ここで、我々の主人公が迎えたルカという少年について基本的な説明をしておこう。ルカは粗暴かつ直接的な口調で喋る、独特な訛りを持つ男子だ。着ている服だって上品からは程遠い、タンクトップとオーバーサイズのズボン。しかも年齢は、背丈からして10代半ばを過ぎないだろうと思われた。私はさしあたり、少年の幼年時代や過去のあれこれには立ち入らない。彼自身が記憶喪失だから、いずれ思い出すときまで取っておくことにする。
ただし、ルカについてこれだけは書いておかねばならないと思うことがある。彼は潜在的なリーダー気質というか、人を惹きつける天性の魔力を秘めていた。
美しいからだろうか?彼の濁りが一切ないよく冴えた目は、特別な引力を持っていた。こちらを吸いこもうと、音も仕草もない手招きを働く力だ。見栄えのする金髪は暗闇の中で恒星めいてそれ自体が光っているようにすら思われた。
しかしそれはルカという人間を説明するには不十分だ。多分、この奇妙な魅力の根源は彼の話し方にあった。彼の言葉は、粗暴かつ直接的でありながら、内容が論理立っていた。身振り手振りはパフォーマンス的に大袈裟で、爽快な演説を見ている気分にさせられる。世が世なら彼は聴衆に黒を白と認識させる独裁者にでもなれただろう。10代の子供が持つにはあまりにも異様な特徴だった。
「……どっかから脱出できねーかな。それか、オレらの居場所を掴む手がかりがあるといいよな!とりあえずあちこち探してみようぜ」
〈行動判定〉修正値+1
エマ: 5 → 成功
ルカ: 8 → 成功
▽花畑
植えられているのは全部薔薇。土も花も全て本物。生きた薔薇というべきか、生かされている薔薇というべきか。Rosa virginiana, Rosa palustris……などネームプレートがあり、種類ごとに分けられているようだ。
▽天井
ゴツゴツした配管の張り巡らされた天井には、降雨機と思しきシャワーのような装置が配置されている。加えて照明から人工の光が降り注いでいる。
▽壁
窓がなく、景色を確かめることはかなわない。
「花を栽培してたのか……?それとも展示?」
「お花が枯れてないってことは、ばっちり手入れされてたみたいだね。管理人さんが今もここにいれば話が聞けるんだけど……」
「おう。じっっっくり、話を聞かなきゃいけねーからな」
ルカはニヤニヤ笑いながら両手をポキポキ鳴らした。
「そ、そこまでは言ってないけど……」
「お!エマ、扉があるぜ」
ルカは親しげに呼んだ。エマは頷くと、後について扉に近づいた。
「……大丈夫か?外に出てって……」
暗い藍色の重々しい両開きの扉。ルカは扉の正面を避けるようにして聞き耳を立てた。エマは、より温厚な性質なので、彼ほど扉を警戒しなかった。
「きっと大丈夫だよ。ほら!普通に開くみたい」
エマはかまわず扉を開けた。外を覗き込む。廊下は照明が一切ついていないようで、目を凝らしても大まかな壁の輪郭がぼんやり見える程度だ。ルカが彼女の翼の上や下からどうにか覗き込もうとした。
「……クソッ、暗すぎて全然見えねぇ。音がしねーし、人は居なそう……か?」
エマは廊下に踏み出した。コツコツと音を立てながら転ばないように気をつけながら歩く。暗いからだけではない。エマの足が牛みたいな硬い蹄にすげ替えられてしまっているからだ。歩行するには不気味なほど支障がないが、エマはこの異質さを意識しだすと、かつての歩き方と今の歩き方が混ざってバランスを崩しそうになっていた。
薔薇園はあれほどむせ返るような匂いに満ちていたのに、扉を一歩出た途端、空気は乾いて褪せていた。廊下はしんと死にわたったように暗い。廃墟だ。赤色すら真っ暗闇に腐り果てた消火設備らしきものが辛うじて視界に映る。
「あのぅ……?誰かいませんか?」
彼女は声を出した。もやもやと廊下に反響する。
「…………ひっ、だ、だれか、誰か来たっ、」
息を呑む音。そのとき前方で、光る緑色がチカチカ瞬いた。その緑色というのが床にあったので、エマは自分の緑のクローバーの髪留めが光って反射しているのかと思った。
「ぁ、あのー……?そんなに怯えなくても。どうしたの?」
エマは歩き出す。苦笑しながら声をかけたエマに、初対面特有の緊張はなかった。蛍光色めいた緑の双眸は臆病な猫のようにキョドキョド動いた。
「……ご、ごご、ごめんっ。…ごめん……………君たちの姿を見たら吐きそうになって…」
エマは絶句した。
「……えっ……そんなに!?そんなに気持ち悪い!?」
エマは自分の身体を思い返した。心当たりしかない。
「ち、ちが、ぁの、会えてほっとしたのに緊張しちゃったというか」
緑の目はずっと目線の合わないまま、幽霊のような白さの細い指を蜘蛛のように慌てさせながら、焦って弁解した。
「難儀だな…」ルカが呆れた。
「落ち着いて。とりあえず自己紹介しよう?名前教えてよ」
「ぇ、ぅ、うん」
その人はびくびく立ち上がると、何か言おうとしてまた言葉を詰まらせた。切れ長の目が自信なく左右に揺れる。
