カチリ、と硬質な音を立てて、デスクの上に積みあがっていたデータ端末のランプが青色へと変わる。
「…はい、終わり。第3サーバーのアクセスログの整合性チェックと、来季のミレニアム各部活への予算割り当て予備案の作成、これで全部完了だよ、ユウカ」
端末から視線を外さずに告げると、隣で電卓をたたいていたはずの手がピタリと止まった。
ミレニアムサイエンススクールの生徒会組織『セミナー』の会計、早瀬ユウカが、信じられないものを見るような目でこちらを見てくる。
「…は?ちょっと待ちなさいレイ。それ、私が明日の夕方までに終わらせれば万々歳だと思って渡した三日分の大仕事よ?いくら仕事が速いといっても、なんで一時間足らずで片付いてるのよ」
「昔取った柄ってやつだよ。数字の羅列を処理するだけなら、脳のメモリを少し割り振るだけで終わるからね」
苦笑しながら肩を竦めてみせると、ユウカは「もう、相変わらず理解不能な処理速度なんだから…」と息を吐いた。だが、その瞳の奥には安堵と信頼が浮かんでいる。
「いつも助かります、レイくん。おかげで今日のスケジュールに余裕ができました」
書類の束を整えながら、柔らかい微笑みを投げかけてきたのは、セミナーの書記である、生塩ノアだ。彼女はいたずらっぽい視線をこちらに向けてくる。
「ですが、あまり無理はいけませんよ?ユウカちゃんが『レイがまた一人で仕事を抱え込んで倒れたらどうするの!』って、今朝もすごく心配していましたから」
「ちょ、ちょっとノア!?私そんな言い方してないでしょ!ただ、レイは放っておくと限界まで働き続けるだろうから釘を刺しておかないとって思って…!」
「ふふ、同じことではありませんか?」
顔を真っ赤にして抗議するユウカと、それを上品に微笑みながら受け流すノア。
セミナーの平和な日常風景だ。レイは右手をポケットのなかに突っ込んでカチカチと小さな音を立てながら聞いていた。
「…あ、そうだレイ!仕事が早いのは感謝するけど、この申請書は何なの?」
唐突に、ユウカが一枚の書類をデスクにたたきつけた。
そこには『予備用重力偏向シールド及び特殊フレーム一式』という、ミレニアムの年間予算を吹き飛ばしかねない金額の備品購入申請が書かれている。申請者の名前は空欄、宛名も用途もすべて白紙だ。
「ああ、それ…」
「『それ…』じゃないわよ!宛名も用途も書かれていないこんな無茶苦茶な申請書、通せるわけないでしょ!却下、当然却下!」
ユウカは盛大にため息をつき、その紙に大きく赤字で『保留』の印を押すと、デスクの最下段にある鍵付きの引き出しへと雑に放り込んだ。カチャリ、と鍵が閉まる音が響く。
「あはは、やっぱりダメだったか」
「当たり前よ!全く…時々こういう意味不明な申請を紛れ込ませるんだから…」
ユウカはぷりぷりと怒りながら自分のデスクに戻っていく。
レイはポケットの中で音を鳴らしながら、鍵のかかった引き出しをぼんやりと見つめた。
「…さて、ノルマも終わったことだし、俺はちょっと用事を済ませてくるよ」
「あ、待ちなさいレイ!逃げようとしてない!?まだ色々雑用が…」
「ふふ、ユウカちゃん。レイ君の用事の行き先なんて一つしかありませんよ」
ノアがくすくすと笑いながらユウカの制止を宥める。
レイはセミナー室のドアに手をかけ、振り返って軽く手を振った。
セミナー室を抜けて、向かった先は『ゲーム開発部』の部室だった。
ドアを軽くノックして開けた瞬間、視界に飛び込んできたのは、部屋の中央でコントローラーを振り回して大騒ぎをしている少女__才羽モモイの姿だった。
「あーっ!なんでそこで敵の攻撃判定が全画面に広がるのさーっ!バグでしょこれ!クソゲー!圧倒的クソゲーだよっ!」
「だから言ったじゃんお姉ちゃん。そのエリアは入った瞬間全画面攻撃が飛んでくるんだよ、まだデバッグが終わってないから…」
隣であきれたように画面を見つめているのは、双子の妹である才羽ミドリ。
部屋の隅にあるロッカーからは、おびえたような視線でこちらを伺う部長の花岡ユズの頭がちょこんと覗いている。
「あ、先輩だ!先輩が来たよー!」
モモイがレイの姿を見つけるなり、救世主にでも出会ったのかのような顔で駆け寄ってきた。
「聞いてよ先輩!この新作アクションゲーム、難易度設定が頭おかしいんだよ!先輩の神がかった反射神経でクリアしてよ!」
「はいはい、仕事が終わったら手伝うね」
レイが苦笑しながら部室のソファに腰掛けようとした、その時。
「レイ!」
パタパタと愛らしい足音を響かせて、部屋の奥から一人の少女が駆け寄ってきた。青く澄んだ瞳と、輝くような長い髪。
ゲーム開発部の勇者__天童アリスだ。
アリスはレイの目の前に来ると、まるで宝物をみる子供のような笑みを浮かべて、手に持っていたものを掲げてみせた。
「レイ、見てください!部屋のガラクタ箱の奥から、こんなレトロなメモリーカードを発見しました!」
アリスの手元にあったのは、角が少し欠けた古い旧型のメモリーカードだった。
モモイが横から覗き込み、「どれどれ?」とそれをゲーム機に差し込んでモニターに映像を出力する。
ピコン、とチープな効果音が響き、部室の空気が一瞬だけ固まる。
「『セーブデータ00:ゲームオーバーではありません。つづきから始めて下さい』…ねえミドリ、これってどういう意味?選択肢も出ないし、どのボタンを押しても画面が変わらないんだけど」
