キミに会いたくて待っているのかな)

 

その考えに気づいた途端、頬が少し熱くなった。

 

「……ふふっ。じゃあ、これからも少し長居させてもらおうかな」

 

「ぜひ、そうしてください」

 

「それとね、次に来るとき、少し持ってきたいものがあるんだ」

 

「もちろんです。麻央さんが使うものなら、好きな場所に置いてください」

 

「……ありがとう。楽しみにしていてくれたまえ」

 

ー数日後。

 

麻央は女子寮の自室で、お気に入りのブランケットを丁寧に畳んでいた。

柔らかな肌触りで、肌寒いときにはいつも使っているものだ。

 

「うん。これならいいかな」

 

畳んだブランケットを手提げ袋に入れる。

 

(別に、大したものじゃないんだけどね)

 

(ただ、プロデューサーの部屋で過ごすときに、少しでも快適になればと思っただけさ)

 

そう自分に言い聞かせながら、麻央は袋を持ち上げた。

 

(……それに、ボクのものが一つくらいあってもいいだろう?)

 

「お邪魔するよ」

 

合鍵を使って部屋に入る。

いつものように室内を見回すと、床には物が置かれておらず、キッチンもきれいに片づいていた。

 

「ふふっ。今日も問題なさそうだね」

 

軽く片づけを済ませ、道具をしまう。

 

それから手提げ袋を持って、ソファの前に立った。

 

「さて……」

 

中からブランケットを取り出し、ソファの端にそっと置く。

広げてみると、落ち着いた色合いの布がソファによく馴染んでいた。

 

「うん。悪くないね」

 

麻央は少し離れて眺めた。

 

(これなら、ここでゆっくりするときにも使える)

 

(次に来たときも、ここに置いてあると思えば……)

 

そこまで考えて、麻央は小さく笑った。

 

(なんだか、本当に自分の居場所ができたみたいだ)

 

「ただいま戻りました」

 

「おかえり、プロデューサー」

 

「麻央さん。今日もありがとうございます」

 

「うん。今日は特に問題なかったよ。キミもずいぶん片づけが上手になったね」

 

「麻央さんに教えていただいたおかげです」

 

プロデューサーはソファに目を向けた。

 

「あれ? そちらは……」

 

「気づいたかい?」

 

麻央は少し得意げにブランケットを持ち上げた。

 

「この前話していた、持ってきたかったものさ」

 

「ブランケットですか?」

 

「うん。ボクのお気に入りなんだ。ここで過ごすときに使えればと思ってね」

 

「わざわざ持ってきてくださったんですか?」

 

「まあね。キミの部屋、夜になると少し肌寒いことがあるだろう?」

 

「確かに、そういう日もありますね」

 

「だから、これを置かせてもらえないかなと思って」

 

「もちろんです。ありがとうございます」

 

「いいのかい? ボクの私物を置くことになるけれど」

 

「構いませんよ。麻央さんが使うものですし、置いておいてください」

 

「……ふふっ。ありがとう」

 

麻央はブランケットをソファの端に戻した。

 

「それじゃあ、ここをボクの定位置にしようかな」

 

「定位置ですか?」

 

「そう。ここに座って、キミが帰ってくるのを待つんだ」

 

「それはいいですね。私も帰ってきたときに、麻央さんがそこにいてくださると嬉しいです」

 

「……もう」

 

麻央は小さく笑って、ソファに腰を下ろした。

 

(本当に、キミは……)

 

(そんなことを言われたら、ここに来るのがますます楽しみになってしまうじゃないか)

 

その日の夜。

プロデューサーが仕事の資料を確認している間、麻央はソファに座ってブランケットを膝に掛けていた。

 

「麻央さん、寒くありませんか?」

 

「大丈夫だよ。このブランケットがあるからね」

 

「それならよかったです」

 

「キミも使ってみるかい? 結構暖かいんだよ」

 

「いえ、私は大丈夫です。麻央さんが使ってください」

 

「そうかい?」

 

麻央はブランケットを整えた。

しばらくして、資料を確認し終えたプロデューサーがソファの近くにやってくる。

 

