俺がコーパスに…?そんな訳ない…、何かの間違いだ。
手元のタオルで激しくタトゥーを擦るが、消えない。唾液で濡らし手で擦るが、消えない。
嘘だ…嘘だ…嘘だァ!!
「ちょっと礼!朝からうるさいんだけど!?」
姉ちゃんが勢い良く部屋の扉を開いた。
咄嗟に右腕をタオルで覆い隠す。
「あ…あぁ…ごめん」
「なんで上裸なの?風邪引いちゃうよ。てか、なんか顔青いけど大丈夫?風邪でも引いた?」
「べ…別に。気のせいだろ」
「ふーん…。今日は送ってあげるから、早く準備してね」
「ありがと」
引きつった笑顔で、息も切れかけの声で何とか誤魔化した。それにしてもこの腕、どうすれば…。
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「
コーヒー片手にパソコンの画面へ釘付けの彼は、鬱陶しそうに頭を搔いて机を軽く叩いた。
「もう〜今観てるから邪魔しないでよ〜。大体君、うちの部署じゃないでしょ〜」
「報連相は社会人の義務ですよ。僕が実際に赴く方が、円滑に情報共有できる…そう思いません?」
肩に、木田さんのものではない腕が掛かってきた。程良く実った筋肉の弾力が心地良い。
「掃討部の連中に、
「確かに詳しい解析方法とか、コーパスを特定する技術!みたいなのは、よく分からないですけど、実際にこの目で見ておく方が、スムーズに掃討部と連携できる…
「それも…そうか」
「さっきと言ってること同じじゃ〜ん。もう〜」
3人でぺちゃくちゃ喋っていると、真剣に作業をしていた女性職員からお叱りを受け、それぞれ黙って職務に戻った。まあ、僕は相変わらず木田さんと一緒にパソコンの画面を眺めているだけなんだけど…。
「これ…結局なにしてるんです?」
「マタタビ図書の防犯カメラに映ってた坊主頭の男の顔と、今リアルタイムで街中の防犯カメラに映った人の顔とを照合して、特定できないか試してるんだよ」
小声で話していると、丁度照合システムが反応した。マタタビ図書の防犯カメラに映っていた男と瓜二つの男が、澄ました顔でコンビニのレジに並んでいる。
「ビンゴだ!今すぐ掃討部に連絡を!」
「木田さん、それなら僕に任せてください」
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タトゥーの刻まれている部位の切除を考えたが、調べたところによると、どうやらまた別の場所にタトゥーが現れるだけらしい。
取り敢えず、長袖のシャツを着て誤魔化すしかない…。
とはいえ、まだ6月に入ったばかり。これからどんどん暑くなるというのに、これから永遠に長袖生活は死活問題だ。何とか袖をギリギリまで捲り、この夏を耐えるしかない。
今日は学校を休むことも考えたが、結局ずっと休むことはできない。なら、今のうちに外に出ることに慣れておかなければ。
「姉ちゃん、今日はやっぱ送ってもらわなくていいよ」
「え?でもまだ…」
「いいから!」
無理矢理言葉を遮り、足早に玄関へ向かう。もし仮に他のコーパスに襲われた時、姉ちゃんを巻き込む訳にはいかない。まだ体の節々が痛む中、ぎこちない足取りで靴を履き、肩に掛かるリュックの重さに悶絶しながら扉を開けた。
「行ってきまーす!」
今朝の登校は地獄だった。痛み止めを飲んでいるとはいえ、体を動かすと痛みが走るし、他のコーパスに襲われないかという恐怖も常に付きまとった。
おまけに、俺の通う県立
「ハァ…ハァ…」
息も絶え絶え、坂を7割程登った辺りで、俺は近所のコンビニに寄ることにした。
流石に飲み物が欲しい。
スタスタとコンビニへ歩みを進めると、ふと右二の腕に違和感を感じた。タトゥーのある辺りが妙に熱い。その熱は、コンビニへ近付けば近付く程に増し、俺の体に不快感を与えていく。
その時、嫌な予感が浮かんだ。
コーパス同士が接近した際、それを報せるためタトゥーは熱を発する。それは近付けば近付く程に増し、多大な不快感をコーパスに与える。
今、そのアラートが実際に俺の身に起こっているのだと、入口の手前まで来たところで確信に変わった。
別に風邪を引いて熱が出ている訳ではない。実際、右二の腕以外は至って普通の体温だ。タトゥーのある箇所だけが、異様に熱い。
もしかして、このコンビニの中にコーパスが?
もし遭遇すれば、交戦は免れないだろうか。もしコーパスだったとしたら、相手もこちらの存在に気付いているだろう。
引き返そう。今は喉の渇きを潤すよりも、自分の命が最優先だ。
身を翻し、コンビニを後にしようとした時。
「…!?」
急激にタトゥーの熱が増した。確実に、相手が近付いてきている。バレたか!?
咄嗟に逃げようとしても、急激な熱の上昇と、まだ引かない全身打撲の痛みで動けない。
このままだとまずい…!!
