ロキシーが俺を外に連れ出してくれてから、しばらく経った。それからというもの、俺はこうして自然の中を歩くのを習慣にしている。シルフィと出会ってからはよく2人で遊んでいたが、たまにはこうして1人で静かな森を散策するのも悪くない。
パウロ曰く、この辺りは魔物も滅多に出てこないし、出たとしても弱っちいやつばかりだそうだ。もっとも、森は魔力溜まりが発生しやすい。万が一ということもあるから、用心するに越したことはないだろう。
それにしても、ここは本当にのどかな場所だ。流れてくる風を肌で感じる。木々の揺れる音、小鳥たちの囀る声、自然の旋律が風に乗って伝わってくる。もといた世界じゃ、こう自然と触れ合う機会もなかったからな。
それもこれも、俺を外に出してくれたロキシーのおかげだ。そう考えると、本当に彼女には頭が上がらないな。
ロキシーへの感謝を感じながら、茂みの中を進んでいく。こういう足元の植物も、もとの世界と同じようで、ちょっとずつ違う。例えばこのカタバミみたいな草。ゼニスから貰った植物辞典によると、傷薬のもとになるらしい。
そしてこっちの変な形の草は辞典によると...「おい!」
...なんだ。
振り返ると、俺と同じか、もっと小さいくらいの、オレンジ色の髪をした子供が、にやにやしながら俺の後ろに立っていた。
「お前、騎士の所の坊っちゃんやろ!ひょろっちい奴やなぁ!」
ひょろっちいって...体格はそんなに変わらない、ってか向こうの方が小さいだろう。というか、つけてきてたのか?だがそれにしては全然音も聞こえなかったし...
「パウロ・グレイラットの息子、ルーデウス・グレイラットです。僕に何か用ですか?」
とりあえず挨拶してみる。挨拶は社会人の基本だ。
「やっぱりそうや。騎士の嫡男なんてよっぽどチヤホヤされてきたんやろなぁ。おまけに魔術も使えるとか、いいご身分やで」
なんなんだこいつ。やけに難しい言葉知ってるし、本当に子供か?それにその阪○ファンみたいな喋り方は何だ?
「けどな、魔術なんて役に立たんで。使われる前にぶっとばせば勝ちやからな」
そういうと子供は指の関節をポキポキ言わせ始めた。おい待て、まさかこいつ、俺に殴りかかってくるんじゃないだろうな。
思い出すのは、シルフィをイジメていたソマル達だ。だがあいつらと違うのは、目の前の子供の目的がわからないこと。
「ちょっと待ってください。なんで戦おうとしてるんですか。喧嘩なんてしても親に...」
「ごちゃごちゃうるさい奴やな!ビビっとるんか!?せやったらお前、とっととワイの舎弟になれや。丁度魔術の使える舎弟が欲しかってん」
意味がわからない。舎弟って何だよ。ヤンキー漫画じゃあるまいし。これ以上相手のペースに飲まれるわけにはいかない。ここは気丈に...行きたいところだが、さっきからちょっと足が震えている。こんなちびっ子の恫喝に怯えているというのか、我ながら情けない。こっそり土魔術で足を固定しつつ、相手に言い返す。
「いきなりやって来て何のつもりですか。僕は君の舎弟になんてなる気はありませんよ。」
念のため、いつでも魔術を打てるよう身構えておく。
「ほーん、そうか。じゃ、しばいたるわ」
そう言い切った瞬間、薄ら笑いを顔に浮かべたまま、子供はこっちに突っ込んできた。
...速え!
何つー速さだ。一瞬で距離が詰められ、振りかぶられた拳が眼前に迫る。
「うわっと!」
衝撃波を手から放ち、その反動でなんとか拳を避ける。しかし、相手は衝撃波でよろめいた体勢のまま即座に片足で跳躍してきた。空中で体をひねり、さらに勢いをつけてもう片方の脚を繰り出す。飛び蹴りだ。
「っつ!!」
足が頬を掠める。今度は避けきれなかった。頬から血がだらだらと垂れていくのがわかる。
やばい。
背筋がぞわりと震え、心臓がバクバク音を鳴らしている。なんなんだこいつは。子供とは思えない身のこなし、一切躊躇のない暴力。俺は本能的に身の危険を感じた。
さっきよりも大きい衝撃波で、無理やり距離をとる。手首と肩が外れそうになるが、構わない。さらに追撃をしてこようと構えを取る相手に、岩砲弾の照準を合わせる。
手加減はしない。いや、できない。キュインと空気を引き裂く音を立てて、岩砲弾は子供に向かって突き進んだ。
「ぐぎゃっ!?」
あっさりと岩砲弾は子供の顔面にぶち当たり、子供は大きくのけぞった。額からだらりと血が出ているが、まだ倒れていない。
目が合った。
さっきまでの軽薄な表情はもうなかった。その見開かれた瞳に写っていたのは、驚愕...いや、感動?
