「あなた、好きな色はある?」
唐突な質問だった。
目の前にいる少女は、まるで世間話でもするかのように、何の気負いもなく尋ねてきた。こんな寒い夜に、初対面の相手にする質問としては、いささか不自然な気もする。
「ピンク。だって私の色だもん」
私は迷うことなく答えた。
寒い夜だった。凍てつくとまでは言わないけれど、雪がちらつくその様子は、まさに冬にふさわしかった。
吐く息は白く、頬に触れる風は冷たい。こんな夜は暖かい部屋で過ごすに限る。少なくとも、普通の人ならそう考えるはずだ。
けれど、そんな夜に不自然に出歩く少女が二人。端から見れば明らかにおかしく思われるだろう。
もっとも、目の前の少女はそんなことなど気にも留めていないようだった。
「ふぅん、あなたの色ね。まぁいいかな、合格」
少女は私の顔をじっと見つめた後、満足げに頷いた。
合格って何のこと?
そう尋ねようとしたけれど、結局その言葉を口にすることはなかった。
今思えば、初印象はあまりいいものじゃなかった。はっきり言えば生け好かなかった。変に気取っている感じがしたから。
それが、私と願いを叶えるトキカちゃんとの出会いだった。
☆☆☆☆☆
季節は春。
気づけば梅の花は散り、代わって桜が蕾を開いていた。まだ満開には少し早いけれど、街のあちこちで春の訪れを感じられるようになっている。
春は好きだ。私の生まれた時期だから。
桜は好きだ。私の名前の由来だから。
理由としては少し単純かもしれないけれど、好きなものに理由なんてそんなものだと思う。
冬のあの日出会った彼女、トキカちゃんとはあれから大分仲良くなった。
なにしろ出会い方が出会い方だ。普通なら一度きりの奇妙な出会いで終わっていてもおかしくない。けれど、私たちはその後も何度か顔を合わせ、いつの間にか一緒に過ごす時間が増えていた。
私もちょっとした運命を感じずにはいられなかったしね。
「サクラ、そろそろ願い事は決めた?」
いつものようにトキカちゃんと過ごしていたとき、彼女がふと思い出したように尋ねてきた。
頬杖をつきながら、こちらをじっと見つめている。どうやら今日もその話をするつもりらしい。
「またその話? 何か1つって言われると悩むんだよねぇ」
私は困ったように笑って答えた。
あれから3ヶ月が経とうとしてるんだけど、未だに願いごとは決まらない。だって色々ありすぎて何にするか迷うんだもん。
もちろん、色々叶えたいことはあるよ?
美味しいものをたくさん食べたいし、旅行にも行きたい。欲しいものだってあるし、ちょっとした夢だってある。
ただ、どれも一度きりの願いごとってほどじゃないんだよね。
「まぁ何でもいいんだけど、6月までには決めてよね」
「うーん。中々決まらないんだよねぇ」
トキカちゃんは呆れたように息を吐いた。
それでも、特に急かす様子はない。私が悩んでいること自体は、別に珍しいことでもないからだろう。
これが私たちのいつもの光景。
あの冬の日、トキカちゃんは私に色々教えてくれた。
私は馬鹿だからよく分からなかったんだけど、要はトキカちゃんは人のお願いごとを叶えることができるらしい。
ただ、いつでも叶えられる訳じゃなくて、決まった日でなければならない。今回だと7月15日しかそれはできないみたいだけど。
だから、私はそれまでに願いごとを決めておかなければならない。
……うん。改めて考えてみても、何だかすごい話だよね。
そんな話をしていたのは、いつもと変わらない穏やかな時間だった。
少なくとも、あのときまでは。
☆☆☆☆☆
「動くな。分かっているな、テラス」
突然、聞き慣れない男の声が響いた。
その声に反応して、トキカちゃんの表情が変わる。
つい先ほどまでの気の抜けた雰囲気は消え、どこか鋭い眼差しで声のした方を見つめていた。
「88の連中か。全く、何年振り?」
トキカちゃんは面倒くさそうに呟いた。
その視線の先には、複数の人影があった。服装も雰囲気もどこか統一されていて、普通の集団とは違うことが一目で分かる。
その中の一人が、私たちに向かって一歩前に出た。
「黙っていろ。さて、そこの君。私たちは君に危害を加える気は全くない。君も被害者だからね」
先ほどの威圧的な声とは打って変わって、私に向けられた声は驚くほど穏やかだった。
被害者? いったい何の話だろう。
「サクラ、その連中の言うことは信じてもいいよ。ここは大人しくしておいた方がいい」
トキカちゃんが私に向かってそう言った。
その言葉には、いつもの軽い調子がない。
「テラス、一般人を巻き込むな。アトフやvppbの連中が介入してきたらどうするつもりだ」
男の一人がトキカちゃんを睨みつける。
アトフ? vppb?