『〜〜♪♪』
コンビニの入退店BGMと共に、自動ドアが開いた。中から、黒い影が飛び出す-
「きゃっ!」
と思いきや、可愛らしい声と共に目の前でその影が盛大に転んだ。
「大丈夫で…あっイタタタタ!」
思わず手を差し伸べようと、急に動き出した体に激痛が走る。影の主は、黒いパーカーとズボンで身を包んだ少女だった。アスファルトの上を、前のめりに転けたまま、涙目でこちらを見つめている。
少女は痛みに悶絶している俺を、涙を浮かべながらも訝しげに見つめた後、そそくさと走り去っていった。
それと同時に、タトゥーの熱も引いていくのが分かった。
もしかして、あの子がコーパスなのか?
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「
肩に届くか届かないかくらいの、明るい金髪を揺らしながら
「
「すみません、情報解析部で男の顔を照合するところを見学してました!」
「俺たちの仕事はコーパスの駆除!一々他部署に顔出してんじゃねぇ!殺すぞ!」
「まあ落ち着け。識がすぐに情報共有してくれたお陰で、男の追跡と包囲ができてるんだ」
僕は変わらず、飄々とした笑顔で場の空気を温め直す。
「実際、それで出動が遅れているのは事実ですので…さ、気を取り直していきましょう!」
「たくっ…気のいいやつだな」
堀尾さんに軽く小突かれるが、僕は全く気にしない。
装備が万全な事を確認すると、僕たちはバンに乗り込み現場へ向かった。
「先に尾行に参加している
「尾行に気付かれたのか?」
「まだ分かりませんが、電車に乗られる前に片付けたいとのこと」
「…俺が能力を使えばすぐだが?」
「ダメです。能力使用時にコーパスが単独になることは、例えマリーシア所属の"良性"コーパスであろうと認められていません」
半田さんの左頬に刻まれた黒い"M"のタトゥーが、微かに歪む。
「そんな顔しないでください。規律を犯して、半田さんが更に皆から邪険に扱われる姿を、僕は見たくないです」
「そうか…悪かったな。気を遣わせて」
「そういうわけじゃ…いや、今はコーパスの排除が優先です」
別動隊からの連絡では、駅で迎え撃つ算段の様だ。既に一般人の避難誘導は完了しており、事案処理部・後方支援部隊の配備も完了。後は、主戦部隊の到着を待つだけらしい。
「あとどれくらいで着く」
「10分です!」
バンを運転する嶺井さんの声が響く。左右に揺れる薄暗い車内の中、形容し難い緊張感が張り詰めていた。
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教室に到着したのは午前8時28分。余裕を持って家を出たつもりだったが、結構ギリギリになった。もう既に8時30分のHRを始める形は整えられていて、教室内にいる生徒は皆席に座っていた。俺も、足どころか体を引き摺るように歩きながら、自分の席に座った。
「大座くん、怪我大丈夫なの…?」
隣の席の女子が心配そうに声をかけてくれた。俺は引きつった笑顔で軽く頷き、すぐに荷物の整理に取り掛かった。
整理を終えると、丁度始業のチャイムが鳴った。
「きりーつ、れーい、ちゃくせーき」
委員長のやる気ないいつもの号令で、朝が始まった。HRが始まると、まず担任が1つの重要な連絡をした。
「空席がいつもより目立ってると思うんだけど、何駅だったかなー、取り敢えず、どこかの駅でコーパスの掃討作戦が行われるらしくて」
コーパス-
その単語を聞くだけで、思わず身震いしてしまう。
てか結構駅名重要だろ。何忘れてんだ。
「その駅を使う人は、今のところ遅刻、もしかしたら欠席になるかもしれません。最近こういう事案が増えてるから、皆も気を付けてね」
到着した時は急いでいて気付かなかったが、確かにいつもより空席が5つ程多い気がする。その中に、田中の席も見つけた。
もしかしたら、田中の最寄り駅で掃討作戦が…?