「…はじめまして、になるのかな?…ぼ、僕は…ダニエル、です。でも、」
彼は一歩踏み込んできて、顔を近づけ、我々の主人公の手首を掴んだ。しがみつくように、呪いでも込めるかのように、爪が食い込むほどキツく。
真っ暗闇だと思っていたそこには、彼の痩せぎすの長身を覆い、夜の海のようにさざめき波打つ黒く長々しい外套があった。しかし印象的なのは全身の黒ではなく、亡霊のような青白い肌でもなく、寧ろその瞳の緑だった。落ち着きなく左右に揺れながら、異様なまでに強くギラギラと光る目。
「僕ら、他人同士じゃ寂しいから、ダンって呼んでほしい……」
彼の切れ長の眼は──暗闇の中にあって、一体どこから差しているのか分からない、焼け尽かんばかり激烈な眩い緑を反射して、ぼうぼうと輝き焦がれている。
「あ、あ、えーっと……私はエマで、そっちの彼はルカ。あの、その、手、」
エマは困惑した。握手がしたいならば応じてかまわなかった。実際、ルカとは握手をしたし。でもこんなふうに手を掴まれるのは……痛いし、怖いし、意味が分からない。
「ぁ……ぉ、驚かせちゃったかな!?ごめん、」
その人物は、今更な配慮を思いついて、エマの手首を掴む行為をやめた。といっても気味が悪いことに、その指先を彼女の手の甲にぴとりと触れさせたままでいたので、私の善良な主人公はわざわざ手を引っこめるほかなかった。そのことでとやかく言われはしなかったけど、なんとなく気まずいのは読者も想像に容易いだろう。
「テメー、誰だ?」
ルカはあからさまに不機嫌な声を出し、前に進み出た。ダンと名乗る人物は今にも死にそうな声を上げた。
「うわあッ、ご、ごごごめんなさ、」
「ちょっと!脅すのはいけないよ、」
エマはルカを止めた。
「ねぇ、キミも私たちと一緒に来ない?」
「え……、ぃ、いいんだ。っていうか、うん。是非。とても嬉しいです」ダンはあっさり受け入れた。
電灯が点いて廊下が明るくなった。一瞬遅れて、この人が後ずさりしたことで照明のボタンにぶつかったことが分かった。彼の背後には、大きく複雑な機械が置かれている。エマはなんの機械だろうと思って、植物の安定した生育のためだろうと凡庸な想像をした。
明るい空間で観察すると、エマは、眼前の人物の外見が想像より女性のようであることに驚いた。どうしてか、絶対に男性だと思っていたのだ。
我々の主人公は一度、彼の名前について考えた。英語圏以外の読者のために説明を付け加えると、ダニエルは比較的アンドロジナスな名前ではあるが、
でも、掠れた感じのある声は紛うことなく女声の高さで、刺々しさと憂いの両方を帯びた顔立ちも女性的。指先の動かし方は蜘蛛のように細やかで粘っこい。
エマは当分、ダンの性別を気にしないでおくことにした。
ダンはエマの容姿を頭から爪先まで観察した。その視線が、彼女の翼から足元へ、それから顔へとゆっくり移る。その目が一瞬だけ、何かを確かめるように細められる。
「凄いね、君は……天使様みたいだ。肌も翼も柔らかそうで血が通っている。そっちの君は……なんだろ、トカゲ?」
「ドラゴンって言え!」とルカが不満気になった。
「どうしてそんな見た目なの?」
黒い人物は目を細めた。我々の鈍感な主人公ですら気づくほど不自然なことに、ダンはエマのほうばかり見て話している。エマは落ち着かなくなって三つ編みを撫でた。
「覚えてないんだ。でも、あの、」
天使。天使かぁ。エマは頭の中で繰り返した。肯定されたような、自分に向かって自分と無関係なものを褒められたような、気まずくも安心した心地だった。
「私もびっくりしてたからさ。こんな見た目が、貴方にとって嫌じゃないならよかった……」
エマは胸に手を当ててぎこちなく笑った。
すると、気持ちを切り替えたらしいルカが話題を替える。
「ま、そういうことなら協力しようぜ。手がかりを見つけるんだ」
ルカはにんまり微笑んで、くるりと人差し指を回した。
「まずは自分たちのこと!なんでこんな見た目になったかは覚えてないんだよな。じゃ、ここに来るまでの記憶は?」
「覚えてない」エマは首を振った。
「それどころか、どこで働いてたのか、どんな学校に行ってたのか……そういう基本的なことも覚えてない」
ダンは客観的に答えた。
「……家族の顔もな」ルカは付け足した。
「それなら、この空間の外のことはどうだ?」
「あー……どうなんだろう。………………。」
あまりにも分からなすぎて、エマは黙ってしまった。
エマは考えた。この建物の外に広がる景色は、一体何なのだろう。私の知っている町だろうか?私が住んでいる州で、簡単に家に帰れる距離だろうか?もしかすると最悪の場合、全く知らない国にいるという可能性も……。
エマの沈黙に、ルカは笑って同意した。
「オレもさっぱりだ!とんでもねー事態に巻き込まれちまったな」
それから、二人を見ながら言う。
「まあいい、分からないモンは当分しようがねぇ。取り敢えずここを出ることを考えようぜ。一緒にこの場所の探索だ。二人ともついてきてくれ」