「そのブランケット、部屋の雰囲気にも合っていますね」

 

「そうかな?」

 

「ええ。なんだか、前よりも落ち着いた感じがします」

 

「ふふっ。ボクもそう思うよ」

 

麻央はブランケットを見下ろした。

この部屋に、ボクのものが一つ増えた。

たった一枚のブランケットなのに、なんだか特別な気分だった。

 

ーブランケットを置いてから、しばらく経った。

 

麻央がプロデューサーの部屋を訪れる習慣は、すっかり定着していた。

けれど、プロデューサーが生活習慣を改善していくにつれて、麻央の作業時間は少しずつ短くなっていった。

 

その分、自由に部屋で過ごす時間が増えていく。

 

最初の頃は掃除が終わったあとに少しソファで休む程度の時間だった。

次第に、持ってきた本を読む時間ができた。

そしていつの間にか、プロデューサーが帰ってくる時間まで、ブランケットにくるまりながら仮眠をとれるほど、余裕が生まれた。

 

「ただいま戻りました」

 

「おかえり、プロデューサー」

 

「今日も待っていてくださったんですね」

 

「うん。今日は少し早く片づいたからね」

 

「ありがとうございます。ゆっくりしていってください」

 

「ふふっ。そうさせてもらうよ」

 

そんなやり取りも、今では珍しくない。

プロデューサーも、帰宅したときに麻央がソファにいる光景に慣れていた。

 

ある日の夕方。

 

「麻央さん、夕食はもう召し上がりましたか?」

 

「いや、まだだけど……」

 

「よろしければ、一緒にどうですか? 簡単なものなら用意できますので」

 

「いいのかい?」

 

「もちろんです。いつも部屋のことを手伝っていただいていますから」

 

「それじゃあ、お言葉に甘えようかな」

 

二人で簡単な夕食を済ませる。

特別な料理ではない。

仕事の話や、今日あった些細な出来事を話しながら食べる、何でもない食事だった。

 

けれど麻央は、その時間が好きだった。

 

「プロデューサーは、最近ちゃんと食事を取るようになったね」

 

「はい。麻央さんに言われてから、気をつけるようにしています」

 

「それはいいことだ。忙しいからといって、食事を抜くのはよくないからね」

 

「耳が痛いです」

 

「ふふっ。これからも気をつけてくれたまえ」

 

「はい。気をつけます」

 

食事を終えたあとも、二人の会話は続いた。

気がつけば、窓の外はすっかり暗くなっていた。

 

「……あれ?」

 

麻央が時計を見る。

 

「もうこんな時間か」

 

「そうですね。そろそろ帰りましょうか」

 

「うん。そうするよ」

 

麻央が立ち上がると、プロデューサーも自然に上着を手に取った。

 

「麻央さん、寮まで送っていきますね」

 

「えっ? いいのかい? もう何度も送ってもらっているのに」

 

「夜道ですから。麻央さんを一人で帰すわけにはいきません」

 

「ボクだって、これくらい平気だよ?」

 

「それでもです」

 

「……ふふっ。キミは本当に心配性だね」

 

「そうでしょうか?」

 

「そうさ。けれど、ありがとう。今日もお願いしようかな」

 

「はい。行きましょう」

 

それから、麻央が帰るときには、プロデューサーが寮まで送ることが習慣になっていった。

最初は、麻央が遠慮することもあった。

けれどプロデューサーは毎回、当然のように送ってくれた。

 

「もう暗いですから、送りますよ」

 

「ありがとうございます。でも、今日は大丈夫だよ」

 

「いえ、送らせてください」

 

「……分かった。じゃあ、お願いしようかな」

 

そんなやり取りを何度か繰り返すうちに、麻央も素直に甘えるようになった。

そしてプロデューサーも、麻央が帰る時間になると自然に上着を手に取るようになっていた。

 

「麻央さん、そろそろ出ましょうか」

 

「うん。準備できているよ」

 

「忘れ物はありませんか?」

 

「大丈夫。ブランケットもちゃんとここに置いてあるしね」

 

「そうですね。次に来たときも使えますから」

 

「ふふっ。そうだね」

 