怪我を負ったというのに、少しも気にするそぶりも見せず、再びこっちに突っ込もうと足を踏み込む。
「っ!岩砲弾!氷霜撃!真空波!」
もう相手の事を考える余裕はなかった。立て続けに魔術をぶち込む。
子供は空中でもみくちゃになりながら吹っ飛んでいった。そのまま後ろにあった大きな木にぶつかり、その根元でどさりと倒れた。
...やったか?
しばし硬直する。一応右手を構え、倒れた相手の元にゆっくりと近づく。
子供は木の根元で横向きに倒れていた。体には霜が降り、真空波による切り傷があちこちに見える。そして頭から血を流し、手がだらんと垂れたまま、動かない。
...動かない。
「やっべぇ...」
俺は咄嗟に駆け寄って子供の様子を確かめる。血が流れ、オレンジの髪の先端を赤く染めている。だが、息はあるようで、胸が規則正しい間隔で上下していた。
危ねえ、やっちまったかと思った。どう考えてもいきなり襲いかかってきたこいつが悪い訳だが、魔術で子供を命の危機に追いやったとあっては、村にいられなくなるかもしれない。とは言え、大怪我をさせてしまったことに変わりはない。俺は子供の胸に手をかざし、詠唱を始めた。
「母なる慈愛の女神よ、彼の者の傷を塞ぎ、健やかなる体を取り戻さん。『エクスヒーリング』」
落ち着いて中級魔術の詠唱をする。子供の傷はみるみる塞がっていき、やがて殆ど見えなくなった。もっとも、あちこちが破れた服や、髪や服に付いた血はそのままな訳だが。
「ふぅ...」
ひとまず、危機は脱した。突然の出来事にドバドバ出ていたアドレナリンも、ちょっとずつ落ち着いていく。
それにしても、本当になんだったんだ、こいつは。よく見てみると、かなり綺麗な顔をしている。顔立ちの整った美少年...いや、美少女?...まさかな。
服装はどこにでもあるようなパーカーと半袖のズボンで、ぼろい靴を履いている。服が血まみれでボロボロな事を除けば、ただすやすやと眠っているだけのようにも見える。
はあ...。パウロに何と言い訳すべきか。子供同士の喧嘩とはいえ、結構な怪我を負わせてしまった。このボロボロの格好を親が見れば、何があったのかと問い詰められること間違いなしだ。
まあ、正直に説明しよう。というか、それしかない。どう考えても悪いのはこいつだ。正当防衛だ。
なんて事を考えていると、さっきまで気を失っていた子供が、何の前触れもなく、むくりと起き上がった。
「うぉっ...!」
慌てて距離を取る。
また襲いかかってくるかもしれない。いっそもうこのまま逃げてしまうべきか。うん、それがいい。これ以上こんな頭のおかしい子供に関わっていたってしょうがない。
だがそんな考えとは裏腹に、子供は襲ってくる気配はない。自分の服や、怪我したところを見て目をぱちくりさせているだけだ。
「お前...これお前が治したんか?」
「...そうですけど。ていうか、いきなり襲いかかってくるなんてどういうつもりですか?」
子供は答えない。しかし、俺の返答を聞くと、指を広げて、体をわなわなと震えさせ始めた。
なんだ、泣き出すのか?今になって傷が痛みだしたか?いや、そうではない。こいつの目は輝いている。今さっきボコボコにされたというのに、この目はまるで...
「向かってきた相手をわざわざ治すなんて...信じられへん...。ワイは、ワイは...」
そう言うと子供は、いきなり土下座の体勢になった。
「さっきまでの無礼、許してくれ!ワイを、ワイを兄貴の舎弟にしてください!!」
...頭が痛い。