麃家の若獅子と後宮の猫   作:俺は鳥頭ではない

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第五話 翡翠宮に潜む香り

後宮の朝。

詰所の机には、数冊の分厚い帳簿と複数の報告書が山のように積み重なっていた。

 

「……お前ら、もう少し整理して報告できねえのか」

麃修は報告書を片手に、ドカッと深いため息をついた。

机の周囲には、彼の指示で後宮内の各宮の調査にあたっていた兵士たちがズラリと頭を下げて並んでいる。  

 

「申し訳ありません!」

「謝る前に説明しろ。で、結局、例の『赤い刺繍』の侍女が持ってたのと同じ香袋は見つかったのか?」

「はっ! 現在までに、梨花妃様の水晶宮以外にも三つの宮で同じ形状の香袋が確認されました!」

「三つか……」

 

修は報告書に鋭い眼光を落とした。

「中身はどうなんだ?」

「それが、すべて同じというわけではありません。通常の香料が入っていたものもあれば、まだ中身を確認できていないものもございます!」

「受け取りの記録は?」

「内務監を経由しているものが大半ですが……いくつかは受け取り人の名前が空欄になっております!」

「ハッ、やっぱりそこかよ」

修はガシガシと頭を掻き、机に肘をついた。

同じ形の香袋が複数の宮に配られている。だが中身は一様ではなたくバラバラだ。

「よし。引き続き、香袋を受け取った時期と担当者を洗え。特に受け取り人の名前が抜けてる怪しいやつは重点的にな!」

 

「承知いたしました!」

兵士たちが一礼して退出していく。

修は報告書をまとめながら、小さく舌打ちした。

「……チッ。見た目が全部同じだからこそ、誰も疑わねえってわけか。戦場で言えば、同じ味方の旗を掲げた連中の中に敵の間者が紛れ込んでるようなもんだ。胸糞悪い手口だな」

 

一方、その頃。

猫猫は別の部屋で、押収された香袋の中身を夢中になって調べていた。

机の上には複数の香袋と、それぞれからピンセットで取り出した薬材がズラリと並べられている。

猫猫は小さな皿に粉末を分け、鼻先に近づけて慎重に匂いを確かめた。

「……ふむ」

一つ目。

二つ目。

三つ目。

同じ形状の香袋でありながら、中に含まれている成分は微妙に異なっていた。

「これは普通の香料……こっちは特定の薬材が混ざっている……」

猫猫はブツブツと呟きながら、紙に細かく記録していく。

やがて、一つの香袋から取り出した粉末を指で捏ねた瞬間、その目が怪しく光った。

「これもですか」

中に含まれていたのは、梨花妃の宮で見つかったものと酷似した薬材だった。

ただし、配合の量が微妙に違う。

「同じ材料を使っているのに、割合が違う……。単独で使うならただの香料ですが、これに別の場所の薬材を組み合わせれば……」

そこまで考えたところで、猫猫の顔に毒狂い特有の怪しい笑みが浮かんだ。

「なるほど。そういうことですか」

彼女はすぐに別の包みを取り出し、薬材の皿を組み合わせるように並べ直した。

香袋に使われた薬材は、単体で毒を完成させるためのものではない。複数の材料を別々に運ばせ、必要な時に特定の場所で組み合わせるための「部品」だったのだ。

「これなら、一つの香袋だけを調べられても毒の全容は分からない……」

最初から発覚した時の調査まで計算に入れている用心深さ。

猫猫は少しだけ眉を寄せた。

「……随分と用心深いことですね」

薬師としてはその知恵に感心する部分もあるが、それ以上に後宮という閉鎖空間でそんな回りくどい毒のばら撒き方をしていることが腹立たしかった。

「まあ、私には関係のない面倒事ですが」

口ではそう吐き捨てながらも、猫猫の観察の手が止まることはなかった。

 

昼過ぎ。

修のもとへ猫猫がやってきた。

「修様。少しお時間をいただけますか」

「おう、猫猫か。ちょうど俺も報告をまとめたところだ」

修は兵士たちから集めた報告書を広げた。 

「三つの宮で同じ香袋が見つかった。だが、中身は違うらしい」

「こちらも同じ結論に至りました」

猫猫は自分の調査結果を机に並べた。

「香袋に入っている薬材は、すべてが毒というわけではありません。ただ、いくつかの薬材を特定の順番で組み合わせることで、強烈な毒性を引き出す仕掛けになっています」

「梨花妃の宮で使われたのと同じ手口か?」

「完全に同じではありませんが、共通する材料が含まれています。つまり、香袋を配った奴は最初から中身を使い分けていたということです」

「なるほどな……必要な薬材を別々の香袋に化けさせて、特定の宮へ届けてやがったわけだ」

修は太い腕を組み、本能型のカンを働かせた。

「……後宮全体に毒の罠を散りばめてるようなもんだな。だったら、梨花妃の宮の事件はただの『実験』か『前触れ』に過ぎねえ。次に狙われる宮があってもおかしくねえぞ」

修は報告書の一行を指で叩いた。そこには香袋の支給先が記されている。

「……翡翠宮にも、この香袋が届いてるな」

「玉葉妃様の宮ですね」

「ああ。政……大王様の大事な妃殿下の場所だ。念のため、俺が直接確かめに行く」

「私も同行します」

「よし、準備しろ!」

 

