お化けだらけの町でお化けに好かれる少年の話 作:面下より
AIくんにアイデア出してもらって添削したりされたりしつつ作ってます
ぼくが引っ越してきた汐守って町は、なんだか変なところだ。
まず家がいっぱいあるのに、人があんまりいない。商店街にはシャッターの閉まったお店がずらっと並んでいるし、学校だって五年生はぼくを入れてたったの五人しかいない。
前の学校では一クラスに三十人くらいいたから、最初に教室へ案内されたときは先生が間違えて別の部屋に連れてきちゃったのかと思った。
それから、海が近い。これはけっこう気に入っている。晴れた日には学校の窓から船が見えるし、風が強い日はぼくの髪の毛がどんなに頑張っても言うことを聞かなくなる。おじいちゃんは海から吹いてくる風のせいだって言っていたけど、寝癖は朝からついているので、たぶん海だけが悪いわけじゃない。
でも、いちばん変なのは町のあちこちにおばけがいることだ。
電柱の上に、首だけ出してきょろきょろしている何かがいたり誰もいないはずの空き家の窓から手を振られたりする。昨日なんか道端に落ちていた石が、ぼくの足音に合わせてぴょんぴょん跳ねていた。近づいたら逃げちゃったので、何だったのかはまだ分からない。
おじいちゃんにその話をしたら、「知らんものには、むやみに手を出すな」と言われた。ぼくだって何でもかんでも触ったりしない。あの石がカブトムシくらい大きかったら拾ってたかもしれないけど、虫かごも持ってなかったし。
そんなわけで、汐守に来てからまだ少ししか経っていないのに、ぼくは毎日けっこう忙しかった。
そして今日、また新しい変な人に出会った。
その人は、とっても立派な傘を持ったおじさんだった。
九月の雨は、夏の雨よりもずるいと思う。
朝はちょっと曇っているだけだったのに、帰るころには空にものすごく大きな穴でも開いたみたいな雨が降っていた。学校の玄関から外を眺めていると、校庭の白い線がどんどん消えていって、鉄棒の下には小さな池までできている。
ぼくはお気に入りの赤い長靴を履いていたから、水たまりは別に怖くなかった。おじいちゃんが買ってくれたもので、靴の底にはぎざぎざの模様がついていて滑りにくいらしい。実際に何回か走ってみたけど一度も転ばなかったので、これは本当だと思う。
問題は、傘を忘れたことだった。
「晴くん、本当に大丈夫? 先生に言えば、学校の傘を借りられると思うよ」
白瀬こよみちゃんが、玄関のところでぼくの顔を覗き込んできた。こよみちゃんは同じ五年生で、席も近い。肩くらいまである黒い髪をいつもきちんと留めている女の子だ。ぼくは朝に寝癖を直しても給食のころにはまた跳ねているので、どうやっているのか少し不思議だった。
「うーん。でも、ちょっと走れば帰れると思う。長靴だし」
ランドセルを背負い直して答えると、こよみちゃんはぼくの長靴と、校庭の向こうで白く煙っている雨を見比べた。たぶん、長靴だけでは頭まで守れないって考えているんだと思う。ぼくもそう思うけど、そこは頑張るしかない。
「濡れちゃうよ。わたしの傘に入って、途中まで一緒に帰らない?」
「こよみちゃんの家、反対でしょ? ぼく、走るの速いから平気だよ。相馬くんよりは遅いけど、雨には負けないと思う」
ぼくがそう言うと、こよみちゃんは少し困ったように笑った。帰る方向が違うのは本当で、こよみちゃんの家は学校から坂を上がったところにあるらしい。ぼくのおじいちゃんの家は海のほうだから、途中まで一緒に行くとこよみちゃんが遠回りになってしまう。
成瀬先生にも学校の傘を借りられると言われたけれど明日返し忘れると困るので、ぼくはランドセルの上に黄色い帽子をぎゅっと押しつけて、そのまま玄関から飛び出した。
「じゃあ、また明日ね!」