「だからいったじゃんお姉ちゃん。古いメモリーカードなんだから、データ領域が完全に壊れてるんだよ。ゲーム開発部のガラクタ箱にあったやつなんだから期待したらだめ」
ミドリが呆れたようにため息をつき、画面から目をそらす。だが、レイの視線はモニターの黒い画面に刻まれたその文字列に釘付けになっていた。
『セーブデータ00:ゲームオーバーではありません。つづきから始めてください』
胸の奥を刺す、冷たい針のような感覚。
過去の記憶のどこを探しても、こんなゲームをプレイした記憶はなかった。
それなのに、この文字列を見るだけで、背筋を冷や汗が伝っていくような感覚がぬぐえない。
ポケットに手を突っ込み小さな音を鳴らしながら、レイはなんとか落ち着こうとした。
「…レイ?」
隣に座っていたアリスが、心配そうにこちらを見ていた。
青く澄んだ瞳に、レイのゆがんだ表情が映りこんでいる。
「顔色がとても悪いです。どこか痛むのですか…?」
「…ううん、何でもないよ。少しめまいがしただけだ」
「本当ですか?勇者はうそをついてはいけないと、モモイが言っていました」
レイは口元に笑みを浮かべ、アリスの柔らかな髪を優しくなでた。
アリスは一瞬だけ目を丸くすると、すぐに満足そうに目を細めて「えへへ」と笑った。
「ほらほら二人ともー!そんな昔のガラクタデータは置いといて、新作アクションの攻略手伝ってよ!」
コントローラーを両手で振り回しながら、モモイが叫ぶ。
ロッカーの隙間から、ユズが「お、大きな声だしたら隣の部活に怒られちゃう…」と小さく声を上げた。
「よし、分かったよモモイ。まずはその入った瞬間に全画面攻撃が飛んでくるところから直していこうか」
「うん!お願い、先輩!」
レイはソファに腰掛けながら、モモイから受け取ったコントローラーを握りしめた。
画面が切り替わり、ドット絵のキャラクターが過酷なダンジョンへと踏み出していく。
胸の奥に残るざわめきを静かに押し殺しながら、レイは指先を高速で動かし始めた。
それからの数時間は、まさに「クソゲー」の名に恥じないカオスな時間だった。
「先輩!右から巨大な岩が飛んでくるよ!」
「岩の当たり判定はかなり大きい。ここはジャンプじゃなくて、壁判定の隙間に滑り込ませて回避__よし、抜けた」
「な、なんで知ってるの!?私すら知らない仕様だよ…」
「場の状況をみて、フレーム数やパターンを計算すれば、回避ルートが自然に見えてくるからね」
コントローラーを握るレイの横顔は、常人の域をはるかに超えた制度で処理を重ねていた。脳のメモリをほんの数パーセント割り振るだけで、ゲーム内の物理演算や敵のアルゴリズムがすべて「可視化」されていく。
(…くだらないな)
心の中でそう呟きながら、レイの唇には自然と笑みが浮かんでいた。
このくだらなさをとても幸せに感じていた。
翌日、ゲーム開発部では、次回作の恋愛ゲームについて議論が交わされていた
「だーかーらー!全員ハッピーエンドの何がダメなのさ!みんなと結ばれて大団円!それが最高のゲームだよ!」
「それじゃだめだよお姉ちゃん」
ミドリは手元の資料を整えると、真剣なまなざしを姉に向けた。
「マルチエンディングのゲームで、誰にとっても都合のいいハーレムルートなんて作ったら、それまでの選択の重みが全部消えちゃうよ。選択肢がどれだけあっても、プレイヤーが『たった一人』を選ぶからこそ、その選択は『真のエンディング』として本物になるんだよ。全員を選ぼうとするのは、結局誰も選んでいないのと同じなんだから」
「えーっ!堅苦しいなあミドリは。プレイヤーだって全員と結ばれたいかもしれないじゃん!」
「それはプレイヤーのわがままだよ。何かを得るためには、何かをあきらめなきゃいけないの」
議論を戦わせる双子の会話を、レイはコーラを口に含みながらぼんやりと聞いていた。
(たった一人を選ぶ…か)
選択。救済。犠牲。
ゲーム開発部の他愛もない創作論のはずなのに、その言葉は重く胸に突き刺さる。
「レイはどう思いますか?」
いつの間にか隣にすわっていたアリスが、静かな声で尋ねてきた。
その瞳はまっすぐにレイを見つめている。
「アリスは…勇者なら、みんなを助けるエンドがいいと思います。でも、もし勇者がとても傷ついているなら…勇者自身が救われるルートもあってほしいです」
「アリス…」
「レイは、どのルートが好きですか?」
問われたレイは、コーラの缶をテーブルに置き、少し考えてから苦笑いを浮かべた。
「俺は…そうだな。ゲームの選択肢は難しすぎるよ。俺には、画面の前のプレイヤーみたいに器用に未来を選ぶなんてできそうにないからね」
ごまかすように言ったレイの言葉に、アリスは何かを感じ取ったように、静かに眉をひそめた。
「…あ、そうだ!部室のジュースとお菓子、全部切れちゃってるんだ!」
モモイが空になったお菓子の袋をひっくり返しながら声を上げる。
「よーし!デバッグもひと段落したし、みんなでミレニアムのショッピングモールに買い出しに行こうよ!先輩、荷物持ちよろしくね!」
「はいはい。セミナーの仕事に戻る前に、付き合うよ」
レイは立ち上がり、ポケットの中をいじりながらドアへと歩き出した。
午後の日差しが、廊下の窓から差し込んでいる。そのあたたかな光の裏側で、静かに運命の歯車が狂い始めていた。