巨勢大が生まれた日、父親は病院の廊下で三度も看護師に注意された。
「お父さん! 天井に頭ぶつけますよ!」
「す、すみません!」
慌てて頭を下げた男の身長は、三メートルを少し超えていた。
巨勢家の父親は、もともと身長百九十センチほどの大柄な男である。
個性は『巨大化』。
自分の身体を最大五メートル程度まで巨大化させることができる、非常にわかりやすい個性だった。
その力を活かし、父親は土木作業員として働いている。
重機が入りにくい場所での重量物の運搬や、高所での作業。巨大化した彼の腕力と体格は、現場で大いに重宝されていた。
もっとも、便利なことばかりではない。
巨大化すれば当然、それだけ身体を動かすためのエネルギーが必要になる。
父親の個性は、身体を大きくすることはできても、体内に蓄えられたエネルギーまで増やしてくれるわけではなかった。
つまり、大きくなればなるほど腹が減る。
五メートルの巨体で働き続ければ、あっという間に疲労が蓄積する。
そのため父親は、必要なときだけ巨大化し、作業が終われば元の大きさに戻るという働き方をしていた。
ちなみに、この男が病院の廊下で巨大化していた理由は、もちろん仕事ではない。
単純に、嬉しさのあまり個性が暴発したのである。
「あなた! 病院壊す気!?」
分娩室から聞こえた妻の怒声に、父親は一瞬で元の大きさに戻った。
「ご、ごめん!」
その腕に抱かれていたのは、小さな男の子だった。
生まれたばかりの赤ん坊は、父親の騒ぎなど知ったことではないとばかりに、すやすやと眠っている。
「……大」
父親が、その名前を口にした。
「うん。大きく、元気に育ってほしいから」
母親が微笑む。
「巨勢、大」
父親はそっと、小さな手に指を差し出した。
赤ん坊の指が、ぎゅっとそれを握る。
「……ちっちゃいなあ」
「赤ちゃんなんだから当たり前でしょ」
「俺の手のひらに収まっちまう」
「あなたの手が大きすぎるのよ」
母親は呆れたように笑った。
そして、夫の腕の中で眠る我が子を見つめる。
「この子、どんな個性になるのかしらね」
「そりゃあ、俺に似て巨大化だろ!」
「私に似て縮小かもしれないわよ?」
「それもいいな!」
「どっちでもいいの?」
「当たり前だろ!」
父親は、心底嬉しそうに笑った。
「元気に育ってくれりゃ、それが一番だ!」
母親も笑った。
そのときはまだ、二人とも知らなかった。
この小さな赤ん坊が、両親の個性を受け継ぎながら、そのどちらとも異なる力を手にすることを。
◇
母親の個性は『縮小』。
こちらも名前の通り、自分の身体を小さくする能力である。
ただし、夫の『巨大化』とは少々事情が違っていた。
母親は身体を小さくすると、それに比例して体内のエネルギー量も小さくなる。
例えば、身長を十分の一に縮めれば、身体の活動に必要なエネルギーもそれに応じて変化する。
そのため、小さな身体で食事をすると、ほんの少しの量で満腹になった。
そして不思議なことに、元の大きさに戻っても、その満腹感は失われない。
縮小中に取り込んだエネルギーが、身体の大きさに合わせて変化するのである。
これは、父親の個性にはない性質だった。
もっとも、母親自身はそんな難しい理屈をあまり気にしていない。
「便利よ? 食費が浮くもの」
本人の評価は、実に現実的だった。
夫が仕事帰りに大量の食事を平らげる横で、母親は小さくなって少量の食事を楽しむ。
巨勢家では、そんな光景が日常だった。
「お父さん、またいっぱい食べてる!」
三歳になった大が、食卓で目を丸くする。
「おう! 今日はいっぱい働いたからな!」
「おっきくなった?」
「なったぞー! 今日は四メートルだ!」
「よんめーとる!」
大は両腕を思い切り広げた。
「こーんな!?」
「もっとだ!」
「こーーーーんな!?」
「もっともっと!」
「そんなに広げても変わらないでしょ」
母親が笑う。
父親も笑った。
大も笑った。
巨勢家は、よく笑う家庭だった。
父親は身体が大きく、声も大きく、笑い声も大きい。
母親はそんな父親をよく叱るが、いつも最後には一緒になって笑っていた。
大は父親が大好きだった。
大きくて、強くて、何でも持ち上げられる父親。
仕事帰りに肩車をしてもらえば、世界がいつもよりずっと広く見えた。
そして母親も大好きだった。
小さくなって玩具の家に入ったり、積み木の上に腰掛けたりする母親の個性は、大にとって魔法のようなものだった。
「おかあさん! ちっちゃくなって!」
「また?」
「おねがい!」
「しょうがないわねえ」
母親の身体が、するすると縮んでいく。