振り返ると、こよみちゃんはまだ玄関に立っていた。ぼくが手を振ると、小さく振り返してくれたので、今度こそ前を向いて走り出す。
雨粒が顔にばちばち当たって、目を開けるのも大変だった。けれど、水たまりを踏むとばしゃんと大きな音がするのが面白くて、ぼくはなるべく深そうなところを選んで走った。赤い長靴の中までは水が入ってこないし、道の端を流れている雨水は、小さな川みたいに速くて格好いい。
ただ、ランドセルの中には図書室で借りた本が入っていた。恐竜の本だ。首の長いやつとか、頭に角が三本あるやつとかがいっぱい載っている。まだ半分も読んでいないし、濡らしてしまったら図書室の先生に怒られるかもしれない。
ぼくは慌てて屋根のある場所を探した。
ちょうど古い時計屋さんの前にちょっとだけ雨を避けられる軒先があったので、そこへ飛び込んで一息ついた。シャッターには茶色い錆がいっぱいついていて、ガラスの向こうに時計は一つも見えない。閉まってから長いこと経っているみたいだった。
帽子から流れる雨水を手で払って、ランドセルを前に回してみる。端っこは濡れていたけど、中の本は大丈夫そうだった。
でも、雨はちっとも弱くならない。ぼくが軒先から顔を出して空を見上げたとき、道路の向こうからこつん、こつん、と変な音が聞こえてきた。
足音に似ているけど、ちょっと違う。何か硬いものが、地面を叩いているみたいな音だった。そっちを見ると雨の向こうを、背の高い人がゆっくり歩いてきた。
長い灰色の雨合羽を着ていて、顔は深く被った帽子の下に隠れている。手には大きな黒い傘を持っていて、反対の腕にも、何本かの傘を抱えていた。
一本、二本、三本。よく見ると、背中にも一本ぶら下がっている。ぼくは指で数えてから、もう一回数えた。やっぱり五本……傘屋さんみたいだ。
しかも、どの傘も形が変だった。赤い傘は先っぽが曲がっているし、青い傘は骨が一本飛び出している。背中の黄色い傘なんか布が途中からなくなっていて、傘というより大きなホネホネザウルスみたいになっていた。
その人はぼくのいる時計屋さんの前まで来ると、ぴたりと足を止めた。
「おやおや。これはまた、ずいぶんと可愛らしい雨宿りのお客様ですね」
男の人の声だった。おじいちゃんより少し低くて、ゆっくりした声。古い映画に出てくる、偉い人みたいな喋り方だった。
帽子の下から覗いている口元には、白くて立派なひげが生えていた。その上の顔は、雨のせいなのか、帽子が大きいせいなのか、どうしてもはっきり見えない。
「あ、こんにちは」
ぼくが挨拶すると、おじさんは黒い傘を少し持ち上げた。傘の内側で、何か白いものがずらっと並んでいるのが見えて、ぼくは思わず目を丸くした。
魚の口の中みたいに、歯みたいな小さくて尖ったものがたくさん並んでいた気がする。でももう一度よく見ようとしたら、傘の角度が変わって見えなくなってしまった。
「こんにちは、お坊ちゃん。この雨の中を、随分と勇敢に歩いていらしたようで。傘はどうなさいました?」
「忘れちゃった。朝は降ってなかったから」
「ほう。それは難儀でしたな。空模様というものは、なかなか人間の都合を聞いてくれませんのでね」
おじさんは大きな傘をくるりと回して、雨の降っている道路へ視線を向けた。雨合羽の裾から、水がぼたぼた落ちている。こんなに傘を持っているのにずいぶん濡れているんだなと思った。
「ぼく、あそこの坂を下りたら家なんだ。もうちょっとだから、走って帰ろうと思って」
坂のほうを指差すと、おじさんはそちらを眺めたあと、ぼくに向かってゆっくり頷いた。
「ふむ。では、差し支えなければ、そこまでお供いたしましょう。この年になると雨の日の散歩くらいしか、気の利いた楽しみがございませんでな」
「えっ、いいの?」
「もちろん。傘というものは、一人で使わねばならない決まりもございません。もっとも、こちらのお供が少々不格好ですが」