翡翠宮。

修と猫猫が訪れたことを知ると、玉葉妃はすぐに二人を奥の部屋へ招き入れた。

「修様、猫猫。よく来てくれたわね」

「妃殿下、突然の訪問、失礼いたします」

「いいえ。何か分かったのかしら?」

「はっ。少々気になることがありまして」

 

修は調査結果を説明した。 

同じ形状の香袋が複数の宮で見つかったこと。

しかし、その中身はそれぞれ異なっていたこと。

そして、薬材の組み合わせによっては、身体に悪影響を及ぼす可能性があること。

玉葉妃はあでやかな笑みを消し、真剣な表情で頷いた。

「つまり、この翡翠宮にもその危険な香袋が届いているかもしれない、ということね」

「現時点では可能性の話ですが、念のため確認させていただきたく思います」

「もちろんだわ。侍女たちに持ってこさせましょう」

玉葉妃の指示で、翡翠宮に保管されていた香袋がいくつか運ばれてきた。

猫猫はそれらを受け取り、一つずつ鼻を近づけ、中身を軽く改める。

「……こちらは問題ありませんね」

「こっちはどうだ?」

「ただの香料です。少なくとも、今確認できる範囲では危険な薬材は含まれていません」

玉葉妃はホッと胸を撫でおろした。

「よかったわ」

「ですが妃殿下、念のため内務監から届いた香袋の使用はすべてお控えください。中身をまだ確認できていないものもありますので」

「分かりました。すべて保管しておきましょう」

修は脇に控える侍女たちに向き直り、武将らしい威圧感の混じった声で告げた。

「今後、内務監から届けられる香袋や薬材は、必ず一度俺たちを通せ。勝手に使うんじゃねえぞ。それと、見慣れねえ奴が宮に出入りした時もすぐ俺に知らせろ。些細なことでも構わん!」

「は、はいっ! 承知いたしました!」

玉葉妃は二人を見て、柔らかく目を細めた。

「ありがとう。あなたたちがいてくれて本当に助かるわ」

「ハハッ、当然の務めですよ」

修が豪快に笑うと、玉葉妃は少しだけ困ったような、儚げな表情を浮かべた。

「でも、こういうことが起きるたびに思うの。後宮という場所は、本当に難しいところね。妃たちも侍女たちも、それぞれ命懸けの事情を抱えているわ。誰かを疑えば、別の誰かが傷つくこともある……」

玉葉妃は窓の外の庭園へ視線を向けた。

「それでも……守らなければならないものは、絶対に守らなくてはいけないのだけれど」

その言葉に宿る覚悟を感じ取り、修は静かに、だが力強く頷いた。

「俺も同じ考えです。妃殿下や公主様に危害を加えようとするドブネズミがいるなら、俺がこの手で必ずぶち殺…… 失礼止めてみせます」

「ふふ、頼もしいわね」

玉葉妃がくすくすと笑ったその時、部屋の奥から小さな可愛らしい声が響いた。

 

「しゅう!」

鈴麗(りんれい)公主だった。侍女に抱かれていた幼い公主が、修の姿を見つけると小さなお手手をパタパタと伸ばしている。

「おや、公主様。俺の顔を覚えていてくださったのですか!」

修が近づくと、鈴麗公主は嬉しそうにキャッキャと声を上げた。

「しゅう!」

「はいはい、修でございますよ」

修がゴツゴツとした大きな手をそっと差し出すと、公主の小さな手が修の指をぎゅっと握りしめた。

「おおっ、結構力が強いですね!」

「ふふ。最近はとてもお転婆になられたのよ。修様、少し抱いてみる?」

「よろしいのですか?」

「ええ。公主も喜んでいるようですし」

修は戸惑いながらも、壊れ物を扱うように慎重に鈴麗公主を抱き上げた。

「おお……軽いな。羽毛みたいだ」

鈴麗公主は修の頑丈な胸元を小さなお手手で掴み、楽しそうに笑っている。

「しゅう!」

「はいはい。ここにおりますよ」

その光景を横で茶をすすりながら見ていた猫猫は、じと目で呆れつつも感心していた。

(……戦場じゃ敵を薙ぎ倒すような大男のくせに、子供を抱く時はあんなに優しい顔をするんだな。案外、面倒見がいいというか……)