百六十センチほどあった身長が、あっという間に三十センチ程度になる。
「わあ!」
大が歓声を上げた。
「おかあさん、ちっちゃい!」
「そうよー」
テーブルの上に立った母親が手を振る。
大は両手を差し出した。
「のって!」
「はいはい」
母親がその手のひらに腰を下ろす。
大は宝物でも扱うように、そっと母親を持ち上げた。
「ぼくも!」
「ん?」
「ぼくも、おっきくなったり、ちっちゃくなったりしたい!」
母親は目を細めた。
「そうね。大も、もう少ししたら個性が出るかもしれないわね」
「おとうさんみたいに?」
「そうかもしれないし、お母さんみたいかもしれないわ」
「どっちも!」
大は即答した。
「どっちもがいい!」
母親は一瞬きょとんとして、それから笑った。
「欲張りねえ」
◇
個性の発現には個人差がある。
生まれたときから特徴が現れている子供もいれば、成長の途中で突然発現する子供もいる。
一般的には四歳頃までに発現することが多いとされていた。
巨勢大は、三歳を過ぎても個性らしいものを見せていなかった。
とはいえ、両親は特に心配していなかった。
父親も母親も個性を持っている。
しかも、どちらも身体の大きさを変化させる個性だ。
大にも何らかの個性が発現する可能性は十分にあった。
そして何より、大は元気だった。
よく食べ、よく遊び、よく眠る。
同年代の子供と比べても身体が大きく、保育園ではいつも一番背が高かった。
「やっぱり俺の息子だな!」
父親は嬉しそうだった。
「あなたに似たら食費が大変ね」
母親は少し困ったように笑った。
そんな、ある休日のことだった。
◇
「おとうさーん!」
リビングで遊んでいた大が、父親を呼んだ。
「おう、どうした?」
「たかいとこの、くまさん!」
大が指差したのは、棚の上だった。
そこには、大のお気に入りの熊のぬいぐるみが置かれていた。
前日に母親が片付けたものだ。
「取ってほしいのか?」
「ううん!」
大は首を振った。
「じぶんで!」
「おっ、偉いな!」
父親は笑った。
「でも、そこは届かないだろ?」
「とどく!」
大は自信満々に答えた。
そして、棚の前に立つ。
背伸びをする。
手を伸ばす。
当然、届かない。
「んんん……!」
もう一度、精いっぱい背伸びをする。
父親は微笑ましく見守っていた。
大は昔から、何でも自分でやりたがる子供だった。
できないことがあると、すぐに諦めるのではなく、まず自分で試そうとする。
そんなところも、父親は気に入っていた。
「大、無理すんなよー」
「だいじょうぶ!」
大は棚の上を睨みつけた。
「おとうさんみたいに、おっきくなる!」
「ははは! そうかそうか!」
父親は笑った。
次の瞬間。
その笑顔が、固まった。
「……ん?」
大の頭が、少し高くなった。
背伸びをしたからではない。
明らかに、身体そのものが大きくなっていた。
「……大?」
「んんんん!」
大が、さらに手を伸ばす。
百センチほどだった身長が、百二十センチになった。
百三十センチ。
百五十センチ。
「……お、おい」
父親が立ち上がった。
大の身体は、まだ大きくなっていた。
百七十センチ。
百八十センチ。
そして。
「あっ!」
大の手が、棚の上の熊に届いた。
「とれた!」
嬉しそうな声が響く。
父親は、口を開けたまま固まっていた。
目の前には、熊のぬいぐるみを抱えた息子がいる。
ただし。
その息子の頭は、今や父親の胸元近くにあった。
「…………」
「おとうさん!」
大が振り返った。
「とれたよ!」
「…………おう」
「みて!」
「…………おう」
父親は二度頷いた。
そして。
「かあさーーーーん!!」
家中に響く大声を上げた。
「ちょっと! 何よ、大声出して!」
台所から母親が顔を出す。
「大が! 大が!」
「大がどうしたの!?」
「おっきくなった!!」
「はあ?」
母親がリビングに入ってきた。
そして、固まった。
熊のぬいぐるみを抱えた大が、にこにこと笑っている。
ただし、その身長は百八十センチを超えていた。
「……大?」
「おかあさん!」
大は嬉しそうに駆け寄ろうとした。
「わっ、待って待って!」
母親が慌てて制止する。
大はぴたりと止まった。
「……あなた、これ」
「ああ」
父親が頷く。
「ああ!!」
その顔が、みるみる笑顔になっていく。
「個性だ!!」
父親は両手を突き上げた。
「大の個性が出たぞおおお!!」
「ちょっと、声!」
「だってお前! 見ろよ! 俺と同じだ!」
父親は大の肩を掴んだ。
「すげえぞ、大! お前、巨大化できるんだな!」
「うん!」
大は胸を張った。
「おっきくなった!」