麻央はソファに置かれたブランケットを一度振り返ってから、玄関へ向かった。

 

寮までの帰り道。

二人は並んで歩いていた。

 

「最近、キミもすっかり慣れたみたいだね」

 

「何にですか?」

 

「ボクを寮まで送ることさ」

 

「そうですかね」

 

「今では、ボクが帰る時間になると自然に準備してくれる」

 

「確かに。麻央さんを送ることも、いつの間にか日課になってしまいましたね」

 

「日課、か」

 

「はい。麻央さんが来てくださることも、帰りに寮まで送ることも、今では自然なことになっています」

 

麻央は隣を歩くプロデューサーを見上げた。

 

「……それは、ボクが来ることを迷惑に思っていないということかな?」

 

「もちろんです。麻央さんが来てくださると助かりますし、一緒に過ごす時間も楽しいですよ」

 

「……そうかい」

 

「はい」

 

(……まったく)

 

(そんなふうに真っ直ぐ言われると、どう返せばいいのか分からなくなるじゃないか)

 

麻央は少しだけ視線を逸らした。

けれど、口元には自然と笑みが浮かんでいた。

やがて、女子寮へ続く道の分かれ道に着く。

 

「ここまでで大丈夫だよ。送ってくれてありがとう」

 

「いえ。気をつけて帰ってくださいね」

 

「うん。キミも気をつけて」

 

麻央は手を振り、寮へ向かって歩き出す。

少し進んだところで、振り返ってみる。

プロデューサーは、麻央が寮の方向へ歩き出したのを確認してから、帰路につこうとしていた。

 

(……本当に、優しい人だね)

 

(次に会えるのは、いつだろう)

 

そんなことを考えながら、麻央は再び前を向いた。

 

ーある日の午後。

 

麻央はプロデューサーの部屋で、ソファの周りを眺めていた。

ブランケットを置いてから、ここで過ごす時間はずいぶん増えた。

 

本を読んだり、プロデューサーと話したり、帰りを待ったり。

けれど、長く過ごすようになったからこそ、もう少し快適にできる気がした。

 

(……少し、寂しいかな)

 

(クッションがあれば、もっとゆっくりできそうだね)

 

そんなことを考えていると、ちょうどプロデューサーが帰宅した。

 

「ただいま戻りました」

 

「おかえり、プロデューサー」

 

「麻央さん、今日もありがとうございます」

 

「うん。ところで、少し相談があるんだけど」

 

「はい。どうしましたか?」

 

「この部屋のソファなんだけどね。もう少し座り心地をよくしてもいいかな?」

 

「座り心地ですか?」

 

「うん。今置いてあるブランケットもそうだけど、クッションがあればもっと快適になると思うんだ」

 

「なるほど。確かに、あってもよさそうですね」

 

「それなら、ボクが選んできてもいいかな?」

 

「もちろんです。麻央さんが使いやすいものを選んでください」

 

「本当にいいのかい?」

 

「はい。いつも使っていただいている場所ですから」

 

「……ふふっ。ありがとう」

 

ー数日後。

 

麻央は小さな袋を抱えて、プロデューサーの部屋を訪れた。

 

「お邪魔するよ」

 

「いらっしゃいませ、麻央さん。今日は何か持ってきたんですか?」

 

「うん。前に話していたものさ」

 

袋から取り出したのは、落ち着いた色合いのクッションだった。

 

「どうかな? このソファに合うと思って選んだんだけど」

 

「いいですね。部屋の雰囲気にも合っています」

 

「そうだろう? 触り心地もいいんだよ」

 

麻央はクッションをソファの端に置き、ブランケットもその隣に整えた。

それから少し離れて、全体を眺める。

 

「うん。これなら、もっとゆっくり過ごせそうだ」

 

「麻央さんのお気に入りの場所になってきましたね」

 

「……そうだね」

 

麻央はクッションに手を置いた。

 

(お気に入りの場所、か)

 

(ボクが選んだものがあって、ボクが使うブランケットがあって……)

 

(ここに来ると、キミが帰ってくるのを待つ時間さえ楽しい)

 

「麻央さん?」

 

「ん? ああ、ごめん。少し考え事をしていたよ」

 