修が名残惜しそうに公主を玉葉妃へ返すと、照れくさそうに頭を掻いた。

「いやあ、子供ってのはいいもんですね」

「そうでしょう? 修様にも、いつかこういうご家族ができる日が来るかもしれませんね」

「ハハハッ! 俺にはまだまだ先の話ですよ!」

玉葉妃の意味しんぐな微笑みを、修は豪快な笑いで受け流した。

 

翡翠宮を出た後、修と猫猫は静かな回廊を歩いていた。

「玉葉妃様は、やっぱりお優しい方ですね」

「そうだな。だが優しいだけじゃねえ。あの人は周囲の動きをよく見てやがる。俺たちが何か隠して捜査してることも、ある程度察して言わぬが花にしてくれてるんだ」

「妃殿下ともなれば、勘が鈍い者から脱落していきますからね」

修は青空を見上げた。

「それにしても、翡翠宮にヤバい香袋が持ち込まれてなくてよかったぜ」

「ええ。ただ、気になることがあります」

「なんだ?」

「香袋の中身がわざわざ分けられているということは、作る人間と、各宮へ運ぶ人間が別々の可能性が高いです」

「分業ってことか」

「はい。そうすれば、末端の運び屋を一人捕まえたところで、組織の全体像までは辿り着けませんから」

修はピタリと足を止めた。

「……ハッ、つくづく陰湿で賢いタコ助どもだな。だが、少しずつ尻尾は見えてきてる。兵士たちには引き続き調べさせぞ」

「私は薬材の組み合わせのパターンを潰しておきます」

「頼んだぜ!猫猫」

「はい」

 

その時――回廊の曲がり角から、一人の侍女が慌ただしく走ってきた。

 

「麃修様!」

「どうした、そんなに息切らせて?」

「き、宮中より使者が参られております! 修様に直接お会いしたいとのことです!」

「宮中から使者だあ?」

修が眉をひそめると、となりの猫猫があからさまに嫌そうな顔をして目を細めた。

「……来ましたね」

「何がだ?」

「面倒事です」

「お前は何でもかんでも面倒事にするな!」

「私の勘は当たるのです」

修は苦笑しながら、使者が待つ客間へと向かった。

そこに立っていたのは、上質な衣服を身にまとった、品のいい中年宦官だった。

「麃修様ですね」

「そうだが。文官様が俺に何の用だ?」

「私は宮中に仕える者。主よりこちらをお預かりしております」

差し出されたのは、一通の美しい書状だった。

修は封を破り、書状に目を通す。そこには、後宮の物品管理および一連の不審火・毒物事件に関する調査報告を求める旨が、流麗な文字で記されていた。

そして、その差出人の名。

『壬氏』

「……壬氏(じんし)、か」

修がその名を呟いた瞬間、猫猫の肩がぴくりと跳ねた。

「修様……まさか、壬氏様からですか?」

「ああ。『明日、宮中へ出頭せよ』だとよ。おい猫猫、お前この『壬氏』ってのを知ってんのか?」

猫猫はあからさまに遠い目をして、深いため息をついた。

「ええ……後宮では知らない者はいないお方です」

「どんな奴なんだ? 呂不韋の手先か?」

「いえ……一言で言えば、大変、お顔のよろしい方です」

「はあ? 顔がいい?」

「はい。天女か絶世の美女と見間違えるほどの美貌をお持ちです」

修は思わず片眉を跳ね上げた。

「へっ、男のくせに絶世の美女だあ? そりゃまた妙な奴だな」

「ですが修様、見た目に騙されない方がいいですよ。あの方は……ある意味で後宮のどの暗殺者より危険人物です」

「なんだ、そんなに腹黒いのか?」

「……関わるとロクなことがありません」

猫猫の必死な表情に、修はガハハと大声で笑った。

「ハッ! 面白いじゃねえか。どんな天女サマか知らんが、明日会えば分かることだ!」

「修様」

「あ?」

「くれぐれも、暴れて首を跳ねられないようにしてくださいね。私の珍しい毒草の報酬が立ち消えになりますから」

「お前はどこまでも自分の報酬の心配かよ!」

夕闇が迫る咸陽の後宮。

香袋を巡る影の追跡は、ついに後宮を裏から統括する謎多き美形宦官・壬氏のもとへと繋がろうとしていた。

翌日、修が対面するのは、美しい顔の裏に並々ならぬ試練を秘めた壬氏、そして常にその影に控える冷静沈着な忠臣・高順(こうじゅん)。

戦場の猛者・麃修と、毒薬狂い・猫猫の前に、新たな旋風が巻き起ころうとしていた――。

 




本人出てませんがちょいみせ壬氏です。キャラ的に出しずらいけどこの人がいないと話がまとまりずらいので出てもらいましょう。
では次のの話もお待ちください。
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