田中と別れ、暫く人通りの多い道を歩いたが、一向に右二の腕の熱は消えない。
常に一定の発熱が意味すること、それは他のコーパスに追跡されている可能性があるということだ。たまたま近くに居ただけなら、少し移動すれば熱は収まる方が自然。
最大限周囲の警戒をしているが、怪しい人影は見つからない。
俺は、恐らく居るであろう追跡者を撒くため、多くの人で賑わう近所のショッピングモールに入った。
普段は気にもとめないカップルや親子の喧騒が、今の俺にとっては一番安心を与えてくれる。この何気ない日常の風景に溶け込めば、自分の身の災難も無かったことにできるような錯覚が起こった。
ただ、未だに残る右二の腕の熱が、俺を現実へと引き戻す。
グゥゥゥ…
長い時間歩いていたから、流石に腹が減ったな…。
俺はフードコート内にあるハンバーガーショップで、ビッグバーガーセットを注文し席に着いた。
「お待たせしました〜」
熱はまだ収まらないが、束の間の休息に少しだけ安心感を覚えた。
バンズからはみ出そうなトマトやピクルスを落とさないよう、大きく口を開けて齧り付く。口内を満たすその多幸感が、俺の身に降りかかる災難を忘れさせてくれる気さえした。
「あれ?礼くんじゃん!」
ふと背後から聞こえたその声に驚き、バーガーの具材が喉に引っ掛かった。
「ちょっと大丈夫!?」
左横から覗くその顔は、よく見知った顔だった。
「あやかさん…びっくりしました…」
彼女はやけに俺に身を寄せると、右手で背中をさすってくれた。
「あ、ありがとうございます…」
「ゆっくり食べな〜?」
彼女の柔らかく優しい声を至近距離で浴び、不覚にもむず痒さが身を走った。
「あやか、その人は誰?」
背後から若い男性の声がした。その声色は静かで落ち着いてこそいるが、彼女の行動を好ましく思っていないのか、若干の怒気を纏っている。
「あーごめん
寧とは俺の姉ちゃんの名前だ。
喉の詰まりも解消し後ろを振り返ると、細身で高身長の爽やかな男性が立っていた。最近流行りの黒髪マッシュで前髪が若干目にかかっているが、それでも吸い込まれそうな程大きく、綺麗な瞳をしていた。正に眉目秀麗という言葉が似合う、はっきりした顔立ちのイケメンだった。
「デート中だったんですか?」
俺がそう尋ねると、彼女は得意気な顔をしながら男性の腕にしがみついた。
「そう!新しい彼氏だよ!すっごいイケメンでしょ!」
「新しい彼氏って、前の彼氏さんと付き合い始めたのがつい2ヶげ…」
「すとっぷー!」
そこまで言いかけたところで、彼女は焦ったように両手で俺の口を塞ぎにきた。
「んー!ふいまへん、ふいまへんー!」
声にならない声で謝ると、彼女は頬をぷくっと膨らせながら「そういう事は迂闊に喋らないこと!」と釘を刺してきた。
俺は苦笑を浮かべつつ、彼氏さんの様子を窺う。
相変わらず機嫌は悪そうで、呆れた様子で俺たちのやり取りを見ている。
「あやか、その子も困ってるから。もういくよ」
「ごめんごめん!こんな所で会うとは思わなくて、ついつい…じゃ、行こっか」
彼氏さんと腕を組んだまま、彼女は手を振り去っていった。
あやかさんって、清楚で優しくて可愛くて、理想の女性って感じだけど…絶対ビッチだよな…。
そんな思春期男子の浅い印象を抱きながら、去っていく2人を目で追っていると、その先に立っている1人の女性と目が合った。
20代後半くらいの、美しい白髪の女性。
勘違いではない。明らかにこちらを見ている。遠くからではっきりとその表情は分からないが、僅かに口角を上げた後、こちらにウインクをしたように見えた。そしてその長い白髪を靡かせ、人混みの中に消えていく。
(綺麗な
頬が微かに熱を帯びたのを感じると同時に、右二の腕の熱が収まっていることに気付いた。
俺を追跡していたであろうコーパスを撒いたのか?
いや、食事を開始してからここを動いていないが、少なくともあやかさんたちに話し掛けられるまでは熱を感じていた。
話し掛けられてからはそこに意識が向き、タトゥーの熱を忘れていたが…。
幾ら考察しても、いつ熱がなくなったのか特定できない。
だが、あの白髪の女性は、明らかにこちらに気づいているようだった。
彼女が去ってから、タトゥーの熱を感じていないことを踏まえると、彼女がコーパスだったと考えるのが自然か?