おじさんが腕に抱えた壊れた傘たちを見せてくれたので、ぼくは笑ってしまった。たしかに、傘を五本も持っている人と一緒に歩いたら、遠くからでもすごく目立ちそうだ。
でも、ぼくにとってはありがたい話だった。恐竜の本を濡らさなくて済むし、知らない人とお話しするのも嫌いじゃない。
「ありがとう、おじさん!」
「どういたしまして。では参りましょうか。足元には、くれぐれもお気をつけて」
そう言って、おじさんは黒い傘をぼくの頭の上へ差し出してくれた。
ちょっと驚いた。傘は外から見ていたよりずっと大きかったのだ。大人が三人くらい入れそうなくらい大きくて、さっきまで顔を叩いていた雨が、急にぴたっと当たらなくなった。
ぼくは嬉しくなって、赤い長靴を鳴らしながら歩き出した。
おじさんは走らなかった。歩くのもゆっくりで、一歩進むたびに、抱えている傘の骨がかちゃかちゃ鳴った。ぼくはその音が面白くて、何度か横を向いてしまった。
「ねえ、おじさん。そんなに傘を持って、どこへ行くの?」
「さて、どちらへ参りましょうかな。もとより、決まった行き先を持たぬ身でして。雨が降れば雨のあるほうへ、止めば風の向くほうへ。そんな気ままな暮らしをしております」
「えー、じゃあ、おうちは?」
「ありますとも。ただ、帰り道というものが、少々変わっておりましてね」
おじさんは楽しそうに笑ったけれど、その答えじゃよく分からなかった。帰り道が変わっているって、どういうことだろう。
ぼくのおじいちゃんの家は、海の見える坂を下りて、曲がり角を二つ曲がったところにある。最初は何回も間違えたけど、今はちゃんと覚えている。おじさんも、自分のおうちまでの道が難しいのかもしれない。
ぼくは自分の道を教えてあげようと思ったけれど、その前に気になることを見つけた。
おじさんの右肩がびしょびしょになっていたのだ。
黒い傘はぼくの頭をすっぽり隠している。その代わりに、おじさんの右半分が傘からはみ出していて、雨合羽の肩を雨粒がばちばち叩いていた。
ぼくはちょっと考えてから、歩く位置を変えた。
おじさんのすぐ横へ、ぴったりくっついてみる。これなら、二人とも入れるはずだ。けれどそうするとおじさんも少し横へ動いて、またぼくのほうへ傘を傾けてしまう。
むむ。
ぼくはもう一回近づくと、おじさんももう一回動いた。三回目にぼくが思い切って隣へ寄ると、おじさんはようやく立ち止まって、低く笑い始めた。
「ほっほっほ。これは参りましたな。お坊ちゃん、先ほどから、わたくしと何か勝負でもなさっておいでですか?」
「違うよ! おじさんの肩が濡れてるから、もっとこっちに来てよ。ぼくは長靴だから、少しくらい濡れても平気だし」
ぼくが長靴を見せると、おじさんはしばらく黙っていた。雨は相変わらずいっぱい降っている。屋根から落ちる水が道路を叩いて、ぱしゃぱしゃと音を立てていた。
やがて、おじさんは少しだけ傘を持ち直した。
「……なるほど。これは一本、取られましたな」
声が、さっきよりもずっと優しく聞こえた。
「おっしゃるとおり。二人で使う傘ならば、二人とも濡れぬようにせねばなりません。いやはや、長く生きておりますと、つい忘れてしまうこともあるものです」
「そうだよ。風邪ひいちゃうよ」
「お心遣い、痛み入ります。もっとも、わたくしは少々、雨には慣れておりましてね」
「でも、おじさん、服がびしょびしょじゃん」
「おや。これは言い逃れができませんな」
おじさんはまた、ほっほっほ、と笑った。
それからは、二人でちゃんと傘に入って歩いた。
黒い傘の下は不思議と静かで、外ではこんなに雨が降っているのに、ぼくたちの周りだけは小さな部屋みたいだった。雨粒が布を叩く音はするけれど、足元を流れていく水の音は遠くに聞こえる。