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今日はラッキーな日だ。
最寄り駅がコーパスの掃討作戦の影響で封鎖され、恐らくこのままなら特別欠席が認められるだろう。
そう決め打った俺は、避難する人々の群衆から離れ帰宅することにした。
監視するマリーシア職員の目を盗み、封鎖を突破して駐輪場へ直行する。自分のチャリを探し出し、鍵を開ける。荷物を籠に置き、さて駆け出そうか。サドルに跨ろうとした時だった。
歩道の奥からこちらに歩いてくる人影が、視界の端に映った。
咄嗟に身を屈めて、息を潜める。その人影を凝視して、俺は愕然とした。
金曜日、本屋で遭遇した坊主男のコーパスだった。そうか、あいつの掃討作戦だったんだ…。
とにかく奴に見つからないよう、体を低く低く保った。
耳を澄ますと、複数の車の音が近付いている。マリーシアだろうか。軈てその音は駐輪場の本当に目の前で止まると、複数の人間が掛け声と共に降りてくる音が聞こえた。
「
「どうせ捕まったら殺されるんだろ?」
好奇心には勝てず、物陰から様子を窺う。坊主男の周囲を、複数のバンと武装した職員が取り囲んでいる。男は数十本のアサルトライフルに囲まれ、両手を頭の後ろに組み丸腰の状態で立っている。
男は強気の発言を繰り返す割に、降伏の姿勢を見せているようだ。
なんだ、意外とスムーズに終わりそうじゃん。
そう思った刹那、隊員数名が拘束するために近付いた時だった。
空間に突如として浮かんだ切り取り線が、濃くなっていく。
「伏せろ!!」
緊迫した男性の叫び声と共に、鋭い金属音が鳴り響いた。その直後、全てのバンが一瞬でバラバラに切断されたかと思うと、燃料に引火したのか次々に爆発が起こった。
隊員たちの多くは吹き飛ばされ、力無く地面に横たわっている。
まだ立っている隊員たちは、一斉に坊主男へ射撃する。黒煙と炎が立ち込める中、上手く狙いが定まらないのか、弾が当たる気配は無い。坊主男は、背を向け走り去ろうとしている。
このまま逃げ切るのだろうか…諦めかけたその時。
1台のバンが脇道から飛び出し、男の退路を完全に塞いだ。
「
バンから、1人の男が降りてきた。左頬に"M"の黒いタトゥーが彫られている、30代〜40代くらいの男だ。短く刈り上げられた横髪、眉間に寄り刻み込まれた皺からは、歴戦の猛者の風格を感じさせる。
更に、バンから男2人が降りてくる。1人は緩いパーマが似合う、爽やかな青年。1人は、立ち上がった硬い白髪が特徴的な、浅黒い肌の老人。青年隊員は槍のような長物を、老人隊員はハンドガンをそれぞれ装備している。
「識、切り刻まれないようにな」
「はい!」
識と呼ばれた青年隊員が、長物を構え男に突進する。空間に切り取り線が浮かんだ直後、金属音が響いた。
砂埃が晴れると、そこには無傷の青年隊員が立っていた。
持っていた長物で斬撃を防いだのか、長物はボロボロに砕け散ってしまう。武器を失ってもなお青年隊員は表情1つ変えず、笑顔で男に語り掛けた。
「あなたの能力は恐らく
青年隊員は笑顔を崩さず、淡々と、冷静に語り掛ける。男の表情はここから見えないが、その佇まいから酷く動揺していると分かる。
青年隊員が一瞬だけ真顔になったかと思うと、今度は懐からハンドガンを取り出した。
「大人しく投降してください。あなたはもう詰んでいる。後ろを振り返れば、その事実が分かる筈です」
男の背後にも、銃を構えた隊員が数十人立っている。再度切り取り線が浮かび、金属音が響くが、もう誰も同じ攻撃には引っ掛からなかった。
「もう、"
全てを見破られた男は、力無く地面に倒れると、もう抵抗することなく投降した。
「半田さんと堀尾さん、コーパスの拘束を頼みました。僕は怪我人の救助を」
そう言って、さっきまでは冷徹に思えた笑顔から、ただ温かさに包まれた笑顔に変わり、青年隊員は地面に転がる怪我人たちの元へ駆け寄った。
「ふっ。どっちが隊長なんだか…」
「おらゴミ虫ぃ!はよ立たんかい!」
それから暫くマリーシアの事後処理を眺めていたが、かなりの手際の良さで消火活動から人命救助まで遂行していた。
俺が居ることは、何とかバレずに済みそうだ…。
ある程度人が捌けてきた頃に、俺は自転車をゆっくり押して、ひっそりひっそり忍び足でその場を後にした。
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放課後1人で帰宅していると、私服姿で自転車に跨る田中とたまたま出会った。
「おう、田中じゃん。そういえば結局特別欠席扱いになんの?」
「そう連絡があったわ」
「もしかしてだけどさ、掃討作戦があったのって田中の最寄り駅?」
「そうそう!てかさ、やべーもの見ちゃったわ」
興奮した様子で語り始める田中は、今日見たことについて事細かに話し始めた。
彼は今日、こっそり掃討作戦の様子を眺めていたらしい。簡単な感想程度ならそこまで気にしないのだが、彼は作戦が遂行される経緯や戦闘の様子を、本当に詳しく見たままのことを話し始めた。コーパスになってしまった今の俺にとっては、その坊主男と同じような目に遭うのではないかという想像が掻き立てられ、細かい所まで聞くのが苦痛で仕方なかった。
そうだよな、俺もコーパスであることがバレれば、マリーシアに追われる…怖い、怖い、熱い…?。
「礼?どうした大丈夫か?気分でも悪い?」
田中の呼び掛けで、正気に戻る。
「あぁ…何でもない。てか、俺今日はもう帰るわ。またな」
「は?おいまだ話終わってないって…」
俺は、逃げるようにその場を後にした。田中には申し訳ないが、どうしてもそこに留まる気にはなれなかった。
もちろん、田中の話をただ聞きたくなかった…それも理由の1つ。
だがそれ以上に、微かな右二の腕の熱が不気味だったんだ。