少し腑に落ちないながらも、タトゥーの熱が無くなった俺は、家路につくことにした。
グゥゥゥ…
ハンバーガーを食べたというのに、またお腹が鳴った。まあ、普段歩かない距離歩いているし、中々刺激的なことも多かったからしょうがないか。
もうすっかり暗くなり、辺りの建物は明かりを放ち始めた。その中に、コンビニの明かりを見つけ、腹ごしらえにフライドチキンでも買うことにした。
「ハチチキ1つ、お願いします」
人っ子一人居ない住宅街を、フライドチキン片手に歩く。数回道を曲がると、近所の公園に辿り着き、俺はそこで少しの休憩をとることにした。
ベンチに腰掛け、右手にコーラ、左手にフライドチキンを持ち頬張る。
その時、ふと公園の入口に人の気配を感じ、視線を向ける。
月明かりに照らされたそこには、全身を黒いパーカー・ズボンで包んだ少女が立っていた。彼女の顔は、見覚えがある。
今朝、コンビニを出たところで盛大に転けていた、あの少女。
少女はこちらに気付いていない様子で、商品の詰まったレジ袋を提げ、近付いてくる。もし彼女がコーパスなら、タトゥーは熱を帯びるはず…だが、俺のタトゥーは冷たいままだった。少女も、特に変わった様子は無く、俺の前を横切ろうとしている。
少女は俺の視線に気付き、ばっちり顔が合った。少女は唖然とした表情で、こちらを見つめている。
何秒見つめ合っただろうか。
少女は急に慌てた様子で、ズボンの中に手を突っ込み始めた。
ナニする気だ!?
俺が訝しげに見つめるので、少女は恥ずかしそうに視線を外した。
数秒でズボンから手を出すと、少女はほっと肩を下ろし、安心した様子で出口の方へ向かって行く。だが、同時にどこか腑に落ちなさそうな、不思議そうな表情も残していた。
あの少女はコーパスじゃなかったのか?じゃあ、今朝のあの熱は何だったんだ…。
俺も少女と同じような表情を浮かべながら、フライドチキン最後の一口を噛み締めようとした時だった。
ドサッ
何か重たい物、それこそ、さっき少女が手に提げていたビニール袋が落ちたかのような鈍い音が、静寂に響いた。
少女の方へ視線を向けると、やはり、パンパンに商品が詰まったビニール袋が地面に転がっていた。
手にはビニール袋の持ち手が残っているので、あまりの重さに千切れたんだろう。
だが、その手に残る持ち手に違和感があった。
やけに直線的で、綺麗な断面をしている。
千切れたのなら、もっと持ち手は引き伸ばされ、ギザギザな断面をしているはずだ。
それに気付いた直後だった。
右手に慣性を感じたかと思うと、握っていたペットボトルのコーラが弾け飛んだ。
俺は思わずペットボトルを手放し、制服のスラックスがコーラでビシャビシャになる。
地面に落ちたペットボトルを見てみると、それには1本のナイフが突き刺さっていた。
「やばい!!」
違和感に気付いた時にはもう遅い。
出口の方から一閃、月明かりを反射した鋭利なナイフが高速で飛んでくる。
ナイフは少女の側頭部を掠め、俺目掛けて飛んできた。
間一髪で身を屈めて避けたが、このまま身を晒すのは危険だと判断し、側に生えている木の陰に隠れる。
対して、少女は突然の出来事にフリーズし、回避行動をとれていない。
だが、少女を助けようにも、飛んでくるナイフを躱すのは困難だ。
次の行動を決めかねていると、公園の出口の方から、1つの人影が近付いてくる。
段々とその距離が近付き、全容が明らかになる。
英語がプリントされた白い半袖のTシャツに、黒色の短パンを身にまとう、小太りで無精髭を生やした男が、そこには立っていた。
「まさか2人も獲物が見つかるとはなぁ。今日の俺はツイてるなぁ」
少女の前に立った男は、右手でナイフを振りかざし、ゆっくりと顔の前まで下ろす。月光を反射する銀色の刃を、じっくりと舌で舐め回している。
「ひっ…」
少女は恐怖からか腰を抜かし、尻もちをついた。ただ震えて、何も出来ない少女に、男はゆっくりと歩みを寄せる。
このままだと、少女は男に襲われる…。
助けなければと心は叫ぶのに、恐怖に侵され、足が根を張ったかのように地面に固定されている。
あいつは何なんだ?単なる殺人鬼か?それともコーパス?でも、コーパスだとしたら、タトゥーが熱を帯びるはずだ。
混濁する思考に支配されかけた、その時。
助けて-
消え入りそうな少女の声に、気付けば無意識に反応していた。
木陰から身をさらけ出し、右手の親指を上へ突き立て、人差し指を男の方へ向ける。
右腕に、ビリビリと、熱を帯びた電気が流れるような感覚が走った。
指先が閃光を放つと、細く青白い一直線の光が伸びる。