ぼくはおじさんの持っている傘が気になって、歩きながら何度も見上げた。さっきの白い歯みたいなものは、もう見えなかった。代わりに傘の骨が一本だけ、変な方向へ曲がっているのに気づいた。
「あっ」とぼくが声を上げると、おじさんも歩みを止めてこちらへ顔を向けた。
「いかがなさいました?」
「傘、壊れてるよ。ほら、そこの骨。曲がってる」
ぼくが指差したのは、おじさんが腕に抱えている青い傘だった。布の下から細長い骨が飛び出していて、途中でぐにゃっと曲がっている。先っぽは折れているみたいで、銀色のところが見えていた。
おじさんは青い傘を持ち上げ、まるで初めて見るものみたいに眺めた。
「おやおや。いつの間にやら、随分とくたびれてしまいましたな」
「直さないの?」
「ふむ。直せるものならば直してやりたいのですが、生憎とわたくし、この手の細工には疎うございまして。壊れたものを壊れたまま持ち歩くのも、困った癖ですな」
「じゃあ、うちのおじいちゃんに頼んでみようよ!」
ぼくは思わず大きな声を出した。
おじいちゃんは、ものを直すのがすごく上手なのだ。前にぼくが使っていた懐中電灯がつかなくなったときも、ドライバーで分解してあっという間に直してくれた。壊れたおもちゃの車も、車輪が取れた椅子も、おじいちゃんに頼めばなんとかなる。
この前なんか、ぼくが拾ってきた変な木の枝を変な音がする笛にしてくれたし。
「おじいちゃん、昔水道とか直す仕事してたんだって。傘も直せると思うよ。前にぼくの傘も直してくれたし!」
「ほほう。それは心強い。ですが、ご家族にご迷惑ではありませんかな。見ず知らずの者が、いきなり修理をお願いするというのも」
「平気だよ。おじいちゃん、いっつも物置で何か直してるもん。それに、もうすぐ家だから!」
ぼくは坂の下にある家のほうを指差した。雨で少し見えにくいけれど、青い屋根と、大きな柿の木があるのが分かる。
そのとき、道路の向こうで、ガタン、と大きな音がした。びっくりして振り返ると、誰もいないはずの細い路地の奥で、何か黒いものが動いた気がした。
大きな犬かな……でも、犬にしては背が高かったような気がする。ぼくがもう一度見ようとしたとき、おじさんが傘の柄をこつり、と道路へ下ろした。
「おや。少々、行儀の悪いものが紛れ込んだようですな」
おじさんの声は、さっきと同じくらい静かだった。けれど、なんだか学校で先生が怒る直前みたいな感じがして、ぼくは思わずおじさんを見上げた。
「何かいたの?」
「さて。雨の日には、いろいろなものが道に迷うものです。もっとも、通ってはならぬ場所へ足を踏み入れれば、それなりのことはございますが」
おじさんは黒いものが見えた路地へ顔を向けたまま、ほんの少し傘を傾けた。
すると、さっきまでばしゃばしゃと流れていた路地の水が、急に静かになった。
ぼくは足元を見た。
雨はちゃんと降っているのに、路地の入り口だけ、水の流れが変な方向を向いているように見えた。学校の理科で習ったことはないけど、水って普通は高いところから低いところへ流れるんじゃなかったっけ。
おじさんは何も言わないで、傘の柄を持つ手を少し動かした。路地の奥から、ごぽっ、と何かが水を飲み込むみたいな音がする。すぐに音は聞こえなくなった。
「……ふむ。よろしい」
おじさんは満足そうに頷いて、こちらへ顔を戻した。
「さあ、お坊ちゃん。お祖父様をあまりお待たせしてはいけませんな。道案内をお願いできますか?」
「あ、うん!」
ぼくはもう一回路地を見たけれど、さっきの黒いものはどこにもいなかった。
変なの。
でも、この町では変なことがいっぱい起きる。
今朝は学校の裏の木に、見たことのない大きな鳥が止まっていた。鳥なのに羽が三枚もあって、どうやって飛んでいるのか全然分からなかった。
おじさんもたぶん、この町にいる変な人の一人なんだと思う。ぼくはそう考えて、また歩き出した。