「気に入っていただけたならよかったです」

 

「うん。とても気に入ったよ」

 

その日の夜。

 

プロデューサーが仕事を終え、ソファに腰を下ろした。

麻央は隣で本を読んでいたが、彼が座ったのに気づくと、少しだけ場所を空けた。

 

「このクッション、確かに座りやすいですね」

 

「だろう? 選んだ甲斐があったよ」

 

「ありがとうございます。私も使わせてもらいますね」

 

「もちろん。キミの部屋なんだから、遠慮はいらないさ」

 

「そうですね」

 

麻央はその返事に、少しだけ目を瞬かせた。

 

(キミの部屋、か)

 

(そうだね。ここはプロデューサーの部屋だ)

 

(でも、ボクのものも少しずつ増えている)

 

ブランケットも、クッションも。

どちらも麻央が選んで、ここに置いたものだ。

それなのに、プロデューサーはまるで最初からそこにあったかのように自然に受け入れてくれる。

 

「……ねえ、プロデューサー」

 

「はい?」

 

「ボクのものが、少しずつ増えてきたね」

 

「そうですね。ブランケットにクッション。だいぶ居心地がよくなりました」

 

「迷惑じゃないかい?」

 

「いいえ。むしろ、ありがたいですよ」

 

「本当に?」

 

「はい。麻央さんが過ごしやすいようにしてくださっているんですから」

 

「……そっか」

 

麻央はクッションを抱き寄せた。

 

(本当に、キミは優しいね)

 

(ボクがここにいることも、ボクのものが増えていくことも、当たり前みたいに受け入れてくれる)

 

そのことが嬉しくて、少しだけくすぐったかった。

 

「ふふっ。じゃあ、これからも少しずつ整えていこうかな」

 

「楽しみにしています」

 

「期待していてくれたまえ」

 

麻央は笑顔で答えた。

 

ー別の日

 

プロデューサーの部屋に、また一つ新しいものが増えた。

 

小さなテーブルランプだ。

麻央が選んだもので、柔らかな光がソファの周りを優しく照らしている。

 

「うん。やっぱり、これにして正解だったね」

 

麻央はソファに座り、ランプの明かりを眺めた。

以前よりも、ずっと落ち着く空間になった。

 

(なんだか、本当にボクの部屋みたいだね)

 

もちろん、ここはプロデューサーの部屋だ。

けれど、ここで過ごす時間が増えるにつれて、麻央にとっても特別な場所になっていた。

 

そして最近は、もう一つ楽しみがある。

プロデューサーが帰ってくることだ。

 

「ただいま戻りました」

 

玄関から声が聞こえる。

 

「おかえり、プロデューサー」

 

麻央はソファから顔を上げた。

 

「今日もいらっしゃったんですね。ありがとうございます」

 

「ふふっ。今日は少し早く来られたんだ」

 

「そうだったんですね。あれ、部屋の明かりがいつもと違いますね」

 

「気づいたかい?この前話していたランプを持ってきたんだ」

 

「なるほど。これも麻央さんが選んだんですか?」

 

「そうだよ。夜に本を読むとき、少し明るさが欲しくてね」

 

「いいですね。落ち着く雰囲気です」

 

「ボクも気に入っているよ」

 

プロデューサーは上着をハンガーに掛け、ソファの近くまでやってきた。

 

「麻央さん、今日は何を読んでいたんですか?」

 

「これさ。少し前から気になっていた本なんだ」

 

「面白そうですね」

 

「よかったら、キミも読んでみるかい?」

 

「そうですね。今度時間があるときに読んでみます」

 

「ふふっ。じゃあ、感想を聞かせてくれたまえ」

 

「分かりました」

 

そんな何気ない会話を交わす。

プロデューサーが帰ってきて、麻央が迎える。

それが、いつの間にか当たり前になっていた。

 

しばらくして、プロデューサーも仕事を終えた。

 

「ふぅ……。ようやく一段落しました」

 

「お疲れさま。今日も頑張ったね」

 

「ありがとうございます。麻央さんも、ずっと待っていてくださったんですよね」

 

「うん。まあ、ここは居心地がいいからね」

 