それは、再度振りかざされたナイフに直撃し、その鋭利な刃を切断した。
「そっちが
男が叫ぶと、彼の背後に10本程度のナイフが出現する。ナイフは刃先をこちらに向け、円環状に並び、クルクルと円を描くように左回転している。
「死ね!」
男が右腕を振り下ろすと、10本のナイフが1本ずつ順番に、高速で襲いかかってくる。
防ぎ切るには…。
「こうか!」
俺は両腕に赤白い稲妻を走らせながら、空中をなぞった。すると、空中に赤白い光線が浮かび上がり、固定される。
俺の身を守り切れるようそれらを配置すると、高速で飛んでくるナイフは次々に弾き飛ばされ、地面に転がった。
「今朝コーパスになったばかりの癖にやるじゃねぇか!」
「何で俺が今朝コーパスになったばかりだって知ってんだ!」
「んなこと教える訳ねぇだろ!」
男は吠えると、ナイフ片手に突っ込んでくる。地面にへたり込む少女には目もくれず、猪のように真っ直ぐ、単純に。
俺は男が間合いに入ってくるタイミングに合わせ、横一文字に空を切った。
あのままのスピードで突っ込んでくれば、このレーザーに直撃するだろう。
だが、男はそう愚直に直進し続けるような敵ではなかった。
俺がカウンターでレーザーを設置することを読んでいたのか、当たる直前に急停止し、レーザーの下を潜ってナイフで切りかかってきた。
間一髪、下から上へと切り上げられたナイフを躱したが、男は見かけによらず身軽で、軽快に、踊るようにナイフで切りかかってくる。
「こんな風貌だけどよ、昔はダンスの振付師だったんだぜ?」
男は余計な言葉を吐く余裕すらある様で、防戦一方の俺を、着実に、着実にフェンス際へと追い込んでいる。このまま後ろへ避け続けていると、逃げ場を失ってしまう。
耳を撫でる風切り音に冷や汗を流しながら、間合いをとる算段を立てる。
男が、俺の顔目掛けてナイフで突こうとした瞬間、俺はリンボーダンスの様な体勢で躱し、そのままわざと後ろに倒れ込んだ。そのままコロコロと地面を転がり、男から距離をとる。
地面を転がっている間、男が飛ばしたナイフが数本体を掠め、横腹に浅い切り傷を負った。
再度立ち上がり間合いは開いたが、男はやはり接近戦に持ち込みたい様子。前傾姿勢で、こちらに向かい突進してくる。
もう一度、レーザーを設置してカウンターを狙うが、今度は横じゃない。縦に右腕を振るうと、赤白いレーザーが、次は縦向きに設置された。
男はレーザーに突っ込む直前、右手側に回り込み、レーザーを躱す。だが、それで良い。
「甘えよクソガキが!」
男は俺の首目掛け、ナイフを投げ込んだ。俺は予め首元付近に置いていた左手から、瞬時にレーザーを生成し、ナイフが首に刺さるのを防ぐ。
すぐさま右手の人差し指を男に向け、無防備な右脚目掛け、レーザーを発射する。
青白い閃光が、男の太ももを貫いた。
彼は激痛に悲鳴をあげ、体勢を崩し地面に転がっている。
「てめぇ、こんなことして、タダで済むと思ってんのか!」
「それはこっちのセリフです」
銃の形を象った右手を、男の額に突き付ける。
「お前に人が殺せるか?ここから先は地獄だぞ。人間からも、コーパスからも命を狙われる。俺たちが命を繋ごうとすることは、半端な覚悟じゃかえって辛くなる。コーパスになる前の、変わり映えない日常を守る…大人しく、寿命が来るのを待つって選択があることを、お前には提示しておくぜ?」
これは、男なりの命乞いか、本当に俺のことを案じているのか…はたまたその両方か。
大人しく寿命を待つという選択…コーパス同士の血みどろの戦いに身を置くより、友人たちとの学校生活、家族との営みを、寿命が来るまで満喫するというのも、確かに悪くない選択かもしれない。
俺はコーパスを殺し続けてまで生きたいのか、他人の寿命を奪い続けてまで生きる価値のある命か。
分からない。
でも、まだまだやりたいこと、見たいものが、俺にはたくさんある…。
揺らぐこの想いの狭間が、正に俺という人間の隙を現す。
男は、俺が最後の1歩を踏み出せないのを見て、無からナイフを取り出した。そのナイフで、動けない俺を突き刺そうと振りかぶる…。
その時、走馬灯の様に、これまでの日常が駆け回った。家族で1つの食卓を囲んだり、旅行に行ったり…放課後教室に残って駄弁ったり、馬鹿なことして騒いだり…。
1つ1つの思い出は、大した物じゃないかもしれない。だが、そこには確かに、家族や友人の笑顔があった。
「俺は、自分が本当に生き続けたいのか分からない。でもな、俺の周りの人たちは、俺が死ぬことを望んでないと思うよ」
右手の人差し指の先、1つの青白い光線が男の額を貫いた。
「それが俺の、生きる理由」