聞き慣れない名前ばかりで、私には何が何だか分からない。
ただ、どうやらトキカちゃんは、私の知らないところで相当面倒な事情を抱えているらしい。
「ちょーっと待った!!!」
そのとき、場違いなくらい明るい声が響いた。
突然のことに、私もトキカちゃんも、そして88の人たちも一斉に声のした方を向く。
そこにいたのは、一人の少女だった。
少女は周囲の険悪な雰囲気などまるで気にしていない様子で、堂々とこちらへ歩いてくる。
「テラス、あなたは私がもらう」
その言葉に、88の人たちの表情がわずかに険しくなった。
対するトキカちゃんは、突然現れた少女を見て、わずかに眉を動かした。
私はというと、何が起きているのかさっぱり分からなかった。
どうやら、まだ話は終わりそうにない。
☆☆☆☆☆
その後、どうにかその場を離れることができた。
詳しい経緯はよく覚えていない。何しろ、あまりにも色々なことが起こりすぎたのだ。気づけば私たちは別の場所に移動していて、先ほどの人たちの姿も見えなくなっていた。
ただ、トキカちゃんの様子を見る限り、どうやら一時的に落ち着ける状況にはなったらしい。
とはいえ、私の頭の中は疑問でいっぱいだった。
「あの、トキカちゃん。さっきの人たちは誰なの?」
隣を歩くトキカちゃんに、私は遠慮がちに尋ねた。
先ほどまでの出来事が頭から離れない。いきなり大勢の人に囲まれたと思ったら、知らない名前が次々と出てきて、最後には知らない女の子まで現れた。
正直、頭の中は疑問だらけだった。
「さっきの連中は88って言う変な連中よ。私のことを狙っているね」
「まさかトキカちゃんに悪い願いを叶えてもらうために?」
私は少し不安になりながら尋ねた。
願いを叶える力なんて、悪用しようと思えばいくらでもできそうだ。例えば、誰かを不幸にしたいとか、世界をどうにかしたいとか。
考えれば考えるほど、ろくでもない想像ばかり浮かんでくる。
「あー、それは違うわ。88は別にそこまで悪い連中じゃないから。あいつらは私を保護したいだけ。少なくとも変な願いを叶えたいとかじゃないのよ」
「保護?」
「そう。まぁ、私としては余計なお世話なんだけどね」
トキカちゃんは軽く肩をすくめた。
て、ことは私たちの味方?
確かに私に対してはすごく優しかったけど、あの見た目で味方って言われてもなぁ。
どうにも信用しづらい。
「だったら、あの女の子は?」
「うーん、それが分からないのよね。見た感じがアトフやvppbの人間って訳でもないし」
「えーと」
そう言えば、さっきも会話に出てきたよね、それ。
何となくだけど悪い予感がする。語感が悪の組織って感じだもん。
「あぁ、アトフやvppbっていうのも私を狙っている連中ね。88と違ってこいつらはヤバいわ」
「具体的にどうヤバイの?」
「死ぬわ。少なくともサクラ、あんたはね」
「じ、冗談だよね?」
「マジよ、大マジ。あの夜に私に会った時点でそうなってるの。恨むなら夜に出歩いた自分の非行っ振りを恨みなさい」
トキカちゃんは、まるで今日の天気でも話すような調子で言った。
しかも、最後にはニッコリと笑っている。
何でそんなニッコリ笑いながら言うの、トキカちゃん。
全然、笑い事じゃないよ。
「だったら、さっきの88って人たちに助けてもらえば」
「そうね、死にはしないわ。ただ一生、軟禁はされるでしょうけど。あいつらは私の存在を一般人に漏らしたくないのよ」
そんなあっさり言わないでトキカちゃん。
死ぬか、一生閉じ込められるか。
どう考えても、どっちも嫌に決まっている。
私は何とか別の方法がないかと考えた。けれど、そもそも状況がよく分かっていないのだから、まともな考えが浮かぶはずもない。
「じゃあどうすればいいの」
「7月15日まで耐えて願いを叶えるしかないわね。少なくともそれでどうにかなるわ」
7月15日。
それはトキカちゃんが願いを叶えてくれる日。
どうしよう、後3ヶ月もあるんだけど。
☆☆☆☆☆
それからしばらくして、私は再び一人で出歩いていた。
あの一件以来、周囲の人間が少し怖くなったのは事実だ。けれど、だからといって家に閉じこもっているわけにもいかない。
それに、トキカちゃんからは特に外出を禁止されているわけでもなかった。
そんなことを考えながら歩いていると、聞き覚えのない声に呼び止められた。