「それならよかったです」

 

プロデューサーが麻央の隣に腰を下ろす。

麻央は少しだけ横にずれて、彼が座りやすいように場所を空けた。

 

「最近、以前よりもよく笑うようになりましたね」

 

「そうかな?」

 

「はい。ここに来てくださったときも、帰るときも。楽しそうに見えます」

 

「……それは、キミのせいかもしれないね」

 

「私ですか?」

 

「うん。キミと一緒にいると、自然と楽しくなるんだ」

 

プロデューサーは少し驚いたように目を瞬かせた。

 

「そう言っていただけると嬉しいです」

 

「ふふっ。ボクも嬉しいよ」

 

麻央は彼の顔を見つめた。

 

(もっと一緒にいたい)

 

(もっと、キミにボクのことを見てほしい)

 

以前なら、こんな気持ちは胸の奥にしまっていただろう。

けれど、今は少しだけ素直になってみたかった。

 

「ねえ、プロデューサー」

 

「はい?」

 

「手を貸してくれるかい?」

 

「手ですか?」

 

「うん」

 

プロデューサーが右手を差し出す。

麻央はその手を両手で包むように握った。

 

「……こうしていると、落ち着くね」

 

「そうですか?」

 

「うん。キミの手、温かい」

 

「麻央さんの手も温かいですよ」

 

「ふふっ。そうかな」

 

麻央は一度、彼の手を離そうとした。

けれど、ほんの少しだけ迷ってから、もう一度指を絡めるように握り直す。

 

「……もう少し、このままでいてもいいかい?」

 

「もちろんです」

 

「ありがとう」

 

(ああ、やっぱり好きだな)

 

(こうしているだけで、こんなに嬉しいんだから)

 

麻央は繋いだ手を見つめ、頬を緩めた。

しばらくして、帰る時間になった。

 

「麻央さん、そろそろ寮まで送りましょうか」

 

「うん。お願いするよ」

 

玄関で靴を履き、二人で外へ出る。

いつもの帰り道。

けれど今日は、麻央の方からプロデューサーの手を取った。

 

「……麻央さん?」

 

「どうしたんだい?」

 

「手を繋いだままでいいんですか?」

 

「嫌だったかな?」

 

「いえ、そういうわけではありません。ただ……」

 

「ただ?」

 

「少し驚いただけです」

 

「ふふっ。なら、よかった」

 

麻央は彼の手を握る力を少しだけ強めた。

 

「今日は、ボクからお願いしたかったんだ」

 

「そうだったんですね」

 

「うん。いつもキミに送ってもらっているから、少しくらいわがままを言ってもいいだろう?」

 

「もちろんです。麻央さんのお願いなら、できるだけ叶えたいと思っています」

 

「……そういうところだよ」

 

「え?」

 

「なんでもないさ」

 

寮へ続く道の分かれ道に着いた。

 

「今日はありがとう。とても楽しかったよ」

 

「こちらこそ、ありがとうございました。気をつけて帰ってくださいね」

 

「うん。また近いうちに会おう」

 

「はい。お待ちしています」

 

麻央は名残惜しそうに手を離した。

 

そして、少しだけ背伸びをして、彼の顔を覗き込む。

 

「ねえ、プロデューサー」

 

「はい?」

 

「次に会ったときも、今日みたいに手を繋いでくれるかい?」

 

「……もちろんです」

 

「約束だよ?」

 

「はい。約束します」

 

麻央は満足そうに微笑んだ。

 

(ボクは、この人のことが好きなんだね)

 

その気持ちを、もう否定するつもりはなかった。

 

ー休日の午後。

 

麻央はいつものように、プロデューサーの部屋を訪れていた。

 

「お邪魔するよ、プロデューサー」

 

「いらっしゃいませ、麻央さん。今日もありがとうございます」

 

「ふふっ。こちらこそ。今日はずいぶん早く帰ってこられたんだね」

 

「はい。午前中に仕事が片づいたので、今日は少しゆっくりできそうです」

 

「それはよかった。たまには休むことも大切だからね」

 

「そうですね。麻央さんも今日はゆっくりしていってください」

 

