第1話 旅立ち
月が沈み日が昇る前、彼女は
軋みやすいドアを、猫のお腹を撫でるようにそっと開け、開ける時よりも慎重にドアを閉じる。
小脇に抱えていた靴を履き、彼女は駆け出した。別に止むに止まれぬ事情があるわけでも、やましい事情があるわけでもないが、そうせずにはいられなかった。未知の世界に己の足で初めて踏み出す時に沸き起こる興奮が彼女の背を押すように、早足で進ませた。
今まで見慣れていたオイストゥイー村の風景が、今の彼女の目には見慣れぬ光景のように思えた。月光すら届かない林の影が星空の端を縁取る空白に見え、遠くから聞こえる聞き馴染んだクルフ川の流れが囁き声のように耳に入り、少しだけ恐怖を掻き立て、次第に遠のいていく。いつも通っていた道から
「ひっろ・・・」
深呼吸してまた平原をぐるりと見渡す。
「ひっっろ・・・・・・・!」
その一言を発するだけで彼女の心は小躍りしたくなるような嬉しさで満ちてくる。興奮に身を任せて子供のように平原に駆け出そうとした時、背後の茂みから音がした。
熊か狼か、はたまた野盗か、そんなことを考えるより先に、彼女は自分の幼稚な独り言を誰かに聞かれたことが恥ずかしくなり、思わず茂みにいる誰かに弁明し始めた。
「いやあの、今のは・・・」
「何してるんですか、シャムラン。こんな朝早くに」
そこにいたのは彼女にとって馴染み深い、腰に剣を携えた友人の姿だった。
「メラニア!? どーしてこんな朝早くに?」
「私が聞いてるんですよ、まったく! 朝の素振りに出かける時、たまたま見つけたんです。 てっきり
シャムランはひとまず命の危機ではないことに安心したが、それとは別に新たな問題が起きてしまった。彼女は夜明け前に村を出てしまえば誰にも気づかれずにすむと思っていたのに、よりによって唯一の例外と
一体どうやってこの場を乗り切ろうかと、シャムランはとぼけたふりをして瞼を2回パチクリしている間に言い訳を捻り出そうとしていた。
「で、なんで日も昇り切らないうちからわざわざ村の外にいるんです?」
結局上手い言い訳は見つからなかった。正直に話せばメラニアが止めようとするのは彼女にも分かる。観念して話そうかと諦めかけたが、そこでふと妙案が浮かんだ。うまくはいかないだろうけど、少なくともなし崩しになんとかなるだろうと踏んで口を開いた。
「いや〜あのね? その〜、遠出しようかなって・・・」
「ほぉ、どこに?」
「あ〜、キンブルグ! ちょっとお使いに行かなきゃなんなくてさ、ほら、うちのおじいちゃんとおばあちゃん、あそこに行くにはお年寄りすぎるからさ〜、ね?」
「キンブルグですか、いいところですよ。もしかしたら私の父と出会うかも知れませんね。」
「そこでさ、ちょっと一緒に来てくれない?」
「私がですか?」
「そう! アタシ村の外は初めてだし、そんなに遠くはないけど道中で何があるか分かんないしさ、騎士様に護衛になってくれないかなって! ねーどう、メラニア?」
メラニアは悩んでいる様子だが、彼女の本当の目的にはまだ気づいていないようだ。シャムランにとって、本来一人旅の予定ではあったものの、この先どんな危険があるのか分からないから、武術を学んでいる友が同伴してくれると考えると、この展開は彼女にとって嬉しい誤算だった。
「で、どう?」
「・・・まだ騎士ではありませんが、これも修行のうちですね。成果をあげぬ内に故郷に顔をみせるのはおもばゆいですが、同行しましょう」
「やった! ありがと! あーもう偉いねぇ! お利口さん! もうチュッチュしちゃう!」
「やめて」
かくして、キンブルグに着いた時にどう言いくるめて海に向かおうか考えている黒ギャル魔術師シャムランと、何も知らない騎士見習いメラニアの旅が始まった。