「あ、サクラじゃん。テラスは元気してる? まぁ、あいつは死んでも死にきらないやつだけどな」
振り返ると、そこには見覚えのある一人の人物が立っていた。あの日私たちに割って入ってきた娘だ。
どうやら私のことを知っているらしい。けれど、私はこの人のことを知らない。
「あの、えと」
「大丈夫だって、別にあんたに危害を加えたりはしないよ」
こちらの戸惑いを察したのか、その娘は軽い調子で手を振った。
危害を加えるつもりはない。この前も同じ言葉を聞いた。
「じゃなくて、何で私の名前を知ってるの?」
「ん、あぁ。まぁ気にするな。にしてもお前も中々肝が据わってるな。アトフやvppbの連中に襲われてもしらねぇぞ? まぁ白昼堂々そんなことするとは思わないけどな」
彼女は、まるで世間話でもするように笑った。
けれど、話している内容は全然笑えない。
どうやら私が知らないだけで、私の周りではかなり物騒なことが起きているらしい。
「あの、あなたはどうしてトキカちゃんを狙うの?」
「私にはどうしても叶えたい願いがある。それだけさ」
「願い……」
その言葉に、私は思わず反応した。
トキカちゃんが願いを叶える存在であることは、もう知っている。けれど、実際にそれを目的として彼女を追いかけている人間に会うのは初めてだった。
「サクラは願いがあるの?」
「ううん、今のところは何も」
「ふぅん。なぁサクラ、お前は被害者だ。88の連中も言っていたと思うけどな」
「それってどういう意味?」
「テラス、お前が言うトキカは目覚めた時に初めて見た人間の願いを叶えるんだ」
私は思わず目を瞬かせた。
それは以前、トキカちゃんから聞いた話と同じだった。
「だったらトキカちゃんを狙う意味はないんじゃないの?」
「まぁ、そう考えるよな。今回、テラスはお前を選んだ。じゃあお前が死んだらどうなると思う?」
「願いを叶える人がいなくなるとか?」
「違う。テラスが次に見た人間の願いを叶えるんだ。テラスは一度目覚めると必ず1人の人間の願いを叶える必要がある」
「……」
思考が止まった。
つまり、どういうことだろう。
私がいなくなれば、トキカちゃんは次の誰かを選ぶことになる。
そして、その誰かが自分の願いを叶えてもらう。
それだけ聞けば、別に問題はないように思える。
けれど、目の前の彼女の話し方からして、そんな単純な話ではないのだろう。
「いや別にその気はないさ。要はサクラ、お前が私の願いを叶えてくれればいいだけだからな。だからこれは取引だ。私はお前を守ってやる。その代わり、お前は私の願いを叶えろ」
その人物は、私の反応を確かめるようにじっと見つめてきた。
どうやら冗談を言っているわけではないらしい。
「でも、私も叶えたい願いができるかもしれないし」
「なら交渉決裂だ。今後は88に監禁されるか、他の連中に殺されるだけだな」
「えー、そんなの困るよ」
困るどころの話ではない。
せっかく○○になったのに、これからずっと誰かに追われる生活を送るなんて御免だ。
それに、まだ叶えたい願いが決まっていないとはいえ、私だって自分の願いを持つ権利くらいあると思う。
「だから88も私もお前を被害者だと言っているんだよ。で、どうする?」
私は少しだけ考えた。
もちろん、簡単に決められる話ではない。けれど、選択肢が限られていることくらいは理解できた。
それに、少なくともこの人物は私を守ると言っているだったら、今の私にできることは一つだ。
「そんなの決まってるじゃん」
☆☆☆☆☆
「それで連れてきたの?」
トキカちゃんの呆れた声が部屋に響いた。
「えへへー」
私は照れくさくなって笑った。
その視線の先には、先ほど出会った人物がいる。
私はその人物を連れて、トキカちゃんのところまで戻ってきたのだ。
もちろん、詳しい説明はまだしていない。
「なぁテラス、こいつっていつもこんな感じなのか?」
「まぁ、そうね。サクラはアホだから」
「トキカちゃん、ひどいよ」
私は頬を膨らませて抗議した。
せっかく連れてきたのに、第一声がそれってどうなの。もう少し褒めてくれてもいいと思う。
けれど、トキカちゃんは私の抗議など気にする様子もなく、目の前の人物へ視線を戻した。
「まぁそれはいいとして、あなた名前は?」
「あ、私も聞いてなかった」
そういえば、名前を聞いていなかった。