「もちろん、そのつもりさ」

 

麻央は靴を揃えて部屋に入る。

いつものソファには、お気に入りのブランケットとクッションが置かれている。

テーブルの上には、麻央が選んだ小さなテーブルランプ。

 

以前は何もなかった場所に、少しずつ自分の好きなものが増えていた。

 

「……ふふっ」

 

「どうしました?」

 

「いや、なんでもないよ。少し、この部屋も変わったなと思ってね」

 

「そうですね。最初に麻央さんが来てくださった頃とは、ずいぶん違います」

 

「キミも生活習慣が改善されたし、部屋もきれいになった。ボクとしても満足だよ」

 

「ありがとうございます。麻央さんのおかげです」

 

「それなら、ボクも手伝った甲斐があったね」

 

麻央はソファに腰を下ろした。

 

プロデューサーもその隣に座る。

 

「そういえば、麻央さん」

 

「ん?」

 

「この部屋にあるもの、ずいぶん麻央さんの私物が増えましたね」

 

「そうだね。最初はブランケットだけだったのに」

 

「クッションもランプも、どれも部屋に馴染んでいます」

 

「ボクが選んだからね。ふふっ」

 

「おかげで、私もこの場所が好きになりました」

 

「……本当かい?」

 

「はい。帰ってきたときに、麻央さんが選んだものが目に入ると、なんだか落ち着くんです」

 

麻央は少し驚いたように彼を見た。

 

「それは……嬉しい言葉だね」

 

「本当のことですよ」

 

「ふふっ。ありがとう」

 

麻央はブランケットを手に取って、膝の上に広げた。

 

「ねえ、プロデューサー」

 

「はい?」

 

「最初にここへ来たときのこと、覚えているかい?」

 

「もちろんです。麻央さんが部屋の掃除を手伝ってくださった日ですね」

 

「そうそう。あの頃は、キミの部屋をきれいにすることばかり考えていたよ」

 

「本当に助かりました」

 

「でも、今は少し違うんだ」

 

「違う、ですか?」

 

「うん。掃除をするためだけじゃなくて、ここで過ごす時間そのものが楽しみになったんだ」

 

麻央はブランケットの端を指先で弄びながら続けた。

 

「キミが帰ってくるまで本を読んだり、こうして一緒に話をしたり。時には夕食を一緒に食べたり……」

 

「そうですね。私も、そういう時間が増えて嬉しいです」

 

「それに、ここに来ると安心するんだ」

 

「安心、ですか?」

 

「うん。自分の好きなものがあって、落ち着ける場所があって……何より、キミがいるからね」

 

最後の言葉は、少しだけ小さかった。

 

けれど、プロデューサーにはきちんと届いていた。

 

「麻央さん」

 

「ん?」

 

「私も、麻央さんが来てくださる日を楽しみにしているんですよ」

 

「……え?」

 

「麻央さんが部屋を整えてくださったこともそうですが、一緒に過ごす時間がとても楽しいんです」

 

「キミも……?」

 

「はい。仕事から帰ってきたときに、麻央さんが『おかえり』と言ってくださると、なんだかほっとします」

 

麻央は彼の顔を見つめた。

 

「……そっか」

 

「はい」

 

「ふふっ。なんだか、同じ気持ちだったんだね」

 

「そうかもしれませんね」

 

麻央は嬉しそうに微笑んだ。

 

(ああ、もう)

 

(こんなことを言われたら、ますます帰りたくなくなってしまうじゃないか)

 

しばらくして、麻央はブランケットを広げた。

 

「プロデューサー、こっちに来てくれるかい?」

 

「はい?」

 

「少しだけ、隣に座ってほしいんだ」

 

「分かりました」

 

プロデューサーが座り直す。

麻央はブランケットを二人の膝に掛けた。

 

「今日は少し冷えるからね。二人で使おう」

 

「ありがとうございます」

 

「ふふっ。こうしていると、最初に持ってきたときのことを思い出すよ」

 

「そうですね。あのときは、まさか二人で使うことになるとは思いませんでした」

 

「ボクもだよ」

 

麻央は彼の肩に寄りかかった。

以前よりも自然に、迷いなく。

 