「そうだな! すげえな!」
父親は息子を抱き上げようとして、思わず笑った。
「ははっ! でっかくなったなあ!」
母親も、口元を押さえて笑っていた。
嬉しかった。
息子に個性が発現した。
それだけでも十分嬉しい。
しかも、夫と同じ『巨大化』らしい。
大が父親のようになりたいと願っていたことを、母親はよく知っていた。
「よかったわね、大」
「うん!」
「お父さんと同じね」
「うん!」
大は大きく頷いた。
そして、ふと思い出したように言った。
「じゃあ、ちっちゃくなる!」
「……え?」
母親が首を傾げた。
父親も笑顔のまま動きを止めた。
「ちっちゃく?」
「うん!」
大は、ぬいぐるみを床に置いた。
そして、ぎゅっと目を閉じる。
「んんん……!」
次の瞬間。
大の身体が縮み始めた。
百八十センチ。
百五十センチ。
百センチ。
五十センチ。
「……は?」
父親が間の抜けた声を漏らした。
三十センチ。
二十センチ。
そして、大は十センチほどの小さな姿になっていた。
「できた!」
小さな声が、床の上から聞こえた。
父親と母親は、揃って床を見下ろした。
そこには、手のひらに乗るほど小さくなった息子がいた。
「…………」
「…………」
しばらく、誰も喋らなかった。
やがて母親が、ゆっくりとしゃがみ込んだ。
「……大?」
「なあに?」
「お母さんみたいに、小さくなれたの?」
「うん!」
大は得意げに両手を広げた。
「おとうさんみたいに、おっきくなって!」
小さな腕を、精いっぱい上に伸ばす。
「おかあさんみたいに、ちっちゃくなる!」
母親は、ぽかんと口を開けた。
父親も同じだった。
そして。
「……あなた」
「……おう」
「この子……」
「……おう」
二人は顔を見合わせた。
「両方、できるの?」
父親の顔が、くしゃりと歪んだ。
泣きそうな顔だった。
しかし次の瞬間には、満面の笑顔になっていた。
「すっげえええええ!!」
「だから声が大きいってば!」
「だって! お前! 両方だぞ!?」
「わかってるわよ!」
「俺の巨大化と! お前の縮小だぞ!?」
「見ればわかるわよ!」
母親も笑っていた。
目には、うっすらと涙が浮かんでいる。
「すごい……すごいわ、大」
母親はそっと両手を差し出した。
「おいで」
「うん!」
大は母親の手のひらに乗った。
母親は、小さな息子を胸元に抱き寄せる。
「よかったねえ……」
その声は、少し震えていた。
父親も隣にしゃがみ込む。
そして、妻と息子をまとめて、大きな腕で抱きしめた。
「大!」
「なあに、おとうさん!」
「お前、すげえな!」
「えへへ!」
「父ちゃんも母ちゃんも、びっくりだ!」
「ぼく、すごい?」
「ああ!」
父親は力いっぱい頷いた。
「世界一すげえぞ!」
「もう、あなたったら」
母親が笑う。
けれど、その言葉を否定することはなかった。
大は嬉しそうに笑った。
父親のように大きくなれる。
母親のように小さくなれる。
それが、たまらなく嬉しかった。
そして何より。
大好きな父親と母親が、こんなにも喜んでくれている。
そのことが、一番嬉しかった。
◇
この日、巨勢家ではささやかなお祝いが開かれた。
父親が奮発して買ってきたケーキを囲み、大は何度も巨大化と縮小を披露した。
そのたびに父親が歓声を上げ、母親が笑った。
もっとも、両親はまだ気づいていなかった。
父親の『巨大化』は、身体を大きくするほど激しくエネルギーを消費する。
母親の『縮小』は、身体の大きさに合わせて体内のエネルギー量そのものが変化する。
その二つを受け継いだ大の個性が、単に巨大化と縮小を使えるだけのものではないということに。
大の身体は、大きくなればなるほど、その巨体に見合ったエネルギーを内包する。
父親が抱える、巨大化に伴う極端な消耗。
その弱点を、大は母親から受け継いだ性質によって克服していた。
そして、彼の成長に伴い、身体の大きさを変化させる能力は、両親の想像をはるかに超えていくことになる。
けれど、それはまだ先の話。
この日の巨勢大は、ただの三歳の男の子だった。
「おとうさん! もういっかい、おっきくなる!」
「おう! 見せてくれ!」
「ちょっと待って! 今度は外でやって!」
母親の制止もむなしく。
大の頭が、ぐんぐん天井に近づいていく。
「わああ! おっきい!」
「ははは! すげえぞ、大!」
「あなたも煽らないで!」
巨勢家に、賑やかな笑い声が響いた。
後に巨人ヒーロー『Mr.タイタン』と呼ばれることになる少年。
巨勢大。
その最初の一歩は、家族の笑顔と祝福に包まれた、ごくありふれた幸せな一日だった。