ここまで一緒に来たというのに、肝心なことを忘れていたらしい。
「そうだな……。カザミ、そう呼んでくれ」
「カザミちゃん。うん、これからよろしくね」
私は笑顔でそう言った。
カザミちゃんは一瞬だけこちらを見て、それから小さく息を吐いた。
その表情からは、何を考えているのかよく分からない。
「それじゃカザミ、1つ質問してもいいかしら。あなた、なぜ私のことを知っているの?」
トキカちゃんの声が少し低くなった。
先ほどまでの軽い雰囲気とは違う。どうやら、彼女にとってはこちらの方が重要らしい。
「秘密だ。ただ1つ言えることは、私には叶えたい願いがあるってだけだな」
「ふぅん、そう。まぁサクラがそれを願うなら私は構わないわ」
トキカちゃんはそれ以上追及しなかった。
ただ、その目はカザミちゃんを注意深く観察しているように見えた。
私は二人の様子を交互に見ながら、少しだけ首を傾げる。
何だか、私の知らないところで話が進んでいる気がする。
「それなんだけどトキカちゃん。私も叶えたい願い事ができたら2つ叶えたりできないの?」
私はふと思いついた疑問を口にした。
そもそも、願いごとが一つだけというのは少し不便だと思う。できることなら、私の願いもカザミちゃんの願いも、両方叶えてほしい。
「サクラ、あなた厚かましいわね。残念だけど私が叶えられる願いは1つだけ。一応言っておくけど願いごとを増やしたりもできないからね」
「ちぇー」
やっぱり駄目らしい。そんなに都合よくはいかないか。
「ただ裏技がない訳じゃないわ。要は上手くまとめて1つのお願いにすればいいのよ。例えばお腹いっぱいステーキを食べたい。これはお腹いっぱいになることと、ステーキを食べることの2つを叶えることになる」
トキカちゃんは指を一本立てて説明した。
なるほど。確かにそれなら一つの願いで二つのことが叶う。
でも、それってどこまで許されるんだろう。
「テラス、その判断は誰がするんだ」
カザミちゃんが口を挟んだ。
「私よ。大概は私の匙加減でどうとでもなるわ。だからといって無茶なお願いはダメよ?」
「意外と適当なんだな。そんな感じだとは思わなかった」
カザミちゃんは少し呆れたように笑った。
トキカちゃんは気にする様子もなく、涼しい顔をしている。どうやら、このあたりの基準は本当に彼女次第らしい。
「ところで、何でみんなトキカちゃんのことテラスって呼ぶの?」
私は前から気になっていたことを尋ねた。
さっきからカザミちゃんも、あの88の人たちも、みんなトキカちゃんのことをテラスと呼んでいる。
本人が嫌がっているようにも見えるし、何か理由があるのだろうか。
「昔、テラスって名乗ってたことが有ったのよ。それでその呼び名が定着しちゃったわけ。でも、トキカの方が私は気に入ってるわ」
「だったら、私はトキカちゃんって呼ぼう! あ、ちょっとお手洗いに行ってくるね」
そう言って、私は席を立った。
テラスって何だか響きが怖いもんね。トキカちゃんの方が2.5倍くらいは可愛いもん。
そんなことを考えながら、私は部屋を出ていった。
☆☆☆☆☆
サクラが部屋を出ていくと、室内には短い沈黙が訪れた。
先ほどまでの賑やかな会話が嘘のように、空気が静まり返る。
トキカはサクラが出ていった扉を一瞥してから、改めてカザミへと視線を向けた。
「あなた88の関係者でしょ? この前私たちの前に現れていたとき、連中と同じフォネティックコードを使っていたわ」
先ほどまでの穏やかな口調とは違う。
疑問を投げかけているというより、ほとんど確信しているような言い方だった。
「流石だなテラス。ただ、今の私は88とは関係ない。少しの縁があるだけさ」
「あらそう。」
トキカは短く答えた。
それ以上の追及はしない。
ただ、彼女の中でカザミに対する警戒が解けたわけではなかった。
88との関係を否定しながら、なぜ自分のことを知っているのか。
そして、なぜサクラに接触したのか。
何よりも気になるのは、カザミが願いを叶えたいと言ったときの表情だった。
あれは単なる欲望を抱く人間の顔ではない。
もっと切実で、もっと長い時間をかけて何かを求め続けてきた人間の顔だった。
トキカは小さく息を吐いた。
7月15日まで、まだ時間はある。
しかし、その日を迎えるまで何事もなく過ごせるとは、到底思えなかった。