「麻央さん?」

 

「少しだけ、このままでいさせてくれないかな」

 

「もちろんです」

 

「ありがとう」

 

麻央は目を閉じた。

肩越しに伝わる温かさが心地いい。

 

「ねえ、プロデューサー」

 

「はい?」

 

「ボクはね、ここが好きなんだ」

 

「この部屋がですか?」

 

「うん。でも、それだけじゃないよ」

 

麻央は少しだけ顔を上げ、彼の目を見つめた。

 

「キミと一緒に過ごせる、この場所が好きなんだ」

 

「……ありがとうございます」

 

「だから、これからも来ていいかな?」

 

「もちろんです。いつでも来てください」

 

「本当に?」

 

「はい。麻央さんが来てくださるのを、これからも楽しみにしています」

 

「……ふふっ」

 

麻央は彼の腕にそっと手を添えた。

 

「じゃあ、これからもよろしく頼むよ」

 

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 

「それと、もう一つお願いがあるんだけど」

 

「何でしょう?」

 

「今日は、もう少しだけ甘えさせてほしいな」

 

プロデューサーは穏やかに微笑んだ。

 

「もちろんです。今日はゆっくりできますから」

 

「ふふっ。ありがとう」

 

麻央は再び彼の肩に頭を預けた。

 

(王子様だって、誰かに甘えたくなることはあるんだよ)

 

(そして、ボクが甘えたいと思う相手は……)

 

(キミなんだ)

 

その日の帰り道。

 

いつものように、プロデューサーは麻央を寮まで送っていた。

 

「今日はありがとうございました。ゆっくりできましたか?」

 

「うん。とても楽しかったよ」

 

「それならよかったです」

 

「キミも楽しんでくれたかい?」

 

「もちろんです。麻央さんと過ごす時間は、私にとっても大切な時間ですから」

 

「……ふふっ。そう言ってもらえると嬉しいね」

 

二人は並んで歩く。

いつもの帰り道も、今日はいつもより穏やかに感じられた。

やがて、寮へ続く道の分かれ道に着いた。

 

「今日はここまでで大丈夫だよ。送ってくれてありがとう」

 

「いえ。また次回もお待ちしていますね」

 

「うん。次も楽しみにしているよ」

 

麻央は少しだけ立ち止まった。

 

「……ねえ、プロデューサー」

 

「はい?」

 

「ボクにとって、キミの部屋は小さなお城みたいなものなんだ」

 

「お城、ですか?」

 

「そう。ボクの好きなものがあって、安心できて、大切な人と一緒にいられる場所」

 

「それは素敵ですね」

 

「ふふっ。そうだろう?」

 

麻央は少し照れくさそうに笑った。

 

「だから、これからもボクの居場所を残しておいてくれるかい?」

 

「もちろんです。いつでも帰ってきてください」

 

その言葉を聞いて、麻央の表情が柔らかくなる。

 

「……ありがとう」

 

彼女はもう一度だけ振り返り、手を振ってから寮へ向かった。

 

その夜。

 

自室に戻った麻央は、ベッドの上で今日のことを思い返していた。

ブランケットも、クッションも、ランプも。

どれも、最初はただの持ち物だった。

 

けれど、そこに思い出が重なっていった。

 

プロデューサーの帰りを待った時間。

一緒に食事をした夜。

肩を寄せて過ごした休日。

 

そして、何気ない会話の中で交わした約束。

 

それらすべてが、麻央にとって大切な宝物になっていた。

 

「ふふっ……」

 

麻央は枕を抱きしめる。

 

(ボクの小さなお城)

 

(これからも、あの場所でキミと一緒に過ごせたらいいな)

 

そして、少しだけ欲張りな願いを胸に浮かべた。

 

(いつか、あの部屋だけじゃなくて……キミの隣も、ボクの居場所になったらいいね)

 

麻央は目を閉じる。

 

次に会える日を楽しみにしながら。

 

有村麻央にとって、プロデューサーの部屋は、いつの間にか帰りたくなる場所になっていた。

そして、その小さなお城には、二人だけの時間がこれからも積み重なっていく。

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